暮らしのヒント2022/6/18

 三寒四温の春が過ぎ、最も爽やかな季節のはずの五月は曇りがち、コロナ禍のマスク生活も相変わらず引きずって、すっきりしないまま入梅した。

 先人たちはこれから迎える夏への備えに、例えば今月1日の衣替えのような習慣を取り入れ、江戸時代のそれは年4回にも及んだという。同時に住居にも「涼」を演出するため、直射日光を遮断する簾を掛けたり、畳の上には御座を敷き、障子戸は葦簾戸に入れ替えたり様々な工夫がなされた。

 

 だが、暮らしの慣習は定住を前提とした時代の考えであり、明治以降生活スタイルはより合理的なことになっていく。「避暑」とは読んで字のごとく暑さを避けるため居住地を一定期間変えることをいい、暮らし方や人種によっても定義は様々だと思うが、我々の夏休みのとり方は、まだまだ後進国。あちらの言葉に例えると、未だバカンスではなくホリデイだと思う。

 

 以前英国に暮らしていたとき、夏の休暇は何処へ行くかと真剣に考え、老いも若きも楽しそうに話すのを何度も耳にした。夏が短く冬が長い英国では、太陽を求めて南へ移動する。大きなキャンピングカーを引き、溢れんばかりの荷物を積んだ多くの車が地中海を目指すのである。ビジネスでも「8月は休暇で1ヶ月いない」と堂々としたものだ。とくにラテン系のフランス人やイタリア人から休暇を取り上げたら暴動だって起こりかねない。

 

 コロナ禍で生活スタイルが変わるかと期待はしているものの、先の5月の連休や夏のお盆に行楽のピークを迎えるようになって久しい。余暇に対する考え方の違いなのかもしれないが、欧米では期間が長いこともあり、プールサイドで寝転んだり、一日読書をしたりと個々が気ままに過ごしている。我々は短い休暇を満喫しようと、あっちこっち集団で移動する。

 

 わが国では明治になって、外国人のための長期滞在の避暑地が開発された。「山の軽井沢、湖の野尻湖、海の高山(宮城県)」と称され外国人の三大避暑地となっていく。

 中でも僕にとって幼少から夏の定番だった軽井沢は独自の発展を遂げ、僕が育った鎌倉と違って湿気も少なく、喘息もちには転地療養にもなったようだ。一方夏でも夜は結構冷えるので、暖炉にくべられる薪の火や音、そしてその匂いがたまらなく好きだった。水は冷たく美味いし、取れたての玉蜀黍は忘れられない。

 

 昨今の軽井沢は避暑地というより、交通の便も手伝って定住する方も増加しているし、週末限定の2拠点生活を始めた方も多いと聞く。近代生活は、夏にフル回転するエアコンのように、こちら側が暮らしの環境をコントロールすることで発展してきたが、持続可能な社会を実現にするには、個々が移動することで環境に順応していくことで少しはその一助になるように思う。

 

 

 僕は昨年末思い出の軽井沢の地に、縁あって小さな山荘を譲って貰った。まずは月に一度程度通ってみることにしたい。祖母は夏の終わりとともに帰京する祖父と入れ替わり、秋の軽井沢を満喫していたが、僕も夏のピークは避け都会と海辺、そして山と3拠点暮らしの中で、日々の新たなる発見が今から楽しみである。

 

*トップ画像は南ヶ丘旧白洲邸

 

 

 

白洲信哉(しらすしんや) 文筆家/アートプロデューサー

1965年東京都生まれ。細川護煕元首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方、広く日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザイン、展覧会などの文化イベントの制作に携わる。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な編著書に『骨董あそび』(文藝春秋)、『白洲次郎の青春』(幻冬社)『天才青山二郎の眼』『小林秀雄 美と出会う旅』(新潮社)『白洲家としきたり』(小学館)『かたじけなさに涙こぼるる』(世界文化社)『旅する舌ごころ』(誠文堂新光社)他多数。最新刊に『美を見極める力』(光文社新書)。

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