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更新日:2023.11.27
登録日:2023.03.10

金町駅――若さみなぎる下町人情タワマンストリート(東京都葛飾区/JR常磐線各駅停車・京成金町線)

金町駅――若さみなぎる下町人情タワマンストリート(東京都葛飾区/JR常磐線各駅停車・京成金町線)

 「ワタクシ、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」とは、映画“男はつらいよ”の主人公、“寅さん”こと車寅次郎を演じた渥美清の名調子――とは、説明するまでもないだろう。その寅さんの故郷、柴又への玄関口となるのが金町だが、寅さんのイメージから“人情厚いコテコテの下町”を想起する方もいるかもしれない。しかし今の金町は、寅さんに代表される下町イメージをうまく残しながら、国内屈指の理系大学やタワーマンション再開発といった先進的な要素を取り入れつつ発展を続ける、次世代の下町とも呼べる都市へと変貌しつつある。今回は、主に「新」の方に着目しながら、金町のいま・むかしについて見ていこう。

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1.金町の歩み

 「新」の方に着目すると言っておきながら恐縮だが、またも寅さんに登場願おう。“男はつらいよ”冒頭、寅さんは矢切の渡しに乗って江戸川を渡り、江戸川の土手を歩いて柴又へ帰ってくる。常磐線を「金町」で降りれば「柴又」へは京成金町線で1駅、わずか1.5kmであり、まっすぐ歩いて20分、江戸川土手をのんびり歩いても30分ほどだ。テキ屋稼業で銭に余裕がない寅さんにとって、電車賃を節約する目的もあるだろう。だが、寅さんが「今、こうして江戸川の土手に立って、生まれ故郷を眺めておりますと、何やら、この胸の奥がポッポッと火照って来るような気がいたします」と語っているように、歩きながら金町や柴又を眺め、心の整理をしていたのかもしれない。

▲広い江戸川の河川敷。寅さんはここを歩いて柴又に帰ってくる。ゴルフやジョギングを楽しむ市民の姿があった。

▲広い江戸川の河川敷。寅さんはここを歩いて柴又に帰ってくる。ゴルフやジョギングを楽しむ市民の姿があった。

 「金町」へは東京メトロ千代田線~JR常磐線各駅停車(直通)で「大手町」から約26分、葛飾区に位置する東京都内最後の駅であり、この次は江戸川を渡った先、千葉県松戸市の「松戸」となる。都県境を前にした“境目の駅”であり、また葛飾区北部の水元地区には駅がないため、東武バス・京成バスなど多くの路線バスがそれら地域から集まってくる。手前の「亀有」(過去記事参照)と共に、JR常磐線快速は停車しないものの、葛飾区の核となる駅の一つである。

▲朝の「金町」駅。千代田線から直通の下り電車は、東京理科大学はじめ学生の下車が多かった。

▲朝の「金町」駅。千代田線から直通の下り電車は、東京理科大学はじめ学生の下車が多かった。

水戸街道の“曲金”転じて“金町”へ

さて、金町とはいかにも縁起の良い名であるが、これはかつて水戸街道が江戸川を渡る手前で鉤(かぎ)()に曲がりくねっていたことから“曲金”(まがりかね)の名が付き、そこから転じて“曲金町”→“金町”となったのが定説のようであるが、はっきりとした理由は分かっていない。ただ、現在の国道6(水戸街道)は常磐線のすぐ下流“新葛飾橋”でまっすぐ江戸川を渡っているが、旧水戸街道にあたる“葛飾橋”は1.5kmほど上流で、江戸川の曲がり方に合わせて鉤型に膨らむようなコースを辿っており、どうやらこれが正しいのではないかとも思う。

※鉤(かぎ)・・・“鍵”ではなく、いわゆる“フック”。釣り針など、先端が曲がった、引っ掛けて使う金属製部品のこと。また、“曲金”は南に隣接する“高砂”の旧町名でもあった。

▲江戸川を渡る葛飾橋。対岸は千葉県松戸市であり、江戸川が都県境となっている。

▲江戸川を渡る葛飾橋。対岸は千葉県松戸市であり、江戸川が都県境となっている。

江戸時代には、この葛飾橋の金町側に“金町松戸の関”が設けられ、いわゆる“入鉄砲に出女”を厳しく取り締まったという。当時は江戸防衛上の理由もあって橋は架けられず、対岸の水戸街道松戸宿へは“松戸の渡し”が結んだ。関所周辺は“金町御番所町”と呼ばれ大いに栄えたというが、明治以降の江戸川の河川改修で河川敷内に取り込まれたほか、現在は国道6号のメインルートからも外れたこともあり、現在の関所周辺はひっそりと静まり返り、跡地を伝える碑が残るのみである。

▲金町関所跡を伝える石碑。地元でも影が薄いようで、石碑自体は割と新しい

▲金町関所跡を伝える石碑。地元でも影が薄いようで、石碑自体は割と新しい

なお、南の柴又から出ていた“矢切の渡し”は“男はつらいよ”にもよく登場したこともあり、水戸街道という幹線の一部を担った“松戸の渡し”を差し置いて、圧倒的な知名度を誇る。これは、“松戸の渡し”は幹線ゆえ1911年に葛飾橋が架けられ早々に廃止されたのに対し、“矢切の渡し”は葛飾橋から2.5kmほど離れていたため、江戸時代以前と変わらず、対岸に農地を持つ地元農民用の生活航路として存続したことがある。また1964年、渡し場から北へ1kmほどに新葛飾橋が架けられた時点で本来の役目がほぼ失われていたところ、“男はつらいよ”第1作が1969年に公開されたことで柴又帝釈天や寅さん観光ルートに組み込まれ、観光用として息を吹き返したという巡りあわせの良さもある。

▲葛飾橋から松戸市街地を見る。旧伊勢丹(現・キテミテマツド)の回転レストランはここからでも目立つ

▲葛飾橋から松戸市街地を見る。旧伊勢丹(現・キテミテマツド)の回転レストランはここからでも目立つ

このように金町と柴又は単に隣接しているというだけでなく、主に“官”の金町、“民”の柴又といったように対比構造にあり、切っても切れない縁にあると言えよう。

常磐線開通以降は“東京郊外”に

1896年に常磐線が開通した。この時は「北千住」の次はもう「松戸」であったが、翌189712月、隣の「亀有」に遅れること7か月、「金町」駅が設けられた。追って1899年、帝釈人車軌道「金町」―「柴又」間が開通、「金町」は柴又帝釈天参拝の玄関口となった。1913年には人車軌道(人が押すトロッコ)だったのが電気鉄道に改築されて京成電気軌道(:京成電鉄)の金町線となり、京成本線との直通運転が始まっている。

▲南口駅前広場を挟んで向かい合う「京成金町」駅。乗換駅としての歴史は100年以上におよぶ

▲南口駅前広場を挟んで向かい合う「京成金町」駅。乗換駅としての歴史は100年以上におよぶ

1917年には“三菱製紙中川工場”と“江戸川バリウム工業所”(現:三菱ガス化学東京工場)が駅北側操業を開始。1926年には需要増が著しかった東東京の上水道事情を改善すべく、金町浄水場が駅を挟んで反対の南東側で稼働を開始。江戸川に建つ金町浄水場の取水塔は「亀有」回でも取り上げたこち亀(こちら葛飾区亀有公園前派出所)のテーマソング“葛飾ラプソディー”でも“トンガリ帽子の取水塔”と歌われ、金町のランドマークとなっている。大工場や浄水場という雇用源が複数生まれたことを受けて徐々に住民も増加し、徐々に金町は“東京郊外”へと組み込まれていく。1923年の関東大震災発生で都心部からの流入が増え、この傾向に拍車をかけた。

▲「金町」駅には現在も貨物線が接続しているため、貨物列車用のヤードがある。工業都市の名残の一つ

▲「金町」駅には現在も貨物線が接続しているため、貨物列車用のヤードがある。工業都市の名残の一つ

1932年には南葛飾郡金町を含めた52村が合併して東京市葛飾区が発足。1936年には常磐線「上野」―「松戸」でそれまでの蒸気機関車に代わって電車の運転が始まり、工業都市としてのみならず、ベッドタウンとしての比重が高くなっていく。戦後の1967年には、それまで南口しかなかったところに北口が開設、翌1968年には北口駅前に“公団金町駅前団地”が完成(:UR)、早くも再開発が始まっている。1971年には常磐線と地下鉄千代田線の直通運転が始まり、「上野」や「北千住」で乗り換えることなく「大手町」や「霞ヶ関」などの都心部へ直行できるようになったことで、ますますベッドタウン化が進んだ。

▲北口駅前の「金町駅前団地」。変わらぬ佇まいの東急ストアも含め、今となってはレトロな雰囲気。

▲北口駅前の「金町駅前団地」。変わらぬ佇まいの東急ストアも含め、今となってはレトロな雰囲気。

工場跡地に誕生した“理科大”と“タワマン”

そんな工・住混在の街だった金町が一変するきっかけとなったのが、三菱製紙中川工場閉鎖(2003年)と、東京理科大学葛飾キャンパスの誕生(2013)である。東京理科大学は新宿区の神楽坂をメインとするが、都心部ゆえにキャンパス増強が限界を迎えており、野田(千葉県野田市)に薬学部を移転・分散させる(2003)など、大々的なキャンパス再編を強いられていた。そこで、都心からほど近く、また野田との中間点にあたる「金町」駅近くに広大な工場跡地が遊休化していたことに着目し、2009年に葛飾区の大学誘致事業に応募、葛飾キャンパスの設置が決まった。

▲東京理科大学葛飾キャンパス。金町の新たなランドマークとしての存在感は大きい。

▲東京理科大学葛飾キャンパス。金町の新たなランドマークとしての存在感は大きい。

2013年のオープンと同時に工学部(一部除く)が神楽坂から移転、2022年には残っていた一部も含めて完全移転し、金町は東京理科大学工学部の一大拠点となった。2025年には野田から再度薬学部が移転してくる予定で、現在は緑地となっている“研究棟”と図書館の間の敷地に“葛飾第二期用地新校舎”が整備されるという。中央大学が看板学部である法学部を多摩(八王子市)から茗荷谷(文京区。新設)へ移転(20234)するなど、現在は大学キャンパスの都心回帰が進んでいるが、東京理科大学葛飾キャンパスの開設に伴う一連の動きは、この流れに先鞭をつけるものであったと言えよう。

▲南から見た葛飾キャンパス。中央左の空いているところに新校舎が整備される予定だ

▲南から見た葛飾キャンパス。中央左の空いているところに新校舎が整備される予定だ

2010年以降は大学と連動した再開発が進み、まず2010年に駅寄りの「プラウドシティ金町ガーデン」(19階建421)・「プラウドシティ金町アベニュー」(15階建304)2棟が先行して竣工。東京理科大学周辺は“葛飾区新宿六丁目地区地区計画エリア”に指定され、“葛飾にいじゅくみらい公園”を中心に、2015年以降「シティタワー金町」(A棟:37階建700/BC棟:13階建140)・「シティテラス金町」(19階建610)・「オーベル金町レジデンス」(5階建117)など続々と大型マンションが建設され、伸びやかな光景が広がる未来的な景観に変貌している。

▲“シティタワー金町”。周辺には“葛飾にいじゅくみらい公園”が広がり、とても伸びやかな景色

▲“シティタワー金町”。周辺には“葛飾にいじゅくみらい公園”が広がり、とても伸びやかな景色

再開発のうねりは工場跡地だけではない。2009年には南口徒歩2分に「ヴィナシス金町タワーレジデンス」(41階建476)が竣工し、次いで2021年には南口徒歩1分に「プラウドタワー金町(ベルトーレ金町)(21階建190)が竣工。「金町」駅は南北とも複数のタワーマンションが林立する、東東京随一のタワーマンション集積地になりつつある。駅前は東京理科大学の学生と、これら新しいマンション群に住まうニューファミリーに加え、下町に馴染んだ元来の住民が交じり合って歩いており、ダイナミックな人の流れが生まれている。

▲「ヴィナシス金町タワーレジデンス」。41階建は駅前で最高層。存在感は非常に大きい。※当社マンションデータベースの画像を使用

▲「ヴィナシス金町タワーレジデンス」。41階建は駅前で最高層。存在感は非常に大きい。※当社マンションデータベースの画像を使用

「金町」周辺のタワー・大型マンション紹介(2010年代以降)

◆「金町」の物件について、もっと知りたい方はこちら◆

2.金町を歩く

都民のオアシス“水元公園”

 まずは金町駅北口から水元公園に向かって進んでみよう。水元公園とは、埼玉県三郷市と葛飾区の都県境を成す“小合溜”(こあいだめ。小合溜井とも)の葛飾区側河川敷に整備された、東京23区で最も広い公園である。その面積は96.3haにも及ぶが、東京ディズニーランド(46.5ha)と東京ディズニーシー(49ha)を合わせても面積が95.5haであるから、水元公園はそれよりもやや広い加えて、対岸となる三郷市側にも16.9haの“みさと公園”が整備されており、水元公園とみさと公園を合わせると113.2haにもなり、およそ皇居(230ha)の半分という広さになる。ただ、水元公園とみさと公園は広大な園地の東端でしか繋がっておらず、他に小合溜を渡る橋がなく、往来は難しい。一体の風景を構成していても、一体の公園であるという認識は薄い。

▲駅からのアクセスポイントの一つ、水元公園の東端「桜土手」バス停。その名の通り、桜並木が連なる

▲駅からのアクセスポイントの一つ、水元公園の東端「桜土手」バス停。その名の通り、桜並木が連なる

 私自身現地へ行くまで知らなかったが、水元公園は都県境ではあるが河川ではない。“小合溜”という名が示しているように、もとは利根川東遷()前の古利根川の一部であり、利根川本流の移動によってバイパス河川の必要が薄れたことで江戸川との間を締め切り、低湿地だった周辺の農地化のために溜池としたもの。十分な農業用水が小合溜によって行き渡ることになったのが“水元”の由来とされる。

▲水元公園は都内最大の公園。とても一度では回り切れない

▲水元公園は都内最大の公園。とても一度では回り切れない

※…現在の江戸川や隅田川を経て東京湾に注いでいた利根川を、水害防止のため江戸時代に埼玉県久喜市栗橋~千葉県野田市関宿の約7kmを開削(赤堀川)して常陸川へ繋ぎ、千葉県銚子市を河口とする流路へと利根川本流を移したこと。徳川家康の江戸入城直後から始まり、明治時代を経て大正15年(1926年)の権現堂川締め切り(埼玉県久喜市栗橋)でほぼ完成に至った。大小無数の河川が流入していた江戸の水害防止は江戸時代を通じて幕府の政治課題であり続け、今日の東京が形成される礎となっている。

 そのような謂れもあって、水元地区は小合溜によって対岸との往来が妨げられており、小合溜を渡る橋は水元公園の東端(三郷市側)と西端(八潮市側)2か所しかない。そのため、水元地区は埼玉県側とのつながりが薄く、半ば袋小路のようになっている。古くから日光街道が都県境を跨ぎ、東武伊勢崎線が日光街道沿いに千住宿(『北千住』)~草加宿(『草加』)や粕壁宿(『春日部』)を結んだ西隣の足立区側に対し、葛飾区側の水元には鉄道が通ることもなかった。

▲「ごんぱち池」。貴重な水生植物・アサザが自生することで知られる。

▲「ごんぱち池」。貴重な水生植物・アサザが自生することで知られる。

 しかしそうした環境だからこそ、水元公園東端の“ごんぱち池”には貴重な水生植物“アサザ”が自生するなど、水元公園は東京23区にあって貴重な水と緑のオアシスとして残ることになった。周囲の農地へ小合溜から水が溢れ出ないように築かれた土手には桜が植えられ、“桜土手”の名で親しまれ、春には大勢の花見客が訪れる。寅さんも「花の咲く頃になると決まって思い出すのは故郷のこと。ガキの時分、鼻ったれ仲間を相手に暴れ回った水元公園や、江戸川の土手や、帝釈様の境内でございました」と語っており、江戸川の土手と並び、水元公園の桜土手は異母妹・さくらを思い起こすワードになっているようだ。

▲アサザ保護を呼びかける掲示。保護のため、ごんぱち池の水際は立入禁止だ

▲アサザ保護を呼びかける掲示。保護のため、ごんぱち池の水際は立入禁止だ

水元公園 周辺のマンション

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“葛西三十三郷の総鎮守”葛西神社

 水元公園の桜土手へ向かう途中、江戸川近くに“葛西神社”がある。江戸川区の葛西からは10km以上離れているが、もとは東京都東部と千葉県北西部に跨いで存在した“葛飾郡”のうち、広く江戸川西岸を“葛西”と称し、京成線「青砥」近くにはその名も“葛西城跡”がある(葛西城址公園)など、“葛西”は江戸川区の一地域に留まらない広域地名として用いられていた。その“葛西三十三郷の総鎮守”として当地の豪族“葛西三郎清重”によって創建されたのが“葛西神社”で、もとは東京東部~千葉県で厚く信仰されていた香取大明神の名をとり“香取社”や“香取神社”と称した。明治の近代社格制度で“郷社”に列せられたことで、他の“香取”を冠する神社との区別のため、創建の由緒から“葛西神社”に改称している。よって、葛西神社が葛西ではなく、金町にあることは何ら不自然ではない。

▲葛西神社の鳥居。旧水戸街道から分かれる参道は長く、“郷社”としての存在感を持つ。

▲葛西神社の鳥居。旧水戸街道から分かれる参道は長く、“郷社”としての存在感を持つ。

 柴又帝釈天(題経寺)には知名度で劣るが、金町・柴又一帯では最も規模が大きな神社であり、“葛西三十三郷の総鎮守”だけあって社殿は立派。旧水戸街道から参道(元々はこちらが本来の水戸街道)が分かれる場所には大きな看板が掲げられ、東武バスの停留所も「葛西神社入口」という。境内には勝海舟が書き記したという“香取神社”の石碑が残るなど、見どころも多い。江戸川の河川改修による遷座や、それに伴う社殿の再造営など時代に合わせた変化を経てはいるものの、金町住民の拠り所となっている。

▲葛西神社拝殿。そこまで大きくはないが、大きな木立に囲まれた静謐な雰囲気。

▲葛西神社拝殿。そこまで大きくはないが、大きな木立に囲まれた静謐な雰囲気。

▲勝海舟揮毫と伝わる“香取神社”の石碑。東京東部~千葉県では香取神宮の信仰が厚い。

▲勝海舟揮毫と伝わる“香取神社”の石碑。東京東部~千葉県では香取神宮の信仰が厚い。

葛西神社 周辺のマンション

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3.金町のこれから

“再開発”は現代の金町を語るうえで外せないワードであるが、ひと段落したと思いきや、まだその勢いは衰えていない。現在の金町で進む最大の再開発として注目されているのが、「金町」駅北口の西200mほどで進む“東金町一丁目西地区市街地再開発事業”だ。

▲重機がせわしなく動き回る工事現場。かつて、ここはすべて工場の敷地であった。

▲重機がせわしなく動き回る工事現場。かつて、ここはすべて工場の敷地であった。

生まれ変わる“イトーヨーカドー屋上教習所”

「金町」元来の出口は柴又方面へ面した南口であったが、現在では水元地区への玄関口となり、後背地が広い北口の方が密度の高い商店街を形成している。この経緯があるため、駅前広場が広いのは南口であり、三郷市方面へ向かう東武バス、三郷市戸ヶ崎・八潮市方面へ向かう京成バスは南口のバスターミナルから出ている。ただ、北口にも小規模なバスターミナルがあり、ここからは主に「金62:西水元3丁目行き」など、葛飾区内のみを走る短距離路線が出ている。

▲駅北口のバス乗り場。路上で降車扱いをしているように、広場としては狭い。

▲駅北口のバス乗り場。路上で降車扱いをしているように、広場としては狭い。

 北口の商店街は北東の東京理科大学葛飾キャンパスへ続いており、その名も“理科大学通り”という。もとは“金町銀座商店会”だったのをキャンパスに合わせ“金町理科大商店会”へと改めており、その本気度が窺い知れよう。商店街は以前から地元住民向けとして存在していたところ、現在はそこに学生相手の飲食店や不動産仲介が進出し、新旧混然としたパワーみなぎる商店街になりつつある。

▲「金町理科大商店会」。歴史を重ねた佇まいと、新しい大学の対比が印象的

▲「金町理科大商店会」。歴史を重ねた佇まいと、新しい大学の対比が印象的

 その、元“金町銀座商店街”の核として長年君臨してきたのが旧“イトーヨーカドー金町店”だった。北千住を発祥とするイトーヨーカドーは、常磐線沿線へ各駅毎と言ってもよいくらい集中的に店舗を構えているが、金町店は1967年の北口開設から6年後、1973年に開店。もとは“金町自動車教習所”の敷地で、一般的な地上の自動車教習所だったところへイトーヨーカドーがビル建設を持ち掛け、3階建ての店舗の屋上が教習コースとなる特異な形態となったもの。元は平面の教習所だった敷地をすべて使っているだけあって店内は広く、常磐線からもよく見える金町のランドマークであった。

▲かつてイトーヨーカドーのハトマークが描かれていた塔屋。閉店により、白く塗りつぶされてしまった

▲かつてイトーヨーカドーのハトマークが描かれていた塔屋。閉店により、白く塗りつぶされてしまった

 しかしながら開店から49年を経て、エレベーターの設置が難しいなどバリアフリー化が問題となっていたほか、西に隣接する三菱製紙中川工場跡地の再開発が本格化するにつれ、ついに「東金町一丁目西地区第一種市街地再開発事業」の一部へ加わることが決まり、イトーヨーカドー金町店は20229月、惜しまれながら幕を下ろした。

▲イトーヨーカドー閉店後も教習所は残っているため、建物の解体はまだ行われていない。

▲イトーヨーカドー閉店後も教習所は残っているため、建物の解体はまだ行われていない。

 執筆時点(20232)で金町自動車教習所は引き続き営業を続けているが、まずは西側に商業施設(イトーヨーカドーになるかは明言されていない)および教習所が入居する5階建の低層棟を建設して教習所を移し(第Ⅰ期)、追って駅に近い東側へ40階建タワーマンションを中心とした高層棟を建設するという(第Ⅱ期)。第Ⅰ期は2025年度、第Ⅱ期は2030年度竣工予定とされ、第Ⅱ期の高層棟が完成した折には、また「金町」駅前の景色が一変することだろう。

▲西側から見る。第Ⅰ期では教習所含め商業棟を西側に移す。このあたりに教習所と新・商業施設が建つ。

▲西側から見る。第Ⅰ期では教習所含め商業棟を西側に移す。このあたりに教習所と新・商業施設が建つ。

 冒頭で紹介したタワー・大規模マンション以外でも、「金町」周辺では「プレミスト金町」(20222月竣工)や「ウィザースレジデンス金町テラス」(202212月竣工)2020年代に入ってから竣工し、「バウス金町」(20238月竣工)も建設中。理科大周辺および南口駅前の再開発完成によってイメージを一新した「金町」の発展は一目置かれることとなり、日本経済新聞はじめ、各種メディアでも取り上げられているほどだ。

▲にいじゅくみらい公園と東京理科大学は仕切りが無い。シームレスに街と繋がる開放感が特徴。

▲にいじゅくみらい公園と東京理科大学は仕切りが無い。シームレスに街と繋がる開放感が特徴。

「金町」周辺 2010年代以降のマンション

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 かといって、寅さんがいた頃の下町人情あふれる情緒が失われてしまったかといえば、そうではないのが金町の面白いところだ。夜のとばりが降りる頃、駅前のあちこちで赤提灯が灯り、道行く人々を横丁へ誘う。「京成金町」のすぐ南側にある“金町栄通り”には、焼鳥屋、寿司屋、小料理屋、スナックといった風情溢れる飲食店が軒を連ね、その軒先をかすめるように京成電車が走っているが、今にも寅さんが横丁の角から顔を出しそうなこの景色は、タワマンが林立する中でもほとんど変わっていない。

▲いかにも下町の横丁といった風情が残る金町栄通り。寅さんがその辺で舌鼓を打っていそうだ

▲いかにも下町の横丁といった風情が残る金町栄通り。寅さんがその辺で舌鼓を打っていそうだ

兄の行方を心配するさくらを振り切り、「故郷ってのはよぉ…」と言い残し、またフーテンの旅へと出発する寅さんを、金町は“柴又の玄関口”としてやさしく送り出し、また帰ってきたときにはあたたかく迎えてきたのかもしれない。時代は下り、今や金町は“理科大とタワマンの街”になりつつあるが、金町で青春の時を過ごす理科大生にとってはこの街こそが“心の故郷”なのであり、また金町で子育てに勤しむニューファミリーの子供たちにとってはこの街こそが“将来の故郷”になるのである。

▲“男はつらいよ”にも京成金町線はよく登場する。京成電車の雰囲気は当時とあまり変わっていない。

▲“男はつらいよ”にも京成金町線はよく登場する。京成電車の雰囲気は当時とあまり変わっていない。

金町に学んだ卒業生が青春を懐かしんで帰ってくる頃、また金町に生まれた子供たちが将来故郷へ帰ってくる頃、果たしてこの街はどんな変貌を遂げているのだろう。それはさしずめ、“若さみなぎる下町人情タワマンストリート”とでもいうべき、故きを温ね、新しきを知る街…といったところだろうか。

▲「プラウドタワー金町」。「京成金町」駅を見下ろす位置にあり、新旧混然とした光景が新しい魅力になっている。※当社マンションデータベースの画像を使用

▲「プラウドタワー金町」。「京成金町」駅を見下ろす位置にあり、新旧混然とした光景が新しい魅力になっている。※当社マンションデータベースの画像を使用

※特記以外の画像は2023年1月筆者撮影。マンション図書館内の画像は当社データベース登録のものを使用しています。無断転載を禁じます。

佐伯 知彦

賃貸不動産経営管理士

佐伯 知彦

大学在学中より郊外を中心とする各地を訪ね歩き、地域研究に取り組む。2015年大手賃貸住宅管理会社に入社。以来、住宅業界の調査・分析に従事し、2020年東京カンテイ入社。
趣味は旅行、ご当地百貨店・スーパー・B級グルメ巡り。

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三軒茶屋駅――若者の街”サンチャ”の成熟 (東京都世田谷区/東急田園都市線・世田谷線)

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都立大学駅――名は体を表さない?"都立大学がない都立大学駅"という寛容 (東京都目黒区/東急東横線)

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溝の口駅・武蔵溝ノ口駅②未来編――赤提灯からサイエンスパークまで…何でもありの“田園都市線のオアシス”(川崎市高津区/東急田園都市線・JR南武線)

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