バビロン再訪~バブル時代のマンション物語~2021/2/14

アンチ密のマイナーな神社めぐり。題して七疎神めぐり2021。<後編>では、呑川をさかのぼり、都立大学、自由が丘方面に歩みを進める。<前編>はこちらから。

 

小体(こてい)な境内に咲く一本の八重桜。《桜森稲荷神社》

 

あたりに桜が多かったことから名づけられたのだろう桜森稲荷神社(平町一丁目)。最寄りの東急東横線都立大学駅付近の呑川緑道は、今も桜の名所として有名だ。

 

 

いつ行っても人気(ひとけ)のない小体(こてい)な風情にふさわしく、境内には八重桜が一本植えられている。呑川緑道のソメイヨシノが終わった4月ごろまで桜が楽しめる。

 

稲荷とは稲がなることの意に由来する、五穀豊穣を祀る農村の氏神だ。呑川の水を頼みに農家が集積していたであろう、平町が荏原群衾村字平根と呼ばれていた、遥か江戸時代の姿へと想像力が刺激される。

 

自由が丘今昔。古(いにしえ)を偲ばせる《谷畑弁財天》

 

都立大学の八雲氷川神社、自由が丘の熊野神社など、地域の立派な鎮守神は敬して遠ざけながら、七疎神めぐりは続く。

 

再び、水の女神 弁財天の登場だ。

 

谷畑弁財天(自由が丘一丁目)は、自由通りと交差する緑小通りから一本入った行き止まり路地の奥にある。近くには東横線の線路が走っている。案内板はあるものの、普通に歩いていては絶対に気がつかない。疎社めぐりにはうってつけの社だ。

 

 

案内板には、かつて谷畑(やばた)と称されていたころ、この地には清泉が湧き出ており、それを祀って弁財天が建てられたのだそうだ。古(いにしえ)の記憶のように、現在は小さな池とそこには小さな太鼓橋がかけられ、その先に弁財天が祀られている。

 

 

自由が丘はその名に反して、駅の周辺は九品仏川の両側に広がった湿地であり、水田が広がっていた。自由通りを北に向かうと、この社があるあたりからしばらくは平地が続き、そこから先は上り坂となっているところをみると、九品仏川の湿地帯はこのあたり一体まで広がっていたことがうかがえる。

 

この知る人ぞ知る隠れ家のような社の隣接地では、大手進学塾の自社ビルの大規模な新築工事が行われている。進学塾はいまや自由が丘最大の成長業種なのだ。

 

<前編>で記した弁天様の始まりであるヒンズー教の神サラスヴァティは、水の女神であると同時に、芸術・学問などの知を司る女神でもあったそうだ。この疎社もそのうち、隣接する進学塾の生徒たちで、思わぬにぎわいをみせ始めるかもしれない。

 

パワースポットの極めつけ。崖地に張りついた《白山神社》

 

緑小通りの南側を走るすずかけ通り(旧白山通り)に面した急峻な崖の中腹に張りつくように佇む白山神社(自由が丘三丁目)。

 

 

細く急な石段を二十段ばかり登った先に社がある。道路からは数本の大樹が邪魔をしてほとんど見えない。階段の右側には隣地のガレージが迫り、左側には隣接のガーデニングショップの巨大なブリキのじょうろのオブジェが覆いかぶさるように立っているという、まことに不思議な風景だ。

 

 

九品仏川とその流域に広がる湿地を望む台地は、このあたりでは、ずっと南まで張り出しており、急峻な崖を形成していたことがわかる。白山神社の東側には、谷畑坂と呼ばれる古道が走っている。谷畑坂に建つ案内には、九品仏川の湿地には鷺草(サギソウ)が自生していたそうだ。

 

自生の鷺草はなくなったが、こうした縁(えにし)により九品仏川の源流に建つ九品仏浄真寺境内には鷺草園が設けられており、春には繊細優美な姿を見ることができる。

 

全国にある白山神社の総本宮は、石川県の白山にある白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)。白山は聖域であり、命の水を供給してくれる神々の座として、水神や農業神として崇められていたのだそうだ。そして白山神社の祀られている神は、白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)、別名菊理媛尊(くりひめのみこと)という女神。

 

ここも水の神、そして女神だ。

 

商売繁盛、そして鳥居だけが残った。《豊川稲荷神社》

 

七疎神めぐりの最後を飾るのは、自由が丘駅からすぐの路地裏ひっそりと佇む鳥居だけが残された豊川稲荷神社(自由が丘一丁目)。

 

この豊川稲荷は、昭和の初期に赤坂の豊川稲荷東京別院から勧進され、2000年代の終わりごろまでは社殿もあったようだ。何故、鳥居だけが残されているのかは不明だ。

 

 

豊川稲荷は、稲荷といえども、神社ではなく曹洞宗の寺院だ。曹洞宗は武士階級からの信心を集めた宗派だが、江戸時代以降は庶民にも普及して商売繁盛の神としても人気を集めたという。衾村が荏原群碑衾町大字衾になって、今の東横線が開通して駅(当時の駅名は九品仏駅)ができたのが昭和2年(1927年)。農村の面影が色濃く残る自由が丘の発展を祈願しての勧進だったに違いない。

 

自由が丘の豊川稲荷に社殿がないのは、すでに立派に商売繁盛が実現し、その祈願が成就された証ということなのかもしれない。

 

豊川稲荷の総本山ともいうべき愛知県の豊川稲荷が祀っているのが陀枳尼天(茶枳尼天・ダキニテン)という神。この神様、もともとは鬼神とも夜叉ともいわれている、白狐にまたがった姿の女神だそうだ。

 

またしても女神。

 

衾村はつくづく女神に縁があるのか。それは衾村に限らず、稲を生み育てる母なる大地、母なる神を敬う農業コミュニティに共通のことなのだろう。

 

さまざまな女神を祀った衾村の村人の末裔は、すっかり商売繁盛した現在の自由が丘において、その駅前に女神像を建立し、毎年、女神祭りを祝うのだ。

 

 

(★)トップ画像は、自由が丘駅前に1961年(昭和36年)に建てられた女神像。彫刻家澤田政廣の手になる「蒼穹(あおそら)」という作品だ。よくみるとなかなか現代的なクール・ビューティーな女神である。

 

 

 

 

大村哲弥 一級建築士/ブロガー

有限会社プロジェ代表:1984年、セゾングループのディベロッパー株式会社西洋環境開発に入社。住宅・マンション事業のマーケティング・商品企画・事業企画に従事する。バブル前夜からバブル崩壊とその後のカルチャーシーンのなかで20歳代、30歳代を過ごし、不動産ビジネスに携わる。1996年、有限会社プロジェ設立。建築・住宅分野のコンサルティング・商品企画・デザイン・執筆などを手がける。東京工業大学大学院修了。一級建築士。

ブロガー:本・映画・音楽・アート・デザイン・ファッション・都市・建築・食・料理・旅・暮らし・まち歩きなどのカルチャーフィールドを横断的に渉猟・論考するブログを主宰。

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