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2023.12.08

田無駅――漫画「あたしンち」の舞台!“フツーの家族”が“フツーの日常”を過ごす街(東京都西東京市/西武新宿線)【特別編】

田無駅――漫画「あたしンち」の舞台!“フツーの家族”が“フツーの日常”を過ごす街(東京都西東京市/西武新宿線)【特別編】

 「♪こんにちは、ありがとう、さよなら、また会いましょう…」
 アニメ「あたしンち」のオープニングテーマ、キンモクセイ「さらば」の歌いだしである。父の通勤、母の買い物、姉の通学、弟の待ち合わせ…家族4人の日常生活がこの歌に乗せて描かれ、その舞台として「田無」が頻繁に登場する。 オープニングでも父が「田無」駅の改札を抜ける様子がそのまま描かれ、“フツーの家族のフツーの日常”がテーマとなっている作品の舞台はどんな街なのかと、アニメの放映を毎週楽しみにしていたもの。
 今回は、かつて少年だった頃の記憶を思い返しながら、「マンション図書館 あたしンちコラボ企画」の一環として、初めて田無の街を歩いてみた。

「あのマンションどこ?いくら?」シリーズ

「その1 あたしンちのマンション、とことん読み込み推理編」

「その2 あたしンちを探せ! 現地調査編」

「その3 あたしンちは○万円! 価格調査編」

「あの街この駅―東京カンテイ・マンション調査員流の街歩き―」シリーズ

前回「たまプラーザ駅②未来編」はこちら

1. 田無の歩み

「田が無い」から田無?

 “田無”という地名はなかなか珍しい。稲作に恵まれていたことを表す“豊田”や“富田”、“有田”、“稲田”といった地名、また生産高の位を表す“上田”、“中田”、“下田”など、“どういった田であったか”を示す地名は各所に見られるものの、“田が無い”から“田無”というのはいかにも正直だ。田は無くとも畑やその他目印になるような何かはあったのではと思うが、西東京市の見解でも「定説は得られていません」と前置きしたうえで「文字どおりこの地域一帯が『田のない』ところであり、その核心地域として『田無』の名称が残ったと考えるのが、もっとも一般的な解釈」とある。

▲田無町4丁目に残る「府中道」。奈良時代に武蔵国府との往来があり、それ以来の古道と思われる。

▲田無町4丁目に残る「府中道」。奈良時代に武蔵国府との往来があり、それ以来の古道と思われる。

 東京都市部の大部分を占める武蔵野台地は基本的に水の利が悪かったために畑作が多かった。水が少なくても育つ根菜などが多く栽培され、“練馬大根”はその代表だ。奈良時代に設けられた武蔵国府(今でいう県庁)は府中市に置かれており、灌漑技術が未発達だったその頃の“武蔵野”は大部分が“田無し”だったはずだ。恐らく、今に比べてかなり広大な範囲が“田無し”と呼ばれており、その“田無し”の中心こそが「田無」だった、ということなのだろう。

▲「六角地蔵尊前」バス停付近の「鎌倉街道」(西原町2丁目)。これもまた鎌倉時代以来の古道なのだろう

▲「六角地蔵尊前」バス停付近の「鎌倉街道」(西原町2丁目)。これもまた鎌倉時代以来の古道なのだろう

ちなみに、苗字辞典でも“田無”姓は存在しない。“無田”(むた、なしだ)姓が熊本県に少数存在するというが、九州には海の干拓地を示す“牟田”(むた)の地名(福岡県大牟田市など)や姓名(福岡県の百貨店“岩田屋”を長年経営した“中牟田家が有名)がよく見られるので、熊本の“無田”姓は同じ“ムタ”読みの“牟田”が転じたものだろう。地理的にも遠く離れており、西東京市田無の関連はなさそうである。

 とはいえ江戸時代の街道整備以来“青梅街道田無宿”としての賑わいはあったし、北部の谷戸町(やとちょう)では水の利があったために古くから農地として拓けたといい、江戸時代以前からある程度の中心性を持ったところであったことがわかる(田無宿は谷戸町の住民が宿場町建設のため移り住んだのがはじまりとされる)。1690年の段階で田無村はその名に反して930(一石は約180kg167.4トン)の米を生産していたというから、田が無いから貧しい村であったかといえばそうではない。メインルートの甲州街道に対するサブルートとして青梅街道は機能しており、新宿で分かれて中野、田無、小川、箱根ヶ崎、青梅の宿場を経て甲州に向かっていた。“御嶽道”(みたけみち)の別名もあり、今なお崇敬を集める武蔵御嶽神社への参道でもあったから、田無はこうした参拝者が立ち寄る街でもあったわけだ。

▲田無はその名の通り、今でも畑が多い。駅前の市街地を抜けると、武蔵野の佇まいが残っている。

▲田無はその名の通り、今でも畑が多い。駅前の市街地を抜けると、武蔵野の佇まいが残っている。

 田無はこうした商業地としてある程度栄えていたこともあり、明治期に入っても江戸期の田無村と全く同じ範囲で“村”ではなく“町”を形成。1889年の町村制施行に伴い“北多摩郡田無町”が成立している。

▲青梅街道。田無宿があったのもこの道沿い。かつて“田無本町”と呼ばれ、文字通り地域の中心だった。

▲青梅街道。田無宿があったのもこの道沿い。かつて“田無本町”と呼ばれ、文字通り地域の中心だった。

西武新宿線「田無」駅開業

 1927年に西武鉄道村山線(後の西武新宿線)「東村山」―「高田馬場」が開通すると同時に「田無」駅が設けられた。それまで田無本町(住所では『田無町』だが、田無宿の辺りを今でも便宜的にこう呼ぶ)の最寄り駅は南に3kmほど離れた甲武鉄道境駅(1889年開業、現・JR中央線『武蔵境』)か、武蔵野鉄道田無町(たなしまち)(1924年開業、現・西武池袋線『ひばりヶ丘』)であった。特に田無町駅は田無町をわずかに外れた隣の保谷町に設けられたにも関わらず、わざわざ「田無町」を名乗っているあたり、田無が近隣の有力な町としての存在感が窺えよう。ただ田無本町からは「武蔵境」と同じく3kmほど離れていたため、すっきりとは名乗れなかったようだ。そこへ正真正銘の「田無」駅ができたことで、田無はいよいよ東京郊外としての発展が始まってゆく。

▲通勤通学客で賑わう「田無」駅。開業以来、西武新宿線の拠点駅のひとつとなっている。

▲通勤通学客で賑わう「田無」駅。開業以来、西武新宿線の拠点駅のひとつとなっている。

 駅開業から2年後の1929年、東大農場(現・東京大学大学院 農学生命科学研究科附属演習林 田無演習林)が目黒区駒場から移転し、存続運動に揺れた時期もあったが現在もなお田無を象徴する施設として続いている。同時期にシチズン時計()東京事業所(1935)、中島航空金属()田無鋳鍛工場(1939年、現・住友重機械工業)などの大規模工場が立地。特に中島航空金属へは西武池袋線「東久留米」から専用の貨物線が引き込まれ、戦時体制を支えていた。

▲シチズン時計(株)東京事業所。本社も併設する。1936年以来、ここ田無で操業を続けている。

▲シチズン時計(株)東京事業所。本社も併設する。1936年以来、ここ田無で操業を続けている。

 戦後の1952年には西武村山線から“西武新宿線”に改称し、「高田馬場」―「西武新宿」間が延伸。当時は“新宿副都心”計画と共に著しい発展が続いていた「新宿」の一画へと乗り入れた。1965年には西新宿に広大な用地を占めていた“淀橋浄水場”が多摩湖(村山貯水池)近くの“東村山浄水場”へ移転、跡地には1971年の京王プラザホテル(47階建)を皮切りに多数の超高層ビルが建ち、1991年の東京都庁移転を以て“新宿副都心”は“新宿新都心”となるに至っている。“村山線”が“新宿線”に変わって「西武新宿」駅が開業し、西新宿の“淀橋浄水場”が“東村山浄水場”へと移転…とまさに両者が入れ替わったような恰好だが、その裏には青梅街道以来の新宿との結びつきがあるように感じられる。

▲西武新宿線のターミナル「西武新宿」。歌舞伎町に位置し、他線「新宿」とは400mほど離れている。

▲西武新宿線のターミナル「西武新宿」。歌舞伎町に位置し、他線「新宿」とは400mほど離れている。

本来の目的が水道用水の貯水池ゆえに人工湖である多摩湖だが、その風光明媚さ故に東京方面からの観光客が絶えず、「西武新宿」からも「田無」を通り、“西武多摩湖線に直通する「多摩湖」行きの行楽列車が走っている。「♪東村山~、庭先ゃ多摩湖~」と志村けん氏が歌う“東村山音頭”が大ヒットしたのもこの頃(1976)。多摩湖畔には“西武園ゆうえんち”や“西武球場”(後の西武ドーム)など、西武鉄道による大型レジャー施設が相次いで開業し、主に西武沿線にとっての気軽な行楽地として今なお親しまれている。

▲黒目川(東久留米市)を渡る西武池袋線。西武沿線といえば、こういった武蔵野の景色が続くイメージだ

▲黒目川(東久留米市)を渡る西武池袋線。西武沿線といえば、こういった武蔵野の景色が続くイメージだ

ひばりが丘団地と田無の発展

「西武新宿」への延伸で利便性が向上した西武新宿線沿線には多数の団地・マンションが建設され、「田無」にも「西原グリーンハイツ」などの大型マンションが建設された。西武沿線の数ある団地・マンションの中でもっとも有名なのは「公団ひばりが丘団地」だろう(1959)。先述の中島航空金属跡地を中心に、北多摩郡田無町のほか保谷町・久留米町に跨る33.9haもの広大な敷地に2,714戸もの住宅が供給され、北多摩郡久留米町が市制施行し東久留米市となる直前には「日本一人口が多い“町”」になったほどであった。

▲ひばりが丘団地の面影を残す都営アパート。旧公団分譲物件は殆どが建て替えを終えている。

▲ひばりが丘団地の面影を残す都営アパート。旧公団分譲物件は殆どが建て替えを終えている。

ひばりが丘団地は敷地内にスーパーマーケットや商店街、小中学校、役所出張所といった生活利便施設を配置し、団地内で生活が完結する仕組みを造った。また「55-4N-2DK」と呼ばれる公団標準の間取り(DK4.5+6畳間・4.5畳間)やガスコンロ、水洗トイレといった先進の住宅設備に加え、緑地公園、テニスコート、野球場、集会室などの充実した共用設備を配置するなど、今日のタワーマンションにも通じる要素がいくつも取り入れられている。

▲公営住宅51C-N型:後の2DKの間取り(40.2㎡)。かつての公団住宅は50㎡前後が標準だった(東京カンテイ所蔵)

▲公営住宅51C-N型:後の2DKの間取り(40.2㎡)。かつての公団住宅は50㎡前後が標準だった(東京カンテイ所蔵)

ひばりが丘団地は日本住宅公団の広告塔としての役割も担い、1960年には「団地への招待」と題した映画が公団によって作成され、まったく新しい生活スタイルを紹介するハウツービデオとして、ひばりが丘団地に限らず各団地入居者へ見せられたという。団地の周囲が一面の農地や森である当時の環境がわかるほか、「新しい団地はコンクリートが乾くのに2年もかかるので、それまでは着物にカビが生えないように家具を壁から離す」「(木造家屋に比べ機密性が高いため)ガスストーブは中毒を起こしやすいので小窓を開けて換気するように」など、具体的なアドバイスが散りばめられている。「団地への招待」は作成した日経映像自らYouTubeにアップしているので、ぜひご覧いただきたい。

ひばりが丘団地は「モデル団地」として視察が相次ぎ、1960年には前年に結婚したばかりの皇太子同妃両殿下(現在の上皇上皇后陛下)夫妻が「現在の一般市民の最新の暮らしをご覧になる」べく、74号棟208号室の横井氏宅をご訪問されたほど。この74号棟208号室は『団地への招待』にも登場しており、モデルルームのような役目を担っていたようだ。バルコニーから中庭の記者らへ手を振られた写真は、今でもひばりが丘団地の先進性を象徴する一枚。当時の雑誌には「六畳のアパートに日本一のお客様、皇太子ご夫婦の団地族訪問」「“イヤア今日ハ”と気易く挨拶」と見出しが並び、その注目度の高さが窺える。この74号棟は取り壊されて現存しないが、208号室のバルコニー手摺りは団地管理事務所の脇に保存されている。

ひばりが丘団地の入居開始と共に、田無町にあるわけでもなく、田無本町に「田無」駅が開業してから影が薄くなっていた西武池袋線田無町駅は、突如今を時めく団地の最寄駅となり「ひばりヶ丘」へと改称した。1967年には人口増を受けて市制施行し“田無市”・“保谷市”が同時に誕生、この頃がもっとも急速に発展が進んだ時代と言えるだろう。

 

ちなみに、“ひばりが丘”の名付け親は「ひばりが飛ぶ豊かな麦畑があった記憶を忘れぬよう」との願いを込めた当時の田無町長・賀陽賢司氏(在任1958-1962。元は田無神社の宮司)であり、その“ひばりが丘”を発祥とするのが外食チェーン“すかいらーく”(skylark=ヒバリ)である(ひばりが丘団地内の食品スーパー“ことぶき食品”として1962年創業、ファミリーレストラン1号店は1970年の国立店※府中市)

▲池袋線ひばりヶ丘駅。現在もなおひばりが丘団地エリアの最寄駅としての役割を担う。

▲池袋線ひばりヶ丘駅。現在もなおひばりが丘団地エリアの最寄駅としての役割を担う。

東京唯一の平成の大合併で“西東京市”に

 田無市と保谷市は共にひばりが丘団地が跨り、生活圏が殆ど一体であった。また、保谷市は「コ」の字状に田無市を取り囲むような歪な市域であり、小中学校や道路などのインフラ整備において行政上の不都合が多く、かねてから田無市・保谷市の合併は取り沙汰されていた。保谷市が歪な形になったのは、1889年の町村制施行時に田無町が江戸期以来の町域を変えなかったのに対し、保谷村は下保谷村(『コ』の上辺。西武池袋線『保谷』駅側、白子川下流)・上保谷村(『コ』の右辺。西武新宿線『西武柳沢』駅側、白子川上流)・上保谷新田(『コ』の下辺。概ね現在の西東京市の南端、新町16丁目)3村が「コの字に合併したから」という経緯によるものだ。

▲「田無」駅前広場に埋め込まれた旧・田無市の地図。ひばりが丘団地は中央やや北、保谷・田無・東久留米に跨っていた

▲「田無」駅前広場に埋め込まれた旧・田無市の地図。ひばりが丘団地は中央やや北、保谷・田無・東久留米に跨っていた

 このような不都合を解消すべく、平成の大合併(以下!参照)に乗る形で2001年に「西東京市」として新設合併、田無市・保谷市は廃止されることとなった。とはいえ、現在も西東京市役所は旧田無市役所の田無庁舎、旧保谷市役所の保谷庁舎に分かれたままであり、駅名が変わったなどの大きな変化も少ない。新市名を巡っては「方角が2つも入っている」「“西東京”とは八王子市など東京都西部を指す言葉であり東京都中央部の田無・保谷が名乗るのはおかしい」などの異論もあり、ひばりが丘団地から取った「ひばり市」や旧郡名の「北多摩市」なども検討されたというが、ひばりが丘団地には東久留米市も含むことや、多摩ニュータウンを擁する多摩市から大きく離れているなどの理由もあり、それまで自治体名としては使われていなかった「西東京市」に決まったそうだ。

平成の大合併

 概ね1995~2005年にかけ、約3,000あった市町村を約1,700と半数強まで合併させた施策。総務省による地方交付税交付金の削減・合併後の新自治体への財政支援が両輪で行われたため、特に財政面で不安を抱える地方部では合併がかなり進み、新潟県では80以上も自治体が減った上、栃木・石川・福井・静岡など“村の数が0”になった都道府県も多い。一方、大阪(美原町が堺市へ合併し1減)、神奈川(津久井町・相模湖町・藤野町・城山町が相模原市へ合併し4減)など、財政面に問題が少ない都市部では合併が進まなかった。東京都も西東京市の1減のみだが、大阪・神奈川と違い吸収合併ではないことが特徴である。

 西東京市成立後は、築50年以上を迎えたひばりが丘団地の建て替え、片側1車線で道幅が狭く混雑が著しい都道4(所沢街道)のバイパスとなる“新所沢街道”・“東大農場通り”の整備など、懸案だったインフラ整備が加速しつつある。合併当時約185,000人だった人口は2015年の国勢調査で20万人を超え(20234月現在約207,000)、東京都市部では八王子市、町田市、府中市、調布市に次ぐ5位につけている。ひばりが丘団地の建て替え効果もあり、ファミリー世帯の転入が相次いでいるとみていいだろう。

▲開通したばかりの新所沢街道(東久留米市境)。所沢街道の渋滞緩和のため、東への延伸が進められている。

▲開通したばかりの新所沢街道(東久留米市境)。所沢街道の渋滞緩和のため、東への延伸が進められている。

2. 漫画「あたしンち」の舞台・田無

「フツーの家族のフツーの日常」

さて、そんな田無といえば漫画・アニメ「あたしンち」の舞台としても有名である。通勤・通学のシーンでは黄色い西武線や、青緑とベージュにオレンジ色のラインが入る西武バス(と思しきバス)が頻繁に登場し、買い物に訪れるスーパーはその名も「西反」(『西友』のパロディ)。“フツーの家族のフツーの日常”を描く舞台としては、「クレヨンしんちゃん」の埼玉県春日部市と並び、背伸びしすぎず離れ過ぎず、いかにも読者・視聴者に馴染みやすい立地と言えるのではないだろうか。

▲アニメ「あたしンち」オープニングで弟・ユズヒコが通る「田無」駅北口。左の花屋もアニメと全く変わらない。

▲アニメ「あたしンち」オープニングで弟・ユズヒコが通る「田無」駅北口。左の花屋もアニメと全く変わらない。

あたしンち

 父(サラリーマン)・母(専業主婦)・姉(高校生、みかん=あたし)・弟(中学生、ユズヒコ)の4人家族「タチバナ家」の日常を描いた、けらえいこ氏作の漫画作品。読売新聞日曜版で1994~2015年の長期にわたり連載ののち、2019年以降は雑誌「AERA」にて連載を再開。アニメ版は2002~2009年・2015~2016年にかけテレビ朝日系列で放送。「田無」最寄りのマンション在住という設定で描かれ、特にアニメ版は劇中にも度々登場した。「クレヨンしんちゃん」に代わり金曜19:30~19:54に放送されたため、直前の「ドラえもん」からの流れで視聴していた方も多いのではないだろうか。「フツーの家族のフツーの日常、なのにこんなに笑えるのはナゼ?!」のコピーがとてもしっくりくるホームコメディ。

「田無」は西武新宿線のターミナル、「西武新宿」から急行で約20分。特急「小江戸」・「拝島ライナー」といった別料金が必要な列車は通過するが、急行・準急は停車する。また、「西武新宿」発着の各停は半数ほどが「田無」始発・終着で、「田無」から先は急行がすべての駅に停まる。近郊区間と郊外区間の境目となる駅といえ、西武新宿線の中では存在感のある駅といえる。しかし、乗り入れている路線は西武新宿線のみで「所沢」のように複数路線が乗り入れているわけではないし、「三鷹」や「国分寺」など中央線の特快停車駅と比べると、それなりに賑わっているが駅前は落ち着いている。語弊を恐れずに言えば、“フツーの急行停車駅”というのが、降り立ってみての第一印象だ。

▲「田無」で折り返す各停(左)と、上り「西武新宿」行き準急(右)。「田無」で西武新宿線は一区切りがつく。

▲「田無」で折り返す各停(左)と、上り「西武新宿」行き準急(右)。「田無」で西武新宿線は一区切りがつく。

「田無」のメインとなるのは、青梅街道田無宿以来の“田無本町”に面する北口だ。駅前は整然としたバスターミナル・ロータリーが広がり、ペデストリアンデッキで駅舎と商業施設「LIVIN(リヴィン)田無店」「田無アスタ」が接続されている。「ひばりヶ丘」行きや「武蔵境」行きの西武バスも北口から出発し、「武蔵境」行きは駅すぐ東側の踏切を渡っていく。駅のすぐ横に踏切があるというのも、いかにも郊外の駅という感じ。電車が通る度に人や自転車、車がせき止められ、踏切が開くとわっと波が交差していく。駅前をいろいろな角度から眺めてみたが、やっぱり“フツーの急行停車駅”だった。

▲「田無」駅北口のLIVINは「DOVIN」として登場する。「母」の待ち合わせシーンにもよく使われる。

▲「田無」駅北口のLIVINは「DOVIN」として登場する。「母」の待ち合わせシーンにもよく使われる。

クレヨンしんちゃんとの共通点“地方出身者にも馴染みやすい街”

「あたしンち」と「クレヨンしんちゃん」は、アニメ放送開始の時期が近く、家族の日常を描く作品という点で共通点が見られるが、マンション図書館として注目したいのは「どちらも地方出身者の家庭」ということ。「あたしンち」のタチバナ家は父・母とも大分県出身、「クレヨンしんちゃん」の野原家は父・ひろしが秋田県、母・みさえが熊本県出身と、いずれも東京やその近県の出身の家庭ではない(偶然にも4人中3人が九州出身)。いわば、東京周辺に地縁がない家族がどこに居を構えるかという点で、この二つの作品は示唆に富んでいるのではないだろうか。

▲アニメでは「ゆたか銀行」となっている、駅北口踏切横の「三菱UFJ銀行田無支店」。

▲アニメでは「ゆたか銀行」となっている、駅北口踏切横の「三菱UFJ銀行田無支店」。

どちらもクルマを所有している描写はあるが、「あたしンち」のタチバナ家はマンションなのに対し、「クレヨンしんちゃん」の野原家は庭付き一戸建てで、庭には犬小屋があり“シロ”という犬を飼っているという違いがある。「クレヨンしんちゃん」は平成初期というバブル景気が残る時期に描かれ始めた(1990年連載開始)という背景もあり、父・ひろしが「安月給」と罵られる場面がある。ただ、「霞ヶ関」最寄りの会社に勤める35歳のサラリーマンが専業主婦と子ども2人、犬、クルマを持とうと思えば、東京メトロ日比谷線~東武スカイツリーライン直通電車一本で結ばれる「春日部」の一戸建て(バスに乗る描写がほとんどないので駅からは徒歩圏内と思われる)を選ぶのは、違和感がないだろう。「春日部」~「霞ヶ関」は日比谷線直通で80分ほどかかるが、「北千住」で急行に乗り継げば55~62分ほどである。

▲「春日部」駅ホームではクレヨンしんちゃんが出迎える。いまや春日部市を代表するキャラクターだ

▲「春日部」駅ホームではクレヨンしんちゃんが出迎える。いまや春日部市を代表するキャラクターだ

一方、タチバナ家も“給料日前になるとおかずが『ちくわ』だけ、『なめたけビンづめ』だけ、といった酷い内容になる”といった“倹約”エピソードが頻繁に登場するあたり、野原家と経済状況は大差ないものと思われるが、犬がいないのでマンションという選択ができる。ただ、野原家が徒歩圏なのに対し、タチバナ家は「田無」からバスに乗る。父の職種や勤務先については明かされていないが、仮に「西武新宿」から徒歩圏の西新宿高層ビル街あたりに勤務と仮定すると、電車に乗る時間が約20分なので、玄関からデスクまでの通勤時間は概ね4050分程度に収まる(田無始発の各停を待ったりすれば別)。電車に乗っている時間だけでも6080分コースの野原家とはだいぶ差があるが、それだけマンションが“より良い立地に効率的に住宅を供給できる”ことを表していると言えるだろう。

▲西武バスはアニメだけでなく漫画にもよく登場する。タチバナ家の生活を支える貴重なライフラインだ

▲西武バスはアニメだけでなく漫画にもよく登場する。タチバナ家の生活を支える貴重なライフラインだ

そして、「田無」を選んだタチバナ家も、「春日部」を選んだ野原家も、地縁がない中でそれぞれの街を選んでいる。勤務先や家族構成、取得の時期など、様々な要因が居住地選択の動機となっているわけだが、“フツーの家族”が“フツーの日常”を送れる街、という意味で、両者は非常に似通っている。連載開始時の主人公の年齢から逆算すると、タチバナ家は1980年代前半のバブル期直前頃、野原家は1980年代後半のバブル期中~晩期と想定され、この年代の差が地価の差に直結しているために地域の違いが出たという側面もあるだろう。とはいえ、どちらもブランド住宅地のような華やかさはないが、たとえ地縁がなくても馴染める街と言えるだろう。タチバナ家、野原家どちらも夫婦仲、家族仲はとてもよく、温かな家庭を築いている。春日部市はシティプロモーションの一環として野原家を昔からPRキャラクターに起用しているが、西東京市もタチバナ家を起用してはいかがだろうか。

▲「西原グリーンハイツ」の大きく育った並木道。「田無」または「ひばりヶ丘」から西武バスが通じる。

▲「西原グリーンハイツ」の大きく育った並木道。「田無」または「ひばりヶ丘」から西武バスが通じる。

3. 「田無」のマンション紹介と駅別中古価格

「田無」のマンション紹介

 「田無」駅前は商業地で、ロータリーから青梅街道にかけての200mほどが最も商業集積が進んだ商店街となっているが、新青梅街道と交差する400mほど先の「北原」交差点で商業地はほぼ終わる。ここから先は広大な東大農場が広がっているほか、戸建住宅地が徐々に広がっていく。

▲「田無」駅北口の商店街。

▲「田無」駅北口の商店街。

この商業地の周辺がやはり最もマンションが集中しており、やはり最も目立つのは駅前の「アスタ住宅」だろう。17階建という高さは今なお田無最高層で、タワーマンションと同等の存在感を持つ。アスタを介して駅・リヴィン(西友)とも繋がる利便性の高さと、そのランドマーク性の高さから、竣工から30年近いものの、いまだに分譲当時の坪単価から大きく変わらない水準で取引されている。

 

アスタ住宅

「田無」徒歩1分 西東京市田無町2丁目 199412月竣工/17階建197

売主:田無市/施工:清水建設・鹿島建設/分譲時平均坪単価275万円

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    ▲アスタ住宅(当社マンションデータベースより)

    ▲アスタ住宅(当社マンションデータベースより)

    ▲アスタ住宅(当社マンションデータベースより)

    ▲アスタ住宅(当社マンションデータベースより)

    ▲アスタ住宅(当社マンションデータベースより)

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 ただ、駅周辺に2013年以降(築10年以内)の築浅マンションは少なく、直近では「パークホームズ田無ザ・ガーデン」が最も規模が大きく、目立つマンションとなっている。

パークホームズ田無ザ・ガーデン

「田無」徒歩8分 西東京市田無町4丁目 201811月竣工/14階建170

売主:三井不動産レジデンシャル/施工:長谷工コーポレーション/分譲時平均坪単価219万円

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    ▲パークホームズ田無ザ・ガーデン(当社マンションデータベースより)

    ▲パークホームズ田無ザ・ガーデン(当社マンションデータベースより)

    ▲パークホームズ田無ザ・ガーデン(当社マンションデータベースより)

    ▲パークホームズ田無ザ・ガーデン(当社マンションデータベースより)

    ▲パークホームズ田無ザ・ガーデン(当社マンションデータベースより)

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エクセレントシティ田無

「田無」徒歩9分 西東京市田無町1丁目 2019年2月竣工/12階建53戸

売主・施工:新日本建設/分譲時平均坪単価192万円

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    ▲エクセレントシティ田無(当社マンションデータベースより)

    ▲エクセレントシティ田無(当社マンションデータベースより)

    ▲エクセレントシティ田無(当社マンションデータベースより)

    ▲エクセレントシティ田無(当社マンションデータベースより)

    ▲エクセレントシティ田無(当社マンションデータベースより)

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サンクレイドル西東京

「田無」徒歩13分 西東京市芝久保町2丁目 20188月竣工/5階建72

売主:アーネストワン/施工:多田建設/分譲時平均坪単価200万円

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    ▲サンクレイドル西東京(当社マンションデータベースより)

    ▲サンクレイドル西東京(当社マンションデータベースより)

    ▲サンクレイドル西東京(当社マンションデータベースより)

    ▲サンクレイドル西東京(当社マンションデータベースより)

    ▲サンクレイドル西東京(当社マンションデータベースより)

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西武新宿線の駅別中古価格

 西武新宿線は、「東京23区」「東京都市部」「埼玉県内」の概ね3エリア毎に相場が形成されていると言える。

▲データ集計:(株)東京カンテイ 直近3年、各年とも1~12月。30㎡未満および事務所・店舗用住戸は除外。赤数字は上位10駅

▲データ集計:(株)東京カンテイ 直近3年、各年とも1~12月。30㎡未満および事務所・店舗用住戸は除外。赤数字は上位10駅

 2022年中古取引価格平均坪単価の上位10駅はすべて「西武新宿」寄りの駅で占められる。「西武新宿」(1位)と「高田馬場」(2位)は別格として、都営大江戸線と2路線利用可能な「中井」(3位)、および急行が停車する「鷺ノ宮」(5位)が順位を幾分入れ替えている以外は、概ね「西武新宿」から離れるにつれて下がっていく、右肩下がりの傾向を示している。ただ、「武蔵関」(12位)と「東伏見」(15位)で50万円弱と結構な差が付いている点がポイントだ。

 「武蔵関」までが東京23区(『武蔵関』は練馬区)なのに対し、「東伏見」からは西東京市の市部となる。「東伏見」~「東村山」(21位)の東京都市部は概ね坪140~170万円前後で推移していくが、埼玉県に入った「航空公園」(25位・所沢市)からは、また50万円弱ほどの段がつき、新築が少ないので平均築年も上がっていく。ただ、西武池袋線と2路線利用できる「所沢」(19位)と、“時の鐘と蔵の街”で有名な終点「本川越」(17位)だけは東京都市部と同等の水準である。

 

 「田無」は急行が停車し、始発列車も多いという利便性の高さゆえ、東京都市部エリアでは上位の水準となっている。ただ、それでも東京23区内に比べればだいぶリーズナブルと言えるだろう。

おわりに

 「田無」駅北口のほど近く、リヴィン裏手あたりに「シンエイ動画()」の本社がある。シンエイ動画といえば「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」をはじめ、「オバケのQ太郎」「パーマン」「巨人の星」といったテレビアニメ黎明期の名作から、テレビ朝日系列を中心にアニメ制作を手掛けてきた名門である。田無には1976年以来拠点を構えており、ここから数々のアニメが送り出されているというわけだ。

▲コミュニティバスを彩る、西東京市マスコットキャラクター「いこいーな」。シンエイ動画とのタッグによるものだ

▲コミュニティバスを彩る、西東京市マスコットキャラクター「いこいーな」。シンエイ動画とのタッグによるものだ

 西武沿線はこうしたサブカルチャーと縁が深い。かの有名な“トキワ荘”は池袋線「椎名町」(豊島区)だし、東映アニメーション()(東映東京撮影所)も池袋線「大泉学園」(練馬区)である。若手漫画家やアニメーター「新宿」「池袋」といった感性を刺激される大都会へ出やすい割に、若者でも手が届きやすい物件が多いというのが理由なのかもしれない。「大泉学園」駅前には鉄腕アトム、鉄郎・メーテル(銀河鉄道999)たちのブロンズ像が立ち並び、コンテンツ・ツーリズムに一役買っている。シンエイ動画を擁する西東京市も、同社と協力して市のマスコットキャラクター「いこいーな」を製作するなどしているが、練馬区のような大々的なPRには至っていないようだ。

▲西東京市のランドマーク、スカイタワー西東京。「あたしンち」の幕間でもよく登場する(芝久保町5丁目)。

▲西東京市のランドマーク、スカイタワー西東京。「あたしンち」の幕間でもよく登場する(芝久保町5丁目)。

 そこへ「タチバナ家が暮らす街・西東京市」というブランドを構築してはどうだろう。かつての「クレヨンしんちゃん」はその作風ゆえに春日部市のPRキャラクター起用にあたって賛否両論があったというが、今では春日部を代表するキャラクターとして完全に定着している。「田無」駅前にタチバナ家の4人がもし立っていれば、きっと市を代表するアイコンになるはずだ。西東京市民の満足や愛郷心の醸成にも繋がるのではないだろうか。

▲駅前のシンボル「平和のリング」。空襲の犠牲者を追悼するモニュメント。この辺りにタチバナ家が居たら楽しい

▲駅前のシンボル「平和のリング」。空襲の犠牲者を追悼するモニュメント。この辺りにタチバナ家が居たら楽しい

 今回田無を歩いてみて、“フツーの家族のフツーの日常”の舞台として「田無」は最適な街だと肌で感じることができた。ただ、これからは東京都内といえど、人口の奪い合いという側面も出てくる。そうなった時“フツーの街では埋没してしまうだろう。そうした中、東京都心への通勤通学が便利なだけでなく、シチズン時計やシンエイ動画といったユニークな企業を持ち、市内で経済が回っている西東京市のような自治体は強い。そのうち、西東京市が“フツーの街”ではなくなる日が来るのかもしれない。

▲「田無」駅北口の「まちテナ西東京」。FM西東京の収録やアンテナショップなど、西東京市のPR拠点。

▲「田無」駅北口の「まちテナ西東京」。FM西東京の収録やアンテナショップなど、西東京市のPR拠点。

※特記以外の画像は2023年5月筆者撮影。マンション図書館内の画像は当社データベース登録のものを使用しています。無断転載を禁じます。

※本稿執筆にあたり、以下の記事から一部引用、および執筆の参考にしています。
 (最終閲覧:2023/05/26)

佐伯 知彦

賃貸不動産経営管理士

佐伯 知彦

大学在学中より郊外を中心とする各地を訪ね歩き、地域研究に取り組む。2015年大手賃貸住宅管理会社に入社。以来、住宅業界の調査・分析に従事し、2020年東京カンテイ入社。
趣味は旅行、ご当地百貨店・スーパー・B級グルメ巡り。

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