甘い生活2018/7/27

ロスに行ったとき、いわゆる”サンセット大通り”で、「あの家」を一生懸命探した。文字通り『サンセット大通り』という名の映画に出てくる豪邸である。

 

街路樹は異様に高いツリー、ビバリーヒルズからハリウッドまで続く、もっともロサンゼルスらしい景観を見せる大通り、交通量の極めて多い埃っぽい車道に面して、お城のような大豪邸があっけらかんと軒を連ねるのが、サンセット大通りなのである。

もちろん名だたるセレブたちの所有だったりするわけだけれど、自分のサクセスストーリーの1部として、これでもかの豪邸をこれ見よがしに大通りに展示するのが、この街で生きる金持ちたちの1つの特徴なのだろう。こんな家に住む人生はどんなものなのだろうと、改めて人生の意味を考えさせられてしまうほどの豪邸の数々……。

 

しかし、そこにどうしても重なって来てしまうのが、映画の『サンセット大通り』。1950年に製作された、古いモノクロ映画ながら、アメリカ映画の大傑作として、今もその名を轟かせている。
ヒロインは、サイレント映画時代に一世を風靡し、今なおその栄光が忘れられない往年の大女優。世間からはとっくに忘れられているのに、自分はまだそのことに気づいていない。虎視眈々、映画への復帰を目論見、作品を探し、自分を磨き続けている。そして、執事と2人だけで住む大豪邸があるのがサンセット大通り……。

 

そこに、借金取りに追われて逃げ込んでくるのが売れない脚本家。自分の”復帰作”に手直しをさせるうち、女優はこの若い男を愛するようになり、高価な服や装飾品を買い与え、言わば囲うようになるのだが、男はむしろ女に対し嫌悪感を募らせ、若い女性を愛するようになる。嫉妬に狂う元女優は、豪邸を出て行こうとする男を射殺、事件が発覚して集まってきた警察や報道陣を見て、正気を失った女優はついに叶った復帰のための撮影と錯覚し、報道陣カメラの前で迫真の演技を始める。

 

その時の鬼気迫る大げさな演技から、それはサスペンスと言うよりホラーだと言った人がいたが、落ちぶれた大女優の孤独と、老いへの恐怖、100%不可能な復活を夢見る切なさ、そしてほとんどの部屋が使われなくなった大豪邸の豪華さとの強烈なコントラストが、残酷なまでに人生の悲哀を浮き彫りにするのだ。

 

この映画を見て以来、お城のような大豪邸に住むことの危うさを考えるようになった。それは確かに成功者の証であり、人間の普遍的な夢。けれども、その容量に対し、その豪華さに対し、見合うだけの濃厚な人生がなければ、その広さはがらんとした虚しさを伝えるだけだし、豪奢な装飾や調度品は、何か物質主義の悲しみを象徴しているようにも見えてくる。
住まいは、そこに住まう人の人生とバランスが取れなくなった時、とても悲しいものとなる。豪華なら豪華なほど、悲しくて悲しくて仕方がないものとなる。

 

その結果、「大豪邸は悲しい」という不思議な命題が自分の中に出来上がっていた。それこそ、サンセット大通りの豪邸群は、大きすぎるために中を覗きたくても覗けずに手持ち無沙汰でそぞろ歩く、自分たちのような観光客を、”マッチ売りの少女”の気持ちにしてしまう。でも実際は、マッチ売りの少女が見たような賑やかで楽しげな家族の団欒を展開する家はそう多くないのだろう。いや本当はそうであって欲しいけれど、孤独な大金持ちが1人で暮らす家も少なくないのかもしれない。

 

その呆れるほどの空間を埋めるために、遊びに来ない? 遊びに来ない?と、”友人たち”に声をかけるも、誰もやってこない。だから豪邸は悲しい。空間を埋められないのなら豪邸はいらない。全く無意味、むしろ罪。住む人をもっと孤独にしてしまうから。

 

人は人生とアンバランスな家に住んではいけない。絶対にいけない。

 

 

齋藤薫 美容ジャーナリスト/エッセイスト

女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーと幅広く活躍。『されど“男”は愛おしい』(講談社)など著書多数。

 

甘い生活 についての記事

もっと見る