暮らしのヒント2020/8/23

コロナ禍で外食もままならなくなった。ちまたではお取り寄せが大流行り、付き合いのある料理屋からは、新作の冷凍食品やなになに鍋セット、のような通信販売に、TAKE OUTはじめました的な案内が届く。料理屋にとっては死活問題、なんとか乗り切って欲しいと切に願うが、これを機に食の大切さを見つめ直して欲しい。

 

何事もその生まれた場所に趣くのが僕の流儀である。ある初夏利尻島に、北の朝は早く三時頃から明るくなり、限られた漁の時間が終ると休む間なく、小石を敷き詰めた干し場に、採れたての昆布が並べられた。天日干しだからこその旨味の凝縮した一級品が出来るのである。 ◆写真白洲信哉「旅する舌ごころ」(誠文堂新光社)P26

 

 

僕は週に一回、出汁をとる。京都の乾物商から一等(昆布の等級)の半端を仕入れ(所謂お取り寄せ)五センチ幅に切ったものを三枚一晩水に浸ける(これが大事)翌日、ゆっくり火をかけ、煮立つ寸前に鰹節をいれ火をとめる。煮物、酢の物など毎日の料理に役立つ。利尻の昆布を好むのは、他に比べ味が澄んでいると感じるからだ。

 

我々は古くから現代の野菜に当たる海藻を食してきた。正倉院の古文書には、干した海藻が支給されたと記され、すでに鎌倉時代には出汁をとるようになったという。狂言の「昆布売り」にある通り、福井の小浜から平安京へ昆布は運ばれてきた。名物の鯖寿司に欠かせない昔の保存料でもあったのだ。そのほとんどが北海道沿岸に生息する。産地はその開拓史とともに細目、本場折、元揃、三石、長昆布と南から寒い北へと変遷、利尻は後発のものである。近年の温暖化で収穫量が減って、つまりは北限があがったおり、いずれロシアからの輸入品になるのではないかと僕は心配している。

 

昆布の横綱を黒帯千利というが、これは厚さと黒さで決まる。葉の長さが九十センチ、末口幅五センチ以上のものを一等とし、四等まで細別される。利尻昆布の一等は、ほとんどが京都の問屋に行くという。京料理に欠かせない鯛の潮汁は、日本が歩んだ民族の歴史と、食文化の結晶である。日出づる国の、東の果てで採れる海の恵みが、日本料理の基礎になり、おせちに欠かせない昆布巻きを生んだのである。

 

 

ここ葉山の森戸海岸でも、春のひととき昆布が採れる。本年初体験、昆布のワカメはまさしく「若芽」なんだと実感する。古くは柔からな海藻のことを「和布」と万葉集にも詠われているが、端午の節句に子どもの成長を祈るのと重なり「旬」になっていく。伊勢神宮では日に二度、昆布等神様にお供え(神饌)をする。外宮の神様は御饌津神として、生命の根幹「食」を司られる。僕らは神様から頂戴した食べ物、すなわち賜り物を敬い大切にしてきたのだ。

 

 

 

海岸であつあつに熱した賜り物をさっと茹で、すぐに冷水で洗う。その日に食せない残りの若芽は、洗濯バサミで一夜干しに。作り手の手間隙が、あのむしゃむしゃの歯ごたえを生むのである。ときには時短も結構だが、日々感謝の気持ちを込めGO TOキッチン!特別なハレの日にGO TO EAT。それが僕のスタイルで、日々の精進がよきハレの日を演出すると思っている。

 

 

 

 

*トップ画像: 昆布に開いた穴は、ウニが食べた跡で、売り物を食べる厄介者から「馬糞」の名が付いた。地元でガンゼと呼ばれる馬糞ウニは、昆布だけを食す贅沢なウニだ。

◆写真:白洲信哉「旅する舌ごころ」(誠文堂新光社)P27

 

 

 

白洲信哉(しらすしんや) 文筆家/アートプロデューサー

1965年東京都生まれ。細川護煕元首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方、広く日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザイン、展覧会などの文化イベントの制作に携わる。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な編著書に『骨董あそび』(文藝春秋)、『白洲次郎の青春』(幻冬社)『天才青山二郎の眼』『小林秀雄 美と出会う旅』(新潮社)『白洲家としきたり』(小学館)『かたじけなさに涙こぼるる』(世界文化社)『旅する舌ごころ』(誠文堂新光社)他多数。最新刊に『美を見極める力』(光文社新書)。

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