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更新日:2025.02.12
登録日:2025.02.12
四条駅・烏丸駅①京都の通り名編――通り名がわかれば、京都がもっとよくわかる…京都の街をマンション図書館流に知ろう(京都府京都市/地下鉄烏丸線・阪急京都線)

「京都府京都市上京区今出川通烏丸東入ル」と聞いて「ああ、あそこね」とすぐに読め、かつ理解できる方は、京都をちゃんと“わかっている”方だと思う。京都初心者だと、これがまずれっきとした住所であるかも怪しいし、どの要素で分解したらいいのかもわからない。上京区まではいいとして「いまでがわどおり/からすま/ひがしいる」と読む。そう、これは関西屈指の私立大学、同志社大学のメインキャンパス・今出川キャンパスの住所である。願書を送った経験のある方もいるだろう。
先般、京都に出張する機会を得た。そこで目にしたのは、普段仕事をしている関東とは一癖も二癖も異なる、京都マンションの世界。今回は、基礎を理解してから各論に入る方が宜しいと思うので、“碁盤の目”に代表される“京都の街の仕組み”をご紹介しよう。読み終わる頃には、きっと京都を歩く上での基礎知識がアップデートされ、地図を見ずともある程度楽しく歩けるようになっているはずだ。
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1.京都市中心部で外せない3つのキーワード
キーワード① 碁盤の目
京都市街最大の特徴が“碁盤の目”。日本史の教科書で知った方も多いのではないかと思うが、中国の都の造り方(条里制)に倣ったもので、帝が鎮座する御所を基準とし、囲碁の盤(碁盤)のように規則正しく、東西南北に直線の街路を組み合わせて、計画的に都を造営していくさまをいう。上空から見ると囲碁の盤面(=碁盤)のように見えることから、こう呼ばれる。“碁盤の目”で造営された最初の都が平城京(奈良)で、平安京(現在の京都市街の原型)は2か所目。鴨川が蛇行したり、有力寺社を避けて街路がうねっている箇所があったりと多少歪んでいるものの、基本的に交差点はすべて直角で交わっている。

▲「直進:烏丸北大路/左折:堀川今出川」の道路標識。地名が「交差する通りの名×2」になっているので、通りの名がわかっていれば、方向感覚を失うことが少ない。
このため、交差点名も南北の通り名+東西の通り名で構成されており、交差点名を見ればおよその現在地が把握できるのが“碁盤の目”の利点でもある(例:烏丸御池→南北:烏丸通+東西:御池通)。ただし、通り名を覚えていないと現在地までわからないという欠点があるほか、交差点名が東西→南北の逆順になっている例外も数多い(例:四条烏丸、塩小路高倉など)。

▲関西屈指の名門私大・同志社大学は“烏丸今出川”交差点に面している。南北:烏丸通+東西:今出川通の組み合わせ
キーワード② 交差点名は[南北]+[東西]
東西の主要街路へ北から順に一条、二条…と連番を振り、これに南北の主要街路名を組み合わせたところがそのまま主要交差点となっているところが多い(例:堀川五条、河原町三条)。ただし、●条通でも時の経過(何せ1200年の歴史を有する)などによって主要街路でなくなったり、途中で途切れたりしているものもあり、反対に元々の狭小路が幹線道路に発展しているところもある。現在、東西の主要街路として機能しているのは以下の通りで、その中でも最も太い幹が“四条通(しじょう―)”だ。
京都市街地 東西方向の主要街路
↑(北)
―北大路通(きたおおじ―)
―今出川通(いまでがわ―)
―丸太町通(まるたまち―)
―御池通(おいけ―)[地下鉄東西線]
―★四条通(しじょう―)[阪急京都線]
―五条通(ごじょう―)
―七条通(しちじょう―)
―塩小路通(しおこうじ―)
=[JR京都駅]=
―八条通(はちじょう―)
↓(南)
次に、南北方向の主要街路。中心は、地下鉄烏丸線が縦断する烏丸通(からすま―)だ。
京都市街地 南北方向の主要街路
↑(東)
―東大路通(ひがしおおじ―)
―川端通(かわばた―)[京阪線]
=[鴨川]=
―河原町通(かわらまち―)
―★烏丸通(からすま―)[地下鉄烏丸線]
―堀川通(ほりかわ―)
―大宮通(おおみや―)
―千本通(せんぼん―)
―西大路通(にしおおじ―)
↓(西)
キーワード③ 田の字エリア
そして、京都の中核を成すのが“田の字エリア”。東西のメイン:四条通と、南北のメイン:烏丸通が交わる“四条烏丸”交差点を中心に、上記の通りのうち、北:御池通/東:寺町通(実質的には鴨川)/南:五条通/西:堀川通で囲まれるエリアのことを指す。この中には、大丸百貨店京都店(四条通高倉西入立売西町)や錦市場など、京都の町衆の生活の中心となってきた施設が集中するほか、京都銀行本店(烏丸通松原上る薬師前町)をはじめ銀行や証券会社など、京都の経済の中心となってきた場所である。したがって“田の字エリア”に住まうことは格別のステータスを有するとされ、“田の字エリア”に立地するマンションもひときわ高い値がつくものとなっているのだ。

▲四条烏丸の繫華街。交差点から東(鴨川方面)を向く。左は大丸百貨店。海外ブランドショップ等も集中する。
ちなみに、本来の田の字エリアの東は寺町通となっており、その東となる河原町通や鴨川沿いは含まれていない。これは罪人の晒し首で知られた“三条河原”があったように、鴨川沿いは格が落ちるとされ、碁盤の目も寺町通を越えるとやや乱れるという違いがあったためだが、現代においてはお洒落な飲食店で知られる先斗町(ぽんとちょう)や木屋町通があるように、実質的に鴨川沿いまで拡大しているといってよい。鴨川右岸かつ鴨川ビューとなるマンションはとりわけ高値が付いており、“田の字エリア”はもちろん“鴨川ビュー”も、現代においては相当のステータスを持っていると言えよう。

▲鴨川近く、高瀬川沿いに洒落た店が建ち並ぶ木屋町通。雰囲気たっぷりの通りだが、ここは元来の“田の字エリア”ではなかった
ただ、現在の商業地としての中心は京都高島屋やコトクロス阪急河原町、京都河原町ガーデン(旧・四条河原町阪急百貨店)が集積する“四条河原町”であり、“河原町”の名からもわかるように、鴨川対岸の歓楽街・祇園と一体となった繁華街を形成している。現在の寺町通は“四条河原町の一角のアーケード商店街”といった意味合いになっており、あくまで“寺御幸”に歌われた東端が寺町通というだけで、“京はここまで”という意識は全くない。四条河原町は「大阪梅田」へ至る阪急京都線がターミナルとしており(駅名は『京都河原町』)、四条通から南に離れた八条に構えるJR「京都」駅に対し、繁華街に直接乗り入れる優位があることから、終日にわたり賑わう。ただし四条河原町に地下鉄はなく、阪急で1駅隣の「烏丸」(地下鉄は『四条』、交差点は四条烏丸)まで行く必要がある。このためJR「京都」駅との往来には市バスの利用も多い。

▲「京都河原町」で発車を待つ阪急京都線。かつては“河原町駅”であり、立地に合わせ“四条河原町駅”に改称してほしいと地元からの要望もあったが、外国人をはじめとする観光客にもわかりやすいよう「京都河原町」へ改称されたという経緯を持つ。
“田の字の中心” 四条烏丸 周辺のマンション
ザ・四条烏丸レジデンス
阪急京都線「烏丸」徒歩7分/地下鉄烏丸線「四条」徒歩8分
京都市下京区油小路通四条下る石井筒町 2023年9月竣工/10階建38戸
売主:住友不動産/施工:森本組/分譲時平均坪単価:不明
◆「四条」「烏丸」周辺の物件について、もっと知りたい方はこちら◆
2.通り名を知る
通り名を知る① 丸竹夷(まるたけえびす)/寺御幸(てらごこ)
ここまで見てきて、京都の人はどうやって数多の通り名を覚えているのだろう、と不思議に思った方も多いのではないだろうか。東西方向の一条、二条…のように規則正しく並んでいるならまだしも、特に南北方向は“筋”(すじ。大阪でも見られる表記)が無数に通っており、これを丸暗記するのは、たとえ生活していても自然には覚えにくい。ましてや観光客となると、河原町通や烏丸通、堀川通などの主要道路か、今出川通、丸太町通といった駅名にも取り入れられている通りがせいぜいだろう。

▲「烏丸御池」駅。南北方向の地下鉄烏丸線は、殆どの駅が烏丸通の直下なので「烏丸」は駅名から省略される。(例:四条烏丸交差点の駅=「四条」)。しかし「烏丸御池」だけは東西線(御池通の直下)と交差するため、東西線の乗客にも伝わるように同じ駅名を付ける必要があり、例外的に「烏丸」がつく。
そういうわけで、京都の小学生は「♪丸竹夷…」「♪寺御幸…」とわらべうたに乗せ、小学校で歌いながら、通りの名を自然と覚えてゆくのだそうだ。なるほど、子どもの頃から歌に乗せて覚えるのであれば、京都の街に親しみも湧くし、“京都人”としての教養も自然と蓄えられてゆくというわけ。まず、東西方向の「丸竹夷」から見てみよう。南北方向の「寺御幸」よりも、どちらかというと丸竹夷の方が親しまれているようだ。
丸竹夷(まるたけえびす)…東西方向
↑(北)
まる :丸太町通(まるたまち)=====
たけ :竹屋町通(たけやまち)
えびす:夷川通(えびすがわ)
に :二条通
おし :押小路通(おしこうじ)
おいけ:御池通======
あね :姉小路通(あねやこうじ)
さん :三条通
ろっかく:六角通
たこ :蛸薬師通(たこやくし)
にしき:錦小路通(にしきこうじ)
し :四条通======★
あや :綾小路通(あやのこうじ)
ぶっ :仏光寺通(ぶっこうじ)
たか :高辻通
まつ :松原通
まん :万寿寺通(まんじゅじ)
ごじょう:五条通=====
せきだ:(雪駄屋町通 ※現:楊梅通)
ちゃらちゃら:(鍵屋町通 ※現:的場通)
うおのたな:(魚の棚通 ※現:六条通)
ろくじょう:六条通
さんてつ:(三哲通 ※現:塩小路通)
(とおりすぎ)
しちじょう:七条通
(こえれば)
========(JR京都駅)=
はち :八条通
くじょう:九条通
じゅうじょう:十条通
(とうじ=東寺 で とどめさす)
↓(南)
北は丸太町通から始まり、四条通を経て、五条通までは順当に歌われていくものの、五条通を過ぎると「鍵屋町通」を「ちゃらちゃら」と洒落たりして乱れ始め、七八あたりになると小さな道は省略され、南の東寺まで途端にペースアップしてしまう。殆ど“田の字エリア”に焦点が当たっており、“京都の街はここからここまで"といった意識が伺える。続いて、東西方向の「寺御幸」を見てみよう。
寺御幸(てらごこ)…南北方向
↑(東)
てら :寺町通
ごこ :御幸町通(ごこまち)
ふや :麩屋町通り(ふやちょう)
とみ :富小路通(とみのこうじ)
やなぎ:柳馬場通(やなぎのばんば)
さかい:堺町通
たか :高倉通
あい :間之町通(あいのまち)
ひがし:東洞院通(ひがしのとういん)
くるまやちょう:車屋町通
からす:烏丸通=====★
りょうがえ:両替町通
むろ :室町通
ころも:衣棚通(ころもだな)
しんまち:新町通
かまんざ:釜座通
にし :西洞院通り(にしのとういん)
おがわ:小川通
あぶら:油小路通(あぶらこうじ)
さめがい:醒ヶ井通
(で)
ほりかわ:堀川通====
(のみず)
よしや:葭屋町通(よしやまち)
いの :猪熊通(いのくま)
くろ :黒門通(くろもん)
おおみや:大宮通
(へ)
まつ :松屋町通(まつやまち)
ひぐらし:日暮通
(に)
ちえこういん:智恵光院通
じょうふく:浄福寺通
せんぼん:千本通====
(はては にしじん)
↓(西)
こちらも、東は寺町通から始まっており、鴨川沿いの川端通や河原町通が入っていないが、上述のように、歌がつくられた当時の鴨川沿いは格落ち、という意識が透けて見える。また、西は堀川通を越えて千本通まで続いており、現在の“田の字エリア”からはだいぶ西にはみ出しているが、二条城や西本願寺などの大規模施設が堀川通以西に多かったため、自然と西側に意識が向いていたのだろう。

▲丸竹夷/寺御幸の模式図。歌っているうちに、自然と身につきそう
YouTube等でも多くの動画が公開されているので、ぜひ「丸竹夷」「寺御幸」で検索してみてほしい。日本らしい音階でやわらかく歌われる通りの名は、きっと頭に入りやすいはずだ。

▲アーケード商店街となっている現代の寺町通。提灯に「寺町京極」とあるように、かつて“京はここまで”(=京極)だったのだ
通り名を知る② 「上る(あがる)」「下る(さがる)」「東入(ひがしいる)」「西入(にしいる)」
さて、通りの名に馴染んでもらったところで、いよいよ仕上げ。これらはいずれも住所表記に取り入れられる正式な表現で、京都独特のものだ。「上る」=北へ、「下る」=南へを指し、東入・西入はそのまま東へ入る、西へ入るという意味合い。なお「上ル」「下ル」「東入ル」「西入ル」のように、送り仮名を付けたりカタカナの“ル”を添える場合もあるが、戸籍に用いられる正式な表記は上記のタイトル通りで、特に「上る」「下る」の“る(ル)”を省略することはまずない。
「上る=北」「下る=南」となっているのは、京都御所(=天皇陛下の住まい)が北端となる一条通に接しているため、「天皇に近づく=上る」「天皇から離れる=下る」となったためと言われている。鉄道の「上り(のぼり)」「下り(くだり)」も、東京駅=天皇陛下のお膝元に近づく/離れるから来ているものであり、起源を辿れば京都の「上る」「下る」も同じものだ。

▲京都市内に残る古い住所表記。「上京区 丸太町通 寺町 西入(石屋町)」とある。正面が丸太町通に面し、かつ脇が寺町通に接し、寺町通から西に向く、といった意味合いになる。
京都市役所の住所「京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488」を例に説明しよう。これを分解すると「寺町通」「御池」「上る」「上本能寺前町」となる。ここで住所表記の原則を2つ示そう。
京都市街地の住所表記の原則
① 面している通りを先に書く
② 2番目の通りは“通”を省略する
住所と①②の原則を当てはめると、「寺町通に面していて」「御池通よりも」「北側」ということが住所だけでわかるのだ。ただし、面している通りのどちらに面しているかまでは、住所だけではわからない。これを補完するのが町名ということになるが、京都市役所の「上本能寺前町」は寺町通の両側にあるので、こうなるともう地図を見るしかない。

▲威風堂々とした京都市役所。“上本能寺前町”の町名どおり、向かいに"あの"本能寺があることはあまり知られていない
「東入」「西入」の例として京都府庁の住所「京都市上京区下立売通新町西入薮ノ内町」を紹介しよう。同様に分解すると「下立売通」「新町」「西入」「藪ノ内町」となる。つまり「下立売通に面していて」「新町通よりも」「西側」までが原則通りにわかる。かつ「藪ノ内町」は下立売通の北側にしかないので、この場合は住所だけで場所の特定までが容易にできるのだ。このように、住所一つでどこにあるか、どこから入るのかが大体わかるといったメリットがある反面、通り名や町名がすべて頭に入っている必要がある。尤も、それらが頭に入っていてこそ“洛中人”という、ある種のリテラシーとして機能しているのかもしれない。

▲「中京区 夷川通 柳馬場 西入 百足屋町」。町名が小さく表記されているとおり、"百足屋町"は別々の場所に複数あるためあまり重要ではなく、どの通りに面しているのか、の方がよほど大事なのだ。
なぜこのような住所表記が一般化したのかといえば、町割りが細かいだけに町名の重複が多く、重複回避のために“○○通沿い”を付けて区別する必要があったという点と、住民の意識が概ね“通り単位”でできていたという二点がある。例えば“百足屋町”(むかでやちょう)は中京区内に2つあるが、これに“新町通百足屋町”“夷川通百足屋町”と通り名を付けることで区別ができるのだ。また“京都三大祭り”の一つである“祇園祭”では“山鉾巡行”がハイライトとなっているが、山鉾は“菊水鉾=室町通四条上る菊水鉾町”といったように、○○町ごとに山鉾の管理と巡行を担うために町の象徴となっており、それが重複するわけにはいかなかったのだ。

▲「柳馬場通六角下る」の案内。「下る」は英語表記でも“sagaru”。京都固有の表記なのだ
なお、この京都の「条里制」をさらに簡潔にしたものが、札幌市など北海道開拓の際に多用された「条丁目制」だ。札幌市も京都市と同じく碁盤の目でつくられ、創成川が南北の基準になっている(京都も鴨川が基準に近い)など、京都を参考につくられているのがよくわかる。

▲条丁目制では通りの名が分かりやすい反面、交差点名が一つに定まらないという欠点がある。
京都市役所・京都御所 周辺のマンション
◆「京都市役所前」周辺の物件について、もっと知りたい方はこちら◆
“洛中”“洛外”“右京”“左京”…独特の区名を知る
「豊臣秀吉の上洛」といったように、京都の代名詞として“洛(らく)”の字がよく用いられる。また、地図を見ると「右側に“左京区”」「左側に“右京区”」があるように見える。これらも京都独特の地名を構成する要因だが、いずれも帝(天皇)が関係しているのが京都ならでは。順番に見ていこう。
まず「洛」の字だが、これは中国・隋(ずい:581年~618年。小野妹子の“遣隋使”で有名)の都:洛陽(らくよう)に由来する。洛陽は、それまで山間(黄土高原)を流れてきた河川が、華北平原の穀倉地帯に出る場所にある。ここを抑えれば山間・平原どちらにも睨みを利かせることができるため、古くは周(紀元前1046~紀元前256年)にはじまり、歴代多くの王朝が都を置いてきたという歴史ある地である。洛陽の対になる街が300kmほど西、秦(しん)や唐(とう)が都を置いた長安(ちょうあん。現:西安)で、シルクロードをはじめとする交易の拠点として栄えた。

▲鴨川の橋の案内板。南は京都駅すぐ北の“塩小路橋”で終わっているが、北は賀茂川のかなり先まで続いている。概ね“洛中”の範囲に近い
そして平安京を建設する際、これら「東の都:洛陽/西の都:長安」になぞらえ、平安京の中央を南北に貫き、北は宮城(きゅうじょう)に至る朱雀大路(すざくおおじ。現在の千本通やJR嵯峨野線に近い)の東を“洛陽城”、西を“長安城”と呼んだことに端を発する。その後、平安京→京都の中心が徐々に東側へと移っていったことで、本来は東半分を指した“洛陽城”の“洛”がすなわち京を指すように変わっていったということのようだ。現在でも、京都の中心部を“洛中”(らくちゅう)、外延部を“洛外”(らくがい)と呼ぶほか、京都市バスの観光系統を“洛バス”、市南部の開発地域“らくなん進都”、西部のニュータウンを“洛西ニュータウン”と呼ぶなど、“洛”の字は今なお京都の代名詞として広く根付いている。京都ならではの表現であるため、進学校で有名な“洛南高等学校”など、学校名に取り入れられる例も多い。

▲鴨川の流れは京の境目として古くから位置付けられてきた。
また「左京」「右京」の由来だが、これも宮城の天皇から見た構図に由来する。天皇は、宮城において北を背にして南を向いて座るのが常であり、南を向いた天皇の左側(=東)=左京、右側(=西)=右京と区分した。現代の地図は北を上にして描くので、倒錯したように“見えてしまう”のである。現在も左京、右京はそのまま1956年以来の政令指定都市・京都市の区名として引き継がれているが、その他にも「○京区」がいくつもある。“洛”の範囲と共に整理してみよう。
京都市の区名と地域区分
洛中…概ね上京区・中京区・下京区。いずれも東は鴨川、西は西大路通周辺まで。
●上京区…概ね鞍馬口通(北)から今出川通を経て丸太町通(南)まで。
京都御所、北野天満宮、同志社大学など。京都御所がある北を“上”とし、中、下に洛中を区分。
●中京区…概ね丸太町通(北)から四条通(南)まで。二条城、京都市役所、烏丸御池、四条河原町など
●下京区…概ね四条通(北)から五条通を経て八条通(南)まで。京都駅、東/西本願寺、梅小路公園など
洛外…洛北・洛東・洛南・洛西(らくさい)に区分される。
・洛北…北山の山裾まで。北区・左京区(※)
・洛東…東山を越えて山科(近江国境)まで。東山区・山科区
・洛南…鴨川・桂川の合流点(鳥羽)付近まで(京都南IC、竹田駅)。南区・伏見区(※)
・洛西…嵐山まで。西京区・右京区(※)
(※)…いわゆる伏見は“伏見城下”を組織したことから京都と別の街と捉えられ、“洛南”には含まれない。また、京都市は1949年の大原・鞍馬といった山間部の合併など、現在に至るまで多数の周辺自治体を合併してきており、“平成の大合併”でも2005年に旧北桑田郡京北町を右京区に合併している。これら山間部は多くが北区・右京区・左京区に含まれ、“洛外”の範疇には通常含まれない。

▲広大な京都御所(京都御苑)。天皇の居所は京の街の基準となってきた
これら“洛中”“洛外”の区分は時代によって変遷しているが、それを区分する基準の一つとなっているのが、豊臣秀吉の築造による御土居(おどい)。概ね二条城を中心に、東・北は鴨川・賀茂川、南は八条通(京都駅)、西は西大路通の約22kmを囲う防塁である。応仁の乱で荒れ果てた京を再興すべく、天下人となった秀吉が外敵の襲来に備え、1591年(天正15年)に築造したもの。現在は市街地の発展と共に多くが切り崩されているが、北野天満宮境内などに残る一部が史跡として保存されているほか、区境などに御土居跡が残っているため、現在もなお“洛中”“洛外”を区別する目安となっているようだ。

▲現在は“洛”の中にあるが、古くはもっと西にあった。西側が栄えていれば、京の代名詞は“長”だったのかもしれない
次回予告
京都の街の仕組みを理解いただけたところで、次回はいよいよ“京都マンションの世界”へご案内しよう。私(佐伯 知彦)に加え、もう一人のマンション専門家・今村 浩一による、選りすぐりのマンションをご紹介。マンションを通して見る京都の“いま”を感じ、観光ガイドには載っていない“京都の暮らし”を、ぜひ感じ取っていただきたい。

▲鴨川を正面に臨む「ザ・パークハウス 京都鴨川御所東」。まさに京都を体現したようなロケーションだ
▼次回▼マンション偏愛部へようこそ:四条駅・烏丸駅(京都府京都市/地下鉄烏丸線・阪急京都線) 2025/2/21(金) 10:00 公開予定
※特記以外の画像は2025年1月筆者撮影。マンション図書館内の画像は当社データベース登録のものを使用しています。無断転載を禁じます。

賃貸不動産経営管理士
佐伯 知彦
大学在学中より郊外を中心とする各地を訪ね歩き、地域研究に取り組む。2015年大手賃貸住宅管理会社に入社。以来、住宅業界の調査・分析に従事し、2020年東京カンテイ入社。
趣味は旅行、ご当地百貨店・スーパー・B級グルメ巡り。

マンション専門調査員
今村 浩一
マンション管理会社にて管理組合の運営支援業務、その後、大手不動産仲介会社にて売買仲介営業に従事し、2016年に東京カンテイに入社後現在に至る。
マンション専門調査員として東京都心部を中心に、埼玉県全域、 名古屋市、宇都宮市、高崎市、福岡市、広島市など、約9年間で延べ12,000棟以上のマンションについて現地/データの二面から調査を行う。
趣味はマンション関連のネットサーフィン、モデルルーム巡り、マンション将来価格予想。夢は歴代住んだマンションの模型を部屋に並べてお酒を飲むこと。
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