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2022.12.24

大村哲弥 「夢の跡を訪ねて~建築家が設計した分譲マンション~<中>」

大村哲弥 「夢の跡を訪ねて~建築家が設計した分譲マンション~<中>」

「夢の跡を訪ねて~建築家が設計した分譲マンション~<上>」に続いて建築家が設計を手がけた分譲マンションを訪ねます。
《広尾ホームズ》(1972年)は、我が国のモダニズム建築の重鎮であり、プリッカー賞受賞建築家である槇文彦が設計した分譲マンションです。

永遠のベスト&スタンダード。槇文彦の《広尾ホームズ》

槇文彦は、幕張メッセ、東京体育館、NYのフォー・ワールド・トレード・センター、MITメディアラボ新館など、内外で数多くの注目プロジェクトの設計を手がけていますが、住居系はほとんどなく、唯一の例外ともいえるのが30年越しで手がけた代官山の《ヒルサイドテラス》です。《ヒルサイドテラス》は日本における街並みづくりのひとつの到達点といえます(★1)。

 

そしてもう一つの例外であり、かつ分譲マンションであるというのが《広尾ホームズ》です。

 

《ヒルサイドテラス》は複数の低層集合住宅の集まりですが、こちらは13階の板状高層集合住宅です。同じく槇が設計した隣接した《広尾タワーズ》(賃貸)とツインビルディングになっています。

《ヒルサイドテラス》が、槇文彦の言う日本的都市空間の構造「奥の思想」をモダニズム建築言語で実現したものだとすると、この90度ずれた角度でペアになって並ぶ広尾のツインビルディングは、どこかミースのレイクショア・ドライブ・アパートメントの配置を彷彿とさせたり、あるいは、マンハッタンあたりにありそうなハイライズ・コンドミニアムが建ち並ぶ風景を思い出させたりなど、ピュアなモダニズムの面影を宿しています。

 

大らかな配置計画やオープンなアプローチ、飾らないエントランの庇、構造や内部プランをストレートに見せた質実で潔い外観、抑制されたカラーや素材など、よく考え抜かれて作られた無駄のない日用品のような魅力の佇まいです。

その真っ当さ、奇をてらわない姿勢は、意匠面だけではありません。

 

2戸1EVによる全室のプライバシーを確保したPP分離プラン、アウトフレームによる柱・梁のない室内空間、将来のメンテナンスを考慮した部分ダウンスラブによる水廻りの横引き配管、バルコニーの室外機や壁掛け室内機など無粋な機器とは無縁なセントラル方式の空調計画など、居住性や設備やメンテナンスという観点からも、実に正統な考え方のマンションでした。

槇文彦はこう言っています。

 

「そういうもの(注:《ヒルサイドテラス》のこと)をつくることによって、間接的に、東京という都市や時代性に対するコメンタリーにならないか、ということも考えてきたわけです」。コメンタリーとは解説というよりはむしろ批評というニュアンスが強いと思われます。

 

そのスタンダードさゆえに逆に日本離れして見えてしまう、50年前にできたこのマンションの佇まいを見るたびに、《広尾ホームズ》もまた東京というまちと住まいに対する槇文彦の鋭いコメンタリーではなかったか、という気がしてなりません。

 

田園モダニズムの白い輝き。内井昭蔵の 《桜台コートビレッジ》

集合住宅の歴史的傑作のひとつに数えられるのが、建築家・内井昭蔵が設計した《桜台コートビレッジ》(1970年)です。東急田園都市線「青葉台」駅から徒歩19分に立地します。

 

1970年頃といえば、分譲マンションが日本の都市型住居の新しい形態として登場して間もない時期です。その多くは都心に立地し、ほとんどが高級物件でした。

 

約50年前に、田園都市線の郊外に《桜台コートビレッジ》という時代を画すような分譲マンションが誕生したのにはどのような背景があったのでしょうか。

 

東急電鉄による土地区画整理事業の一括代行方式で多摩田園都市の開発が始まったのが1959年です。そこには、同社の母体ともなった田園都市株式会社を設立した渋沢栄一やそれを陰で支えた小林一三などの明治の大物財界人たちが欧米の都市を参考に夢見た理想都市の理念がありました。田園都市という名称は、エベネザー・ハワードが『明日の田園都市』で提唱し、イギリスのレッチワースなどで実践された田園都市(Garden City)に由来しています。

 

建築家・菊竹清訓によって提案されたのが、チャンネル開発方式と呼ばれる、プラザ、ビレッジ、クロスポイントの3種類の拠点(チャンネル)の開発を契機として、段階的に都市機能を整備していく方法でした。その計画は多摩丘陵に産する梨(ペアpear)から、ペアシティ計画を名づけられました。

 

《桜台コートビレッジ》のビレッジとは、このチャンネルのひとつに由来するものです。ビレッジとは、駅前以外での機能集積を狙った拠点であり、集合住宅と商業や公共機能などの複合施設としてイメージされていました。

 

《桜台コートビレッジ》をはじめ3か所のビレッジ(★2)の設計を任されたのが菊竹事務所でペアシティ計画を担当していた内井昭蔵でした。菊竹事務所から独立してはじめての仕事であり、《桜台コートビレッジ》は38歳の内井昭蔵に日本建築学会賞をもたらしました。

 

《桜台コートビレッジ》が建っているのは、斜度が20度を超える北西斜面の細長い土地で、いわば区画整理でしわ寄せされたヘタ地のような土地です。

 

コンクリートの壁柱によって切り立った崖から大きく空中に持ち出された圧倒的なヴォリューム、コーナーエッジを強調しながら複雑に入り組んだ表情を見せる雁行ファサードなど、この崖地をなんとか住みこなそうとする人間の確固たる意志が伝わってきます。

 

同時に《桜台コートビレッジ》では、開放的な大きなテラス、公園の中を抜けるような階段、プラザのような踊り場、路地のような通路、溜りのある住戸玄関など、自然を取り込んだ豊かなコモン空間が造り込まれています。マンションにおける戸建て感覚や雁行配棟というアイディアはこのマンションが嚆矢といえます。

「階段や通路など本来機能的な部分をできるだけ空間化したい」「個と個の間の公共空間をつくりたい」「人間が生活する場所は複雑なほうがよいと思っています」

 

「健康な建築」、「有機的な建築」を模索した内井昭蔵ならではの言葉です。

 

郊外にも関わらず、いや、そこここにまだ雑木林などが残っていたであろう、暮らしの歴史が希薄な郊外においてだからこそ、自然と人とが親和的な関係を結ぶ新たな暮らしのあり様とイメージを創ろうとした田園モダニズムの理想が、50年になろうとする時を経た今も見る者に伝わってきます。

 

残念ながら多摩田園都市における<ビレッジ>構想は内井の手がけた3プロジェクトだけで終わってしまいます。コントロール不可能なほどの圧倒的な人口増加圧力の前にビレッジ構想は無力でした。結果的に今日に至るまで《桜台コートビレッジ》のような郊外住居の理想にチャレンジする集合住宅が二度と現れなかったことは、かえすがえすも残念だと言わざるを得ません。

 

To be continued

 

 

(★1)《ヒルサイドテラス》の住居は賃貸が基本であり、分譲はE棟(1977年)の一部だけ。

(★2)ビレッジ構想は《桜台コートビレッジ》のほかに《桜台ビレッジ》、《宮崎台ビレッジ》で実現された。いずれも内井昭蔵が設計を手がけている。

 

(参考文献)

槇文彦編著『ヒルサイドテラス+ウエストの世界』(鹿島出版社、2006)

『都市住宅の証言』(製作長谷工コーポレーション、1988)

渡辺真理、木下庸子『集合住宅をユニットから考える』(新建築社、2006)

 

★広尾ホームズ

住所 : 東京都港区南麻布4-1-14

総戸数 : 69戸

構造・規模 : RC造 地上13階建て

事業主 : 第一ホテルエンタープライズ

設計者 : 槇総合計画事務所

竣工年 : 1972年

★桜台コートビレッジ

住所 : 横浜市青葉区桜台33-7

総戸数 : 40戸

構造・規模 : RC造 地上2階建て

設計者 : 内井昭蔵建築設計事務所

事業主 : 東京急行電鉄

竣工 : 1970年

大村哲弥

一級建築士/ブロガー

大村哲弥

有限会社プロジェ代表:1984年、セゾングループのディベロッパー株式会社西洋環境開発に入社。住宅・マンション事業のマーケティング・商品企画・事業企画に従事する。バブル前夜からバブル崩壊とその後のカルチャーシーンのなかで20歳代、30歳代を過ごし、不動産ビジネスに携わる。1996年、有限会社プロジェ設立。建築・住宅分野のコンサルティング・商品企画・デザイン・執筆などを手がける。東京工業大学大学院修了。一級建築士。

ブロガー:本・映画・音楽・アート・デザイン・ファッション・都市・建築・食・料理・旅・暮らし・まち歩きなどのカルチャーフィールドを横断的に渉猟・論考するブログを主宰。

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