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2024.03.08

北千住駅②未来編――学生街への転換…変わらないようで変わりゆく“温故知新”の下町ターミナル(東京都足立区/JR常磐線・東武スカイツリーライン・東京メトロ日比谷線・千代田線・つくばエクスプレス線)

北千住駅②未来編――学生街への転換…変わらないようで変わりゆく“温故知新”の下町ターミナル(東京都足立区/JR常磐線・東武スカイツリーライン・東京メトロ日比谷線・千代田線・つくばエクスプレス線)

 「へえ、ここァ…東京のどの辺でしゃア?」「端の方よ」「そうでしょうなァ」「もっとにぎやかなとこか思うとった」
 小津安二郎の代表作、映画「東京物語」(1953年)の中で、千住は「端の方よ」ときっぱり言われてしまっている。劇中で明言されているわけではないが、荒川土手(東武線『堀切』付近)や“お化け煙突”(千住火力発電所)が映るあたり、千住が舞台として設定されているのは間違いない。前回「①歴史編」で“江戸の境目”であったことを紹介したが、戦後になってなお“東京の端の方よ”と言われるあたり、江戸から東京になって千住はなお“端の方”であったという、当時の人々の意識が垣間見える。
 しかし、現代の「北千住」を“東京の端の方”と言い切る人は、そこまで多くないだろう。いまや「北千住」の乗降客数は、集計方法にもよるが「新宿」「渋谷」「池袋」「横浜」に次ぐ国内第5位、いや世界第5位につけ、これは「東京」「品川」など山手線の主要駅をも凌ぐほどだ。今回は東京東部の大ターミナルとして成長した「北千住」を歩き、旧日光街道千住宿の街並みを大切にしながら、再開発のエンジンをかけつつある様子をご覧いただこう。

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前回「北千住駅①歴史編――“奥の細道”へは千住から…23区に残る“宿場町通り”の繁栄と“山手線外側の大ターミナル駅”の発展(東京都足立区/JR常磐線・東武スカイツリーライン・東京メトロ日比谷線・千代田線・つくばエクスプレス線)」はこちら

2.北千住を歩く

北千住の誇り“イトーヨーカドー1号店”ヨークフーズ千住店

 まずは「北千住」の表口、旧日光街道千住宿に向く西口を出てみよう。旧宿場町までは“北千住駅前通り”をまっすぐ150mほどと大変近いが、これは江戸四宿の他三つ「品川」「板橋」「新宿」(内藤新宿)がいずれも明治期に開設された駅から1~1.5kmほど離れているのに対し、千住は常磐線「北千住」の目の前という違いがある(後年宿場町近くに『北品川』『板橋区役所前』『新宿御苑前』の新駅が設けられた)。鉄道に対する理解が薄かった明治期の鉄道草創期には、人力車夫や旅籠(はたご、宿泊施設)が“仕事を奪われる”として駅を旧宿場町から遠ざけたと言われるが(いわゆる鉄道忌避伝説)、「北千住」においてそのようなものは一切感じられず、駅と旧宿場町は最初から共存共栄の関係にあったようだ。明治時代の古地図を見てみても、南北1kmほどにわたって細長く広がる旧宿場町の中央に駅が位置しており、駅が最初から町の真ん中に設けられたことがよくわかる。当時の千住町は、文明の先端であった鉄道を積極的に受け入れる、開明的な思想を持っていたと言えるのではないだろうか。この“駅と旧宿場町の近さ”は、その後も長きにわたり「北千住」発展の原動力として作用していくことになる。

▲「今昔マップ on the web」より、左:1917年の地形図(東京首部)および地理院地図(右)。明治期は荒川放水路が開削される前で、旧日光街道千住宿を引き継ぐ市街地が街道沿いに形成されていることがわかる。現在は隅田川を跨ぐ千住大橋の位置はそのままに、千住宿の西側に国道4号が通され、荒川を千住新橋で跨いでいく。荒川放水路開削に伴い東武線の線路も付け替えられたが、駅の位置は変わっていない。

▲「今昔マップ on the web」より、左:1917年の地形図(東京首部)および地理院地図(右)。明治期は荒川放水路が開削される前で、旧日光街道千住宿を引き継ぐ市街地が街道沿いに形成されていることがわかる。現在は隅田川を跨ぐ千住大橋の位置はそのままに、千住宿の西側に国道4号が通され、荒川を千住新橋で跨いでいく。荒川放水路開削に伴い東武線の線路も付け替えられたが、駅の位置は変わっていない。

 その“北千住駅前通り(きたろーど1010)”の核として長年にわたり君臨してきたのが旧“イトーヨーカドー千住店”である。イトーヨーカドーは1920年に浅草で“羊華堂洋品店”として創業したのち、1946年に北千住へ移転、1948年に駅前通りへ出店という歴史を持ち、事実上の創業の地は北千住である(公式にもイトーヨーカドー1号店として扱われている)。まだGMS(食品だけでなく衣料品や家電も扱う総合スーパー)が珍しかった1968年、先駆けとなる地上6階・地下1階建ての中型店に改築。2009年には近隣に自社運営の大型商業施設(アリオ亀有、アリオ西新井など)が増えたこともあり、建物には手を入れずディスカウントストア“ザ・プライス千住店”に転換するなど、業態を変えつつ長年にわたり「北千住」の顔となってきたが、築50年を迎えて建物の老朽化が深刻となり、2016年に惜しまれつつ閉店した。

▲旧・イトーヨーカドー千住店を引き継ぐヨークフーズ千住店と「パークホームズ北千住アドーア」。

▲旧・イトーヨーカドー千住店を引き継ぐヨークフーズ千住店と「パークホームズ北千住アドーア」。

 2019年に三井不動産レジデンシャルによるマンション「パークホームズ北千住アドーア」として生まれ変わり、かつてのイトーヨーカドー千住店を引き継ぐ存在として“ヨークフーズ千住店”が1階に入居している。ただ、かつての総合スーパーとしての機能はなく、食料品に特化した店舗になっている。イトーヨーカドーの象徴であるハトマークも掲げられているが、一般的な赤白青ではなく食料品特化型のヨークフーズを示す赤白緑に黄が添えられたデザインだ。ただ、ここが同社の1号店という記憶はしっかりと刻み込まれており、入口には故・伊藤雅俊名誉会長(2023年没)によるメッセージが掲げられているほか、出口には“千住とともに”と題した年表や、在りし日の千住店の写真が掲示されている。イオングループと対になる国内二大巨頭の流通グループがここ「北千住」から羽ばたいたという歴史は、千住の人々にとっても誇りあることなのではないだろうか。

▲ヨークフーズの目の前にはバス停もあり、高齢者が買物のために下車する様子が見られた。昔から行動が変わっていないのだろう

▲ヨークフーズの目の前にはバス停もあり、高齢者が買物のために下車する様子が見られた。昔から行動が変わっていないのだろう

 “北千住駅前通り”はヨークフーズ千住店から100mほど先で国道4号(日光街道)と交差し、墨堤通り~尾竹橋通り方面へ続いていくが、商店街(きたろーど1010)は日光街道で終わる。食料品のみになったとはいえ、駅と日光街道の間という「北千住」で最も人が集まる良い立地に変わりはなく、買物客は非常に多い。周囲は商店街のみならず“千寿本町小学校”(小中学校は歴史的経緯から“千寿”の字を用いる)や勝専寺(①歴史編参照)など「北千住」の中核と言える施設が集まっており、千住の象徴とも言えるだろう。もちろん“スーパー直結”の利便性もあるのだが、いわゆる“下駄履きマンション”の位置づけを越えた存在感を持つ物件ということもあり、「パークホームズ北千住アドーア」はタワーマンションに負けず劣らず、「北千住」の中でも高い価値を維持し続けているマンションの一つである。

▲背後に見える北千住駅ビル「ルミネ」。駅と国道4号日光街道を結ぶ「北千住駅前通り」は、この街のメインストリートだ

▲背後に見える北千住駅ビル「ルミネ」。駅と国道4号日光街道を結ぶ「北千住駅前通り」は、この街のメインストリートだ

北千住駅前通り(きたろーど1010) 周辺のマンション

◆「北千住」周辺の物件について、もっと知りたい方はこちら◆

江戸時代の風情を残す“宿場町通り”と“千住本町商店街”

 “北千住駅前通り(きたろーど1010)”は駅から300mほど進むと“ヨークフーズ千住店”(パークホームズ北千住アドーア)に至る。ほどなく国道4号(日光街道)と交差し、駅を出発した「西新井大師」などへのバスはここから多方面に散っていくため、駅から日光街道までの400mほどの区間は人・クルマ・バスともに行き交う人々は大変多い。ただ、直交する道路はその先で幹線道路に繋がっていないため、ほぼ歩行者専用の商店街と化しており「北千住」を象徴する風情豊かな飲食店は、主に直行する道路沿いに広がっている。その中でも一際賑やかなのが、駅前通りと駅から150mほどで交差する、南側の“千住本町商店街”と、北側の“宿場町通り”の2つの商店街。この商店街こそ、かつての“日光街道千住宿”なのだ。

▲いかにも商店街らしい道幅の“宿場町通り”。かつてはこの道こそが日光街道のメインルートだった

▲いかにも商店街らしい道幅の“宿場町通り”。かつてはこの道こそが日光街道のメインルートだった

 千住宿本陣(身分の高い幕府の役人や代表などの宿泊施設)があったのは駅前通りと日光街道の交差点で“宿場町通り”に面し、ここが千住宿の中核(本宿)であった。ここから南へ仲宿、千住大橋を渡って南宿(南千住)と続いていたのだが、まずは南の“千住本町商店街”(仲宿)へ。「北千住」で一番賑やかな商店街と言え、主に居酒屋、ホルモン焼(焼肉屋)、ワインバー等が集まっているが、中には団子屋、お茶屋、そば屋など、いかにも千住宿の時代から続いていそうな老舗も構えているのは、いかにも旧宿場町らしい光景だ。その中心部に位置するのが、現時点(2024年2月)現在「北千住」最新のタワーマンション“千住ザ・タワー”。“東武ストア北千住店”を核とした低層階の商業施設と一体になっており、全体には“カノン千住”の名が付いている。駅直結や駅至近でこそないものの、“トポス”跡地という地元では知られたランドマーク性を持ち、名実ともに「北千住」ナンバーワン物件として君臨している。

▲千住ザ・タワー(左)と千住本町商店街。商店街のど真ん中にタワーマンションがあるのは、案外と珍しい

▲千住ザ・タワー(左)と千住本町商店街。商店街のど真ん中にタワーマンションがあるのは、案外と珍しい

 ここはかつて“ダイエー北千住店”だったが、イトーヨーカドー千住店と競合したため、廉価販売のディスカウントストア“トポス北千住店”へと1981年に転換。現在のドン・キホーテに通じるローコストオペレーションによりイトーヨーカドーと棲み分けを図っていたが、平成不況以降のダイエー自体の経営再建と、建物自体の老朽化で2016年に閉店し(1969年築であり50年を迎えようとしていた)、跡地が再開発されたものである。ちなみに、激しい戦いを繰り広げた“イトーヨーカドー千住店”も末期(2009年)にはトポス同様のディスカウントストア形態“ザ・プライス”に転換したが、こちらも2016年とほぼ同時に閉店した。「北千住」の住民にとっては、覇を競ったイトーヨーカドー(ザ・プライス)とダイエー(トポス)の両者が同時に姿を消し、時代の移り変わりをひしと感じたことだろう(後に入ったのが東武ストアで、ダイエーの後継店ではないのが面白い)。

▲商店街の電柱にも「旧日光街道」の文字がある。

▲商店街の電柱にも「旧日光街道」の文字がある。

 “千住本町商店街”はその先“大踏切通り”との交差点で終わり、ここまでが概ね“本宿”にあたる。なおも真っすぐの道が千住大橋に向かって続き、ここからがかつての“仲宿”であるが、駅から徒歩10分以上となるため、商店街としての賑わいはだいぶ薄くなる。角に面して地場の金融機関“足立成和信用金庫”本店が構え、“ハローワーク足立”“あだち産業センター”などの公共施設も集中する一帯だが、ここがかつての足立区役所の跡である。1889年の南足立郡千住町成立以来、1932年の東京市編入=足立区成立を経て、1996年に中央本町(東武線『梅島』付近)に移転するまで、長らく足立区の中心であり続けた。現在は“東京芸術センター”を中心とする複合の高層ビルに建て替えられ、東京藝術大学千住キャンパス(後述)と一体となった“アートの街”北千住の中核として生まれ変わった。区役所こそ無くなったものの、今なお中心性は衰えていない。

▲千住本町商店街の南側入り口。街の入り口に、当地ゆかりの松尾芭蕉の像が立っている(左)。

▲千住本町商店街の南側入り口。街の入り口に、当地ゆかりの松尾芭蕉の像が立っている(左)。

 さて、反対側の“宿場町通り”に出てみると、こちらは千住本町商店街よりもなおダウンタウン的な雰囲気が漂う。通りと幾筋もの細い路地が交わるさまはまるで歯ブラシのよう。盆栽や鉢植えが並べられ、小さな緑が添えられている様は実に下町的で魅力的な光景なのだが、一方で老朽化した木造家屋が密集し、細い路地や行き止まりが多い現状は災害リスクを大きく抱えているということでもある。一部を“千住ほんちょう公園”として整備したり、老朽化した店舗やアパートが連なっていた一角を更地化し、宿場町通りではほぼ初の分譲マンション「アトラス北千住」の建設が始まったりと変化の兆しはあるものの、通り全般の雰囲気はあまり変わっていない。尤も、商店街を抜けた先に、江戸期以来の千住宿の面影を残す伝統的な建築が連なり、水戸街道分岐の道標が建っていたりと味のあるエリアが広がっているので、僅かに残った千住宿の雰囲気を大切にしてもらいたいという気もする。災害対策と伝統建築の保存の両立はなかなか難しい。北千住に限らず、全国的な課題でもある。

▲江戸期以来の建築が残る、宿場町通り北側。駅前開発の波にのまれず、江戸の雰囲気を残している。

▲江戸期以来の建築が残る、宿場町通り北側。駅前開発の波にのまれず、江戸の雰囲気を残している。

宿場町通り・千住本町商店街 周辺のマンション

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芸大・電機大・帝京科学大…学園都市・北千住として

 足立区に少なくない大学が立地している…ということは、あまり知られていないのではないだろうか。足立区出身・ビートたけし(北野武)氏の愛ある“足立区イジり”をはじめ、“お前も足立区民にしてやろうか”という某悪魔を彷彿とさせるコミュニティ放送局がテレビ番組で紹介され話題となる等、ある種のステレオタイプなイメージを逆手に取ったシティプロモーションが展開されているなか、“大学が多い”ということは正反対の事象である。その数は実に5大学5キャンパスを数え、放送大学東京足立学習センター(千住5丁目の足立区立中央図書館“学びピア21”併設)を加えると6大学になる。うち3校は足立区内がメインキャンパスであるが、メインキャンパス数(3校)は杉並区、板橋区と並ぶ10位タイと23区でも中位につける。これより上位は殆ど山手線内の都心区が占めており、2校以下の区も中央区・台東区など都心部を含めて11区あることから、足立区の意外な“学園都市”としての側面が窺えよう。

▲東口商店街には「学園通り」の愛称がついている。その名に違わず、学生が歩く姿がよく見られる。

▲東口商店街には「学園通り」の愛称がついている。その名に違わず、学生が歩く姿がよく見られる。

 これら大学は元から足立区に所在していたわけではなく、2000年代に入るまで足立区には放送大学以外の大学が無かった。ここに風穴を開けたのが「北千住」西口近くへ2006年に開校した、東京藝術大学千住キャンパスである。ここでいう芸大とは上野の森に本拠を構え、我が国の藝術大学のトップに君臨する国立東京藝術大学であるから驚く。上野キャンパスは上野恩賜公園内に位置し、構内に歴史的建造物も多いことからキャンパスの拡大に限界があるため、1991年に取手キャンパス(茨城県取手市)を新設し、場所を必要とする陶芸や彫刻などの一部を移し、キャンパスを分散させてきた。ただ、取手キャンパスは「上野」からJR常磐線とバスを乗り継いで約60分を要し、アクセスにやや難があった。そこで「上野」と「取手」を結ぶJR常磐線の「上野」寄りに位置し(約12分)、交通も至便な地として新キャンパスの開設に至ったというわけだ。千住キャンパスには音楽関係の一部が置かれ、隣接する「あだち産業芸術プラザ」内の「東京芸術センター」と共に、区の文化芸術活動の源泉となっている。

▲東京藝術大学千住キャンパスと「東京芸大前」交差点。芸大の移転は足立区全体にプラスの影響を及ぼした

▲東京藝術大学千住キャンパスと「東京芸大前」交差点。芸大の移転は足立区全体にプラスの影響を及ぼした

 芸大千住キャンパスは2006年、旧・足立区立千寿第一小学校跡地(2002年に第二小学校と統合し千寿小学校となる)に開設された。芸大進出を機に、2007年に“東京未来大学”堀切キャンパス(子どもの心理・保育などを専門に扱う新設大学)が旧・足立区立第二中学校跡地、2010年に帝京科学大学千住キャンパスが旧・足立区立元宿小学校跡地へ…と3校が小中学校跡地に次々と開設された。そして、最も規模が大きいのが、2012年に「北千住」東口すぐに開かれた東京電機大学東京千住キャンパスだ。足立区内に次々と開かれた大学キャンパスは5校中4校が「北千住」周辺に集まり、芸大進出からわずか6年で4校もの大学が集まる“学園都市”となったことは、近年の北千住における最大の変化といってよいだろう。

▲芸大の西側に隣接する「あだち産業芸術プラザ」「東京芸術センター」。旧・足立区役所を再開発した施設。

▲芸大の西側に隣接する「あだち産業芸術プラザ」「東京芸術センター」。旧・足立区役所を再開発した施設。

 東京電機大学は1907年の開学以来、長らく神田にキャンパスを構えていた(現『KANDA SQUARE、丸ノ内線『淡路町』付近)。神田は現在も明治大学駿河台キャンパス、専修大学神田キャンパス、日本大学本部など多くの著名な大学がキャンパスを構え、通学至便かつ神田神保町書店街を中心とする層の厚い学生街が形成され“神田にキャンパスを構えている”ステータスもあったものの、いうまでもなく千代田区の超都心部であり、キャンパスの拡張に限界があった。そこで「北千住」東口で遊休化していたJT(日本たばこ産業株式会社)の倉庫・社宅跡地への移転を決定。常磐線が通じる茨城県や、東武線が通じる群馬県はかつて葉タバコの産地として知られており、両者が交差する「北千住」はJTとしての地の利もあったのかもしれない。2012年のキャンパス開校と同時に、東口に“電大口”の愛称を付与し、商店街も“学園通り商店街”に改称、足立区による駅前広場整備も完成するなど、街を挙げての歓迎となった。かつての“裏口”だった駅東口は、一挙に清潔さと快活さを併せ持つ学生街へと変わったのだ。

▲東京電機大学東京千住キャンパス。駅徒歩3分という優れた交通利便性は、大学にとっても間違いなくプラスだ

▲東京電機大学東京千住キャンパス。駅徒歩3分という優れた交通利便性は、大学にとっても間違いなくプラスだ

 キャンパスの開設ラッシュになったのは、いわゆる工場等制限法(1959年制定)によってキャンパスの都心部偏在が規制されていたところ、2002年に同法が廃止されたことで、それまでキャンパスが殆ど無かった足立区自ら誘致に乗り出したからだ。同時に千住地区では小中学校の統合が進んでいたが、これは歴史が長い下町ゆえ狭い校地しか確保できなかった小中学校が多かったところ、新しい住宅も増えず児童数が減少していたという背景による。ちょうど大学キャンパスの都心回帰傾向が鮮明になったこともあり、小中学校跡地を活用したキャンパス誘致が進んだというわけだ。2018年にはいわゆる23区規制(地方大学・産業創成法)によって再び東京23区内の大学開設が規制されるのだが、足立区はこの16年間をフルに用い、多くの学生を呼び込むことに成功した。飲食などの関連産業が潤い、住宅需要の増加にもつながる。また、“青春を過ごした街”になることで将来の足立区民候補を増やすことにもなるし、多くの若者が街中を巡ることで地域住民との交流も生まれる。

▲東京電機大学東京千住キャンパス。東口駅前広場と一体化した構造で、駅前とは思えないゆとりある空間。

▲東京電機大学東京千住キャンパス。東口駅前広場と一体化した構造で、駅前とは思えないゆとりある空間。

 足立区の課題として、千住地区の下町では木造家屋密集地区に高齢者が多く住まい、「竹ノ塚」など団地が集積するエリアでは団地の老朽化という課題があるが、多くの学生の流入によってこれらを一挙に解決に導こうとしたわけ。「北千住」周辺は交通利便性が高く、学生が住まうには家賃が高額となるものの、東武線で10分ほどの「竹ノ塚」あたりまで移動すれば家賃もだいぶ下がる。広い部屋が安く借りられるということで、学生が足立区郊外に点在する団地に住まう例も多くなっているそうだ。そうした意味でも、UR花畑団地(はなばた―)を再開発し2021年に開設された文教大学東京あだちキャンパス(東武線『谷塚』最寄り)は、学生×団地のコラボという新境地を開拓する試金石となりうる。そして、彼らの懇親会の場になるのはもちろん「北千住」。足立区が獲得した数多くの大学と学生は、これからの街を担うエンジンになりつつある。

▲「北千住」から東武線普通電車で10分ほどの「竹ノ塚」。団地建替え、駅高架化による再開発が進んでいる。

▲「北千住」から東武線普通電車で10分ほどの「竹ノ塚」。団地建替え、駅高架化による再開発が進んでいる。

東京電機大学/帝京科学大学 周辺のマンション

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隅田川沿いの工場跡が続々と大型マンションに

 かつて北千住の南側「千住大橋」から「京成関屋」の隅田川沿いは、隙間なく工場が連なっていたと言ってよい。江戸時代までは千住宿のエリアからも外れた低湿地帯であったが、明治以後に船舶の往来が激増したため、隅田川の浚渫土(水深が浅くなって船舶の通行に支障をきたすのを防ぐため、川底から除去された砂泥)を用いて低湿地帯は埋め立てが進んだ。こうして生まれた隅田川沿いの土地は舟運や鉄道(東武線から貨物用の引き込み線が引かれた)を用いての物資の搬出入が至便だったため、千住関屋町の造船業など、多くの工場が建ち並んでいた。しかし、都市化の進展に伴って工場用地は徐々に手狭となっていき、これら工場は北関東などへ広大な土地を求めて移転し、跡地が多く生まれた。こうした千住の工場跡地開発のトップを切ったのが「シテヌーブ北千住30」である。竣工がバブル期真っ只中の1989~1990年であり、特にタワーマンションの先駆けとなった30階建の高層棟は平均97.81㎡の広さを誇り、坪462万円もの高値で分譲され、バブルの象徴の一つとして話題となったほどだった。

▲シテヌーブ北千住30。隅田川を見渡す位置に建ち、平均専有面積の広さからバブル期を象徴する存在の一つ。

▲シテヌーブ北千住30。隅田川を見渡す位置に建ち、平均専有面積の広さからバブル期を象徴する存在の一つ。

 また、かつての浅草をはじめ、隅田川沿いに多く広がっていたのが皮革産業だった。食肉処理の過程で産出される皮革をなめし、靴やバッグに加工する過程において、隅田川の舟運は欠かせなかった。浅草、本所、三ノ輪、南千住には食肉処理場があったこともあり、現在もなお墨田区東墨田は皮革産業の一大集積地となっている。そして、隅田川で結ばれる千住大橋周辺もまた皮革産業の集積地であった。現在も学生靴メーカーとして知られるHARUTA(株式会社ハルタ)をはじめ、北千住周辺には皮革業者が点在しているが、中でも最大のものがニッピ(日本皮革)およびリーガル(日本製靴=せいか)であった。

▲シテヌーブの最寄駅、京成線「京成関屋」(右)と東武線「牛田」。駅名は全く違うが、双方の改札口が向かい合い、実質同一駅。

▲シテヌーブの最寄駅、京成線「京成関屋」(右)と東武線「牛田」。駅名は全く違うが、双方の改札口が向かい合い、実質同一駅。

 その歴史は古く、リーガルは1902年に複数の皮革メーカーの革靴部門が統合して成立、その後革靴以外の部門を統合して1907年に成立したのがニッピであり、このため両社は現在も相互に筆頭株主という深い関係にある。会社成立以来100年以上にわたり両社とも千住中組(千住大橋)に本社兼工場の拠点を置いていたが、リーガルは生産拠点を東北に移しており、千住に本社を置くメリットが薄れていたことから、2009年に土地を売却、本社を千葉県浦安市に移している。ニッピもコラーゲン化粧品やバイオ関連など事業が多角化し、皮革部門のシェアが少なくなっていたこともあり、2007年に千住大橋の工場を大幅に縮小。生産機能は静岡県などに完全に移し、本社およびテクノセンターが残るのみとなった。

▲京成線「千住大橋」。かつては工業地の中の地味な駅だったが、人口の大幅増加に合わせてリニューアルされた。

▲京成線「千住大橋」。かつては工業地の中の地味な駅だったが、人口の大幅増加に合わせてリニューアルされた。

 こうした環境の変化を受け、2007年12月にニッピ(ニッピ都市開発株式会社を設立)と、リーガル跡地を譲り受けたUR(UR都市機構)の手で「千住大橋」の再開発が始動。エリア名は“ポンテグランデTOKYO”と某大手ドーナツ店の定番商品のような可愛い名が付いたが(ちなみに某ドーナツの方は2003年発売)、当然ドーナツは全く関係なく、これは江戸時代から千住を象徴する「千住大橋」の“大橋”をPonte(=橋)/Grande(=大きな)というイタリア語に読み替えたもの。2012年の「オーベルグランディオ千住大橋」を皮切りに3棟の大型マンションが立て続けに竣工したほか、2014年には「千住大橋」駅前の商業施設「ポンテポルタ千住」(Porta=門)がオープンし、「北千住」に比べて貧弱だった生活利便施設が一気に充実している。また、隅田川沿いも遊歩道「千住隅田川テラス」としてリニューアルされ、「千住大橋」から「京成関屋」までの1駅間が快適な水辺に生まれ変わるなど、かつて多くの人々が働いた工業地は、多くの人々が暮らす街へと生まれ変わっている。

▲「千住大橋」駅前と、商業施設“ポンテポルタ千住”。駅前に大型商業施設が立地し、非常に便利。

▲「千住大橋」駅前と、商業施設“ポンテポルタ千住”。駅前に大型商業施設が立地し、非常に便利。

 前項で触れられなかったが、帝京科学大学千住キャンパスもかつての東京電力千住火力発電所、通称「お化け煙突」の跡地に建っている。晴海の石炭埠頭から石炭船が隅田川を遡り、降ろした石炭が千住の火力発電所にくべられていたというわけだ。1926年の操業開始以来、戦災にも負けず、力強く黒煙を上げる“お化け煙突”は遠くからもよく見え、かの小津安二郎の映画「東京物語」(1953年)にも度々カットインするなど千住のシンボルとなっていたが、都市化の進展と公害防止のため1963年に操業を停止し、跡地が足立区立元宿小学校となっていた。その後、児童数減により2010年に帝京科学大学千住キャンパスとして生まれ変わり、現在に至っている。このように、隅田川沿いは時代と共にあり方を変えてきた。かつてはモノの運搬に便利ということで人が集まったが、現代では水辺のうるおいある景色が人々の癒しとなり、生活の場として人が集まってきている。その時代に応じて柔軟に役割を変えながらも、一方で江戸時代の千住宿を彷彿とさせる伝統も残っているから、じつに千住とは器用な街である。

▲帝京科学大学千住キャンパス。かつての発電所を再々利用しただけあって、広い運動場を備えた広大なキャンパス。

▲帝京科学大学千住キャンパス。かつての発電所を再々利用しただけあって、広い運動場を備えた広大なキャンパス。

「千住大橋」「京成関屋」周辺のマンション

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3.北千住のこれから

「千住大橋」の新ランドマーク!シティタワー千住大橋

 「千住大橋」の再開発“ポンテグランデTOKYO”の集大成として、住友不動産により建設中なのが「シティタワー千住大橋」。42階建462戸という規模は「千住大橋」どころか「北千住」も含めた千住エリアで最大級だ。“南千住汐入”と通称される荒川区内では2010年頃にタワーマンションの建設が相次いだが、「北千住」を含む足立区内千住エリアでは「シテヌーブ北千住」「千住ミルディス」「千住ザ・タワー」しかないので、そういった意味でも貴重になる。なお、現状ではまだ情報が少ないものの、「シティタワー千住大橋」の西隣の街区でもタワーマンションの計画が進行中だ。

▲建設中の「シティタワー千住大橋」。2025年5月の竣工予定に向け、基部から建設が始まっている。

▲建設中の「シティタワー千住大橋」。2025年5月の竣工予定に向け、基部から建設が始まっている。

 「千住大橋」からは徒歩5分とタワーマンションにしては“駅近”とは言い難い距離感ながら、「千住大橋」から京成線に乗ってしまえば「日暮里」まで普通電車で3駅6分、本数は1時間1~2本に限られるが快速なら4分で到着し、JR山手線に乗り換え「東京」まで21~25分ほど。京成線で隣の「町屋」では東京メトロ千代田線に乗り換えられる。また、千住大橋を渡り徒歩17分とやや離れるものの「南千住」からJR常磐線快速~上野東京ライン直通で「東京」へ15分、東京メトロ日比谷線で「銀座」へ22分ほど。「北千住」へは千住本町商店街を経由して徒歩20分と離れるものの、京成線とJR山手線、東京メトロ千代田線を組み合わせれば、「北千住」を通るたいていの路線をカバーすることができる。駅の知名度は高いとは言えないが、JR山手線からさほど離れていないなりの利便性を享受できる環境にある。「成田空港」へは京成線で乗り換えなし60~80分程度、「羽田空港」へも「青砥」で京成押上線に乗り換えて55分程度であり、東京の2空港を便利に使い分けられるのは「北千住」にないメリットだ。

▲北東・南東・南西・北西向きのうち、南東・南西向きが隅田川に面する。23区内でこの開放感はとても貴重。

▲北東・南東・南西・北西向きのうち、南東・南西向きが隅田川に面する。23区内でこの開放感はとても貴重。

 そして何と言っても魅力になるのは隅田川リバーフロントの開放感と、タワーマンションならではの眺望の良さだろう。南に東京スカイツリー・浅草(隅田川花火大会)、北に荒川(足立の花火)を望む、絶好のビューポイントに位置しているのだ。23階の南東側にはスカイラウンジが用意され、隅田川花火大会の際には絶景が広がるはず。隅田川沿いの遊歩道“千住隅田川テラス”へもすぐに出ることができ、犬の散歩やジョギングなどにも良い環境。「千住大橋」駅へも“ポンテポルタ緑道”を経由して5分と、直結ではないものの歩行環境としては申し分なく、途中に“ポンテグランデ千住”があるので【駅⇔商業施設⇔マンション】という理想の導線が緑道で結ばれているのも、まさに再開発によって生まれる新しい街ならではの魅力。東京23区内でこれだけ合理的な生活設計がなされている街は多くなく、まさにこれからが楽しみな「千住大橋」である。

▲隅田川の景色はまさに一級品と言えよう。南に東京スカイツリーを望み、夏には隅田川花火大会が眺められる。

▲隅田川の景色はまさに一級品と言えよう。南に東京スカイツリーを望み、夏には隅田川花火大会が眺められる。

再開発のシンボル、千住ミルディスと千住ザ・タワー

 さて、ここからは「北千住」駅前の再開発について見ていこう。まず、先例として踏まえておいた方が良さそうなのが「北千住」の二大タワーマンション「千住ミルディス」と「千住ザ・タワー」。先に完成した「千住ミルディス」から紹介すると、その歴史は1980年の再開発準備組合結成に遡る。1987年に都市計画決定、1999年に再開発組合設立認可とかなりの時間を要しているあたり、バブル期の狂乱地価と平成不況の中で事業計画が何度も翻弄された様子が窺える。そして2001年に権利変換計画が認可され地権者の合意がとれてようやく着工、2004年に晴れて竣工を迎えた。足掛け約25年にわたる一大プロジェクトであったが、その甲斐あって「北千住」の顔となる商業施設“北千住マルイ”が誕生。デパ地下にも引けを取らない食品フロアは常に賑わっており、名実ともに足立区の中心的な商業施設として賑わっている。

▲駅ビル「ルミネ」(右)と、隣接する「千住ミルディス(北千住マルイ)」(左)。両者はほぼ一体の駅前商業施設を構成する

▲駅ビル「ルミネ」(右)と、隣接する「千住ミルディス(北千住マルイ)」(左)。両者はほぼ一体の駅前商業施設を構成する

 「千住ミルディス」は“北千住駅西口市街地再開発”エリアの総称であり、北千住マルイが入るⅠ番館と、26階建タワーマンション「アトラスタワー北千住」からなるⅡ番館に分かれている。Ⅱ番館も6階以下は店舗やオフィスが入るため“千住ミルディスⅡ番館”の名で呼ばれることが多く、「アトラスタワー北千住」の名前で呼ばれる機会は多くない。7・8階が駐車場および共用部分、9階以上が住居となるため、低層階でも眺望は申し分ないものとなっている。そして「アトラスタワー北千住」最大の売りは、3階の“フォーマルエントランス”から1番館を介して「北千住」駅西口ペデストリアンデッキに直結していることだ。「北千住」直結マンションは現状「アトラスタワー北千住」しかなく、【駅⇔北千住マルイ⇔マンション】という理想の導線が、駅前のごく狭い範囲で完結しているという優れたロケーションにある。2004年竣工ながら今なお坪350~400万円前後で取引され、これは分譲時の平均坪単価209万円を大きく上回る水準であり、やはり「北千住」で他にない“駅直結タワーマンション”という付加価値が評価されていると言えよう。

▲北側から見た「アトラスタワー北千住」(千住ミルディスⅡ番館)。南にマルイ(Ⅰ番館)が隣接し、通路で直結

▲北側から見た「アトラスタワー北千住」(千住ミルディスⅡ番館)。南にマルイ(Ⅰ番館)が隣接し、通路で直結

 そして「北千住」最新のタワーマンションが2021年竣工の「千住ザ・タワー」だ。駅直結でこそないものの「北千住」駅西口徒歩3分、千住本町商店街に面した至便なロケーションにある。上述(江戸時代の風情を残す“宿場町通り”と“千住本町商店街”)したが、元々商店街の中心的な商業施設“トポス北千住店”跡地ということもあって1階には東武ストアが入り、南向き中心ということもあって上層階からは東京スカイツリーを望むのは、東西向きが中心の「アトラスタワー北千住」にはない魅力といえる。ここも再開発地区(千住一丁目地区第一種市街地再開発事業)全体の名称は“カノン千住”といい、東武ストア以外にも飲食店(『しゃぶ葉』)、歯科などが入るものの、駅前の“千住ミルディス”よりも明らかに商業施設が小規模なため、ここは「千住ザ・タワー」のマンション名で呼ばれることが多い印象を受ける。中古市場では坪450万円前後での取引が多く、これは分譲時(2019年3月)の平均坪単価372万円をやはり上回る。西口ではタワーマンションの計画は他になく、当面の間は西口ナンバーワン物件として君臨することだろう。

▲千住ザ・タワー(カノン千住)。街中にそびえる白亜のタワーマンションは、非常に存在感がある。

▲千住ザ・タワー(カノン千住)。街中にそびえる白亜のタワーマンションは、非常に存在感がある。

千住ミルディス/千住ザ・タワー 周辺のマンション

ツインタワー誕生?北千住駅東口再開発計画

 東京電機大学千住キャンパスの開校に伴って面目を一新した東口だが、実はまだ完成ではない。東口の駅舎と駅前広場は50mほどの狭い道を挟んで離れており、この間の50mほどが取り残されたような格好になっている。そもそも東口駅舎自体が線路沿いの狭い道路に張り出すように建てられており、東京でも有数のターミナル駅前にしてはかなり窮屈。人波の多さに対して道幅が非常に狭く、通行禁止ではないが事実上クルマはほぼ通れず(幅員7m)、雑多な狭小建築が密集しているとあっては地震、火災などの災害リスクも非常に高いのはいうまでもない。ペデストリアンデッキで各所が結ばれている西口に比べ、東口は駅舎を出るといきなり狭い商店街に放り出されるような格好であり、明らかに見劣りする。そこで現在進められているのが「北千住駅東口周辺地区再開発」である。

▲北千住駅東口。ルミネやマルイがそびえる西口に比べ、いきなり商店街の東口はいかにも狭い。

▲北千住駅東口。ルミネやマルイがそびえる西口に比べ、いきなり商店街の東口はいかにも狭い。

 駅前通りを基準として「北街区」と「南街区」に分かれており、それぞれ再開発準備組合が組織されているが、このうち「北街区」がやや先行しており、2023年7月には準備組合からの提案イメージが公開されている。それによると、現状7mの道路から5m後退して12mに拡幅し(南側も5m後退すると17mになる)、再開発ビルと東口駅舎を直結させ、27階建の商・住複合施設を建設するというもの。イメージでは1~3階が商業・子育て支援施設等、4~27階はバルコニーが描かれているので住宅と解釈でき、26階建の千住ミルディス(アトラスタワー北千住)とほぼ同等の規模になると思われる。再開発準備組合の事業協力者として三井不動産レジデンシャル・トーショーホールディングス・大成建設の名があり、タワーマンションの建設にあたっては申し分のない陣容。千住ミルディスの住宅は9階以上なので、東口の特性(西口よりも商業集積が少ない)を踏まえ、やや住宅の比率を上げたということだろう。当然「千住ザ・タワー」よりも駅に近く、同じ駅直結物件同士では「アトラスタワー北千住」よりも20年ほど新しいことになるので、竣工の折には堂々の「北千住」ナンバーワン物件になるはずだ。

▲東口と駅前広場・東京電機大学を結ぶ50mほどの商店街。道幅は広いとは言えず、人々でごった返している。

▲東口と駅前広場・東京電機大学を結ぶ50mほどの商店街。道幅は広いとは言えず、人々でごった返している。

 計画では2024年度中に取りまとめを行い、都市計画決定を目指すことになっている。竣工予定などは発表が無いが、順調にいけば2030年頃には、新たな北千住のランドマークとなるタワーマンションが登場するだろうか。なお「南街区」に関してはまだ足立区によるイメージが公開されているのみだが、概ね北街区と同様の再開発を想定しているようだ。つまり、南街区も完成した折には駅東口にツインタワーが誕生することになり、駅前の印象も大きく変わるだろう。足立区によると、駅東口エリアでは高齢者と単身者が多く、中間層となる「ファミリー世帯を中心とした生産年齢人口の定住を促す住宅供給を誘導する必要がある」という認識だそう。確かに駅周辺は木造家屋が密集し、荒川と隅田川に挟まれた低地ゆえに、火災や水害の危険性が高いとあっては、ファミリー世帯の流入は少ないだろう。そうした現状を、駅前に誕生するツインタワーは払拭することになるだろうか。

▲東口駅前広場から見た北千住駅東口。広場と駅の間にツインタワーが建つ日も、そう遠くはない。

▲東口駅前広場から見た北千住駅東口。広場と駅の間にツインタワーが建つ日も、そう遠くはない。

4.「北千住」の駅別中古価格

JR常磐線快速・JR常磐線各駅停車

 最後に、「北千住」を取り巻くJR常磐線快速・JR常磐線各駅停車、東武スカイツリーライン沿線の駅別中古価格および2020年代以降の分譲マンションを見てみよう。

▲データ集計:(株)東京カンテイ 直近3年、各年とも1~12月。30㎡未満および事務所・店舗用住戸は除外。赤数字は上位10駅。背景青緑地は快速停車駅、灰色は各駅停車駅。(『北綾瀬』のみ東京メトロ千代田線分岐線の駅だが、直通運転しており比較のために記載した)

▲データ集計:(株)東京カンテイ 直近3年、各年とも1~12月。30㎡未満および事務所・店舗用住戸は除外。赤数字は上位10駅。背景青緑地は快速停車駅、灰色は各駅停車駅。(『北綾瀬』のみ東京メトロ千代田線分岐線の駅だが、直通運転しており比較のために記載した)

 始発駅「上野」を頂点に徐々に下落していくが、南千住汐入に再開発タワーマンションが建ち並ぶ「南千住」がJR山手線と接する「日暮里」の次に高く、平均築年も10年台と若いのが特徴だ。次いで「日暮里」から1駅の「三河島」、そして「北千住」と続くが、「三河島」と「北千住」の差は僅差であり、山手線からも徒歩10分程度で到達できる「三河島」と、山手線からは離れるが複数路線が乗り入れる大ターミナル駅の「北千住」で均衡しているような状況である。「北千住」から先、次いで高いのが各駅停車で3駅先の「金町」だが、これは“シティタワー金町”をはじめ、広大な再開発タワーマンションが完成したことによるものだが「綾瀬」「亀有」との差は僅差で、各駅停車しか停車しない3駅は殆ど横並び。「金町」の次「松戸」からは江戸川を渡り千葉県に入るが、快速が停車し商業施設が集積する「松戸」「柏」でも、23区内ながら各駅停車しか停車しない「綾瀬」「亀有」「金町」よりも価格はぐっと低くなる。「北松戸」から先、各駅停車のみの駅では平均築年も嵩み、マンション供給自体が減少する戸建エリアに入っていく。

東武スカイツリーライン

▲データ集計:(株)東京カンテイ 直近3年、各年とも1~12月。30㎡未満および事務所・店舗用住戸は除外。赤数字は上位10駅。

▲データ集計:(株)東京カンテイ 直近3年、各年とも1~12月。30㎡未満および事務所・店舗用住戸は除外。赤数字は上位10駅。

 JR常磐線と同様、始発駅「浅草」を頂点に徐々に下落していくのは同じだが、「北千住」が都心寄りの「鐘ヶ淵」「牛田」を抑えて5位につけており、都心寄りであっても東武線しか停車しない駅を上回っているのは、やはり「北千住」が持つターミナル性が大きく作用している。「北千住」でかなり段差が付き、足立区内ながら荒川を渡る「西新井」などとは坪50万円ほどの差が開く。「谷塚」から先は埼玉県となるが、23区内最後の「竹ノ塚」と、急行が停車する「草加」の差はそこまで開いておらず、常磐線ほど都県境の段差が開いていないのは興味深い。それ以後は、埼玉県の東西軸を担うJR武蔵野線乗り換えの「新越谷」および急行が停車する「越谷」がやや高く、特に「新越谷」は23区内の「竹ノ塚」に迫る水準なのが目立つ。複々線区間が終了する「北越谷」以降は坪100万円を切り、急行が停車する「せんげん台」「春日部」でやや盛り返しながら、徐々に下落していく。常磐線と違い、平均築年が40年に達している駅は「牛田」の1駅しかなく、東武線沿線は比較的安価に築浅の中古マンションを購入できる環境にある。

「北千住」2020年代以降のマンション

アトラス北千住

「北千住」徒歩3分 足立区千住3丁目 2025年2月竣工予定/14階建138戸

売主:旭化成不動産レジデンス/施工:松井建設

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    ▲アトラス北千住(2025年2月竣工予定・2024年1月竣工予定)

    ▲アトラス北千住(2025年2月竣工予定・2024年1月竣工予定)

    ▲アトラス北千住(2025年2月竣工予定・2024年1月竣工予定)

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イニシア北千住レジデンス

「北千住」徒歩7分 足立区千住寿町 2023年4月竣工/15階建73戸

売主:コスモスイニシア・大和ハウス工業/施工:大豊建設/分譲時平均坪単価383万円

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    ▲イニシア北千住レジデンス(2024年1月撮影)

    ▲イニシア北千住レジデンス(2024年1月撮影)

    ▲イニシア北千住レジデンス(2024年1月撮影)

    ▲イニシア北千住レジデンス(2024年1月撮影)

    ▲イニシア北千住レジデンス(2024年1月撮影)

    ▲イニシア北千住レジデンス(2024年1月撮影)

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デュオステージ北千住2

「北千住」徒歩5分/「京成関屋」徒歩11分 足立区千住旭町 2023年2月竣工/6階建31戸

売主:日神不動産/施工:古久根建設/分譲時平均坪単価374万円

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    ▲デュオステージ北千住2(2024年1月撮影)

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    ▲デュオステージ北千住2(2024年1月撮影)

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おわりに

 旧日光街道千住宿が尽きる千住5丁目、荒川近くに“安養院”という寺院がある。一見普通の寺院だが、境内には少々不釣り合いにも見えるたいそう立派な唐破風屋根が、まるで主役のように鎮座している。これが何かといえば、現国道4号日光街道を渡った先、千住寿町にあった銭湯“大黒湯”の正面にあった唐破風屋根。“大黒湯”は敗戦の1945年に同地で創業し、立派な宮造りの銭湯建築を今に伝え、その立派さゆえ銭湯ファンから“キングオブ銭湯”と呼ばれたほどだ。1968年まで日光街道を走った都電終点(千住四丁目)からも近く、電停前の銭湯として賑わった時代もあったという。しかし2021年6月、築90年を迎えて建物の老朽化が顕著になったこと、および店主の体調が優れなかったこともあり、惜しまれつつ長い幕を下ろした。そしてまさに“キングオブ銭湯”が解体されようとしていたところ、安養院の住職が一部だけでもと保存を申し出、クラウドファンディングによって移設が実現したそうだ。

▲安養院の境内に移築された唐破風屋根。大黒湯時代は母屋の唐破風もあり、二重になっていた。

▲安養院の境内に移築された唐破風屋根。大黒湯時代は母屋の唐破風もあり、二重になっていた。

 移設に際して磨かれた唐破風屋根は非常に美しく、とても90年以上前の建築とは思えない。随所に施された彫刻も繊細にして豪壮で、今まさに敗戦という苦難から立ち上がろうとする決意を表しているかのようだ。安養院の住職は「ある時代、ある地域にしか建てられなかった貴重な日本の文化財です。失くなってしまったら、二度と造れない建物だと思うと、悔いが残ります」とクラウドファンディングの実施に際して述べており、確かにそのとおりだと思う。建築技術は日進月歩であり、現代のマンションはどんどん快適に、便利に進化しているものの、一方で大黒湯の唐破風屋根のような、いわば“あそび”に宿る職人の情熱のようなものは、だんだんと失われているような気がしてならない。

▲築90年以上とは思えない美しい彫刻を、今でも変わらず眺められる。銭湯が現役だったら…と思わずにはいられない

▲築90年以上とは思えない美しい彫刻を、今でも変わらず眺められる。銭湯が現役だったら…と思わずにはいられない

 しかし「北千住」には、大黒湯の唐破風屋根の保存に向けて奔走した人々がいるように、日光街道千住宿の時代から伝わる“江戸時代の心意気”が根付いているように思う。野暮を疎み、粋(いき)と“いなせ”に生きた江戸の人々の記憶が、この街にはしっかり残っている。それは“江戸四宿”の中で千住は鉄道の開通が最も遅れたように、“江戸の境目”ゆえに“東京の周辺”へと飲み込まれるまでに時間がかかったからではないだろうか。なかなか“東京”にならなかったからこそ、松尾芭蕉の足跡が今に至るまで残り、千住宿の街並みに今でも触れられる。そして大黒湯の唐破風屋根のように、古くても価値があるものはしっかりと残しながら、時代に合わせて“お化け煙突”が大学になったように、時代に合わせてタワーマンションが建つ駅前再開発を進めていくように、“故きを温ねて新しきを知る”。「北千住」は、東京には珍しい“温故知新”を体現している街なのだ。

▲変わらないようで変わっていく千住の街並み。寺院の中に銭湯の一部が生き、通り沿いには高層建築が建ち並ぶ。

▲変わらないようで変わっていく千住の街並み。寺院の中に銭湯の一部が生き、通り沿いには高層建築が建ち並ぶ。

※特記以外の画像は2024年1月筆者撮影。マンション図書館内の画像は当社データベース登録のものを使用しています。無断転載を禁じます。

※再開発関係の内容は、一部下記サイトを参考にしました。

佐伯 知彦

賃貸不動産経営管理士

佐伯 知彦

大学在学中より郊外を中心とする各地を訪ね歩き、地域研究に取り組む。2015年大手賃貸住宅管理会社に入社。以来、住宅業界の調査・分析に従事し、2020年東京カンテイ入社。
趣味は旅行、ご当地百貨店・スーパー・B級グルメ巡り。

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