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更新日:2023.03.15
登録日:2023.01.27
豊洲駅――重工業都市からタワマンの街へ…ドラスティックな転換の陰にあった「街の足腰」(東京都江東区/東京メトロ有楽町線・ゆりかもめ)
首都圏タワマンの街といえば「東の豊洲、西の武蔵小杉」が双璧ではないだろうか。近年では川口、柏の葉、海浜幕張、横浜みなとみらい、海老名など、各所にタワマンが集積してきているが、知名度や密度といった点で豊洲、武蔵小杉に比肩するところは今のところないだろう。そして、この2つに共通することといえば、もともと「工業のまち」であったこと。長いこと工業の街として足腰を鍛え、日本の産業を支えてきた街であるからこそ、街の大転換を短期間で成し遂げることができたのではないかと思う。今回は「豊洲」に焦点を当て、その歩みを振り返りつつ、現在そして未来を考えてみよう。
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1. 豊洲の歩み
江東区の歴史は埋め立ての歴史といっても過言ではない。古くは江戸時代中期、海辺の低湿地であった大島(おおじま)地区、「宝六島(ほうろくじま)」と呼ばれた砂町地区の新田開発に始まる(ちなみに『砂町』の由来はこの地の埋め立てを指揮した土木技術者の『砂村新左衛門』氏にちなむ『砂村新田』であり、現地の土壌や地質には関係ない)。江戸時代に埋め立てが進んだ越中島、洲崎(現在の東陽町)などでは、既存の陸地との間に水路を隔てていくつもの橋を架け、既存の陸地との繋がりを保つ方法で行われた。江戸時代の物流の主役といえば手漕ぎ船を用いる舟運であり、近くは葛西や浦安などの沿岸部から小名木川などを通り日本橋へ運ばれる魚介類や、多摩川や荒川上流などからもたらされる木材、遠くは東北諸藩~大阪~江戸を結んだ西廻海運(北前船)などで運ばれる年貢米ほか、様々な物資が下町に張り巡らされた水路を行き交う舟運によって運ばれた。特に木材は江戸時代に日本橋から新たに埋め立てられた木場へ移転。海や川に面し、貯木場への運搬が容易な木場は江戸の建築を支える存在として大いに栄え、現在もなお地名や駅名(地下鉄東西線木場駅)に残っている。貯木場跡の窪地を利用して開かれた木場公園では、かつて木材商が角材を乗りこなして筏(いかだ)を組んだのが伝統芸能化した「木場の角乗り」が毎年秋に披露され、江戸の風情を伝えている。
▲浦安市郷土博物館に展示されている、舟運で栄えたころの浦安。江東区内も大差ない景色だったことだろう
明治以降になると、東京の発展と共に埋立地は更なる拡大が進む。当初は「東京湾澪浚(みおさらい)工事」によって出た浚渫土(※1)の処理のため、東京府によって埋め立てが開始。この第1号~第4号が豊洲の対岸にあたる中央区月島・勝どき・晴海や江東区枝川などである。これに続き、1923年(大正12年)に起きた関東大震災の瓦礫処理の受け入れ先として産声を上げたのが豊洲である。当初は単に「第5号埋立地」と呼ばれ、1939年に「豊かに栄える島」という願いを込め「豊洲」の名が付けられたとされているが、「銀座の焼けあとの土石類を一部埋立に使用したため、その後、貴金属類が掘り出され宝島などと呼んでいた」から、という説もあるという(※2)。
(※1)「しゅんせつど」。川の上流から流れてくる土砂によって川底が浅くなると、船舶の航行に支障が出る。浚渫とは、これを防ぐために川底に溜まった土砂をさらうこと。それによって出た土砂を浚渫土という。
(※2) 豊洲2・3丁目地区まちづくり協議会HPより。 https://www.toyosu.org/history
特に大正~昭和以降の埋立地は、産業の転換によって栄えるようになった重工業の工場用地として用いられ、戦後あたりまで京浜工業地帯の一角を成した。豊洲の名がついた1939年に操業を開始し、船舶の建造をメインとしたのが東京石川島造船所深川第一工場、のちの石川島播磨重工業東京第一工場(現・IHI)である。石川島とは隅田川河口の三角州のことで、現在は南の佃島(中央区佃)と一体になっている。江戸時代末期の1853年に水戸藩によって設けられた造船所がIHIの起源であるが、やがて手狭となったことで1939年に豊洲へ移転。2002年までの60年以上にわたり、同社の主力造船所であり続けた。
▲現在も豊洲に本社ビルを構えるIHI。工場施設は残っていないが、「豊洲の地主」としての存在感は大きい。
戦後には東京の増大するエネルギー需要に応えるべく、現在の新豊洲にあたる豊洲6丁目が造成され、1954年に「豊洲石炭埠頭」として供用を開始。石炭埠頭には日夜北海道や九州から石炭船が出入りし、1956年以降は「東京電力新東京火力発電所」および石炭からガスを生成する「東京ガス豊洲工場」が稼働をはじめ、豊洲は重工業とエネルギーの街として高度成長期の東京を支えた。また、石炭埠頭や石川島播磨重工業の工場と、国鉄越中島貨物線を結ぶ貨物列車を通すため、1953年に「東京都港湾局専用線(深川線)」が建設。埋め立てが早かった月島では都電が走ったものの、豊洲に走り始めた最初の鉄道は旅客列車ではなく、重工業とエネルギーの街を象徴する貨物列車であった。
▲東京都港湾局専用線最大の遺構として残る晴海橋梁。豊洲と晴海埠頭を結ぶ貨物列車が通った。
しかしながら、その後の石炭から石油へのエネルギー構造の転換、重厚長大型産業の斜陽化を受け、豊洲は都心からほど近くという立地が注目され、タワマンやオフィスが林立する現在の姿への転換を始めていく。1988年に豊洲はじめての旅客鉄道となる地下鉄有楽町線が開通し、銀座一丁目までわずか5分で結ばれるようになった反面、翌1989年に東京都港湾局専用線が廃線。1988年に東京ガス豊洲工場、2000年に東京電力新東京火力発電所、2002年に石川島播磨重工業が操業を停止し、かつての豊洲を代表する大工場はすべて姿を消した。
▲有楽町線豊洲駅。地下鉄の開通は産業一辺倒だった街が変わるきっかけとなった。
その後、2006年には現在の豊洲のランドマークとなっている「アーバンドック ららぽーと豊洲」がオープンし、豊洲2本目の鉄道となる新交通ゆりかもめが延伸、豊洲は新たにお台場への玄関口としても機能するようになった。これを機に、豊洲駅を囲むように十数棟のタワマンが林立する「タワマンの街」としての発展が進み、現在に至っている。かつて先人が「豊かに栄える島」になるように、と願った豊洲は、埋め立てから約100年、命名から約80年を経て、見事にその名前通りの発展を遂げている。
▲豊洲運河に沿ってタワーマンションが立ち並ぶ。いまや東京を代表する光景の一つとなった。
2.豊洲を歩く/豊洲マンション事情
工業都市・豊洲の面影は、「アーバンドック ららぽーと豊洲」内に石川島播磨のガントリークレーンが残されているほか、豊洲と中央区晴海を結ぶ「春海橋」と並行する東京都港湾局専用線の鉄橋「晴海橋梁」がある。ここを貨物列車が走ったのは1953~1989年のわずか36年であり、廃線後はレールもそのままに長いこと放置され、緑色だったという優美なアーチ鉄橋は赤錆てしまっているが、中央区晴海の開発と共に人道橋として再利用されることが決まり、2026年春の供用開始を目指して工事が進められている。工事開始までは放置されたレールがそのまま残っており、今にも貨物列車がやってきそうな雰囲気すらあった。貨物線にしてはデザイン性の高い鉄橋だが、当時は晴海より先、勝どき・築地を経て汐留まで貨物線を延長する計画があったため、貨物の幹線になることを見越してのものだったのかもしれない。仮に貨物線が汐留まで延長されていれば、今頃は旅客線に転換され、豊洲や勝どき、晴海のマンション住民を乗せた電車が行き交っていたのかもしれない。
▲晴海橋梁は遊歩道化の工事が進んでいる。
晴海橋梁から豊洲を経て越中島貨物駅へ繋がっていた線路跡は、「アーバンドック パークシティ豊洲」をはじめとした再開発地に完全に飲み込まれてしまっており、反対側の豊洲運河に架かっていた鉄橋の橋台がわずかに残っているくらいである。その先、江東区塩浜では駐車場や空地となって越中島貨物駅まで繋がっているので、いかに豊洲の変化が激しいものであったかがわかろうかというもの。
▲朝凪橋近くに残る専用線の橋脚。こちらは橋梁が撤去され、貨物線を偲ぶものは残っていない。
豊洲を代表するタワマンの一つ、「アーバンドック パークシティ豊洲」(三井不動産レジデンシャル、2008年築、TOWER-A:52階建・TOWER-B:32階建・COURT-C:7階建)。隣接する「アーバンドック ららぽーと豊洲」へ地下連絡通路で直結しており、ららぽーとを経て豊洲駅へも結ばれるため、買い物・交通利便性は極めて高い。西側~南西側は晴海運河に面しているので視界抜けも良好で、晴海や勝どきのタワマン群越しに東京都心を望むこともできる。晴海運河沿いは春海橋公園として整備され、マンション敷地内の緑地とほぼ一体の緑道を構成しており、歩いているだけでも気持ちが良い。
▲アーバンドック パークシティ豊洲。2008年竣工から15年を迎えるが、変わらぬ存在感を保つ。
豊洲の北東側、豊洲運河沿いには、東から北へ、以下の順でタワマンが建ち並んでいる。見事に全てタワマンだが、北側が豊洲運河なので日影を考慮する必要がなく、眺望も良いので高層建築物が建てやすかったのだろう。豊洲運河対岸の江東区塩浜や枝川にタワマンはなく、中層マンションや物流倉庫などが混在する。現状ではまだ豊洲のネームバリューが対岸にまで及んでいる感はあまりなく、タワマン街は豊洲と東雲で完結している。
「シティタワーズ豊洲 ザ・シンボル」と「キャナルワーフタワーズ」の間には芝浦工業大学豊洲キャンパスが立地しており、タワマン群と同時期の2006年に開設された。2022年9月以降はここが本部キャンパスとなり、もはや「豊洲工業大学」と化している。芝浦工業大学の南西隣は、かつての豊洲を象徴した石川島播磨重工業改めIHI本社ビルで、産学連携協力協定を結んでいる。工業都市の記憶が「知識創造拠点」として、今なお豊洲の地に受け継がれている。IHIと並んで複数の大型オフィスビルが並んでおり、豊洲はいまやオフィスワーカーの街にもなっている。
▲豊洲を貫く晴海通り。駅付近は高層ビルが立ち並び、整然とした景観を創り上げている。
豊洲駅から南西方向に進むとかつてのエネルギー地帯になるが、いまや緑地や水景が整然と広がる都市景観に生まれ変わっている。しかしながら、東京ガス豊洲工場跡の一部は「がすてなーに(ガスの博物館)」、東京電力新東京火力発電所跡の一部は「TEPCO豊洲ビル」となり、ビル内には「新豊洲変電所」や「アット東京データセンター(東京電力関連のデータセンター事業者)」を併設。かつてこの地がエネルギーの街であった記憶を伝えている。
▲芝浦工業大学附属中高とTEPCO豊洲ビル。新豊洲は今も「産業のまち」の面影が残る。
豊洲と新豊洲の間の入り江には「東電堀」の名が残り、現在は水陸両用バス「スカイダック東京」が陸上と水上を行き来する「スプラッシュポイント」として活用されている。現在は観光客が歓声を上げる憩いの場だが、かつてはここに石炭船がひっきりなしに出入りし、すぐ隣の火力発電所に続々と石炭を運び入れていたとは信じがたいほど、美しい景色が広がっている。
▲東電堀と、東電堀に面する「ベイズ」「スカイズ」。名前からはかけ離れた水辺の都市景観が広がる。
新豊洲にはトライタワー型が印象的な「スカイズ タワー&ガーデン」と、角型の「ベイズ タワー&ガーデン」の2棟のタワマンが建っているが、ここまで来ると豊洲駅徒歩12~15分程度と駅から離れる代わり、豊洲駅周辺の雑踏とは無縁の静かな環境となる。ここも豊洲六丁目公園とマンション敷地内の緑地がほぼ一体となり、緑豊かな景観を作り出している。
▲トライタワー型がスカイズ。運河に面した部分は「豊洲ぐるり公園」の緑地が広がっている。
ゆりかもめ新豊洲駅の交差点を挟んだ先はかつての豊洲石炭埠頭で、現在は大部分が豊洲市場として市場関係の施設が建ち並ぶほか、隣のゆりかもめ市場前駅前は、ホテル「ラビスタ東京ベイ」やオフィスビル「メブクス豊洲」などが一体となった複合施設「ミチノテラス豊洲」が2021年にオープンしたばかり。それ以外のゆりかもめ新豊洲駅~市場前駅の北側は駐車場や住宅展示場として暫定利用の状態が続いているが、いずれはここにもタワマンが林立するのかもしれない。
▲豊洲市場のはす向かいにある「メブクス豊洲」。清水建設が未来志向の都市開発を進めている。
2022年現在の豊洲で最も新しいマンションが「ブランズタワー豊洲」である。南側は東電堀に面し、西側は低層の「ガスの科学館」越しに晴海運河なので周囲に高層建築物が少なく、今後も景観を阻害される恐れが少ないという稀有な立地だ。同敷地内に食品スーパー「ダイエー豊洲店」を併設するほか、北側の「豊洲公園」を挟んだ先はもうららぽーとなので、こちらも利便性はすこぶる高い。住環境の良さと利便性の高さを両立していると言えるだろう。
▲東電堀に接する「ブランズタワー豊洲」。個性的なデザインは、豊洲の中でも目を引く存在。
「タワマンの街」豊洲のイメージとは裏腹に、意外にも豊洲駅直結のマンションは「豊洲シエルタワー」の1棟しかない。豊洲の南西側となると超高層は少ないが、それでも「パークホームズ豊洲ザ・レジデンス」(22階建)・「グランアルト豊洲」(20階建)・「東京フロントコート」(20階建)・「プライヴブルー東京」(20階建) ・「パークタワー豊洲」(19階建)・「スターコート豊洲」(18階建)など20階建前後の中高層が多く、超高層ばかりの周囲では低く感じてしまうほどだ。「パークホームズ豊洲ザ・レジデンス」の向かいに昭和大学江東豊洲病院も立地し、マンションと一体の整然とした都市景観を構成している。徒歩圏内に大学病院があるのは、地域にとって安心材料の一つとなるのではないか。
▲昭和大学江東豊洲病院。東京湾岸にはこうした大規模な病院が少ない中、貴重な存在と言える。
東雲寄りとなる豊洲の南東側は開発の年代が概ね少し早かったため、タワマンではなく中層の板状マンションが多くなる。最先発のマンションは1984年築が3棟あり、1988年の有楽町線開通より前から建っている。セブンイレブンの日本1号店が豊洲であることは有名だが、建物こそ建て替わったものの、現在でも豊洲4丁目の「豊洲センタービル」向かいに「セブンイレブン豊洲店」として続いている。
▲セブンイレブン豊洲店。シンプルに「豊洲店」を名乗り、有楽町線開通前から営業する、歴史の長さを感じる。
このセブンイレブン豊洲店がある一角だけは「重工業都市・豊洲」の面影が残る街並みになっており、中小の雑居ビルや都営住宅が連なっている。また、晴海通りを東雲方面へ進んだ豊洲の南東端には、今もコンクリート工場が稼働し、ミキサー車の出入りがひっきりなしに見られる。今の豊洲からすれば異端ともいえる光景だが、昭和の東京湾岸といえば元々どこもこんな景色だったはずだ。
▲都営豊洲四丁目アパート。徐々に建て替えが進められているが、豊洲にしては時が止まったような光景。
3. 豊洲のこれから
重工業都市からタワマンの街へと大きく姿を変えた豊洲。ブランズタワー豊洲に続く新築マンションの計画は現時点で発表されていないが、大きく2つの変化がこれから訪れようとしている。まず、2023年中に開始されると考えられる(正式発表は2022年12月上旬現在でまだない)のが、「東京BRT晴海・豊洲ルート」の運行開始だ。東京BRTは、2020年5月に開始した「第1次プレ運行」(虎ノ門ヒルズ―新橋―勝どきBRT―晴海BRTターミナルのわずか4停留所間)の状態が現在まで続いているが、これが晴海から延伸される形で「豊洲」(豊洲駅前)・「豊洲市場前」の2停留所が設けられる。2024年3月に予定されるHARUMI FLAGの入居開始までには環状2号線トンネル経由の「本格運行」が始まり、新橋・虎ノ門ヒルズへは大きく時間短縮がなされる予定だ。おそらく新橋まで15分程度になり、豊洲にとっても大きく利便性が向上する。大きな発展が始まる晴海との連携も深まっていくはずだ。
▲虎ノ門ヒルズで出発を待つ東京BRT。晴海FLAGの街びらきは、豊洲にも大きく関わりのある出来事だ。
もう一つ、豊洲駅前に訪れる変化が「(仮称)豊洲4-2街区開発計画」である。18階建・15階建のオフィスビル計2棟と、それに付随する商業施設という計画で、IHIと三菱地所によって2025年6月の竣工を目指し、2021年3月から目下開発中である。現在は結婚式場などの暫定利用だった施設の撤去が終わったところだ。豊洲駅から晴海方面への晴海通り沿いに残った最後のIHI工場跡地がここであり、このオフィスビルの完成をもって豊洲駅前の開発は一段落ということになる。
▲整地が終わった段階の豊洲4-2街区。豊洲の新たな顔となるオフィスビルが建つ予定だ。
このほか、更なる変化として「地下鉄豊住線(豊洲―東陽町―住吉、仮称)」の建設がある。現段階では東京メトロが事業免許を取得し(2022年3月)、国土交通省が環境基準評価(アセスメント)に着手したところであり、開業時期は明言されていないものの、概ね10~15年程度で豊洲3路線目の鉄道が開通することになるだろう。また、2022年11月には小池東京都知事が「2040年までの開業を目指して東京駅―東京ビッグサイト(周辺)に地下鉄新線を建設する」と発表。「豊洲市場」駅(仮称)が設けられる計画となっているが、こちらはまだ運営主体などが決まっておらず、進展具合は「豊住線」に一歩劣る。これら地下鉄2路線の詳細については、別記事で再度触れることとしたい。
▲有楽町線豊洲駅。支線の分岐駅となることが決まり、さらに存在感が高まることになった。
かつては重工業都市として、近年はタワマンの街として、そして将来は臨海副都心のゲートウェイとして業務機能が集積していく豊洲。現状は豊洲駅周辺の開発が最終段階を迎えているところで、新豊洲や市場前周辺はまだ開発余地があり、対岸のHARUMI FLAGに目途が付いたあたりで、新たなマンション計画も出てくるかもしれない。そうした意味でもますますの成長が期待される豊洲は、東京の中でも大きく期待が持てる街の一つと言えるだろう。
▲夕陽を浴びる豊洲の街並み。数々の高層ビルやタワーマンションが立ち並び、美しい光景となった。
街の在り方を根本的に転換することができたのは、「地主」たるIHIの力が大きい。都心近くに残された広大な工場跡地という恵まれた条件ではあったものの、もともと「働く街」として街の足腰が鍛えられていたからこそ、短期間で「『商』『住』『産』『学』が集まる街」へのドラスティックな転換が成し遂げられたと言える。未知の不動産開発に進出するにあたり、デベロッパー各社や行政の協力を仰ぎ、街のグランドデザインを描いた「豊洲の地主」の存在感は非常に大きい。新豊洲や市場前にIHIがどういった未来を描くのか、その行く末を楽しみにしたい。
▲整然とした街並みこそが豊洲の魅力。今後も東京の発展を牽引する存在であることだろう。
※特記以外の画像は筆者撮影。マンション図書館内の画像は当社データベース登録のものを使用しています。無断転載を禁じます。
また、以下の記事を参考にしました。
2022/10/13 日本経済新聞 ゼネコン自ら臨海部で都市開発
2021/3/19 日本経済新聞 三菱地所、豊洲に大型オフィス IHI跡地最後の開発
賃貸不動産経営管理士
佐伯 知彦
大学在学中より郊外を中心とする各地を訪ね歩き、地域研究に取り組む。2015年大手賃貸住宅管理会社に入社。以来、住宅業界の調査・分析に従事し、2020年東京カンテイ入社。
趣味は旅行、ご当地百貨店・スーパー・B級グルメ巡り。
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