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2023.10.11

北広島駅――北海道ボールパークFビレッジと球場直結マンション“レ・ジェイド北海道ボールパーク”の誕生まで(北海道北広島市/JR千歳線)①歴史編

北広島駅――北海道ボールパークFビレッジと球場直結マンション“レ・ジェイド北海道ボールパーク”の誕生まで(北海道北広島市/JR千歳線)①歴史編

 2022~2023年に竣工したマンションの中で、話題となった物件の一つに「レ・ジェイド北海道ボールパーク」が挙げられる。「駅近」「都心」が重視されるマンション界にあって、札幌市中心部から離れているだけでなく、JR千歳線「北広島」からも離れた立地でありながら、全118戸が初月完売となる売れ行きを見せた。これは言うまでもなく“北海道ボールパークFビレッジ”内、“エスコンフィールドHOKKAIDO”隣接という、今までになかった“球場直結”という新しい価値が支持されてのもので、立地する北広島市の知名度も一挙に全国区となった。今回は、そんな北広島市の歴史に触れながら、北海道日本ハムファイターズが北広島市へやってくるまでをご紹介しよう。“マンション図書館”でありながら今回はマンションの話が殆ど出てこないが、次回は“レ・ジェイド北海道ボールパーク”から見る“唯一無二の価値を持ったマンション”についてまとめる予定なので、どうかご容赦いただきたい。

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前回「小岩駅・京成小岩駅――"100年栄える再開発"(東京都江戸川区/JR中央・総武線各駅停車、京成本線)②未来編」はこちら

1.北広島の歴史

・“Boys, be ambitious!”が生まれた、広島生まれの“広島村”

 北海道ボールパークFビレッジができるまで、“北広島市”の知名度は道外にはかなり低かっただろう。しかし、1877年には市南部の島松にあった“島松駅逓所”(しままつえきていしょ。開拓初期の北海道で宿泊・人馬の用立て・郵便などの役割を担った)で、札幌農学校初代教頭の職を辞し、アメリカへの帰国の途にあったクラーク博士が、かの有名な「Boys, be ambitious, like this old man.(少年よ、大志を抱け、この老いぼれのように)」の言葉を残し、ここから馬に跨って函館港へと去ったという、北海道開拓の一ページを刻んだ地でもある。“島松”とは日本的な響きがあるが、意外にもアイヌ語の“suma-oma-p”(石・多くある・もの=川)が由来で、松前藩は“シュママップ場所”を設置しており、そこに漢字が充てられたものだ。当時は札幌郡月寒(つきさっぷ)村であったが、1894年に駅逓所のあった島松と、隣接する大曲地区が月寒村から分かれ“広島村”となったことが、北広島市の起源である。

▲先住民族・アイヌの住居“チセ”。島松川沿いにもアイヌのコタン(集落)が存在した。(ウポポイ:民族共生象徴空間)(2020年8月4日)

▲先住民族・アイヌの住居“チセ”。島松川沿いにもアイヌのコタン(集落)が存在した。(ウポポイ:民族共生象徴空間)(2020年8月4日)

 入植・開拓が進むきっかけとなったのは、1873年に中山久蔵氏(きゅうぞう―、大阪府出身)の手で寒地稲作(赤毛種)が島松の地で初めて成功したことによる。現在、北海道のブランド米となっている“ゆめぴりか”もこの“赤毛種”の子孫にあたり、北広島市は稲作の面でも北海道開拓史に刻まれる存在である。中山氏の自宅は追って島松駅逓所として利用されることとなった。追って1884年、広島県段原(だんばら)村(現・広島市南区)から和田郁次郎(いくじろう)氏ら25戸が野幌(のっぽろ)原野へ入植し、これが「北広島」駅周辺の中心部のもととなった。和田氏の入植から10年の間で、広島県出身者を中心に380戸・約1,200人の入植が進み、集団入植のモデルと称えられている。

▲入植者がまず取り掛かったのが“開拓小屋”の設営。野幌原野の開拓はヒグマとの戦いでもあった。(写真は帯広百年記念館の展示)(2023年9月16日撮影)

▲入植者がまず取り掛かったのが“開拓小屋”の設営。野幌原野の開拓はヒグマとの戦いでもあった。(写真は帯広百年記念館の展示)(2023年9月16日撮影)

 1926年には北海道鉄道札幌線(現・JR千歳線)が開通し「北広島」駅が開業。所在地は広島村であったが広島市に「広島」駅がある以上、同名とはいかず“北”が付けられ、これが「北広島」の地名の初出となった。当時の北海道鉄道札幌線は、札幌南郊の定山渓温泉周辺から産出する木材を(これも定山渓鉄道線=現・じょうてつで運ばれた)、紙の原料として王子製紙の工場がある苫小牧へ運ぶという役割が大きく、王子製紙色の強い私鉄であったため、鉄道省(後の国鉄)流の駅名にはならなかった。仮に鉄道省が建設していれば、“石狩広島”といった駅名になっていたかもしれない。

▲北海道を走った貨物列車のイメージ。現在は札幌と空港を結ぶ大動脈だが、北海道開拓時代は貨物が中心だった。(小樽市総合博物館)(2023年9月13日撮影)

▲北海道を走った貨物列車のイメージ。現在は札幌と空港を結ぶ大動脈だが、北海道開拓時代は貨物が中心だった。(小樽市総合博物館)(2023年9月13日撮影)

・札幌のベッドタウンとしての発展

 入植以来農業地区として歩んできた北広島であったが、1964年に札幌市に隣接する大曲地区で“大曲工業団地”の企業立地がはじまるなど、札幌圏の発展とともに札幌市の衛星都市としての性格を強めていく。また、同じころの1963年には千歳飛行場に旅客ターミナルビルが完成し“千歳空港”としての運用を開始しており、内地連絡の主役の座が徐々に鉄道から航空へと移っていくにあたり、北広島も「札幌」と「千歳空港」の中間にあたる要衝としてインフラ整備が進められていくことになる。1971年に道央自動車道初のとなる北広島インターチェンジ―千歳インターチェンジ間が開通、1979年には札幌南インターチェンジまで延伸。1980年には国鉄千歳線が電化され「千歳空港」駅が開設、それまで「函館」行きなどの長距離列車が主体であったところ、「札幌」―「千歳空港」間で電車による頻繁運転が開始され、「北広島」もこの恩恵にあずかるところとなった。

▲新千歳空港を発着するエア・ドゥ(北海道国際航空)。東京(羽田)―新千歳線は世界有数の旅客需要を誇るまでになった

▲新千歳空港を発着するエア・ドゥ(北海道国際航空)。東京(羽田)―新千歳線は世界有数の旅客需要を誇るまでになった

 1986年には北広島初となる分譲マンション「ロータス三井」が札幌市清田区続きの大曲地区に竣工、1991年にはJR「北広島」最寄り初となる「ソレイユ北広島」、1992~1998年にかけては「北広島」からバスの距離に「パークヒルズ北広島」が竣工するなど、交通利便性の改善を受けて徐々にマンション開発も進んでいった。1991~2005年にかけてJR「北広島」駅前で「ロイヤルシャトー北広島」「リブウェル北広島エルフィン・ターミナル」「クリーンリバーフィネス北広島」「クリーンリバーフィネス北広島アネックス」の4棟が立て続けに竣工し、1995年の駅舎建替えと合わせ、一挙に近代的な駅前へと変貌している。これら都市化による人口増を受け、広島村は1968年に札幌郡広島町、1996年に市制施行し北広島市となっている。駅名と同じく広島市と同名になるのを避けた形であるが、市民にも馴染みのある駅名が市名に採用された形となり、広島村の成立から100年を経て、ようやく地名が広島から独立し、名実ともに「北広島」となったのだ。

▲「クリーンリバーフィネス北広島」(左)と「クリーンリバーフィネス北広島アネックス」(右)。千歳線の改善を背景に北広島駅前でもマンション開発が進んだ

▲「クリーンリバーフィネス北広島」(左)と「クリーンリバーフィネス北広島アネックス」(右)。千歳線の改善を背景に北広島駅前でもマンション開発が進んだ

 中心部のJR千歳線「北広島」は「札幌」と「新千歳空港」を結ぶ“快速エアポート”が停車し、「札幌」へ16分、「新千歳空港」へ20分という高い利便性を有し、札幌市営地下鉄沿線以外では最も鉄道アクセスが便利な地である。また、道央自動車道も北広島インターチェンジに加え、2009年に中心部寄りに輪厚(わっつ)スマートインターチェンジが開設されるなど、クルマ移動の不便もない。札幌と新千歳空港のちょうど中間という地の利を活かし、「北広島」駅周辺では主に住宅開発、インターチェンジ周辺では“三井アウトレットパーク札幌北広島”や“大曲工業団地”などロードサイド型の開発が進められている。ただ、こうして堅実に歩んではいたものの、「札幌と千歳の中間」以上のものがなく、特に道外への知名度の低さは如何ともし難いという悩みがあった。

▲「北広島」で接続を取る快速エアポート(左)と普通(右)。「北広島」は千歳線中間駅有数の主要駅となった

▲「北広島」で接続を取る快速エアポート(左)と普通(右)。「北広島」は千歳線中間駅有数の主要駅となった

2.北海道ボールパーク・Fビレッジの誕生まで

・日本ハムファイターズの北海道移転

 まずは北海道日本ハムファイターズ(以下“『ファイターズ』)について紹介しよう。ファイターズのはじまりは1945年の「セネタース」設立とされるが、草創期は資金不足もあってオーナーが何度か変わるなど安定しなかった。そこで1947年に東急グループ総帥・五島慶太が球団経営を引き受け「東急フライヤーズ」と改称。この頃は阪神タイガース(阪神電鉄、1935年設立)や阪急ブレーブス(阪急電鉄、1936年)、南海ホークス、1938年)といった老舗に加え、近鉄バファローズ(1949年)、国鉄スワローズ(1950年)、西鉄クリッパース(1950年)など鉄道会社の球団経営参入が相次いでおり、東急もこの一環であった。1953年に自社線沿線の世田谷区駒沢に“駒沢球場”を建設、翌1954年にはグループ企業(当時)だった東映(東横映画が母体の一つ)へ球団経営を委託し「東映フライヤーズ」となった。張本勲選手の入団(1959年)などを通じ、中堅チームとして歩んでいく。本拠地であった駒沢球場は東京オリンピックの会場となったため1962年に閉鎖、神宮球場へ移転。1965年には後楽園球場へ本拠地を再度移転している。

▲鉄道会社が球団経営との相乗効果を挙げている例として、関東では“埼玉西武ライオンズ”が代表的だ。埼玉県内のみならず東京都内西武線沿線にも広くファン層を有する。各駅で“駅の推し獅子”(写真右)として駅毎に異なる選手が推され、露出も多い(西武秩父駅:2022年10月)。

▲鉄道会社が球団経営との相乗効果を挙げている例として、関東では“埼玉西武ライオンズ”が代表的だ。埼玉県内のみならず東京都内西武線沿線にも広くファン層を有する。各駅で“駅の推し獅子”(写真右)として駅毎に異なる選手が推され、露出も多い(西武秩父駅:2022年10月)。

 1973年に日本ハムが球団を買収、25年の歴史を重ねたチーム名もこの際に変更し、「日本ハムファイターズ」となった。それ以降、読売ジャイアンツと後楽園球場(1988年より東京ドーム)に同居する形が続いたが、東京都内には他にも神宮球場に東京ヤクルトスワローズが居り、近隣県の横浜DeNAベイスターズ、埼玉西武ライオンズ、千葉ロッテマリーンズを含めると東京圏にセ・パ12球団中6球団がひしめいていたことから、ファン層の拡大には限界があった。また、西日本には名古屋、大阪、神戸、広島、福岡と100万都市には球団が構えていたのに対し、東日本には東京しか球団がなく、配置の不均衡が指摘されていた。特に東北・北海道は冬季の降雪により練習環境が悪く、高校野球(甲子園)でも“優勝旗が白河の関を越えない”というジンクスがあったほどである。

 

 ちなみに、プロ野球ファンの分布について興味深いレポートがあったので、興味があれば以下のリンク先からご覧いただきたい。関東の分布を見ると、千葉県内に一点だけ“日本ハム”の分布があるが、これはファイターズ二軍の拠点となっている鎌ヶ谷市ではないかと思われる。

 このため、新たなファン層の獲得・観客動員数の増加を図りたいファイターズと、東京以北最大の都市である札幌市をはじめ北海道財界の思惑が一致し、2004年シーズンから「北海道日本ハムファイターズ」として再出発、札幌ドームに本拠地を移転した。ニューヨーク・メッツを自由契約となった新庄剛志選手、同年オフにダルビッシュ有選手が入団、2000年から一軍昇格となった森本稀哲選手とあわせ、北海道初期のファイターズを支えた。2012年にはプロ野球指導者としての実績がなかった栗山英樹氏が監督に就任、同年オフには大谷翔平選手を獲得。北海道移転以降、2006・2007・2009・2012・2016年と5度のリーグ優勝(うち2006・2016年は日本一)に輝き、それまでリーグ優勝は1981年、日本一に至っては1962年以来遠ざかっていたことから、北海道移転による新たなファン層の獲得、地元の後押しによるチーム活性化は明白となった。2004・2005年の駒大苫小牧甲子園連覇、2006年の早稲田実業―駒大苫小牧の決勝引分け再試合の激闘と重なり、“白河の関を越えない”と言われた北海道は一躍“野球王国”として知られることとなったのだ。ちなみに、駒大苫小牧の3連覇を阻んだ斎藤佑樹選手が2011年の早大卒業後ファイターズへ入団しており、甲子園の時点で北海道と浅からぬ縁があったようだ。

・札幌ドームが抱えていた諸問題

 しかしながら、札幌ドームは躍進するファイターズの本拠地としての役割を果たすには制約が多かった。その最大の要因は、Jリーグ・コンサドーレ札幌との共有による制約の多さだった。札幌ドームは2001年に完成しているが、その前提となっていたのが“サッカー専用競技場として建設した場合は赤字が避けられないため、試合数の多いプロ野球球団を誘致すること”であった。言うまでもなく北海道は降雪地であり、サッカースタジアムに多い青空競技場として建設することはできず、サッカー競技場としては他に例がない“完全屋内天然芝サッカースタジアム”とならざるを得なかった。その高コスト構造を穴埋めする存在として、当時東京以北に存在しなかったプロ野球球団が求められたというわけだ。

▲「北広島」駅とFビレッジを結ぶ歩道橋は「BIGBOSS Bridge」の愛称がつく。まさに新庄監督あってのファイターズ

▲「北広島」駅とFビレッジを結ぶ歩道橋は「BIGBOSS Bridge」の愛称がつく。まさに新庄監督あってのファイターズ

 サッカー用の天然芝は“屋外ステージ”で育成され、野球用の人工芝とスライドして入れ替えられる構造になっている。また、人工芝を巻き取ってコンクリートを露出させ、コンサートやイベントなどに用いることもできる。2002年のFIFAワールドカップでも札幌ドームは会場として利用され、“死の組”と言われたグループFのアルゼンチン―イングランド戦などが開催されている。また、札幌ドームへは「さっぽろ」から地下鉄東豊線で14分の終点「福住」から徒歩7分と立地もよく、「大通」「豊水すすきの」といった中心部へも直通であったため、札幌観光と試合観戦を組み合わせることも容易で宿泊施設にも困らず、道外の観戦者からの評価も高かったという。

▲「BIGBOSS Bridge」から見る“エスコンフィールドHOKKAIDO”と“レ・ジェイド北海道ボールパーク”。右側では高齢者住宅が建設中

▲「BIGBOSS Bridge」から見る“エスコンフィールドHOKKAIDO”と“レ・ジェイド北海道ボールパーク”。右側では高齢者住宅が建設中

 このように、サッカー競技場としての評価は高いのだが、サッカーと共用するがための試合日程の窮屈さや、公営施設であるが故の設備面の硬直性(苦情が多かった女性用トイレの増設すらできなかったという)、日本ハムが自社商品を球場内で販売できないなどの店舗の制約、球団グッズ販売の収益まで札幌市へ納めなければならないなど、球団経営の自由度が殆どないという問題を抱えていたのだ。北海道移転を模索していた当時のファイターズは成績が良いとは言えず、多少ファイターズ側に不利な条件であったとしても、北海道510万人のマーケットを手中にできる新天地への移転のメリットが大きいと判断されたのであろうが、北海道経済に欠かせない存在へと成長してゆくにあたり、不利な条件が看過できなくなったということだろう。また、コンサート等の際には人工芝を巻き取らねばならないため、多くのドーム球場で用いられているロングパイル人工芝(芝糸が5~6cmあり天然芝に近い)“フィールドターフ”が利用できず、ショートパイル人工芝を使用せざるを得ない(東京ドームはロングパイル)。このため膝や足腰に負担がかかり、ファイターズは故障者が他球団よりも多いという悩みもあったようだ。

▲北日本最大の繁華街・すすきの。札幌ドームは札幌市中心部への近さも集客に貢献していたのだが…

▲北日本最大の繁華街・すすきの。札幌ドームは札幌市中心部への近さも集客に貢献していたのだが…

次回:北海道ボールパークFビレッジと“レ・ジェイド北海道ボールパーク”に見る、これからのマンションのかたち

 こうして「札幌と千歳の中間」以上のものがなかった北広島市と、札幌ドームの制約が大きく球団経営に支障が出ていたファイターズの意向が一致することとなり、2018年にファイターズ本拠地の北広島市移転が発表された。2020年には球場を中心とするボールパークエリア名として“北海道ボールパークFビレッジ”、また新球場の名称は“エスコンフィールドHOKKAIDO”となることが発表された。“エスコン”とは命名権を取得した不動産デベロッパー“日本エスコン”によるもので、全国のプロ野球球団本拠地に不動産デベロッパーの社名が入るのは唯一である。日本エスコンは単なる命名権の取得のみならず、北海道ボールパークFビレッジ全体の開発にも深くかかわっているのだが、次回はその日本エスコンが手掛けた日本初の“球場直結マンション”である“レ・ジェイド北海道ボールパーク”、および北海道ボールパークFビレッジや北広島市の将来について見ていくこととしよう。

▲2023年シーズンから満を持してオープンした“エスコンフィールドHOKKAIDO”。多くの夢が詰まった新球場だ

▲2023年シーズンから満を持してオープンした“エスコンフィールドHOKKAIDO”。多くの夢が詰まった新球場だ

▼次回▼北広島駅――北海道ボールパークFビレッジと“レ・ジェイド北海道ボールパーク”に見る、これからのマンションのかたち(北海道北広島市/JR千歳線)②未来編 2023/10/20(金) 10:00 公開予定

※特記以外の画像は2023年9月筆者撮影。無断転載を禁じます。

佐伯 知彦

賃貸不動産経営管理士

佐伯 知彦

大学在学中より郊外を中心とする各地を訪ね歩き、地域研究に取り組む。2015年大手賃貸住宅管理会社に入社。以来、住宅業界の調査・分析に従事し、2020年東京カンテイ入社。
趣味は旅行、ご当地百貨店・スーパー・B級グルメ巡り。

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