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更新日:2024.03.20
登録日:2023.12.01
たまプラーザ駅②未来編――“金曜日の妻たちへ”のその先へ…次世代郊外まちづくりを目指す街(横浜市青葉区/東急田園都市線)
「俺ァ、たかだか小さな車屋やってるやくざな人間なんだよ。子どもにバイオリン習わしたり、私立入れたり、んなことが似合う人間じゃないんだよ。俺ァあのウチに居ると、息が詰まりそうな気がする。自分の人生の先が見えてしまいそうな気がする…自分がこのまま年取っちゃうような気がすんだよ」
「たまプラーザ」を一躍有名たらしめたTBSドラマ「金曜日の妻たちへ」の登場人物、竜雷太演じる村越隆正の台詞である。外国車の輸入代理店を営む社長にして、元キャビンアテンダントの可憐な妻・英子(小川知子)と愛娘に恵まれ、高級住宅地・たまプラーザの一角に家を構える彼は、傍から見ると順風満帆で、他人が羨む人生そのもの。しかし彼はこの台詞のとおり不満を募らせた挙句、妻と別々の道を歩むことを選ぶ。この出来事をきっかけに物語が動いてゆくわけだが、その舞台として設定された「たまプラーザ」は、なぜ名作の舞台としてこれほどまでに名を馳せたのか。今回は、“金妻”が「たまプラーザ」に残したものを辿りながら、この街が歩んでゆく将来を考えてみることとしたい。
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前回「たまプラーザ駅①歴史編――東急の源流・田園都市の集大成…“理想の郊外”が“金妻タウン”になるまで(横浜市青葉区/東急田園都市線)」
2.たまプラーザと“金妻”
「たまプラーザ」を語る上で「金曜日の妻たちへ」(以下“金妻”)を欠くことはできない。私もリアルタイムで視聴していた世代ではないので、今回初めて第1作を全話視聴したわけだが、あらすじと共に“金妻”が名作となった所以を述べておきたい。
・“金妻”で描かれた“先進的な家庭の在り方”
“金妻”は1983年~1985年にかけ、TBSで第1作~第3作まで放映された。いずれも東急田園都市線沿線に居を構える“ヤングファミリー”を主役とし、郊外ニュータウンで繰り広げられる人間模様を描いている。このうち、第1作が「たまプラーザ」、第2作が「中央林間」、第3作が「つくし野」を中心に描かれており(ただしそれぞれの自宅や公園などは多摩ニュータウンなど別地域で撮影された映像も多い)、第1作の劇中には「たまプラーザ」駅前やたまプラーザ東急SCが度々登場する。各シリーズに話の連続性はなく、古谷一行やいしだあゆみ他共通して出演する俳優もいるものの、あくまで別の家族の別の話である。以下、「たまプラーザ」が主要な舞台となった第1作について述べていく。
▲「中央林間」を通過する小田急ロマンスカー。“金妻Ⅱ”ではサラリーマンの寛ぎの場として描かれている
まずはその特徴的なタイトルと時代背景を踏まえておく必要がある。今となってはなかなか理解しづらいが、第1作が放映された40年前、サラリーマンの勤務形態はまだまだ“半ドン”(土曜日の午前中は業務で午後は休み)が一般的で、完全週休二日制の企業は多くなかった。1980年代以降、バブル景気の波とともに完全週休二日制も徐々に広まり、土曜が全日休みとなったことで、翌日を気にせずサラリーマンが羽を伸ばせる“花金”(花の金曜日)という言葉が生まれる。当然ながら、“半ドン”であれば“花金”にはならなかったわけである。完全週休二日制が国家公務員に導入されたのは1992年のことであるが、そのような時代背景のなか、1983年時点で“金曜日の妻”、すなわち“花の金曜日で夫がなかなか帰ってこず、時間を持て余している妻”に向けたドラマこそが“金妻”だったのだ。
▲“金妻Ⅱ”では西新宿の高層ビル街が通勤先として描かれる。「中央林間」―「新宿」は朝の小田急線急行で50分弱
当然、視聴者層として想定された主婦も“完全週休二日制の(先進的な)労働形態を持つサラリーマンの夫を持つ妻”であり、平たく言えば“平均以上の生活を送る豊かな家庭の妻”ということになる。「金曜日の(22:00~22:54にテレビドラマを一人で観られる)妻たちへ」というのが隠されたタイトルといえ、描かれる家庭も“夫も積極的に子育てへ参加する”など、当時としては先進的な生活様式を取り入れている。登場する三組の夫婦のうち田村東彦・真弓夫妻(泉谷しげる・佐藤友美)は妻の方が年上、かつ公務員の夫・自宅でイラストレーターとして仕事をする妻のダブルインカムで、子どもも持たない。在宅勤務・パワーカップル・ディンクスという現代においても十分先進的な夫婦の在り方を40年前に描いており、当然そんな言葉はまだ存在しない頃である。そのような先進的な家庭を描くにあたり、開発が始まって20年足らずの、清潔な街並みが広がる東急多摩田園都市は格好の舞台となったわけだ。
▲たまプラーザ東急SC1階のカフェは“金妻”の撮影場所として用いられた。現在は海外ブランドショップに
40歳前後の家庭模様を描いているにもかかわらず、子どもがストーリーの本筋にほぼ関係しないのも“金妻”の大きな特徴である。先述の田村夫妻を除き子どももいるのだが、中原宏・久子夫妻(古谷一行・いしだあゆみ)の息子2人の家族団らんが描かれる程度で、例えば子どもが学校で問題を起こしたとか、迷子になって家族総出で探すとか、そういった子どもが主体となるエピソードは描かれない。新興住宅地で暮らす夫婦の在り方に徹底的にフォーカスし、それまでのホームドラマでは鉄板だった子どもを敢えて“刺身のつま”にすることで、より鮮やかに夫婦の在り方を印象付けている。
・先進的な家庭を引き立たせる“SC”と“高速”
そんな先進的な家庭の在り方を引き立たせる装置として「たまプラーザ」の街が実にいい働きをしている。例えば「つくし野」に住まう中原家(古谷一行・いしだあゆみ)は車で休日の買い物に出るわけだが、ここでもたまプラーザ東急SCは頻繁に登場するし、再婚後の村越(竜雷太)が後妻・玲子(石田えり)を駅まで車で送り、降ろすシーンでも「たまプラーザ」駅前と東急SCは印象的に使われている。広い車寄せとモニュメントがある駅は当時としては珍しかったし、伸びやかな駅前に賑やかな商業施設が構えているというのも、当時としては非常に印象的な景色であっただろう。
▲東急百貨店たまプラーザ店。玉川高島屋S・Cと並び、東急田園都市線沿線の百貨店として存在感を持つ
また「たまプラーザ」は東名高速道路・東名川崎ICが近いため、ドライブで高速道路を走る描写も見られる。古谷一行がホンダ・シビックワゴンと思われる愛車を操り、高速道路を駆ける姿は、実に絵になる。全般的に道路事情があまりよくない神奈川県内でありながら、東名高速道路と国道246号という2つの幹線道路が貫く東急田園都市線沿線は、マイカー時代にも適応した“ニューファミリー”の生活の場として、格好の舞台となった。当時、運転免許証取得率は男性が約7割であったところ女性は約3割であったが(現在は男性90%以上・女性85%)、村越英子(小川知子)がハンドルを握り、酒に酔った中原宏(古谷一行)を送って帰るなどのシーンがあり、これもマイカー時代を印象付ける効果を担っている。また、三家族連れだって草津温泉へスキー旅行に出かける場面があるが、これもやはりクルマである(それぞれのマイカーではなく、車屋を営む村越が調達してきたワンボックスカー)。放映された1983年当時、草津温泉の最寄りとなる渋川伊香保ICを含む関越道はまだ全通しておらず(1985年の前橋IC―湯沢IC間開通を以て全線開通)、外環道も接続していなかった。そのような環境のなか、時代を先取りして高速道路のドライブを楽しむ一家の姿は、まさに羨望の的だったのではないだろうか。
▲東急田園都市線と並行する東名高速道路。「たまプラーザ」は日本の大動脈として機能する高速にも近い
家庭内に目を向けてみても、寝床は子ども部屋を含めてすべてベッドだし、照明もシーリングライトではなくダウンライト(天井埋め込みの電球)が多く、アイランドキッチンでこそないがダイニングと一体化したオープンキッチンである。和室はあるが客間なので映る場面は少なく、ダイニングテーブルを椅子が囲む“椅子生活”が中心であり、白を基調にしたカラーコーディネートも美しい。このまま現代の撮影セットに用いても良いのではないかと思うほどだが、これを40年前に映しているのだから驚く。ただ、主に男性諸氏が家主に断りもなく煙草を咥えたりするあたりは、やはり40年前である。男女問わず喫煙の描写は多い。
▲駅北口近くのたまプラーザ中央商店街。男たちの溜まり場・バー「コスモス」はこの商店街の中という設定
しかしながら、この清潔な環境こそが村越隆正(竜雷太)をして「息が詰まりそうだ」と言わしめる背景なのだろう。「たまプラーザ」駅前のバー“コスモス”に男性が集まり話をする場面がしばしばあるが、通常このようなシーンで用いられる赤提灯の居酒屋ではなく、“金妻”ワールドでは静かで落ち着いたバーなのだ(“ママ”は和装だが)。パチンコ屋や、いわゆる“夜の店”もあまりない。その代わり「子どもにバイオリン習わしたり、私立入れたり」するための、音楽教室や学習塾などは大変充実している。一見、他人が羨む生活に見える裏にも、息が詰まりそうな息苦しさがあり、もっと言えば“子育てと住宅ローンの返済に追われ、完済する頃には老後になっている”未来が想像できてしまうだけに、村越(竜雷太)は「俺ァ人生を…もう一度生きてみたいんだよ」と言ってのけたのかもしれない。
3.たまプラーザを歩く
・美しが丘
ここからは、たまプラーザの各エリアを紹介しよう。まず何といってもたまプラーザの顔となるのは、東急SCなどが立地し、商業施設も多く集まる駅北口を占める“美しが丘”エリアだ。“金妻”でも、村越家(竜雷太・小川知子)が「横浜市“緑区”美しが丘5-1」在住という設定である(このような住所はない)。
▲美しが丘を貫く市道新横浜元石川線。大きく育った並木道が印象的な、たまプラーザのメインストリートのひとつ
東急沿線といえば「自由が丘」に代表される“丘”の住宅地であり、同じ東急田園都市線・大井町線沿線にも「緑が丘」「藤が丘」があるほか、「宮崎台」「青葉台」「すずかけ台」も“丘”のまちである。“美しが丘”は駅名にこそなっていないが、その“直球”なネーミングから特に周辺での知名度は非常に高く、マンション名でも「たまプラーザ」ではなく“美しが丘”を冠するものが多い。
▲その特徴的な地名は、広く東急田園都市線沿線でも知られた存在
“美しが丘”の町名は、田園都市線開通3年後の1969年および1972年、隣接する“元石川町”から分離されたことで成立したが、由来は“丘陵地帯で自然環境が美しかったので、宅造後も美しい町として発展することを願い、地元要望により選定した”とのことである(はまれぽ.com)。「たまプラーザ」のように東急自ら名付けた訳ではなく、“金妻”放映時には既に14年の歳月を刻んでいた。“金妻”が人気に拍車をかけたという面はあるが、“金妻”由来の街ではないということがわかるだろう。
▲美しが“丘”というだけあって、緩やかな坂道が多い。左奥は「ドレッセWISEたまプラーザ」
美しが丘の特徴として、遊歩道が張り巡らされているということが挙げられる。最もメインとなる遊歩道は「たまプラーザ」駅北口から東急SC(現・たまプラーザテラス ノースモール)を通り抜け、田園都市線開通とほぼ同時の1968年から分譲が始まった“たまプラーザ団地”を貫くルートだ。歩行者・自転車しか通らないのだが、そうとは思えないほど道幅が広く、緩やかに広がる南西傾斜の高台に広がる緑の木々が、5階建ての団地群を包んでいる。“金妻”当時、街の景色は土色が目立ち、子どもたちが遊ぶ公園の木々の背丈は低かった(収録は多摩ニュータウン等で行われているため別の街だが、開発はほぼ同時期である)。それが今や大きく豊かな森となり、春には桜並木が人々を楽しませてくれる。この景色を眺めるだけでも、“美しが丘”の町名が伊達ではないことがわかる。
▲たまプラーザ団地を貫く遊歩道。こうした美しい遊歩道が随所に設けられ、犬の散歩もよく見られる。
美しが丘のマンションは概ね駅徒歩圏内に収まるが、戸建住宅地はバス便となるエリアにも続き、そちらは“美しが丘西”と町名も変わる。「たまプラーザ」発のバスで最も多い東急バス【た41】系統は、その先“すすき野団地”などを経て「虹が丘営業所」で終点となる。日中でも7~8分毎に運行されるほど本数が多いが、これは電車乗り換えのみならず、“たまプラーザテラス”をはじめとする商業施設への買い物の足も担うためだ。【た41】沿線はこれら新興住宅地を巡っていくわけだが、バス停名には「平津」「保木」(ほぎ)「蓬谷戸」(よもぎやと)など開発以前の地名が残り、往時の風景が想像される。
▲たまプラーザ団地北側。集合住宅は駅徒歩15分程度のこの辺りで概ね収まり、これより先はバス主体の戸建住宅地に
美しが丘 周辺のマンション
・たまプラーザ(川崎市域)
「たまプラーザ」は横浜市北端部に位置するため、駅北口から10分ほど歩くと「鷺沼」を最寄りとする川崎市宮前区域となる。概ね東名高速道路が市境となっているが街並みはひとつながりで、川崎市内でも「たまプラーザ」最寄りとなるマンションでは、住所としての「鷺沼」ではなく「たまプラーザ」を冠するマンションも多い。
▲川崎市エリアは“美しの森”と通称される。「たまプラーザ」を出発する東急バス【た81】美しの森循環
“美しが丘”は横浜市の町名であるため、ひとつながりのエリアではあるものの川崎市内で用いるわけにはいかず、東急が開発した川崎市域のマンションには“美しの森”という、“美しが丘”との一体感を感じさせる名がつけられている。ただ、町名としては開発以前の“犬蔵”で変わっておらず、新市街地に新たな町名を付けた横浜市と、歴史を重んじる川崎市とで、行政のスタンスも異なってくるのが面白い。そうしたエリアに“美しの森”という愛称で括り、“美しが丘”と一体のイメージを作り出すイメージ戦略のうまさは、「田園調布」以来の住宅開発ノウハウを有する東急ならではの手腕といえるだろう。
▲聖マリアンナ医科大学前。「たまプラーザ」からは「あざみ野」で小田急バス【向11】へ乗り換えとなる。
“美しの森”を過ぎると、旧来の犬蔵集落を端とするエリアとなっていき、東急多摩田園都市らしさは薄れていく。がん治療などで知られる聖マリアンナ医科大学病院もこの先で、「あざみ野」から美しが丘を経由し、小田急バス【向11】系統が結んでいる。ただ「たまプラーザ」から最寄りの大規模病院ではあるものの、やや離れている上に直通のアクセスがないので、田園都市線で結ばれる「藤が丘」の昭和大学藤が丘病院や、「高津」の帝京大学溝口病院に通う人も多い。
たまプラーザ(川崎市域) 周辺のマンション
・新石川
続いて駅南側の“新石川”エリアを見てみよう。こちらは駅開業当初から裏手にあたり、長いこと駅前が平面駐車場のままであるなど、駅北口(美しが丘)に比べて地味な存在であった。これは、東を東名高速、西を田園都市線の線路(「たまプラーザ」西側で大きくカーブして南下する)に囲まれて駅勢圏が狭く、徒歩圏内で人の流れが収まっているためと思われる。駅南口から出るバスも、大規模なバスターミナルを併設する北口に対し、都筑区北端部のすみれが丘や港北ニュータウン方面へ向かう東急バス【た91】(「たまプラーザ」―「センター北」)ほか1路線しかなく、人の流れも少ない。
▲南口にも小規模なロータリーが整備された。羽田空港ゆきエアポートリムジンバスもここから出発する
その中で目立つのは國學院大學たまプラーザキャンパスだ。人間開発学部・観光まちづくり学部の2学部が使用するほか、野球グラウンド・テニスコートがあるので部活動やサークル活動にも用いられる。ただしメインとなる渋谷キャンパスの補完という位置づけであるため、学生街が形成されているということもなく、基本的にはやはり静かな住宅地の静かなキャンパスといった印象である。このあたりの大学キャンパスでいえば、「あざみ野」から横浜市営地下鉄ブルーラインで隣の「中川」駅前にある東京都市大学横浜キャンパスの存在感の方が大きいものの、電車・バスのアクセスが良いたまプラーザテラスでは、この2大学の学生らしい若者がひと時を過ごす姿も見られる。
▲新石川は概ね南の早渕川に向かって南傾斜の傾斜地が続く。左手奥は新石川公園。
新石川の起伏の多い戸建住宅地を南へ10分ほど歩いていくと、片側2車線の市道日吉元石川線に当たり、大通り沿いにマンションが建ち並ぶが、ここまで来ると「あざみ野」との中間点に近い。ただし高台上の「たまプラーザ」に対し「あざみ野」駅周辺は早渕川沿いの谷筋となるため、駅距離は「あざみ野」のが近くとも勾配がきついため「たまプラーザ」利用圏となるのが特徴的だ。多摩丘陵を切り拓いて街が造られた東急多摩田園都市である以上、起伏との関わりは避けられない。ただ、南傾斜の斜面上に段々に築かれた住宅地は、ひな壇状であるためにどこも日当たりがよく、場所によっては2階建て程度でも眺望に恵まれるという良さもあり、これぞ東急多摩田園都市の魅力とも言えよう。
▲市道日吉元石川線。道路沿いに建ち並ぶマンションは「東急ドエルローブルたまプラーザ」。
新石川 周辺のマンション
・たまプラーザテラス
「たまプラーザ」の住宅開発は、駅から少し離れた閑静な住宅地を中心に進められてきたため、必ずしも“駅近”の評価が高いわけではなかった。“金妻”でも集合住宅が殆ど登場せず、ゆとりのある戸建住宅が印象的に扱われているように、東急多摩田園都市といえば戸建住宅を中心とした住宅開発が進められてきた。これは、多摩ニュータウンをはじめとする“官”の宅地開発がいわゆる“5階建て二戸一階段”の団地をずらりと並べる集合住宅中心で行われてきたのに対し、“民”の東急はエベネザー・ハワードの“Garden City”に端を発する“田園都市”を目指すことで、明確な差別化を図ってきたからだ。
▲たまプラーザの戸建住宅地。緩やかな起伏のある地形に、緑豊かな戸建住宅が立ち並んでいる。
東急多摩田園都市全体として、急行停車駅周辺はマンションと商業施設、急行停車駅バス圏および各駅停車駅周辺は戸建住宅中心とゾーニングがされており、これは田園都市線開通から50年以上経った今でも基本的には変わっておらず、近年田園都市線沿線で建設されるマンションも多くが急行停車駅周辺である。伝統的に“閑静”“ゆとり”が重んじられる田園都市線沿線において、商業施設が集まり、人・車通り共に多い急行停車駅周辺は騒々しく、ある種“田園都市線沿線らしくない住環境”になってしまうので、他の地域ほど“急行停車駅近く”が住宅用地として重視されてこなかった。例えば、隣の「あざみ野」駅周辺は駅5分以内のマンションがかなり少なく、2010年以降でも1棟しかない反面、2020年以降も駅から8~10分ほど離れたあたりでは「ブランズシティあざみ野」「ドレッセあざみ野グランコート(2024年10月竣工予定)」など、盛んに分譲マンションが建設されている…というようにである。
こうした流れに変化をもたらしたのが、2009年の“たまプラーザテラス”開業である。それまでの“たまプラーザ東急SC”を大幅に拡張し、駅を中に抱き込み一体となる“ゲートプラザ”を中心に、南口の“サウスプラザ”、旧東急SCをリニューアルした“ノースプラザ”の3棟が接続する、一大ショッピングモールが駅直結で誕生したのである。全てを合わせた営業面積は約57,000㎡におよび、鉄道沿線の駅直結型商業施設としては破格の規模といってよい。例えば、隣の「鷺沼」駅前の“フレルさぎ沼”(旧“鷺沼とうきゅう)や、終点「中央林間」駅前の“中央林間東急スクエア”はどちらも標準的な規模の駅ビルだが、営業面積は9,000㎡に過ぎない。ららぽーと横浜(93,000㎡)やノースポート・モール(72,000㎡)には及ばないが、それでもアピタテラス横浜綱島(44,500㎡)やモザイクモール港北(38,000㎡)を凌ぐ。
▲北口から見た“たまプラーザテラス・ゲートプラザ”。大屋根の中に駅があり、駅と商業施設の明確な区別はない
こうしたSCは国道沿いなど、クルマ主体の来店を意図した施設も多いなか、“たまプラーザテラス”は田園都市線急行停車駅かつ大規模バスターミナル併設という、公共交通機関での来店が極めて便利という魅力を有するだけに、その影響力は周辺の各駅停車駅も含め、かなり広範に及ぶ。また、デパ地下(東急フードショー)併設の東急百貨店から、普段使いの東急ストアまでといった幅広いテナントが入居し、高級品から日用品まで品揃えの幅がかなり広いことも特徴である。フルラインナップの百貨店が成立するにはワインほか嗜好品の需要が高いこと、その背景に“ゆとりある東急多摩田園都市の住民”の旺盛な購買力があることはいうまでもない。
▲駅北口を出てすぐの“たまプラーザテラス・ノースプラザ”。リニューアル前と同じく、東急百貨店が核店舗。
強い求心力を持つ“たまプラーザテラス”の誕生によって、今まで住宅地としてはあまり重視されてこなかった「たまプラーザ」駅周辺は、一転“たまプラーザテラスに近い”という付加価値を得ることとなり、俄然注目を集めることとなった。その代表といえるのが、駅北口“ノースプラザ”直結の「ドレッセWISEたまプラーザ」と、駅南口“ゲートプラザ”直結の“ドレッセたまプラーザテラス”である。
「ドレッセWISEたまプラーザ」は“たまプラーザテラス・ノースプラザ(旧東急SC)と連絡橋で繋がり、ため、“たまプラーザテラス”の営業時間中であれば、全く道路を渡ることなく商業施設~駅まで行くことができる。また、横断歩道を渡れば“たまプラーザテラス”のすぐ隣なので、1・2階の低層部の店舗は単なる“下駄ばきマンション”の域を超え、実質的に“たまプラーザテラス”の延長として機能している点も、マンションの価値をより高めていると言える。入居するテナントもENOTECA(ワイン専門店)はじめ会員制コワーキングスペースなど、“下駄ばき”らしからぬスタイリッシュな印象を受ける。こうした“下駄ばき”テナントは通常コンビニやスーパーなど、マンション住民の生活に密着する業態が多いのだが、この街となるとワイン専門店やコワーキングスペースこそが“住民の生活に密着”するのだろう。
▲東急百貨店たまプラーザ店(ノースプラザ)と、それに続く「ドレッセWISEたまプラーザ」。まさに街と一体
また、日本経済新聞によると「ドレッセWISEたまプラーザ」の278戸中3割にあたる約80戸は美しが丘エリアからの住み替えだという。このエリア特有の事情として、駅から離れた起伏の多い戸建住宅地に高齢者が多数居住しているということがあり、東急としても「坂がしんどくなった高齢者が駅前に移り住み、代わりに若い世帯が入ってくる循環を生みたい」と考えているそう。“金妻”でも出てくるが、40年前の戸建住宅は道路から玄関までに階段を挟むことが多く、特に傾斜地では地面を掘りこんで地下駐車場を造り、その上に住宅を建てているような構造が多い。こうなると階段の上り下りなしには外出できず、高齢者には大きな負担になるばかりでなく、外出機会まで減ってしまうとなれば健康寿命が短くなってしまうことにもつながる。その点、駅前でバリアフリーも万全のマンションならば、こうした問題を解決できる。ただし、駅前特有の騒々しさは受け入れなくてはならない。
東急田園都市線は朝の混雑の激しさと、沿線住民の所得の高さで知られるということもあり、特に「たまプラーザ」のコワーキングスペースは利用者が多いのだという。コロナ禍で在宅勤務が推し進められた際、顕著に通勤電車の利用者数が減少したのが東急田園都市線でもあった。これは在宅勤務が比較的容易な大企業勤務のホワイトカラー層が利用者に多く、コロナ禍以後も出社とコワーキングスペースの利用を組み合わせた勤務形態が沿線住民に定着しているためと聞く。かといってフルリモートが減少傾向にある昨今では、駅・商業施設・マンションがほぼ直結で結ばれ、都心に出なくても良質な買い物や多くのコワーキングスペースに恵まれる「たまプラーザ」駅近マンションは、却って需要が高まっているのだろう。コワーキングスペースの登場によって“新たな魅力を身につけた”ともいえ、コロナ禍までも味方につけてしまうこの街の力には、驚くばかりである。
▲南口側で“たまプラーザテラス”と直結する「ドレッセたまプラーザテラス」(中央)。
「たまプラーザ」 2020年代以降のマンション
4.たまプラーザの将来
・“元石川郵政宿舎”跡地再開発
目下、たまプラーザで注目を集めているのが“元石川郵政宿舎跡地再開発”だろう。「たまプラーザ」駅北口から徒歩8分ほど、広大な“美しが丘公園”の北側に広がる約35,000㎡もの敷地へ、5階建ての宿舎が十数棟建ち並んでいたが、2020年頃に取り壊された。現在は「日本郵便株式会社管理地」との掲示がバリケードに架けられ、寂寥とした光景が広がるばかりであるが、ここが何になるのかはまだ公式な発表が無く、今たまプラーザで最も注目されている土地といっていいだろう。
▲元石川郵政宿舎跡地。2023年11月現在はフェンスで覆われているのみ。
横浜市によると、単なる住宅用地にはせず「住まいから歩いて暮らせる範囲に必要な機能を配置する『コミュニティ・リビング・モデル』の実現を目指す」とし、誘導用途として「事務所や店舗、図書館、ホテル、老人ホーム、病院、学習塾など」を想定しているという。この範囲の用途地域も、こうした住居以外の施設も建てられるように変更されている。かつて東急多摩田園都市の開発を巡り、横浜市と東急は対立する場面もあったが、2012年には林文子市長(当時)と東急が「『次世代郊外まちづくり』の推進に関する協定」を結び、東急田園都市線沿線を“環境未来都市”や“超高齢化社会に対応するモデル地域”にする、という目標を定めた。林市長の交代後もこの協定は継続し、2022年には三度目の更新となり「田園都市で暮らす、働く、楽しむ」がテーマに掲げられている。
▲「たまプラーザ」駅徒歩8分に約40,000㎡もの広大な敷地が広がるため、今後の開発が注目されている
今回の元石川郵政宿舎跡地開発でも、住宅以外の多彩な要素を誘導することが盛り込まれ「暮らす、働く、楽しむ」の方向性に合致したものとなっていると言えるだろう。東急多摩田園都市の開発当時は「暮らす」に特化した環境こそが魅力となり、“金妻”に代表される“田園都市らしさ”が育まれていったのであるが、開発から50年を迎え、その在り方が変化してきている。開発当時からの豊かな緑と良好な住環境といった良さはそのままに、オフィスやコワーキングスペースの充実により「働く」の要素を取り入れていくことで、“都心まで出なくとも生活が成り立ち、都心に出るに際しても便利”という新たな価値を「たまプラーザ」は創造していくのではないだろうか。
▲南に隣接する美しが丘公園。シンボルツリーには年末になると電飾が施される。
・横浜市営地下鉄ブルーライン「新百合ヶ丘」延伸への期待
「たまプラーザ」にとっても大きな関心事となっているのが、横浜市営地下鉄ブルーライン「あざみ野」―「新百合ヶ丘」6.5kmの延伸である。途中駅として横浜市内に「嶮山(けんざん)」「すすき野」の2駅、川崎市内に「王禅寺」1駅の計3駅を設け(いずれも仮称)、2030年の開通が目途とされている。現在「あざみ野」―「新百合ヶ丘」間を直接結ぶ小田急バス【新23】は日中15分毎と多くなく、主に「あざみ野」「たまプラーザ」発着の横浜市内(東急バス)、「新百合ヶ丘」発着の川崎市内(小田急バス)に分かれている。これは、横浜市(すすき野・虹が丘・美しが丘西)と川崎市(王禅寺)が山で隔てられており、山を越えての往来が多くないためだ。住所としては「すすき野」に含まれてしまっているが「嶮山」という名が駅名の仮称になっていることからも、この辺りの地形の険しさが窺える。
▲現在は「あざみ野」が終点となっている横浜市営地下鉄ブルーライン。
ブルーライン延伸は「たまプラーザ」と「あざみ野」の勢力圏を塗り替えるかもしれない。東急の商業施設“あざみ野ガーデンズ”が近い「嶮山」(元々は“嶮山スポーツガーデン”だった)へは、“たまプラーザテラス”への集客という意味合いも込め「たまプラーザ」発の東急バス【た61/63】が日中4~5本/h運行されているものの、「あざみ野」発(【あ27】ほか)は日中でも20本/h以上が走り、地下鉄が走るに相応しいレベルの需要があるといえ、今後も「あざみ野」圏で変わらないだろう。ただ「すすき野」に関しては「たまプラーザ」「あざみ野」発どちらも終点近くであり、どちらへもバス15分程度と大きく変わらない。現状は“たまプラーザテラス”が便利な「たまプラーザ」、ブルーラインも利用できる「あざみ野」ですみ分けられているが、地下鉄ができると「あざみ野」―「すすき野」間はバス15分→地下鉄5分程度に大きく短縮されるので、「すすき野」は「あざみ野」圏に取り込まれる可能性がある。
▲グリーンラインと結節する「センター北」。南武線と横浜線の間を埋める“第3の環状線”のキーポイントとなる
こうなると「たまプラーザ」の商圏が狭くなり【た41】などバスの本数も減らされるかもしれないが、それでも駅前の賑わいで「たまプラーザ」は「あざみ野」に優り、今後もその位置づけが大きく変わることはないだろう。むしろ「新百合ヶ丘」にブルーラインが繋がることで「多摩センター」や「町田」など小田急線沿線との繋がりが強化され、東急田園都市線沿線の更なる活性化が期待できる。現状、田園都市線と交差する環状方向の路線は「溝の口」のJR南武線から「長津田」のJR横浜線まで約15kmにわたり存在しないが、ブルーラインの延伸によって「新百合ヶ丘」で接続する小田急多摩線、および「センター北」で接続する横浜市営地下鉄グリーンラインと結びつき、「多摩センター」―「新百合ヶ丘」―「あざみ野」―「センター北」―「日吉」という、JR南武線とJR横浜線の間を埋める(実質的な)環状線が形成されることになる。これらが新たな人の流れを創出し、東急田園都市線沿線の中核たる「たまプラーザ」もその恩恵に浴するのは間違いない。
おわりに
今回「たまプラーザ」を歩いてみて、改めて“金妻”がこの街に残したものの大きさと、“金妻”的価値観の現代的アップデートが奏功しつつあるのではないかという2つのことを感じた。まず、“金妻”が残したものについては、“豊かな郊外”ならではの豊かな生活と、そのイメージに支えられての住宅地の人気という、東急田園都市線沿線らしさを形成する要素の多くが“金妻”によって確固たるものになったのだろう、ということ。豊かな緑、広い道路、清潔な市街地、そして魅力的な住まいという「田園調布」以来の東急イズムの集大成として、東急多摩田園都市は今日もなお良質な住宅地としての発展を続けている。その東急イズムが“豊かな生活を送る(一見幸せな)家庭”を描く舞台として見事に合致し、放映から40年を迎え、古谷一行など鬼籍に入る俳優も出ているなか、今日もなお日本ドラマ史の一ページに刻まれる名作の誕生に至ったというわけだ。“金妻”の大ヒットによって「たまプラーザ」を代表とする東急多摩田園都市は、その住宅地としての人気を不動のものとし、今日に至っている。
▲たまプラーザ団地(右)とドレッセWISEたまプラーザ(左)。集合住宅の在り方の変遷が窺える一コマ。
しかしながら放映から40年という月日は、人々の暮らしの在り方を大きく変えた。その中で最も大きな変化のひとつに、専業主婦の激減・共働き世帯の大幅増加という点が挙げられる。お父さんは毎朝満員電車に揉まれて都心のオフィスに通い、お母さんは子どもが学校へ行っている間に家事、という“標準世帯”は、この40年の間に大きく減少した。そうした中、駅から離れた一戸建てからバスで駅へ出て、駅からまた電車に乗って…という“標準世帯”を前提とした街は、どうしても時間のロスが大きくなってしまい、若いファミリーに選ばれない街になってしまうかもしれない。この街ならではの魅力であったはずの“カルチャー講座”をはじめとする活発な市民活動や“奥様文化”も、必要以上の人付き合いをなるべく避け、“個”の時間を大事にしたい向きにとっては、ノイズになる可能性すらある。かつて“金妻タウン”のイメージが人気を呼んだところが、今度は“金妻タウン”のイメージによって“共働き世帯には不便な街”との印象を持たれかねないのだ。
▲ドレッセWISEたまプラーザ。WISEとは「Wellness&Walkable」「Intelligence&ICT」「Smart・Sustainable&Safety」「Ecology・Energy&Economy」の頭文字
その変容に対応すべく様々な試みが実行され、実を結びつつあるのが現在の「たまプラーザ」なのだろう。かつて少なかった“駅近マンション”が大きく増加し、都心へ出ずとも働ける環境の整備が進むとなると、今度は都心の喧騒から少し距離を置き、大きく育った街中の緑に囲まれた暮らしが叶う東急多摩田園都市は、それがまた新たな魅力となっている。たまプラーザ団地をはじめとする第一世代の住宅も建て替え・再整備の時期を迎えるが、その際には“田園都市”のイメージを現代的な価値観へとアップデートした“新たな田園都市”が誕生することになるだろう。かつて渋沢栄一率いる“田園都市株式会社”が目指した“文明の利便と田園の風致とを兼備する大都市付属の住宅地”は、40年に及ぶ“金妻タウン”のイメージから漸くステップアップを果たし、新たな価値観の郊外まちづくりを実現しつつある。
▲夕暮れの「たまプラーザ」駅北口。東急多摩田園都市の中核として、次世代のまちづくりが進んでいる。
※特記以外の画像は2023年10・11月筆者撮影。マンション図書館内の画像は当社データベース登録のものを使用しています。無断転載を禁じます。
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三軒茶屋駅――若者の街”サンチャ”の成熟 (東京都世田谷区/東急田園都市線・世田谷線)
中目黒、三軒茶屋、下北沢。“渋谷から急行で1駅”の街は、渋谷につられて若者の街になるようだ。”ナカメ”は恵比寿や六本木とひとつながりの芸能の街、”シモキタ”は戦後すぐから連綿と続く演劇の街として、東京を目指す若者が”最初に住みたくなる街”として今なお高い人気を…
賃貸不動産経営管理士
佐伯 知彦
大学在学中より郊外を中心とする各地を訪ね歩き、地域研究に取り組む。2015年大手賃貸住宅管理会社に入社。以来、住宅業界の調査・分析に従事し、2020年東京カンテイ入社。
趣味は旅行、ご当地百貨店・スーパー・B級グルメ巡り。
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