バビロン再訪~バブル時代のマンション物語~2019/10/31

あなたがホテルを選ぶときの基準はなんでしょうか?

 

観光や街歩きに便利な立地、話題のカフェやレストランがあり、ロビーは豪華で、客室はクリーンで広々、素晴らしい眺望や庭園が楽しめ、至れり尽くせりのコンシェルジュがいて、できれば星付きブランドのお墨付きも欲しいし、おまけに料金が手ごろetc.

 

せっかくの旅行だし、苦労して休みを取ったのだか、どうせ泊まるのならと、あれもこれも、ついつい欲張りになりがちです。わかります。

 

《ショウナイホテル スイデンテラス》は、こうしたニーズとはかけ離れたホテルです。このホテルの魅力はたった一言、<田園の憂鬱>ならぬ<田園の癒し>です。

 

《ショウナイホテル スイデンテラス》は、潔いホテルです。駅や中心街からは遠い、周辺にお店は皆無、レストランはひとつ、車寄せや自動ドアはなし、インテリアやアメニティもシンプルで簡素、ルームサービスなどもありません。

 

このホテルの潔さとは、ゲストの<田園の癒し>のために、すべての資源(ハードとソフト)が動員されているところです。

 

《ショウナイホテル スイデンテラス》は、山形県鶴岡市にあります。その名の通り、米どころを象徴する庄内平野の水田(★)のなかに建っています。

 

水田を渡るように長いアプローチが設けられ、その先に、コンクリートとガラスによる低く水平に伸びるヴォリュームに折り紙のような造形の木の屋根が乗った建物が、水田のなかに浮かぶように佇んでいます。

 

見晴らしの良さ、大きな空、どこまでも田んぼが広がる、のどかな風景。水田に舞い降りたかのような建築は、そんな庄内平野の風景によく馴染んでいます。

 

 

建築は内部空間でも<田園の癒し>を体現するつくりになっています。

 

エントランス、ロビー、レストラン、廊下、客室、温泉施設、このホテルはどこにいても、水田が見える設計になっています。

 

まさに<田園の癒し>を予感させるようなこの建築は、プリッカー賞受賞建築家の坂茂によるものです。意外にも坂茂がはじめて手掛けるホテルだそうです。

 

エントランスを入り、吹き抜けの階段を登って、レセプションの前に出ると、そこには波型の木の高い天井と奥までに通せる開放的な空間が広がっています。空間は壁がほとんどなく、四周の大きなガラス開口に沿って回遊できるように作られており、どの場所からも水田とその先に広がる田園風景が望めます。

 

 

客室へはブリッジを渡り、長い廊下を通っていきます。この客室へのアプローチの設計が秀逸です。水田の上に架けられたガラスのブリッジは、プライベートなゾーンへのゲートの役割を担い、ここでも、水田を渡り別の世界へ至るという象徴的行為が繰り返されます。

 

 

ここの水田がお気に入りの鷺がいて、時たま、この写真のように客室の屋根の上に佇んでいるのだそうです。

 

 

長い廊下はクランクし、ところどころに設けられたライトコートから外が望める設計になっており、ホテルの廊下特有の単調さや閉塞感はありません。廊下の突きあたりから、水田の風景がちらっと目に入る仕掛けになっているなど、ゲストは、橋を渡り、外部の存在を感じ、水田の風景を見ながら、あたかも水に浮かぶコテージや「離れ」に誘われるように客室に至るという仕掛けになっています。

 

<田園の癒し>は風景や空間だけではありません。

 

ロビーと連続した一画が壁面全部を本棚としたライブラリーになっています。このライブラリーの存在が、このホテルでの時間を格別なものにしてくれます。

 

 

ライブラリーには、旅、庄内・山形、食、風土・暮らし、アート・デザイン・芸術、世界、社会、未来などのジャンルからセレクトされた約1,000冊の本が収められています。バッハの幅允孝さんによるセレクションです。

 

もっと旅を、もっと日本を、もっと未知の世界へと、旅の途上にあるわたしたちをインスパイアし、旅先で不意に訪れる無為の時間を忘れられないひと時へと変える、そんな本が揃えられています。

 

ライブラリーの本は持ち出し可能です。ライブラリーに置かれたロングソファで、ロビーの造りつけのソファベンチで、レストランで、テラスで、客室のベッドの上で、ゲストはさまざまな場所で、外に広がる水田の風景とともに、そして、テイクアウトした温かいコーヒーや冷えたビールとともに、好きな本との時間を楽しめます。

 

 

おすすめは2つの大きなテラスでの読書です。大きな屋根が日差しを遮り、田園を渡る風を感じながら、目の前に広がる水田の風景のなかで、お気に入りの本と過ごす時間は、まさに<田園の癒し>の至福の時間となるでしょう。

 

極めつけは、敷地内の水田のなかのあぜ道に設けられたベンチでの読書です。田んぼのなかでの読書、こんな経験は、世界でもここだけと断言できそうです。もっともテラスや水田のベンチでの読書は、季節が良い時期に限られますが。

 

スケジュールを予定通りこなした旅よりも、思わぬできごと、偶然の出会い、予期せぬ失敗など、ハプニングがあった旅の方が、記憶に残ることはありませんか?

 

読書も同じです。普段は手に取らないような本との思いがけない出会いが、新たな発見、新たな楽しみ、知らない<わたし>を知る機会をもたらしてくれます。

 

旅と読書は似ています。思いがけない本との出会いがある旅先のライブラリーとは、<旅のなかの旅>であると言えるかもしれません。

 

《ショウナイホテル スイデンテラス》のある鶴岡市は、日本海の海の幸、米、在来野菜、山菜などの食材の宝庫で、そうした地元の海・里・山の自然が育んだ独自の食文化が息づく場所として、「ユネスコ食文化創造都市」 UNESCO Creative Cites of Gastronomy に認定されています。同じく認定されている地域としては、いまや食都として世界に名を馳せるスペインのバスク(認定都市としてはビルバオ)があります。

 

最後に《ショウナイホテル スイデンテラス》のライブラリーから、そんな鶴岡にふさわしい一冊、石塚亮『浜から聞こえる豊饒』(メディア・パブリッシング、2015年)をご紹介しましょう。

 

 

本書は、鶴岡市の老舗旅館の当主にして庄内浜文化伝道師協会の会長を務める著者が、庄内地方の食の数々を紹介した本です。小鯛をさばく写真が載せられたカバー写真の臨場感とその美しさに思わず見とれます。

 

「庄内地方の文化の半分は浜にある。(中略)庄内浜の特徴は『少量・多魚種』であることと『漁場が陸から近い』ことにある。したがって、漁獲されたものは鮮度の高いまま食卓に上る。これが庄内の魚の旨さの所以でもある。そしてそれは、一般的な料理として進化し発展しにくかった所以でもある。『少量・多魚種』の漁獲だから同じ魚を飽きるほど食べる必要がなかった。いろいろと創意工夫してまで、食べる必要がなかったということになってしまうのである」

 

地域の恵みの豊かさ、繊細さゆえに、地域に限られ、地元だけにしか知られてこなかった、まるで秘められた宝石のような、庄内の食文化の個性とその背景が語られます。

 

そして庄内の食文化の本質を、庄内浜の名物でもある鯛(小鯛)の味覚になぞらえて、「『淡』」とい哲学かもしれない」と語ります。

 

「口細カレイ」、「ハタハタの湯上げ」、「孟宗汁(筍の味噌汁)」、「寒鱈汁」、そして、いずれもが目を見張らされる、小さな蔵元からの日本酒の数々。鶴岡の四季と夜がよみがえります。

 

旅先で出会った本の記憶によって、ふたたび彼の地への旅情にかられるというのも、また楽しからずやという訳です。

 

 

 

(★)水田とはいっても、《ショウナイホテル スイデンテラス》は、慶応義塾大学先端生命科学研究所やバイオベンチャー企業などの最先端の研究所や企業が集積する鶴岡サイエンスパークの一画を、農転して建てられており、敷地が農地ではなくなったため、食糧用のイネの栽培は許可されておらず、栽培されているのは植栽用のイネだそうです。

 

 

 

大村哲弥 一級建築士/ブロガー

有限会社プロジェ代表:1984年、セゾングループのディベロッパー株式会社西洋環境開発に入社。住宅・マンション事業のマーケティング・商品企画・事業企画に従事する。バブル前夜からバブル崩壊とその後のカルチャーシーンのなかで20歳代、30歳代を過ごし、不動産ビジネスに携わる。1996年、有限会社プロジェ設立。建築・住宅分野のコンサルティング・商品企画・デザイン・執筆などを手がける。東京工業大学大学院修了。一級建築士。

ブロガー:本・映画・音楽・アート・デザイン・ファッション・都市・建築・食・料理・旅・暮らし・まち歩きなどのカルチャーフィールドを横断的に渉猟・論考するブログを主宰。

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