かつて、自分にとって初めての家を建てる時、設計士にお願いしたことの1つに、”回廊性”というものがあった。回廊とは、言うまでもなく、建物・部屋・中庭の周囲に巡らされた、長くて屈折した歩廊を表す建築用語。もちろん自宅にそんなものが作れる道理がないが、何らかの形で、ちょっとした回廊性を作れないないだろうかと言う相談を持ちかけたのだ。
かくして、家の中心に小さな中庭的な空間を作り、それを部屋が囲むと言うスタイルの家が出来上がった。
でもなぜそんなふうに、回廊性にこだわったのかと言えば、たまたま古本市で見つけた一冊の本、「宮脇 檀の設計テキスト」と言う住宅がらみのエッセイ集に、そうした提案を見つけたからだった。家の設計アイデアを、ハードだけでは無い、ソフトとして人の感情に訴えかけるエッセイとして教えてくれる大変ユニークな本だった。
そこに、家はぐるりと回って歩ける回廊性が欲しい……そんな内容が書いてあったのだ。そしてもう一つ、「自分の家から自分の家が見える、そういう作りが良い」と、その本には書かれていた。だから我が家は今、その小さな中庭がガラス張りになっていて、中庭を挟んで反対側から反対側の部屋が見えるような作りになっているのだ。
不思議なもので、本に書かれていた通り、反対側から見た別の部屋の照明はとても暖かく、目にするたびに心にポッと光を灯してくれる。そこも自分の家なのに、本当に不思議である。ふと思い出されたのは、他人の家の窓に、ランプが作った黄色っぽい照明が見えると、まるでそれが幸せの象徴のように見えて、その家の住人に一瞬でも憧れたこと。
きっと誰にでもそういう経験があるはずだ。自分の家の中にも、同じ光を見ると、幸せのサインに見える。それは1つの魔法のように、日常の中にもふと幸せを思い出させてくれるのだ。
ひょっとするとそれは、子供の頃に読んだ「マッチ売りの少女」というおとぎ話の記憶のせいかもしれない。それ自体はとても悲しい物語だったけれど、窓に見える黄色い照明は確かに幸せの象徴として描かれていた。それが目に焼き付いているのだろう。だから自分の家にさえ、幸せの気配を感じ取ることができるのだ。
自分の家をくるくる回れる、自分の家から自分の家が見える……自分の家を作るときは、なるべく広くとか、なるべく天井を高くとか、パーツパーツは飽きが来ないが洒落たものを、とか、それでもなるべく安くとか、そういうことだけで頭がいっぱいいっぱいで、良い家に潜むそんな法則など思いつくはずがなかった。だからその本との出会いは、自分にとって本当に幸運なことだった。普通では考えつかない大切なアイデアを得られたこと。何よりも家自体の作りが、幸せな瞬間を日々想像してくれること、教えてくれたから。
今も自分の家の黄色い照明を自分の家から眺めるとき、その本の一節が蘇るのである。
齋藤薫 美容ジャーナリスト/エッセイスト
女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーと幅広く活躍。新刊『大人の女よ!もっと攻めなさい』(集英社インターナショナル)、『されど“男”は愛おしい』(講談社)など著書多数。