バビロン再訪~バブル時代のマンション物語~2019/8/1

80年代バブルの頃、建築界を賑わしていたのがポストモダンデザインだ。

 

ポストモダンとバブルとはそもそもまったく別の話なのだが、バブルに沸く社会の雰囲気とポストモダンデザインが標ぼうするイメージがぴったりと一致し、ポストモダンデザインは、バブルを象徴するデザインとなった。

 

もともとポストモダンとは、建築から始まり、その後に思想や社会などに普及した概念だ。

 

画一化や非人間化が叫ばれ、行き詰まりを見せ始めていた60年代以降のモダニズム建築への批判、そしてなによりも、合理主義、理想主義、進歩主義といったモダニズムの価値観がもつ教条主義的な堅苦しさからの自由を目指して、ポストモダン建築は生まれた。

 

建築家のロバート・ヴェンチューリが、モダニズム建築のスローガンだった”Less is More” を”Less is Bore”と皮肉った言葉が、当時の気分をよく表している。

 

ポストモダン建築は、チャールズ・ムーアによる《イタリア広場》(1978)を皮切りに、マイケル・グレイヴス《ポートランド・ビル》(1982)、フィリップ・ジョンソンの《AT&Tビル》(1984)、シーザー・ペリの《ワールド・ファイナンシャル・センター》(1981-1987)など、80年代のアメリカを席巻した。

 

当時ブームとなったボストン、ボルチモア、ニューヨーク、サンフランシスコなどの北米のウォーターフロント開発における街づくりや建築はポストモダンデザイン一色で飾られた。

 

歴史的デザインや伝統的意匠の再現、さまざまな時代や地域のモチーフの引用と編集、円や曲線や幾何学による自由なフォルム、多彩なカラー、シンボリックでスペクタクルなイメージなど、それまでの禁欲的で素っ気ないモダニズムに倦んでいた世界の人々の眼には、ポストモダンの明るく自由で楽し気な雰囲気は新鮮に映った。

 

日本においては、そうしたポストモダンの雰囲気が、当時のバブルの空気にぴったりと一致した。

 

アメリカに右ならえの当時の日本は、さっそく東京湾岸でウォーターフロント開発を展開し、高騰するYenに物をいわせて海外のポストモダン建築の大御所たちを次々と招聘した。

 

チャールズ・ムーア、マイケル・グレイヴス、シーザー・ペリ、アルド・ロッシ、クリスチャン・ド・ボルザンパルク、リカルド・ボフィールなど、欧米の名だたるポストモダン建築家たちが、日本で作品を残した。

 

日本の建築家も負けてはいない。単なるバブル的ノリだったのか、あるいは本気でポストモダン思想に鞍替えしたのか、磯崎新《つくばセンタービル》(1983)、丹下健三《東京都庁》(1990)、菊竹清訓《江戸東京博物館》(1993)など、戦後の日本建築界を代表するような一流どころが、一斉にポストモダンデザインに舵を切って世間を驚かせた。

 

いまや日本を代表する建築家である隈研吾の初期の話題作も、いまだにこれほどあっけらかんとしたポストモダン建築はないと思われる《M2》(1991)だ。

 

日本のマンションのポストモダンデザインの嚆矢はといえば、先に挙げたアメリカ建築界の大御所チャールズ・ムーアが設計した《オーキッドコート》(1991~1996)だろう。六甲山系を背景に、住吉川沿いに展開するクラシシズムを範とした高級分譲マンションだ(JR神戸線「住吉」W6)。

 

*《オーキッドコート》パンフレットより

 

寄棟屋根、重厚なコーニスや幾重にもまわるモールディング、ペディメント(切妻の三角形)風にデザインされた最上階のドーマー窓、縦長ウインドウ、ピラスター(壁付柱)、アーチ、シンメトリーな軸線、低層部・中層部・上層部とデザインを切り替えたヨーロッパの建物を模した3層構成の立面、マナーハウス(英国領主の家)の庭園をイメージしたランドスケープ、山(六甲)と海(瀬戸内海)を結ぶ象徴としての水の流れなど、場所性や象徴性を重視するチャールズ・ムーアの建築哲学が全開のデザインだ。

 

イタリアの古典主義建築を引用し、ポップアート的に再構成して、ニューオリンズに《イタリア広場》を出現させたチャールズ・ムーアは、《オーキッドコート》では、山、水系、緑といった日本のきめ細やかな自然環境を借景に、古典的意匠のよる壮麗なヨーロッパ流建築を配し、世界のどこにもない高級感を描いてみせた。

 

六甲の緑の山並みを背景に、威風を誇るクラシシズムを身に纏っ建物が連なる様子は、昔も今も、まさに無国籍な、ポストモダンを象徴する光景だ。

 

当時、ポストモダン建築のスターだったマイケル・グレイヴスも、磯崎新がプロデュースした《ネクサス百道》(1989)、浜野安宏がプロデュースした《アルテ横浜》(1992)などのポストモダンマンションを日本に残した。

 

時代を席巻したポストモダン建築はバブルの崩壊とともに急速に色褪せてゆく。

 

ユーモアや楽しさは冗長に見え出し、大胆な引用や編集はかすかな違和感を放ち始め、時代の先端は時代の徒花へと、いつの間にか変容していった。

 

文字通りの「近代後」という意味で、ポストモダンの概念や思想そのものが有効性を失ったというよりは、建築におけるポストモダンが、単なる表層の意匠、見てくれの話に終始してしまったことが、お手軽な差異を求めるマーケットの論理と図らずもシンクロし過ぎてしまった、というところが現実に近いだろう。山高ければ谷ふかし。

 

日本のマンションにおいて、ポストモダンデザインが残した最も大きな影響は、バブル崩壊以降、マンションの設計業務とデザイン業務が分離したことだ。

 

外観やエントランスや共用施設の意匠は、デザイン監修と称され、建築設計から分離・独立した、自由に後づけ可能な業務として、しだいに一般化、独立化、商品化していった。往々にしてそれらは、設計があらかた終わってから始まる、表層のスタイリングを意味していた。

 

集合住宅は世界中どこでも、エレベーターを使って空中のコンクリ-トの箱の中に共同で住むという住宅だ。合理的・効率的・標準的を旨とする住居だ。モダニズム精神の賜物のような建物だ。

 

その典型は公団住宅だ。国や地域によらず、モデレートで安心できる居住が担保される。

 

一方、「豊かな」社会は「豊かな」集合住宅を求め、民間マンションが生まれる。それ以降、マンションは、公団的標準化、公団的画一化からの差別化を競ってきた。

 

立地を吟味し、アクセス方式や採光に知恵を絞り、新たな間取りを開発し、設備や仕様に工夫を凝らす。商品企画による差別化だ。

 

ポストモダンデザインは、その差別化のための恰好のビジネスモデルを生み出した。

 

モダニズム建築界の重鎮フィリップ・ジョンソンは、37階のタワー《AT&Tビル》(後のソニービル)のトップを擬古的モチーフで飾るだけで、世界のポストモダンムーブメントを象徴する作品をつくり上げ、表層の操作でモダンはたちまちポストモダンへと一変することを実証した。

 

*photo by David Shankbone – Sony Building New York /CC BY 2.5

 

ポストモダン以降、設計とデザインは分離し、同じ構造、同じ間取り、同じ配棟のマンションでも、後付けのデザインで見事に別のコンセプトの物件に変貌した。

 

チャールズ・ムーア風、マイケル・グレイヴス風、ミース風、ライト風、コルビュジエ風、デザイナーズ風、ウエストコースト風、英国貴族城館風、マンハッタンアールデコ風、パリのプチホテル風、下町町屋風、和モダン風、隠れ家別荘風、地中海リゾート風、アジアンリゾート風etc.

 

モダンに施す「お化粧」はなんでもありだ。厚化粧もあれば、ナチュラルメイクもある。「ポスト」や「脱」や「反」を標ぼうする「お化粧」すら、その手の内というのがモダニズムだからだ。

 

すべてのマンションは、モダンであり、かつ、すべてのマンションは、ポストモダンである。

 

(★)トップ画像は隈研吾の《M2》。 photo by Wiiii – M2 Building, at Setagaya, Tokyo, Japan, designed by Kengo Kuma in 1991 Adapted / CC BY-SA 3.0

 

 

 

大村哲弥 一級建築士/ブロガー

有限会社プロジェ代表:1984年、セゾングループのディベロッパー株式会社西洋環境開発に入社。住宅・マンション事業のマーケティング・商品企画・事業企画に従事する。バブル前夜からバブル崩壊とその後のカルチャーシーンのなかで20歳代、30歳代を過ごし、不動産ビジネスに携わる。1996年、有限会社プロジェ設立。建築・住宅分野のコンサルティング・商品企画・デザイン・執筆などを手がける。東京工業大学大学院修了。一級建築士。

ブロガー:本・映画・音楽・アート・デザイン・ファッション・都市・建築・食・料理・旅・暮らし・まち歩きなどのカルチャーフィールドを横断的に渉猟・論考するブログを主宰。

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