暮らしのヒント2020/11/18

コロナ禍だがGo To Travelなどの景気刺激策により、観光地には徐々に人出が戻ってきたようだ(日々事情は変化しつつある)。

 

本年三月以来、毎月各地に出掛けていた取材旅行や講演などの機会もめっきり減り、今年はすっかり富士の定点観測に徹している。が、前回「食欲の秋」のように、自宅に居ながらにして処理出来る範囲には、限界あるのも身にしみている。

 

 

先般、お能と能衣装のコラボイベントに掲載する挨拶文の依頼があり寄稿した。演目は「紅葉狩」。冒頭に「時雨を急ぐ紅葉狩、深き山路を訪ねん」と僕の旅心を刺激する。「紅葉狩」は信州戸隠山のほとり、武勇に知られた平維茂が、紅葉見物をしていた美女(実は鬼女)一行の甘い言葉に誘われるが、見事鬼女だと見破り退治するストーリーである。

 

 

僕は紅葉もさることながら、信州戸隠と聞くと馴染みの蕎麦屋、それもこの季節に始まる新蕎麦に惹かれて今年の蕎麦の状況を電話してみた。だが、コロナ禍でずっと閉店しているという。「田舎は大変で他県ナンバーとかにも敏感、もしも感染者がでたらここでは商売おろか暮らしていけないんです」と!苦しい胸の内を吐露してくださる。学生時代以来、毎年のように通っていたので残念だが、致し方ないと思いつつ、謡曲にある「さても見事なる紅葉かな、この所へ慕うち回し屏風を立て、九献をひとつ聞こし召し候」や「月の盃さす袖も」と月に紅葉、そして酒と紅葉狩の主人公維茂のような心地になってくる。僕は、時雨の翌日を見定めて、日光から軽井沢へとドライブしたのである。

 

 

以前から僕の旅スタイル、中核は「祭りと旬の食」で、コロナ禍という訳ではないが、旅の足は車が多い。無論、取材など時間が限られた旅で新幹線も愛用しているが、常時のマスクがしんどいことも手伝ってますます車が活躍している。僕の気晴らしは早起きして、東名から小田原厚木、箱根旧道をあがり芦ノ湖から御殿場へ、午前中に東京へ戻ってくることだ。このたびも混雑する前にいろは坂をあがり、紅葉ラインから浅間経由で軽井沢にはいる。

 

 

車の旅に酒は禁物だが、まさに紅葉は盛りで紅くまた黄葉に、いやすでに「紅葉狩」の華やかな舞台を思い出して、すっかり心は染まっていたようだ。

 

 

気軽に旅に出ることがままならない時代だからこそ、旅の思い出や古典を軸に夢想することもときには良いように思う。旅の土産に道の駅にあった新蕎麦のそば粉を思わず買ってしまった。寿司に天ぷら、そして鰻に蕎麦。江戸の定番は自らの難易度が高く、こればかりは食べに出掛けているが、この旅を機に蕎麦打ちに挑戦しようかと、通販の道具を眺めつつ僕の食欲を、別方向から充たしている今日この頃である。

 

 

 

白洲信哉(しらすしんや) 文筆家/アートプロデューサー

1965年東京都生まれ。細川護煕元首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方、広く日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザイン、展覧会などの文化イベントの制作に携わる。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な編著書に『骨董あそび』(文藝春秋)、『白洲次郎の青春』(幻冬社)『天才青山二郎の眼』『小林秀雄 美と出会う旅』(新潮社)『白洲家としきたり』(小学館)『かたじけなさに涙こぼるる』(世界文化社)『旅する舌ごころ』(誠文堂新光社)他多数。最新刊に『美を見極める力』(光文社新書)。

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