全国市況レポート

注目記事
現在を知る
更新日:2025.02.28
登録日:2025.02.28
暮らしから振り返るマンションの設備~母の実家で体験した土間台所~

テレビドラマや映画観ているとわかるのだが、昭和初期まで台所は土間であった。しかもお世辞にも良い環境とは言えず、ほとんど日が入らない低い場所に設けられている。一方でマンションの間取りなどを見るとキッチンは家の中心に位置することが多い。対面型やアイランド型など形状は様々あるが、現在の間取りの中でキッチンが最も存在感を発揮していると言えるのではないか。土間の時代から100年あまり。間取りにおいて、キッチンこそがポジションを最も改善した場所なのである。
マンション図書館の物件検索のここがすごい!

- 個々のマンションの詳細データ
(中古価格維持率や表面利回り等)の閲覧 - 不動産鑑定士等の専門家によるコメント
表示&依頼 - 物件ごとの「マンション管理適正評価」
が見れる! - 新築物件速報など
今後拡張予定の機能も!
●母の実家で体験した土間台所の面影
私がよくお邪魔するようになった頃(1968年〜1975年頃)、東京都檜原村にある母の実家の台所はすでに土間ではなかった。母の証言によると、絨毯敷きに変わったのは昭和の戦後以降である。さらに浴室は母屋から離れた庭にあり、戦後母屋の中に付けられた。離れにあった頃は、灯りがあっても周囲は暗く恐ろしかったという。
玄関から左に折れると台所がある。絨毯敷きになっても高さは変わらず玄関と同じ高さにあり、居間と比べると一段どころではなく、二段低くなっていた。居間は、かつてはいろりがあり、私が通う頃には旧式(火鉢を入れるタイプ)の掘りごたつとなっていた。冷気が居間まで登らないように、土間の玄関から居間を二段高くする造りとなっている。そのため低くなっている台所は、玄関から冬に冷たい空気が入り寒かった。
周辺村落の家はどこも同じような造りで、たいてい二階建てであった。であるが二階部分は100年前の増築である。私が知っている二階は太い木製のはしごが掛かっているだけで、階段はない。元々平屋として作られたのは明らか。聞けば、国の養蚕事業奨励を受けて、村の多くの家が元の平屋に二階部分を増築して、蚕を飼うようになったそうだ。後に二階部分には叔父さんといとこたちの居室になっていたが母の幼い頃(昭和初期)は広い蚕室となっていた。蚕はネズミに弱いので猫が飼われていた。猫は蚕には手を出さない。夜になると二階がドタドタと騒がしくなった。
台所は現在とは全く違う形態であった。まだ上下水道が完備される前のころである。台所には大きな瓶があり、専用井戸から水をくんで貯めておく。瓶や風呂に水を酌む作業はかなりの重労働である。母が幼い頃、祖母(私の母の母)が和裁の先生をしていて、多くのお弟子さんがいたので、みんなその人たちが代わり(和裁教室の授業料代わりに)にやってくれたという。

▲間取り図面
檜原村のその家でも、台所が家の中のポジションから見ても良好な場所に設置されていたとは言えない。現在のキッチンとは段違いである。当時の台所の労働環境が悪かった大きな要因に一つは、位置の低い旧式の「かまど」にある。かまどは当然火を使用するため、安全面から家屋から距離が求められる。火や煙が移らないようにかまどは土間に設けられる。そのため、火の調整にはしゃがまないとできない。洗い物は流しで立って行い、かまどの調整はしゃがんで行う。家族が大家族であればあるほど、この労働はさらに過酷になる。台所仕事はそれ自体大変なのに、農作業を終えた後に、立ったりしゃがんだり、お小言をいただいたり(一般論である)。これは精神的にも相当キツかったと言われる。ガスコンロの普及は都市部では進んでいたものの、農村が恩恵を受けるまでにはまだ時間が必要であった。

▲かまどのイメージ
かまどに関しては農村部において、ガスより先に、熱効率を高めた改良型かまどが普及した。熱効率を高めわずかな火力で温める効率を大きく上昇させた。煙突が設けられ、煙を屋外に排出する設備が付けられた。これらの改良は現在から見ればわずかなもので、「かまどはかまど」と言うに等しいが、それでも旧式のかまどから大きな改良が実感できるもので、母の家で改良型かまどが導入された時のことを、母は、「改良型かまどを一目見ようと、多くの人(村民)が見に来ていた」と記憶している。
一方で改良型かまどについてはネガティブな意見も記録されている。「熱効率は上がり年に3000円から6000円の節約になっていると聞くが実感が全くない」、「旧式のかまどは熱効率が悪い代わりに暖がとれて都合が良く改良型は寒い」、「余熱が使えよく燃えるので、炊事時間が短縮されたが、それだけ農事に多く使われて改善が苦痛だ」などの意見が寄せられており、物質的な面のみでは必ずしも真の改善につながらないことを示している。
しかしながら、生活改善運動は昭和26年から昭和32年までの7年間で特質すべき実績を上げている。田中宣一編集の『暮らしの革命〜戦後農村の生活改善事業と新生活運動』の中で、下記の改善実績が記録されている。
ビタミンA不足など偏食改善 60%→11%(偏食率の低下)
かまど改良 5%→100%
台所改良 3%→80%
蚊・蠅の発生頻度 100%→20%
等々。調査結果には考察の余地はあるが質的な部分では著しく改善していると見て良いだろう。
●台所からキッチンへ 変化の要因
ではなぜ、台所はキッチンへ、この100年あまりで家の中でのポジションを大きく変化できたのだろうか。
大正期から始まった国を挙げた「生活改善運動」は、戦後に全国の農村を中心に一層盛んになる。その中で生活環境があまりに悪い「台所の改善」が重視されるようになっていく。運動は北海道などの寒冷地や、インフラの整備が遅れ、さらに家長的な古い習慣の根強く残る農村部で盛んになる運命にあった。
戦後は新憲法によって基本的人権が明確になった影響から、昭和23年に農業改良助長法が成立、農林省は文字通り「農村生活の改善推進」の観点から、厚生省は「乳幼児の健全な生育」の観点から、文部省(省名はすべて当時)は「民主的生活の啓蒙や生活簡素化」の定着を意図して、『衣食住』すべてを包含する形で進んでいる。
生活改善運動が求める改善事項は多岐に及ぶ。戦前は国富の観点からもっぱら生活の合理化と負担軽減などによる乳児の発達促進の目的から、戦後は同様の理由に加え「生活の民主化」という新たな観点が加わった。いずれも生活を改善すべき対象は、農村部において、嫁入りして日々の家事に追われ自分の時間もなく、健康を害することの多かった若い女性が中心になる。
乳食品やビタミンの摂取など栄養面、育児の時間を取るための諸家事全般の労働負担の軽減などに目を向けるものとなっているが、運動の真のゴールは、家長性価値観の打破と陋習の破壊にあることは言うまでもない。家事の軽減が婦人の余暇時間を増加させるには余暇時間を創出するだけでは不十分であった。
「休んでいる暇があるなら裏に行って雑草を刈ってくるべき」
このような声と慣習から婦人を護ることであった。
農村部に「生活改善」が必要とされた理由は前述の通りだが、インフラの脆弱性、整備の遅れに加えて、家屋改造に限界があることも挙げられる。最新の生活機器を導入しにくい家屋構造と容易に変更できないことが大きかった。農村は農村なりに改良を行っているのだが、やはり深く残る昔ながらの習慣を改め、古い常識を刷新することが難しかった。ある面では、この環境から抜け出すために多くの若者が戦後農村を離れ、都会で核家族を形成したと考えられる。

●都市部における物質的な改善と精神的発展
対して都市部では、都市型居住の最先端となっていた同潤会アパートなど共同住宅で、電気やガスの普及期と重なり、ガスコンロなども徐々にではあるが家庭に普及してくる。この点だけでも都市部と農村部ではインフラの整備状況に大きな差が生じていた。
都市部における台所の労働環境がいち早くかつ著しく改善した背景には、前述の「生活の民主化」が進んだ成果という考え方もあろう。今回触れないが、やはりキッチン自体の作業効率化が図られ、機能改善が進んだことは重要であろう。ガスコンロや炊飯器など電気調理器具の進歩過程を見るだけでも、その様子が想像できる。最新の生活設備機器はインフラの整備が進んだ都市ほど有利で、農村ではインフラが未整備であるだけでなく、伝統的な家屋の形が設備機器の導入の障害になった面もある。
ただ、間取りにおけるキッチンが徐々にオープンになっていき、閉鎖的空間から開放的になっていった過程は、機器が進歩しただけで達成されると言うほど単純ではないように思う。団地開発の時代(1950年代〜1960年代)にマンションの間取りにいくつか革命的な出来事が起こったが、その最大の奇跡に「ダイニング・キッチンの発明(大げさだが)」がある。
「台所を広く取り洋室化して食事をする空間と共有した」。
文章ではわずかこれだけのことなのだが、居住空間にとってはまさに「コロンブスの卵」であった。台所にテーブルと椅子が置かれた空間が、家事をする者に休息の時間を与え、こぢんまりとした家族の団らんの場となった。旧家屋では別々にあることが前提であった「台所と居間」が共有されたのである。居住空間の狭さを生活の場を重ねることで補った。
リビングとダイニングの親和性は元々高かったと考えられる。日本の民家では居間と食事部屋は元来同じ部屋の機能であったようだ。これは今和次郎の古典的著書『日本の民家』で簡単に確認できる。例えば、「いろり端」は家族が効率よく暖と灯りを取るためのものという側面も大きい。実際に「憩い」が得られたかは別問題だが、「いろり端」は、農村の家長的大規模家族の集いの場であったことは間違いない。
大家族から小家族へ。核家族化は戦後に起こったことではないが、家事労働者を、ささやかな休息を奪う陋習から解放したという点も、共同住宅による核家族化の実現とダイニング・キッチンの発明は大きな出来事であった。女性主体であった家事労働が、女性の社会進出により男女が共同で行うものとなったことも、キッチンの発展に追い風になったと見て良いだろう。
ダイニング・キッチン(DK)はその後リビング・ダイニング・キッチン(LDK)に変化して、マンションの主要な間取りパターンとして定着する。リビング・ダイニング・キッチンは主として南向き開口部に設置されたため、キッチンは概ね間取りの中央に配置することになる。この際、もしリビング・ダイニング・キッチンとダイニング・キッチンに発展の連続性がなかったなら、さらに家族の憩いの場としてリビング・ダイニング・キッチンが意図されなければ、ダイニング・キッチンはリビングとは交わることなく独立して配置され続けたのではないか。
暗く寒い「台所」から現在の「キッチン」への道のりは実に長く、多くの障害を乗り越えた末にたどり着いたものである。今日のキッチンが持つ明るさは、土間の時代にはなかった光量と湿度を持っていると思う。西日さえ当たらない隅から家の中心へ。この移動は当たり前のものではなく、単に女性対男性の話でもない。世代間の相克をも打破して勝ち得たものであるし、インフラの整備や住宅設備機器の改良という、近代から現在への技術的進歩と精神的発展(自由の希求、合理的発想、個人主義的精神など)が同時に得られなければ、たどり着くことはできなかったはずだ。物質的なものだけでなく精神的なものまで実に多様なものを獲得して確保されたものなのだ。
主な参考文献
『暮らしの革命〜戦後農村の生活改善事業と新生活運動』田中宣一編集 社団法人農山漁村文化協会
『日本の民家』今和次郎著 岩波文庫
『西山夘三著作集2 住居論』西山夘三著 勁草書房

東京カンテイ顧問
井出 武(マンション図書館顧問)
1989年マンションの業界団体に入社。以後不動産市場の調査・分析、団体活動に従事。
24年間、東京カンテイ市場調査部上席主任研究員として、不動産マーケットの調査・研究、講演業務等を行う。
『BSフジLIVEプライムニュース』、『羽鳥慎一モーニングショー』、不動産経済オンライン、文春オンライン、日本経済新聞など多数のwebメディア、新聞、TV等へ出演実績あり。
公式SNSをフォローすると最新情報が届きます
おすすめ資料 (資料ダウンロード)
マンション図書館の
物件検索のここがすごい!

- 個々のマンションの詳細データ
(中古価格維持率や表面利回り等)の閲覧 - 不動産鑑定士等の専門家による
コメント表示&依頼 - 物件ごとの「マンション管理適正
評価」が見れる! - 新築物件速報など
今後拡張予定の機能も!
会員登録してマンションの
知識を身につけよう!
-
全国の
マンションデータが
検索できる -
すべての
学習コンテンツが
利用ができる -
お気に入り機能で
記事や物件を
管理できる -
情報満載の
お役立ち資料を
ダウンロードできる
関連記事
カテゴリ
当サイトの運営会社である東京カンテイは
「不動産データバンク」であり、「不動産専門家集団」です。
1979年の創業から不動産情報サービスを提供しています。
不動産会社、金融機関、公的機関、鑑定事務所など
3,500社以上の会員企業様にご利用いただいています。