暮らしのヒント2022/1/17

 

 感染も落ち着き少しゆったりとした年末年始を過ごしたのもつかの間、新たな変異株の流行で再び旅する機会が減るかなと危惧している。

 

神倉神社石段下鳥居

 

ゴトビキ岩

 

 例年、僕が新年を迎えるような新たな心積もりで初詣している和歌山県新宮の「お燈祭り」も、神事のみ行うこととの連絡があった。和歌山県新宮市熊野三山の一つ熊野速玉大社の旧社地と伝えられる神倉神社は、市の西北に位置する神倉山にある古社だ。神武東征において、土豪・長髄彦によりヤマトへの侵入を阻まれた大王は、紀伊半島を大きく迂回して熊野からヤマトへ進出したと伝えられている。その最大の危機を救ったのが、神倉神社の御祭神である高倉下だった。

 頂上にはゴトビキ岩という巨岩が熊野灘にむかって突き出ている。近くにあるイザナミの墓所と伝わる岩壁.・花の窟とともに、神武東征の際にランドマークの役割を果たし、アニミズム的聖地として昇華していったように僕は思う。こもりく熊野をまさに具現化した神石だ。

 

浄火点火

 

 その地で毎年2月6日の夕刻、片手に松明をもち、白装束に縄帯という異様な井出達の男たちがどこからともなく現れる。「たのもー」の声とともに松明と松明をぶつけながら各所にお参り、日暮れ前ゴトビキ岩を目指し登りはじめるのだ。五百段を超える自然石の急峻な参道をやっとのことで登ると、ゴトビキ岩周辺には「上り子」と呼ばれ男たちが終結、その数二千余り。

 日が暮れ七時を過ぎた頃、速玉大社の神官がゴトビキ岩に手を合わせ神事が終ると、浄火が大松明から上り子各自の松明へと移されてくる。すると辺りは一変、山全体が異様な雰囲気に包まれてきて、神域との結界の役割である鳥居の扉が開けられると、松明をかざした若者たちが、急な石段を我先にと駆け下り、多くの参拝客で溢れる麓へその早さを競い合うのである。遠望した写真を見ると、山上から麓まで、各自の松明が帯状になって一本の火の海と化し、「下り龍」と呼ばれる画を形づくるのだ。

 

各自松明に移される

 

 僕は幾度となくその輪に加わった。と言っても駆け下りるわけではなく、命知らずどもの興奮状態をゴトビキ岩の隙間に白石を敷いた一段高い場所から見下ろし、短い時間だが、「籠る」ことの意味を体現する。ゆっくり下界に降りる頃には、装束も所々火の洗礼を受けボロボロで、身体全体も炎で燻され、駆け下りずとも火の力をかりすっかり生まれ変わったような心地になるのだ。熊野は出雲と並ぶ代表的な「こもりく」だが、街全体が「籠る」男たちの新生した姿で埋めつくされるのだ。

 僕は氏子ではないが、この地の若者にとりここで一等賞を取るための挑戦は、一生をも左右する重要ごとだと僕は思う。感染を恐れるあまり、若者の大切な通過儀礼を犠牲にするべきか?こうした各地の祭りそのものが文化であり伝統で、人はそれぞれにハレとケの区切りを付けるため、由緒ある定点の祭りを持つべきだと思う。僕は3月のお水取りと師走のおん祭りを大切にしているが、昨年はどこも参拝中止となりケジメのつかない一年だった。コロナの根本は、病気そのものではないような気がしている。

 

*トップ画像は下り龍(遠望)

 

 

白洲信哉(しらすしんや) 文筆家/アートプロデューサー

1965年東京都生まれ。細川護煕元首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方、広く日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザイン、展覧会などの文化イベントの制作に携わる。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な編著書に『骨董あそび』(文藝春秋)、『白洲次郎の青春』(幻冬社)『天才青山二郎の眼』『小林秀雄 美と出会う旅』(新潮社)『白洲家としきたり』(小学館)『かたじけなさに涙こぼるる』(世界文化社)『旅する舌ごころ』(誠文堂新光社)他多数。最新刊に『美を見極める力』(光文社新書)。

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