甘い生活2019/7/2

鏡の間……

そう聞いて、思い出される場所が2つある。1つは言うまでもなく、ベルサイユ宮殿で最も美しいと言われる全長73メートルの“鏡の回廊”。幅は10メートルを超え、回廊といっても大広間のような役割を持ったとされる。鏡は375枚とか。

 

庭に面した反対側には同じ数だけの窓がある。貴族が最も贅沢三昧していた時代、右を見れば贅を尽くした美しい庭園、左を見れば装いに贅を尽くした自分自身、彼らはそこを通るたびにうっとり至福の境地に至り、ため息をついたのだろう。

 

もう一つの鏡の間は、能舞台の一部で、揚幕の奥と楽屋の間にある部屋。大きな鏡の前で演者が最終的な身支度をし、面もここでつけたり、はずしたりする“神聖な場所”とされる。

 

この2つの鏡の間にふと、西洋と日本との、絶対的な文化の違い、メンタリティーの違いまでを改めて見せられる気がした。

西洋の鏡は、富の証のように調度品の一部となっている上に、自分自身の美しさに見とれるナルシシズムの象徴のような存在であるのに対し、日本の鏡は人から見えない場所にそっと置かれ、居住まいを正し、自らを律するための道具に徹している。日本の家屋において、インテリアとして「見せる鏡」が家のどこかに置かれる例はまずない。

 

でも、今はあえて、西洋的なメンタリティーであっちこっち鏡だらけの家を提案したい。いつまでも若く美しくイキイキありたいなら、“西洋的鏡の間”に住むべきだ。どちらを見ても鏡がある。それは最強のアンチエイジングと言ってもいいから。

 

もちろん、居住まいを正すための、クローゼットの鏡は重要だ。けれどももっともっと意図的に、あらゆるシーンで自分の姿を自分に見せ続ける環境を作っておくべきなのだ。

 

ブリジッド・バルドーは、家ではほとんど裸で過ごしていたという伝説があるが、これは、かつての夫で映画監督のロジェ・バディムに半ばそれを強要されていたのだとも言われる。断っておくがこれはDV的な強要ではなく、妻のブリジット・バルドーの主演映画を何作か撮っていた映画監督として、あくまでも妻をより魅惑的な女優に育てあげたいと言う一心からのリクエスト。裸の自分を自分に見せることによって、より官能的な体と美しい身のこなしが養われると考えたのだろう。

 

ちなみにこのロジェ・ディム監督は、後に女優カトリーヌ・ドヌーヴともパートナーの関係にあったし、さらにはハリウッドの名花、ジェーン・フォンダとも結婚していて、まさに当代一の美女たちを次々に妻にし、そして彼女たちをヒロインにして映画を撮った。官能的な美女を育てる天才だったのは間違いがないのだ。

 

別に裸でなくていい。何気ない日常生活を営む自分自身を自分に見せ続けることで、程良い緊張が常に自分を美しく仕立て上げてくれる、これは極めて正しい方法。知らぬ間に姿勢が良くなり、普段着さえも美しく、見せようという無意識の努力から、いつの間にか若々しく端正な自分ができあがる。そのためには鏡の間に生活しなければ。

 

そういえば、部屋の壁を鏡にすれば部屋が2倍3倍4倍にも感じられるという、揺るがぬ効果も鏡にはあるのだったっけ。鏡自体がきらめく調度品にも見えるから、一石二鳥三鳥の働きが得られるわけで、ここはナルシシズムの鏡を家に張り巡らせるべきなのだ。

 

退屈な絵画を飾ってありきたりな壁を作るよりは、鏡を貼る。鏡だらけにする。

どうだろう。人生100年時代のアンチエイジングのための家作りの鍵として。

 

 

 

齋藤薫 美容ジャーナリスト/エッセイスト

女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーと幅広く活躍。新刊『大人の女よ!もっと攻めなさい』(集英社インターナショナル)、『されど“男”は愛おしい』(講談社)など著書多数。

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