バビロン再訪~バブル時代のマンション物語~2020/3/30

日本で初めての鉄筋コンクリート造の集合住宅は、1916年(大正5年)に作られた軍艦島30号棟だと言われています。軍艦島(端島)は長崎県にある三菱の炭鉱採掘の島だったところであり、30号棟はそこで働く労働者のための住宅として作られました。

 

世界で最初のコンクリート集合住宅は、オーギュスト・ペレによる1903年のパリのフランクリン通りの集合住宅です。ペレは当時の新素材だったコンクリートに世界で最初に注目した建築家であり、「コンクリートの父」と呼ばれている建築家です。

 

ペレの事務所には、若き日のル・コルビュジェや日本においてアントニン・レーモンドと共同で聖路加国際病院などを設計したベドジフ・フォイエルシュタインらが在籍しており、ペレは世界のモダニズム建築に大きな影響を与えました。

 

コンクリートの集合住宅は20世紀初頭に出現し、まさに20世紀が生んだ建築といえます。今の日本のマンションのルーツも、この20世紀はじめのコンクリートの集合住宅にあります。

 

日本における鉄筋コンクリート造の集合住宅について、その100年の歴史を展示するのがUR都市機構の集合住宅歴史館です。すでに取り壊されてしまった歴史的な集合住宅が移築・復元(部分)されています。

 

八王子の集合住宅歴史館を訪ね、日本のマンションのルーツを体験してみました。

 

関東大震災(1923年・大正12年)からの復興を目的に、その翌年に設立されたのが同潤会です。都市の防災・不燃化の推進の一環として多くの鉄筋コンクリート造集合住宅が作られました。

 

代官山アパートは同潤会による鉄筋コンクリート造集合住宅の3番目の計画として1927年(昭和2年)に建設された、日本における最初期の都市型集合住宅です。敷地面積5,967坪、総戸数337戸(内単身者用94戸)の規模は、同潤会のアパートメントでは最大です。

 

代官山アパートは1996年に解体され、その跡にできたのが今の代官山アドレスです。蔦が絡まる古色を帯びた低層の住棟が、緩やかな斜面に建ち並んだ、日本ばなれした往時の風景を、記憶にとどめているひとも多いのではないでしょうか。

 

同潤会のアパートメントは防災・不燃化だけを主眼に作られたわけではありません。

 

第一次大戦(1914-1918)後のヨーロッパでは、産業革命以降の都市化の波にますます拍車がかかり、都市労働者のための住宅不足が社会問題となっていました。

 

同時に1920年代は、産業社会、工業社会における芸術やデザインのあり方が模索された時代でした。

 

安易な工業製品に対する異議申し立てから始まったイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動、それに刺激されるかたちで誕生したドイツ工作連盟(1906)、そこからはその後のモダンデザインを牽引したバウハウス(1919)が生まれました。建築におけるモダニズム運動の母体となったCIAM(近代建築国際会議)が開催されたのが1928年でした。

 

ル・コルビュジエは当時の住宅事情を「太陽も?空も?もなく、窓なしの閉ざされた、まさに生き続ける墳墓というべきなかで33㎡に10人家族で住むような状況」と告発しました(『人間の家』、1942年)。

 

そのコルビュジエも参画したCIAMの第2回目(1929)の議題は、まさに「生活最小限住宅」というものでした。

 

日本で同潤会が誕生した時代は、世界で建築、そしてハウジング(住宅供給)におけるモダニズム運動が勃興した時代でした。

 

ドイツではミース、コルビュジエ、グロピウスらが参画してヴァイゼンホフジードルンク(1927)と呼ばれるモダニズムデザインによる実験集合住宅群が作られ、ウィーンでは「赤いウィーン」の記念碑的作品として有名な社会住宅カール・マルクスホフ(1930)などが作られました。

 

日本における同潤会による集合住宅は、都市労働者のための理想の住宅を求めるという時代の精神とシンクロして生まれたのでした。

 

代官山アパートの当時の住所は豊多摩郡渋谷町、計画が始まった時点では東横線はまだ開通しておらず、当時の代官山は民家もまばらな東京のはずれの郊外という位置づけでした。代官山アパートは、東京の郊外の緑の環境のなかに理想の都市住宅を希求して作られました。

 

山の手らしい緑の丘に、地形の高低差を巧みに生かし多彩なデザインの低層建物が連なる景観。「文化湯」という銭湯があり、単身向け住棟の1階には「代官山食堂」が設けられ、娯楽室などもありました。都市の時代を担う家族持ちから単身者までさまざまな居住者。代官山アパートは都市居住者のための理想的田園コミュニティとして作られました。

 

1927年(昭和2年)の入居者募集当時の様子がこう残されています。

 

「今春一月竣工の予定で同潤会が下澁谷代官山に建設中の澁谷アパートメントハウス申込は十一月二十五日から開始したが、大手町の同潤会事務所へは早朝から申込人が殺到して正午までに五百余人、係人が眼を回している。申込は会社員、官吏、学生、商人という順序だが会社員官吏と言った世帯持は申合せた様に三階建ての六畳、四畳半の二室をねらっているがこれが全部で九十六戸あるが四畳半のバルコニー附きと云うので、大人気である。次が学生であるが独身室は押入附寝台、瓦斯充実台(台の上では焼きいももできる)瓦斯水道附で六畳が十円から十二円八畳が十四円で二人まで同居を許し特に独身者の為は食堂や娯楽室の設備があって、下宿に比べると情味もあり非常に経済的であるので女学生や女事務員の申込も大分あったがこれは多数の男の中に女の独身者をおくことは目立って風紀上にも心配だという方針で一々断っていた。係員は『学生の大多数は昼何処かへ勤めて夜学へ通うという人が多い、これは経済関係からで学費の豊かな人の来ない所以でしょう、女の方には気の毒ではありますが、独身の若い方では不安で困まりますので断っています。何分他のアパートと違いまして澁谷は独身者が多いので独身者の室には女の訪問客さえ禁制のことになっています。女の訪問客は社交室で面会するよう、その筋の注意を待つまでもなく厳重にすることになっています』と語った」(『国際建築時論』 昭和2年1月号より 『同潤会のアパートメントとその時代』 佐藤滋他 鹿島出版会 1998年)。

 

「焼きいももできる」という表現が微笑ましいですね。直火のガスコンロなど一般人にとっては夢の設備だったに違いありません。募集倍率は9.3倍だったそうです。

 

自由さ、快適さ、モダンなど、新しい都市の暮らしのイメージを前にした当時のひとびとの期待、予感、ワクワク感がストレートに伝わってきます。同時に「当局」をはじめとする、そうした新しいモダンエイジの息吹に乗り切れない守旧層の困惑顔、迷惑顔、老婆心などもうかがえる、時代の証言としてすこぶる貴重なエピソードです。

 

集合住宅歴史館には「世帯住戸」と「独身住戸」の2つの住戸が展示されています。28㎡の「世帯住戸」、今で言うと6畳と4.5畳の2Kの間取りを体験してみましょう。

 

 

こちらが当時としては最新の調理用ガスコンロ、調理台、米びつ、炭びつを備え付けた台所です。

 

 

居室に敷かれているのは畳のように見えますが、実はコルク床の上に薄縁(うすべり)と呼ばれる、藺草(いぐさ)で織った筵(むしろ)に布の縁をつけた敷物です。椅子座による洋風の生活が想定されていたというところに、当時の同潤会の先進性が窺えます。

 

 

このほかにも水洗便所、暖房用のガス設備、ダストシュート、鏡付洗面所、帽子掛、傘立てなど先端をゆくモダンなライフスタイルを想定した設計がなされていました。

 

さすがに今見ると部屋は狭いし、土間にすのこをひいた台所は考えられないし、お風呂や冷蔵庫置き場がないことにも耐えられないでしょう。しかしながら、約100年たった今見ても、さほど違和感を感じないのは、虚飾のないシンプルさ、簡素な潔さ、合理が貫かれた気持ちよさなど、現代に通じるモダニズムの価値観が体現されているからでしょう。

 

さらには100年の時を経たものが醸し出すアンティーク並みの古色を帯びた表情と存在感。マーケティングに基づいたピカピカの商品には決して感じられない、モノそのもの、空間そのものの迫力です。こんなシンプルで趣のあるインテリアの家に住んでみたい、そう感じさせる魅力を有しています。

 

 

フランクリン街の集合住宅もヴァイゼンホフジードルンクもカール・マルクスホフも、これらのヨーロッパの集合住宅は21世紀の今日もバリバリの現役です。パリの、ウィーンの、シュトゥットガルトの、それぞれの都市の暮らしの場として、街並みとして、100年の歴史を刻みながら、建ち続けています。

 

ひるがえってこの日本においてはどうでしょうか。

 

同時代のヨーロッパの集合住宅が今でも現役として、その歴史的魅力にますます拍車をかけて、世界の人びとを魅了し続けているのとは正反対に、代官山アパートをはじめとする同潤会によって作られた16件の集合住宅は、今の日本には一件も残っていません。

 

同潤会と同時代に作られたほかの集合住宅もほとんど現存していません。冒頭に挙げた、日本最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅といわれる軍艦島30号だけが廃墟となって長崎の無人島に佇んでいます。

 

今日における彼我の違いに思い至る時、ここ集合住宅館に移築され、忠実に復元された歴史的集合住宅の遺構が、それがリアルであればあるほど、奇妙な非現実感とある種の残酷さをもって迫ってくるのを禁じることができません。

 

 

 

■UR都市機構 集合住宅歴史館

住所 : 〒192-0032 東京都八王子市石川町2683-3

TEL : 042-644-3751

公開 : 月曜日~金曜日(祝日、年末年始等を除く) 13:30~16:30 無料 事前予約制 ただし2020年2月27日(水)より、現在、臨時休館中

公式サイト

 

 

 

大村哲弥 一級建築士/ブロガー

有限会社プロジェ代表:1984年、セゾングループのディベロッパー株式会社西洋環境開発に入社。住宅・マンション事業のマーケティング・商品企画・事業企画に従事する。バブル前夜からバブル崩壊とその後のカルチャーシーンのなかで20歳代、30歳代を過ごし、不動産ビジネスに携わる。1996年、有限会社プロジェ設立。建築・住宅分野のコンサルティング・商品企画・デザイン・執筆などを手がける。東京工業大学大学院修了。一級建築士。

ブロガー:本・映画・音楽・アート・デザイン・ファッション・都市・建築・食・料理・旅・暮らし・まち歩きなどのカルチャーフィールドを横断的に渉猟・論考するブログを主宰。

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