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更新日:2023.04.21
登録日:2023.04.21
新綱島駅・綱島駅――むかし温泉、今は駅…“地下から元気が生まれる街”(横浜市港北区/東急新横浜線・東急東横線)
駅を出てまず目につくのは、縦横に張り巡らされ、エネルギッシュに人々が行き交う濃密な駅前商店街。広いとはいえない駅前商店街には、買い物の人々をかき分けるようにバスが通り、駅前の片隅のような狭い場所で手早く乗客を降ろしていく。東横線らしい“ゆとり”や“余裕”といった空気はなく、下町らしさすら感じられる活力に満ちている街、それが綱島である。
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東急東横線といえば、「代官山」「自由が丘」「田園調布」など関東でも屈指の高級住宅地が連なる路線として知られる。基本的に駅前は周辺の買い物需要を満たす商店街が形成され、少し離れたあたりにマンション、駅から離れると戸建住宅地という景色が繰り返される。その中にあって「綱島」は、東横線の駅としては少々異質な存在である。
▲綱島駅西口。2020年3月にリニューアルし、スターバックス等が新たにオープンした
隣の「日吉」は慶應義塾大学日吉キャンパスを中心にアカデミックな空気が漂い、「大倉山」も以前取り上げたように文化の風薫る落ち着いた住宅地なのだが、なぜ「綱島」だけがこうした街並みになったのか。そこには時代の流れ、いや“湯”の流れと共に、街の役割を変えていったという背景がある。
▲大倉山の高台から綱島方面を眺めたところ。中央やや左の高い建物が“ドレッセタワー新綱島”。
1. 新綱島・綱島のあゆみ
“桃の産地”だった綱島
綱島の由来は“津の島”や“連なり島”であると云われる。新横浜で北へ90度向きを変えた鶴見川が綱島の西側でまた90度東に向きを変え、そこに北西から流れてきた早渕川が合流してくるという地形ゆえ、綱島は長いこと水害に悩まされる低湿地であった。そこに現在の綱島公園や綱島諏訪神社の高台が点々と“島”のように横たわっていることから、これらを島に見立てて“綱島”の名が付いたようだ。江戸時代から概ね綱島台の高台を境に“北綱島村”と“南綱島村”に分かれ、南綱島村は池谷(いけのや)家、北綱島村は飯田家が代々名主を務めていた。明治に入った1889年に同じ橘樹郡(たちばなぐん)の菊名村などと統合し“大綱村”が発足。1927年に横浜市へ合併、当初は旧橘樹郡内を主な区域とした神奈川区に含まれたが、1939年に北部が分区され“港北区”が成立、以後はずっと横浜市港北区で変わっていない。
▲横浜市指定有形文化財・飯田家住宅。代々北綱島村の名主を務めた。背後の山が綱島台。
綱島ではその地形から田を開くことが難しく、代わりに栽培されたのが桃だった。1900年頃から南綱島村名主の池谷道太郎氏が桃の栽培を始め、1907年には道太郎氏が水害に強く味も良かったという新種“日月桃(じつげつとう)”を発見し、苗木を村人に配って回ったことで一気に広まったという。1938年には神奈川県が日本一の桃収穫地となったが、その中心にあったのが綱島だった。綱島の桃は都市化とともに廃れていったが、現在でも池谷家は綱島で“池谷桃園”を営み、綱島の桃の系譜を伝えている。
▲現在も池谷家が営む“池谷桃園”。背景を知らなければ、駅の近くに桃園がある理由はわからないだろう
豊かとはいえない農村だった綱島が変わるきっかけとなったのは、1914年に綱島から鶴見川を挟んだ南岸の樽町で井戸を掘っていたところ“赤い水”(ラジウム鉱泉)が湧出したことだ。これをきっかけに、まずは樽町周辺で小規模な温泉旅館が増えていき、綱島でも源泉が掘られるようになる。1926年、現在の東急東横線である東京横濱電鉄「綱島温泉」駅が開業。最初から「綱島温泉」を名乗っており、駅開設によって綱島は東京・横浜から気軽に来られる温泉場として発展していくことになる。「綱島」だけ周囲の駅と違う雰囲気を纏う理由は、東横線沿線で唯一“温泉”が出たことで、街の骨格が温泉によって築かれたということによるものだ。
▲大綱橋南詰にある“ラヂウム温泉湧出記念碑”。東京園と運命を共にしそうだったところ、救出されたという
駅開業と“綱島温泉”の隆盛
駅開業翌年の1927年には、東横電鉄自ら綱島街道沿いに“綱島温泉浴場”という日帰り温泉施設を開いた。これが綱島温泉の中心的な存在であった“綱島温泉東京園”の起源である。以後、身近な温泉場として大東京・大横浜の娯楽を担っていた綱島温泉であったが、“ぜいたくは敵だ”の世の中になるにつれ、温泉場としての綱島はいったん廃れてしまう。戦時体制の強化に従い、戦中の1944年には“温泉”を駅名から外し「綱島」に改称、戦後も元に戻ることはなかった。樽町の温泉旅館街が爆撃を受けて灰燼に帰すなど、綱島は戦争のダメージが東急線沿線で最も大きかった地域の一つである。
▲綱島温泉東京園跡地。かつてここに黄色い“綱島ラジウム温泉”があったことは、今や想像もつかない
戦後の1946年、東横電鉄直営だった“綱島温泉浴場”が地元へ渡り“綱島温泉東京園”として再開したのをきっかけに、綱島温泉は徐々に再興してゆく。若き日の演歌歌手、三橋美智也(1930-1996)が上京したての20歳ごろ、綱島温泉東京園でボイラーマンとして働く傍ら大広間で民謡教室を開き、東京園経営者の北沢家の支援のもと定時制高校へ通ったというエピソードが残っている。1960年頃の綱島温泉は高度経済成長と共に最盛期を迎え、約80件の温泉旅館が軒を連ね、花街としても賑わったという。社用族の接待利用も多かったといい、東京・横浜からすこし距離をおいた綱島は、日々の生活をしばし忘れるのにちょうどよい立地だったのだろう。
▲駅西口の商店街。居酒屋はじめ狭い間口の店が多く、なるほど温泉地の商店街らしさも感じなくもない
しかしながら1964年に東海道新幹線が開通、すぐ近くの同じ港北区内に「新横浜」駅が設けられて箱根の玄関口「小田原」へ1駅、「熱海」へ2駅で結ばれ、追って1968年に東名高速道路が開通しクルマでのアクセスも良くなったことで、温泉地としての歴史、規模、泉質いずれも優れる箱根・熱海・伊豆などへ顧客が流出してしまい、1970年頃を境に綱島温泉の旅館は急速に数を減らしていく。代わって数を増やしていったのがマンションだ。温泉旅館跡地は一般の住宅よりも広かった上、東京・横浜どちらにもアクセスが良い東横線の駅近くであったために、マンション用地としてはうってつけだったのだ。「綱島」は東横線沿線にしては珍しく駅周辺にもマンションが多いが、「日吉」や「大倉山」と違って当初から戸建住宅地として分譲されなかったという、やはり街の出発の違いによるものだ。
▲東海道新幹線「新横浜」の開業は、綱島温泉の在り方を根底から覆すものになった
行楽地“綱島温泉”から住宅地“綱島”へ
1973年に住居表示を実施し、これまで江戸時代以来の北綱島町・南綱島町を引き継いでいたのが、駅および東横線を境に綱島西・綱島東へと改められた。街の区切りが綱島台の高台に由来する南北ではなく、線路による東西に変わったというあたり、住民の意識や街の構造が全く変わったことを示している。1983年には港北ニュータウンが街びらきを迎え、「綱島」は東横線とニュータウンへ向かうバスとの結節点になった。前年の1982年には駅西口に初の大型店“イトーヨーカドー綱島店”が開店しているが、ニュータウン住民がバスで来店するにも便利だったことから、イトーヨーカドーを核に綱島は商業地としてのポテンシャルを高めていく。
▲駅西口のイトーヨーカドー綱島店。現在でも駅周辺では最大の商業施設だ
1994年には最後の温泉旅館が廃業し、2008年には最後の温泉付宿泊施設であった横浜市立学校教職員互助会保養所“浜京”が閉館。2015年には僅かに残っていたビジネス旅館(一人利用が前提で温泉旅館としての機能は持たない)が廃業、ビジネスホテル1件を除いて綱島から宿泊施設は姿を消した。さらに同年、長年にわたり綱島温泉の顔であった綱島温泉東京園が惜しまれつつ閉館。身近な温泉場“綱島温泉”の系譜はここに途絶えることになった。私は東京園を訪れたことはなかったが、“綱島ラジウム温泉”の看板を掲げた外観は東横線のみならず東急線沿線で広く知られた存在で、かつて東急線の夏休みの風物詩であった“東急全線スタンプラリー”でも、綱島名物として紹介されていたのを覚えている。
▲イトーヨーカドー近くの“浜京”跡地。ドレッセタワー新綱島のモデルルームとしても使われていた
現在綱島温泉を継ぐ存在としては、駅西口の銭湯“富士乃湯”と、鶴見川対岸の大曽根1丁目にある銭湯“太平館”(『綱島』徒歩14分だが『大倉山』の方が徒歩10分と近い)の二軒が残っている。また、2016年には最初に鉱泉が湧出した樽町に日帰り温泉施設“綱島源泉 湯けむりの庄”が開店したが、こちらはいわゆるスーパー銭湯であり“公衆浴場”の定義からは外れるものの、当地で湧く黒褐色の源泉をそのまま用いていることから綱島温泉の再来ということもできるだろう。ただ、同店はもともとの温泉地ではない宮前平(川崎市宮前区)や仙川(東京都調布市)でも源泉を掘り当てて同様の店舗を展開しており、綱島特有の施設というわけではない。
▲“綱島温泉”の生き字引、富士乃湯。駅からやや離れるが小規模な商店街が続き、元温泉地らしい雰囲気
街の役割の変化とともに、「綱島」を取り巻く鉄道路線も近年目まぐるしく変化している。2008年に港北ニュータウン2本目の鉄道となる横浜市営地下鉄グリーンライン「日吉」―「中山」が開業したことで、東横線と港北ニュータウンの結節点としての役目は「日吉」へ譲り、「綱島」発着のバス路線はやや減少した。また、東京園跡地は東急新横浜線「新綱島」駅建設用地となり、閉館から8年後の2023年3月17日、ついに開通の日を迎えている。東急新横浜線開通による変化や街のこれからについては、次節以降をご覧いただこう。
▲横浜市営地下鉄グリーンライン。同線の開通は「綱島」の役割に少なからず影響した
2.綱島を歩く
東急新横浜線「新綱島」と“ドレッセタワー新綱島”
2023年3月18日、東急新横浜線「日吉」―「新横浜」が開通し、同時に唯一の途中駅として「新綱島」が開業した。東海道新幹線に接続する「新横浜」へわずか1駅4分で結ばれるようになったばかりでなく、それまでの東横線に加え目黒線、目黒線を経て東京メトロ南北線、都営三田線への直通列車が走るようになったため「目黒」「溜池山王」「永田町」「日比谷」「大手町」などの東京都心部へも、乗り換えなしで結ばれるようになった。
▲「新綱島」南口。隣では“ドレッセタワー新綱島”が建設中。
もともと「綱島」からは東京メトロ日比谷線直通列車が走っていたものの、各駅停車で遅かったため2013年3月の東横線―東京メトロ副都心線直通開始と引き換えに廃止されてしまったことから、綱島にとっては9年ぶりに「日比谷」など都心東側への直通復活ということになった。日比谷線直通が各駅停車だった反省を踏まえてか、都営三田線直通は多くが急行となっている。
▲「新綱島」に到着する目黒線・都営三田線直通急行西高島平行き。急行で「大手町」へ38分(日中)
この「新綱島」駅の直上、駅直結タワーマンションとして話題になったのが“ドレッセタワー新綱島”である。東横線沿線で見ても、駅まで雨に全く濡れずに行ける駅直結タワーマンションというと「武蔵小杉」の“エクラスタワー武蔵小杉”と“パークシティ武蔵小杉ザ・グランドウイングタワー”の2棟しかなく、みなとみらい線まで広げてみても「馬車道」の“ザ・タワー横浜北仲”と「元町・中華街」の“横濱ディアタワー”が加わるのみだ。「武蔵小杉」は駅を含めて周辺を一から作り直す再開発であったし、「馬車道」「元町・中華街」は2004年のみなとみらい線開通に関連する開発である。“駅1分”とか“駅のすぐ隣”は他にもあるが、駅まで全く外気に触れない“駅直結マンション”は、こういった新線建設とか面的再開発でないとなかなか生まれない。そういう意味でも“ドレッセタワー新綱島”は希少な物件である。
▲2023年4月の段階で、躯体はほぼ完成していた。2023年10月竣工、2024年1月入居開始予定。
ただ、駅開業段階ではまだまだ建設途上で、駅部分も通行に必要な最低限の範囲を囲った以外はほとんどが工事中。“工事現場の中の駅”といった感じで、駅周辺は工事の槌音や出入りするトラックの喧騒に満ちている。しかし、2024年1月の入居開始時には整然とした空間に生まれ変わっていることだろう。低層階は商業施設となり、3.で後述するが「綱島」駅バスターミナルの半分強のバスがこちらへ移されることになる。また、北側には住宅型有料老人ホーム“グランクレール綱島”が建設中(2023年11月開業予定)で、こちらも地下で「新綱島」直結となる。まさに鉄道、商業施設、住宅、シニアレジデンスが一体となった、東急の総合力を結集した街区になる。東京都心や横浜市中心部にはない“ほどよい郊外”の魅力をどこまで引き出せるか――という意味では、東急のこれからを占う試金石の駅、それが「新綱島」なのかもしれない。
▲手前が池谷桃園の桃畑。奥でドレッセタワー新綱島・グランクレール綱島の建設が進んでいる。
「新綱島」「綱島」東口 周辺のマンション
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現代の綱島を牽引する“綱島SST”
さて、今度は綱島街道を北(日吉方面)へと歩いてみよう。拡幅工事中のため駅周辺は歩道が狭く、やや窮屈な思いをしながら進むと、駅から8分ほどでガラスが波打ったような、何やら特徴的な建物が見えてくる。それと共に狭かった綱島街道も広くなり、整った景観が広がるようになる。この“ガラスが波打った建物”はアメリカ・アップル社のApple YTC(Yokohama Technology Center)といい、そしてこの街区全体を“綱島SST”と呼ぶ。なるほど、道理で主張が強い建物なわけである。現地に“SST”の文字はあまり見られず、Apple YTCの特徴的なフォルムとリンゴマークで“ここがSSTであることはわかるでしょう”ということのようだ。なんとも潔い。
▲Apple YTCの外観。ガラスが波打ったような外観がかなり特徴的で、低層だがよく目立つ。
“綱島SST”とは旧パナソニック(松下通信工業)綱島事業所跡地の再開発地区の名称で、SSTとは“Sustainable Smart Town”の頭文字をとったものだ。SST内には引き続きパナソニックが“イノベーションスタジオ”“エクスチェンジスタジオ”と銘打った研究施設を設けているほか、Apple YTC、JXTGエネルギーによる“横浜綱島水素ステーション”、慶應義塾大学国際学生寮、商業施設“アピタテラス横浜綱島”など多数の企業・施設が参画している。運営主体となるパナソニックは“共創(参加型)のまちづくり”を掲げ、SSTに参画する企業や地域住民を巻き込み、SSTをイノベーションのプラットフォームとしていきたい、という構想だ。
▲“スイソステーション”(手前)と“アピタテラス横浜綱島”(奥)。綱島街道沿いに並んでいる
それまでの企業主導型技術開発(クローズド・イノベーション)は、自動車など“精密部品をすり合わせて作りこむ”製品においては強みを発揮し、日本企業が得意とするところであった。ところが、ソフトウェア開発のような共通のプラットフォーム内での開発競争においては“社内のすり合わせに時間がかかる”こと自体が足を引っ張ることになり、他者を巻き込んで必要なものを迅速に取り入れていく“オープン・イノベーション”、つまり“共創”こそがイノベーションの源泉とみなされるようになった。高い技術開発力を有する自前の中央研究所を持ち、クローズド・イノベーションの旗手ともいえたパナソニック自らオープン・イノベーションを目指す施設を開き、かつオープン・イノベーションの旗手ともいえるAppleを招いたのだから、パナソニックのイノベーションに対する危機感、そして意気込みのほどが窺えよう。姿勢の180度転換といっても過言ではない。
▲慶應義塾大学国際学生寮。南はApple YTCに面する。
慶應義塾大学国際学生寮はその名の通り、留学生が半数を占めるそうだ。寮の前には小型EVや水素自動車、電動アシスト付きシェアサイクルが設置されており、北へ1.5kmほど離れた日吉キャンパスへはこれらで通うことになる。そのEVやシェアサイクルの電気や水素もSST内でつくられ、まさにSustainable でSmartなモビリティというわけだ。
▲慶應義塾大学国際学生寮前には小型EVなどがあり、自由に使えるようになっている。
そのSSTの中に建っている分譲マンションが“プラウド綱島SST”だ。Apple YTCの東側に隣接し、プラウドらしい整った外観のおかげでApple YTCと並んでいても見劣りしない。それにしても、マンション名にまで“SST”が取り入れられているあたり、SST側の並々ならぬ思いが伝わってくるようだ。SSTという聞いただけではわからない略称を敢えて冠し、ブランド化を図っているのだろう。
▲プラウド綱島SST(右手前)とApple YTC(左奥)。マンションもSSTの一員なのだ
ただ、その最先端を行く“綱島SST”が面している交差点やバス停が「北綱島」と、所在地(綱島東)ではなく江戸期以来の北綱島村に由来する名であるのが面白い。おそらくは1973年の住居表示実施前からこの名であるためだろう。50年前に地名から消えてしまった“北綱島”の名がこうして現代まで引き継がれているのは、周辺の住民の思いの賜物なのかもしれない。
▲北綱島交差点に面する“アピタテラス横浜綱島”。かつては日吉寄りにアピタ日吉店があり、実質的な移転
その「北綱島」で綱島街道と交差する日吉元石川線は港北ニュータウンを東西に貫く幹線道路であり、アピタテラス横浜綱島への買い物客も通る「北綱島」交差点は大変交通量が多いが、すぐ西側を通る東横線に駅はない。日吉元石川線を境に南は綱島東、北は箕輪町と住所も分かれ、中でも箕輪町2丁目は“プラウドシティ日吉”の入居開始により、2018年1月~2023年1月の5年間で4,199人の人口増を記録するなど、日吉元石川線を挟んだ南北で大変勢いがある。なお、この“日吉元石川線”という名はあくまで横浜市の都市計画道路としての名で、県道102号としては“綱島荏田線”と“綱島”の名が採用され、ここでも“日吉”と“綱島”が混在しているあたり、本当に境目といった感がある。ただ、境目とはいえ大きな川であるとか障害物が隔てているということはないので、プラウドシティ(箕輪町)の住民がアピタ(綱島東)に買い物へ行く…といったことはごく当たり前に行われている。
▲SST前の綱島街道は拡幅工事が完了。歩道も広く歩きやすい。SSTの向かいも新しいマンションが多い
「日吉」―「綱島」は2.2kmあり東横線最長の駅間だが、北綱島は「綱島」へ1.0km、「日吉」へ1.2kmとほぼ中間地点になるが、駅がなかったからこそ近年の大規模開発がかなったという面もあるだろうか。東急新横浜線の建設が決まった際、「新綱島」は現在の「綱島」至近ではなく1kmほどずらし「北綱島」駅としては…という案もあったようだが、北綱島周辺は台地上の「日吉」から鶴見川を潜る深さの「新綱島」までの下り急勾配の途中で、地下トンネルへの駅設置が難しかった。また、検討段階の“鶴見川の南で地上に出て鶴見川を橋で渡り、「綱島」―「日吉」を二重の高架線に改築”する案なら途中駅も設置できただろうが、こちらはこちらで「綱島」近辺の密集市街地に高架線を新設する必要があり、用地買収の面で断念せざるを得なかったようだ。
▲駅からやや離れているため「綱島」からのバス利用も多い(東急バス『綱島SST脇』)
綱島SST 周辺のマンション
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今に残る“綱島温泉町”を訪ねて
今度は東横線の反対が、「綱島」駅西口周辺を歩いてみよう。こちらはかつての綱島温泉のエリアで、数多くの温泉旅館がひしめいていた一角となる。現在は旅館跡地のほとんどがマンションや商業ビルに姿を変え、西口の商店街は四通八達し、多くの人々が行き交う。
▲「綱島」西口。店舗の厚みや商店街の充実度では、東口よりも高い。
「綱島」駅周辺の中心的な商業施設、イトーヨーカドー綱島店もこちら側。“パデュ通り”の名が付くが、“パデュ”とはフランス・リヨンの“ラ・パデュ・ショッピングセンター”ということらしい。同じ横浜の元町ショッピングストリート(元町商店街)のように2階が1階に張り出す構造の建物が多く(1階部分が雨除けになる)、歩道はカラータイルや石畳が施され、イトーヨーカドー前の広場には時計塔やベンチが設置されるなど、確かに歩きやすい通りではあるものの“フランス感”は乏しく、八百屋の呼び込みも聞こえてくるあたり、あくまでここは“綱島”である。ギリシャ風に装った隣の「大倉山」の駅前商店街(大倉山エルム通り)とは、なかなか対照的な光景だ。
▲イトーヨーカドー綱島店。店舗前には“パデュ広場”となっており、イベントも催される様子
そのパデュ通りが尽きるあたり、綱島小学校の南側に町内会の掲示板があるが、なんと“綱島温泉町自治会”とある。温泉旅館が綱島から姿を消して久しいが、その温泉旅館街であったエリアで組織された自治会はかつて同じ町の同業同士であっただろうし、この名に誇りや連帯感もあるのだろう。これを見つけた時、思わず駆け寄ってしまった。ちなみに“綱島温泉町”という住所が存在したことはなく(この辺りは南綱島村に由来する“南綱島町”)、あくまで俗称としての町名だったと思われる。
▲唐突に表れる“綱島温泉町自治会”の掲示板に驚く
その“綱島温泉町”のやや北側「上町」バス停近くに銭湯“富士乃湯”がある。現在綱島温泉を継ぐ存在としてはこの“富士乃湯”のほか、かつてはもう1件“草津湯”がさらに北、吉田橋近くにあったが2023年2月で閉店してしまい、建物は解体工事の準備のためかシートで覆われていた。“銭湯ブーム”も一部では起こっているようだが、建物や設備の老朽化、店主の高齢化による跡継ぎ問題、そして昨今のエネルギーコストの高騰など、公衆浴場を取り巻く環境は大変に厳しく、全般の退潮傾向に歯止めがかかっているとは言えない。綱島温泉東京園も当初は“休業”の予定で、“銭湯形態での営業再開を検討中”とされていたものの、「新綱島」駅ができてなおその話は聞かれず、自然消滅してしまったようだ。“綱島温泉”を知る住民も年々少なくなっていく中では仕方ないのかもしれないが、さしもの“綱島温泉”であってもこうした街の中の身近な湯が失われつつあるのは、残念としか言いようがない。
▲“草津湯”は残念ながら2023年2月で閉業。ここも“ラジウム鉱泉”の湯だったそうだ
ただ、東急電鉄が港北区民を対象に実施した「新綱島」の駅名公募においては、1,898件の応募のうち「綱島温泉」が247件と2位につけたというから驚く。1位は長年にわたり地元でも仮称として通用していた「新綱島」の381件だったそうで、さすがに実態としての温泉が銭湯数軒と日帰り温泉施設しかない現状では付けようがなかったのだろう。「綱島温泉」に投票したのは10~50歳代と“綱島温泉”を知らない世代が多かったという。“綱島温泉”に抱く郷愁やノスタルジーは、この街の記憶として脈々と引き継がれているようだ。温泉だけに。
▲ひょっとしたら「綱島温泉」駅だったのかもしれない
「綱島」西口 周辺のマンション
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3. 新綱島・綱島のこれから
「綱島」駅東口再開発が「新綱島」に次いで始動
「新綱島」直結の“ドレッセタワー新綱島”は早々と竣工前に完売となったが、綱島街道を挟んだ西側、東横線と綱島街道の間でも27階建・350戸のタワーマンション計画が進んでいる。こちらは東横線側となるため駅直結とはならないが、それでも「綱島」駅改札口とはほぼ向かい合う形となり、沿線の成熟が早く、駅至近の大型物件が「武蔵小杉」以外にほとんどない東横線では、相当に注目を集める物件になるだろう。
▲横浜市都市計画審議会の資料より。手前が「新綱島」およびドレッセタワー新綱島、奥が「綱島」。
▲同じような辺りから眺めた現在の再開発地。小規模な店舗や雑居ビルが密集している。
先発物件となった“ドレッセタワー新綱島”は2021年11月から分譲を開始し、平均坪単価396万円と「綱島」最高額で、横浜市中心部の「みなとみらい」や東京都内と比べても引けを取らない水準であったが早々に完売したあたり、“東横線沿線”“駅直結”“タワーマンション”という希少性の高さ、高付加価値が評価されたということだろう。昨今の上昇基調を背景に、「綱島」駅東口のタワーマンションも同等かそれ以上の価格となることが予想される。
▲横浜市都市計画審議会の資料より。南側に高層の住宅棟、北側に低層の商業棟が設けられる。
▲同じような辺りから高層棟予定地を眺める。将来的に目の前のブロックはタワーマンションへ一変する
また、“ドレッセタワー新綱島”と「綱島」駅東口のタワーマンションは2階部分に綱島街道を跨ぐデッキが架けられ、お互いの低層階商業施設を結ぶと共に、「綱島」と「新綱島」で少し離れてしまうバスターミナル同士を連絡する役割を担い、実質的なツインタワーとして機能するように設計される模様だ。現状、東横線沿線でタワーマンションが複数建つ駅は「武蔵小杉」以外になく、「綱島」の商業地としてのポテンシャルがさらに高まることだろう。横浜市営地下鉄グリーンライン開通以降、港北ニュータウンと東横線を結ぶ交通結節点としての役割を「日吉」に譲って存在感が少し薄れていただけに、地元の期待も高いはずだ。
▲横浜市都市計画審議会の資料より。「綱島」駅東口と「新綱島」が2つのタワーを介して結ばれる。
▲現状の「綱島」駅東口。この辺りにデッキへ上がるエスカレーターが設けられ、奥の“ドレッセタワー新綱島”と繋が。
バスターミナル・交通広場整備で安全な駅前に
現在「綱島」は駅前広場がないため、東口の路上が事実上のタクシー乗り場兼一般車乗降場と化しているほか、歩道が狭いために車道にはみ出す歩行者が少なく、その歩行者がはみ出す車道に1日860本以上のバスが通るなど、人の多さにインフラ整備が追いついておらず危険な状況になっている。
▲バスとタクシーがひしめく「綱島」駅東口。西口に車がほぼ入れないため、現状は殆どが東口に集中する
また、「綱島」―「鶴見」を結ぶ川崎鶴見臨港バス(以下『臨港バス』)はバスターミナルから溢れてしまっており、東口から少し離れた商店街の中に1台がギリギリ停車できるだけのバス乗り場を構えているなど、狭いだけでなく乗り換えの利便性でも問題を抱えている状況である。
▲“ナニコレ珍百景”でも取り上げられたことがある、雑居ビル1階をの臨港バス7番乗り場(中央)。以前は中華料理店だった
そこで、「綱島」発着のバスを横浜市営地下鉄グリーンライン「高田」・港北ニュータウン方面(410本)を「綱島」発着、主に「鶴見」方面の綱島街道経由(450本)を「新綱島」発着に分け、既存の「綱島」バスターミナルに乗り入れるバスを半分以下に減らし、バック進入もやめて縦に並ぶ形に改める。また「鶴見」方面からの「新綱島」行きバスも、「新綱島」バスターミナルに入る前に「綱島」側マンション1階に設けられるバス停に停車させることで、東横線への乗り換えの便を損なわない配慮がなされる(『新綱島』発は『綱島』側を経由せずそのまま綱島街道に出る)。
▲横浜市都市計画審議会の資料より。綱島街道を通るバスがすべて「新綱島」に移行する計画。
また、再開発用地内にタクシー乗り場と一般車乗降場を設け、一般車が駅前まで入ってこないようにするという。これらを合わせると、駅前に入ってくる車は現状の半分以下のバスのみに絞られ、歩行者の安全性向上やバスターミナルの容量不足解消など、現状の駅前が抱えている交通問題は大幅に改善されるだろう。
▲現状の「綱島」駅バスターミナルはバックで入る必要がある。高架下の限られた用地ゆえの工夫である
綱島東は鶴見川や矢上川沿いに平地が広がっているため、駅から徒歩15分以上かかるあたりからも自転車で駅へやって来る利用者も多いが、現状は駅周辺に分散する平面駐輪場で何とか収容している。しかしこれも道路用地や再開発用地として確保された土地の暫定利用であるため、抜本的な対策として「新綱島」北口に地下駐輪場を500台分(2023年度下期開設予定)、もう500台分を「綱島」駅東口に設置するとしているが(こちらは東口タワーマンションか店舗棟の地下となるだろう)、いずれも幅広タイプなどの特殊自転車は駐輪できない。このため、再開発区域ではない池谷桃園の敷地を道路に沿って削り、平面区画として市民の利用に供することになっている。池谷氏自身もこうして再開発用地を提供しており、まさに行政、市民、民間企業が一丸となって再開発が進められているのだ。
▲池谷桃園の敷地を削って整備された駐輪場。支障する桃の木は移植または伐採されたという
西口側の再開発は続くか
今年でイトーヨーカドー綱島店は開店41年目となり、駅周辺唯一の大型店ゆえ客足の心配はなさそうだが、竹の塚店(東京都足立区、1977年開店から46年目となる2023年閉店)、金町店(東京都葛飾区、1973年開店から49年となる2022年閉店。跡地をタワーマンションなどに再開発中)など開店40~50年で閉店となる例が多いだけに、そろそろ行く末が気になってくる頃である。
▲イトーヨーカドー前の広場。綺麗にはしてあるが、建物はさすがにやや年季を帯びてきた感はある
「綱島」周辺では上述したアピタテラス横浜綱島(2022年開店)のほか、大綱橋を渡った先の師岡町の“トレッサ横浜”(2007年開店)などクルマでの来店を前提とした商業施設が増えてきているほか、「綱島」駅高架下の東急ストアも東急新横浜線開通を前にした2020年に駅直結商業施設“エトモ綱島”としてリニューアルオープン(東急ストアはエトモ内の一店舗となった)するなど競合が激しくなっており、イトーヨーカドーも店舗も何かしらのテコ入れが必要な時期に差し掛かっているように思う。
▲リニューアルオープンした“エトモ綱島”と東急ストア。改札口と向かい合う位置で、立ち寄りやすい。
また、イトーヨーカドー周辺では“浜京”跡地をはじめ、虫食い状に再開発待ちとみられる平面駐車場が数多く広がっているばかりでなく、駐車場の一角の暫定利用と思しき店舗が次々と閉店するなど(かつてこの一角に隠れ家的なステーキ・ハンバーグ店があったがトレッサ近くの駒岡に移転してしまった)、本格的な再開発の前段階ともとれる状況にある。かつての温泉旅館がマンションに生まれ変わりはじめたのが1970年頃からなので、その時期に建ったマンションや雑居ビルは築50年を迎える頃合いにある。現状、再開発の動きは「新綱島」に関連する東口側が大きく先行しており、西口はバス通り(県道106号子母口綱島線)の歩道拡幅が予定されているくらいだが、東口に次ぐタワーマンションが誕生してもおかしくはないだろう。
▲通称“バス通り”。時折こうして何台もバスが続いてやってくるが、信号待ちが長く、渋滞しがちで足取りは遅い。
4.「新綱島」「綱島」の駅別中古価格と2020年代マンション
最後に、「新綱島」「綱島」を取り巻く東急新横浜線(相鉄新横浜線)・東急東横線(みなとみらい線)沿線の駅別中古価格および2020年代以降の分譲マンションを見てみよう。
相鉄・東急新横浜線「新綱島」
▲データ集計:(株)東京カンテイ 直近3年、各年とも1~12月。30㎡未満および事務所・店舗用住戸は除外。赤数字は上位5駅
相鉄・東急新横浜線単体だと駅数が少ないため、直通列車が走る「武蔵小杉」および「二俣川」まで拡大して取り上げる。東急線側が高く、相鉄線側が割安という状況で、「新綱島」は「元住吉」と同等、「日吉」「新横浜」より高く、築年数が浅くJR線も乗り入れる「武蔵小杉」より低いという水準である。
ただ「新綱島」最寄りで登録されている物件がまだ少なく、2022年の平均築年が16.7年と浅いことが平均坪単価が高くなっている要因と考えられる。ほぼ同一地点に在りながら「綱島」とだいぶ値が異なる点に留意いただきたい。
東急東横線・みなとみらい線「綱島」
▲データ集計:(株)東京カンテイ 直近3年、各年とも1~12月。30㎡未満および事務所・店舗用住戸は除外。赤数字は上位5駅
概ね「渋谷」「横浜」(『みなとみらい』)のターミナル駅に向かうほど高くなる。しかしながら、2020年時点では「綱島」よりも「大倉山」の方が平均坪単価が高かったところ2022年では逆転しており、これは東急新横浜線開通の恩恵を受ける駅と、そうでない駅の期待感の差であろう。同じく新横浜線がほぼ影響しない横浜寄りでは、「白楽」「東白楽」など足踏み状態となっている駅もある。
ただ隣の「日吉」は「綱島」を上回るペースで上昇を続けており(“プラウドシティ日吉”の影響もあるだろう)、2022年段階では「綱島」と「日吉」がほぼ並ぶ結果となっているのは、「新綱島」「綱島」が微妙に離れていること、「日吉」は目黒線の始発列車が多数あり、東横線の通勤特急が停車するという利便性の差があるためだろうか。
しかしながら、大規模な開発が続く「新高島」「みなとみらい」「馬車道」などのみなとみらい地区や、すっかりタワーマンション街として知られるようになった「武蔵小杉」に追随する「新丸子」の著しい上昇と比べれば、「綱島」はまだ穏やかな部類である。
「新綱島」「綱島」2020年代以降のマンション
おわりに
日も傾いた取材の帰り道、せっかくなので“綱島温泉”を全身で感じようと、西口の銭湯“富士乃湯”の暖簾をくぐった。コンパクトな脱衣場を抜けると、その名に違わず立派な富士山がタイル絵にそびえていた。そして綱島名物、“ラジウム鉱泉風呂”に入ってみるとこれが猛烈に熱く、44度を指している。東京湾沿いによくある植物質が溶け込んだ黒湯で、めんつゆのような色合いだがにおいはせず、植物質だけあってとろとろだが、いかんせん熱い。こういう熱い湯はじっとしているとたちまち熱くなるので、小刻みに身体を動かすと良い。それでもたまらず水風呂に身体を移すと、茹で上がった身体がやわらかく、かつ引き締まっていくよう。これを数回繰り返して脱衣場へ戻ると、カーッとした熱もなく、それでいてさわやかな湯上り感がある。自宅の風呂とは、やはり違う。この湯上りの爽快感がいい。
“温泉”と“鉱泉”の差ははっきりした違いはなく、湧出温度(25度以上で温泉、それ以下は鉱泉)や気体(ガス)を含むかどうか(含むと温泉、液体のみは鉱泉)くらいしかない。だからボイラーで温めてしまえば“鉱泉”だって“温泉”である。
▲夕刻の富士乃湯。三々五々お客さんが集まってくる頃合いだ
現代に残る“綱島温泉”を堪能したあと、鶴見川の土手を歩いて駅へ戻る。温泉上がり独特の温もりに包まれながら川風に吹かれていると、どこか山あいの温泉地のような気さえしてくる。ただ、目を開ければ東横線が乗客を満載して鶴見川を渡っていき、その奥の大綱橋もひっきりなしにクルマやバスが通っていくから、ここはやはり大都会横浜の一角なのだとわかる。この“横浜であってヨコハマでない”感じ、これこそ都市の多様性なんじゃないだろうか――家路を急ぐ人々の波に逆らって駅に着く頃には、もう夜の帳が降りていた。
※特記以外の画像は2023年3~4月筆者撮影。マンション図書館内の画像は当社データベース登録のものを使用しています。無断転載を禁じます。
※本稿執筆にあたり、以下の記事から一部引用、および執筆の参考にしています。
(最終閲覧:2023/04/11)
賃貸不動産経営管理士
佐伯 知彦
大学在学中より郊外を中心とする各地を訪ね歩き、地域研究に取り組む。2015年大手賃貸住宅管理会社に入社。以来、住宅業界の調査・分析に従事し、2020年東京カンテイ入社。
趣味は旅行、ご当地百貨店・スーパー・B級グルメ巡り。
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