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更新日:2022.11.24
登録日:2022.10.14
自由が丘駅――"お洒落の街"は一日にして成らず (東京都目黒区・世田谷区/東急東横線・東急大井町線)
東京広しといえど「名前からしてお洒落な街」というのはそう多くない。お洒落な街の代表としては銀座、六本木、麻布十番、吉祥寺といったところが思い浮かぶが、どれも由来は古くからの地名やルーツなどに基づくものだ。そうした中「自由が丘」は、いかにもな響きを持ち、イメージと実態が釣り合っている、数少ない街の一つと言えるだろう。
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▲自由が丘駅南口から、今回の街歩きを始めよう。
1.自由が丘の歩み
駅南口を出てすぐ面しているのは、その名も「マリ・クレール通り」。まず他所では聞かない名である。フランスのファッション雑誌からとった名で、出版社とのタイアップにより実現したものだという。フランスらしく、シャンソンの野外ライブや大使館後援のイベントも多く催されるが、これらは「自由が丘日仏協会」が主体となって運営されている。自由が丘のイメージを創り上げている通りの一つである。
▲南口改札の案内。マリ・クレール通りは「Marie Claire-Dori Ave.」とあるように、フランス語である。
▲南口改札前のマリ・クレール通り。平日・土休日を問わず、多くの人が行き交う。
▲南口からマリ・クレール通り東方向を望む。カフェやブティックが軒を連ねる。
すぐ南には「九品仏(くほんぶつ)川緑道」が東西に延びる。大きく育った並木道にベンチが置かれ、読書に興じる紳士や、大きな犬を連れて散歩中のご婦人の姿も多い。まるでパリのオープンカフェのようで、高温多湿の我が国らしからぬ西洋的な光景に驚かされる。今となっては、フランス風の街並みに「九品仏」とは、いささか不釣り合いな感じもする。ただ、自由が丘の街の源流が、まさにこの九品仏にあることは、もはやあまり知られていないのではないだろうか。
▲九品仏川緑道。休日ともなれば多くのイベントが開催され、大いに賑わう。
▲ブロックで美しく舗装された道に、大きく育った桜並木が映える。
▲桜並木の下にはベンチが設けられ、開放的な雰囲気。
九品仏とは、駅西側に位置する九品仏浄真寺(じょうしんじ)のことを指す(九体の阿弥陀如来像に由来)。1927年の東横線開通当初は、ここが浄真寺の最寄駅であったことから「九品仏駅」として開業したものの、追って1929年に大井町線が開通した際、より浄真寺に近い位置に駅が設置されたため、九品仏の名を新駅(現在の大井町線九品仏駅)に譲っている。
▲自由が丘から大井町線で1つ二子玉川寄りの「九品仏」駅。住宅街の中の小さな駅だ
▲駅すぐ北に九品仏浄真寺の参道が伸びる。大きく育った松並木がいかにも古刹の雰囲気を醸す。
改称後の駅名は所在地名をとり「衾(ふすま)駅」に決まりかけたというが(当時は東京府荏原郡碑衾(ひぶすま)町大字衾。『衾』とは体を覆う布製の寝具・夜具の古い表現で、『古事記』にも表記が見られる)東横線開通と同時の1927年創立の「自由ヶ丘学園(現:自由ヶ丘学園高校)」に因み、この地に舞踊研究所を開いていた舞踊家の石井漠ら文化人の働きかけもあって「自由ヶ丘駅」へ改称されたのが、自由が丘の出発点と言える。仮に「衾駅」や「自由ヶ丘学園前駅」に改称されていたならば、今日の地位はなかったのではないだろうか。「学園前」まで入れずに「自由ヶ丘」で止めたことで、地域の包括的なイメージに昇華させることができ、街のイメージ戦略として大成功したと言える。「自由ヶ丘」の名を石井らが好んで用いたことで地元への定着も進み、大字衾は1932年の目黒区成立と前後して「大字自由ヶ丘」へ改められている。この町名に対する地域住民の思い入れは強く、第二次大戦中の憲兵隊による改称の要求をも退けたほどであったという。
戦前・戦中の軍部や憲兵隊による圧力は凄まじいものがあり、多くの地名・駅名が改称を強いられている。例えば同じ東横線の綱島駅は、戦前まで「綱島温泉駅」であったところ、遊興施設の名を駅名から外すよう圧力がかかり、1944年に綱島駅に改称している。戦後も駅名は元に戻らず、綱島のようにそのまま定着してしまった例も多い。そうした中「自由ヶ丘」の名を戦禍の中も守り抜き、今に伝えていることは、非常に尊いことだ。この姿勢こそが「自由の街」自由が丘を象徴しているように思う。
▲自由が丘の歩みが東横線高架下で紹介されていた。
このような経緯で誕生した自由が丘は、駅開業の4年前、1923年に発生した関東大震災の被害が少なかった西側の山の手に位置していたこと、2つの鉄道路線が交差するため利便性も高いことに加え、自由教育を標榜する私立学校と、その周辺に集まった文化人らが創り上げた先進的なイメージの3点が相俟って、郊外の高級住宅地としての名声を高めていく。新しい街に集まった好奇心旺盛な住民を顧客とする駅前商店街も、その要求に応えるべく、亀屋万年堂(1938年創業、どら焼きを洋風に仕立てた『ナボナ』で知られる)や、株式会社モンブラン(1933年創業、モンブランケーキを日本で初めて販売)など、魅力的な店舗が増えていった。「お洒落な街・自由が丘」は、著名な寺院の最寄駅にはじまり、次いで学校や文化人が集まる先進地として発展していったことにその起源があり、今なお脈々と「お洒落」の系譜を継いでいる。
同じ山の手の高級住宅地として並び称される田園調布や成城と違い、自由が丘には明確な街づくりのリーダーがいないことが特徴だ。田園調布は東急(渋沢栄一設立の田園都市株式会社)、成城は学校法人成城学園がデベロッパーとして一帯の土地を買い上げて分譲していったが、自由が丘はそうではなかった。しいて言えば、自由ヶ丘学園をこの地に誘致した大地主の栗山氏の存在があるだろうが、栗山氏がデベロッパーだったわけではない。このことが、山の手の新開地に集まった住民自ら街を創り上げていく気風を生み、唯一無二の個性的な街へと育てていったのではなかろうか。
▲自由が丘の通りの名の紹介。個性的な名の通りが縦横に交わっている。
2.自由が丘マンション事情と駅前再開発
街の出発点が郊外住宅地であり、駅周辺を除く大部分が高さ10m以下に規制される第一種低層住居専用地域であるためにマンションはもともと多くなく、マンション供給は「プラウド自由が丘」(野村不動産・2015年竣工・31戸、駅徒歩11分)など、北に徒歩10分ほど離れる目黒通り沿いが中心であった。また、特に南傾斜の高台となる目黒区側は戸建が中心ながら、閑静な住宅街に立地し専有面積103~216㎡という広さを誇る「ディアナガーデン自由が丘」(モリモト・2017年竣工・14戸、駅徒歩6分)をはじめ、低層高級マンションの立地も多い。
加えて、駅の利便性の高さから、近隣の世田谷区等々力(とどろき)・深沢などからバスで集まる流れもある。「シティハウス自由が丘レジデンス」(住友不動産・2018年竣工・87戸、駅徒歩18分)、「イニシア自由が丘」(コスモスイニシア・2011年竣工・37戸、駅徒歩19分)などのように、自由が丘駅から徒歩15~20分程度要する場所でも「自由が丘」を冠したマンションが見られる(自由が丘に限った現象ではないが)。目黒通りには[黒02]目黒駅―二子玉川駅など、自由が丘駅発着以外にも目黒駅発着の東急バスが頻発しており、駅から離れたエリアではこれらバスの利用も便利だ。
▲「イニシア自由が丘」の前を走る自由が丘駅行き東急バス。バスは日中も5~8分毎の頻発運行で便利。
しかしながらその知名度と存在感の大きさの割に、自由が丘駅前を発着する東急バスは[自01]自由が丘駅―駒大深沢キャンパスほかの実質1路線しかなく、いつ見てもバスは大変混雑している。それは駅前のバス乗り場が狭いことに加え、バスの経路となる道路がどこも狭く、大型車が使えず中型車での運行を強いられるという点にある。歩道と車道が区分されておらず、バスは商店街を歩く買物客や、自由ヶ丘学園をはじめとする近隣の学校への通学生をかき分けながら走っており、危険な場面も散見される。
▲夜の駅前商店街を走るバス。バスが走る道にしては道幅が狭い上、歩行者も非常に多い。
そればかりでなく、自由が丘は街の立ち上がりが他の郊外に比べて早かったことで、現代の都市にはそぐわない面も見受けられる。道の狭さに加え、老朽建築物の多さはその最たるものだ。街のイメージとは裏腹に、駅前には雑多かつ狭小な老朽建築物が密集する一角がある。日本経済新聞の記事にもある通り、自由が丘はブランド力があったために差し迫った再開発の動機が薄く、課題を認識していながらも、現状維持で来てしまっていたのだろう。
▲バス通りの歩車分離がなされていないため、バスは商店街の中を低速で走らざるを得ない。
それらの課題を一挙に解決すべく、自由が丘駅前では3区画、合計2.4万㎡もの再開発計画が始動している。いずれも低層は商業施設、中高層はマンションとなり、3棟で計500戸の供給が見込まれる。現状、高い建物が少ない自由が丘であるが、再開発後は高さ60m(20階建て相当)となるというから、希少性・ランドマーク性とも際立ったものになる。再開発は北側の目黒区側だけでなく南側の世田谷区奥沢側でも進みつつあり、「ザ・パークハウス自由が丘フロント」(三菱地所レジデンス・2023年竣工予定・32戸、駅徒歩3分)、「Brillia自由が丘」(東京建物・2024年竣工予定・61戸、駅徒歩2分)など、近年稀に見るペースで駅前に新築マンションが建ちつつある。
従来の自由が丘のマンションであれば、平均専有面積100㎡超で話題となった「ザ・パークハウス自由が丘ディアナガーデン(三菱地所レジデンス/モリモト・2022年竣工・44戸、駅徒歩9分)」のように、駅からやや離れているのが常道であり、地元住民の声として「駅前は騒々しく、住むところではない」という意見も聞いたことがある。ただ、それは駅前に魅力的なレジデンスが少なかったせいもあるだろう。駅前に建つマンションたちは、そうした固定観念をも覆してゆくのではないだろうか。
▲ザ・パークハウス自由が丘ディアナガーデン。自由が丘に相応しい低層高級レジデンスの貫禄を持つ。
3.「自由が丘女神まつり」に見る、自由が丘のこれから
再開発の対象となっている区画を歩くと、吉祥寺のハモニカ横丁のような狭く古い建物が密集しており、防災上の弱点となっているのも頷けるが、一方ではこうした裏道であっても自由が丘のイメージを崩さぬよう石畳で舗装され、うらぶれた雰囲気もなく、どことなく地中海の島を歩いているような雰囲気さえある。表通りはブティックやカフェなどが多いが、こうした道にはスイーツ店やバーなど、大人な雰囲気を醸す店が並ぶ。
▲石畳で舗装された雰囲気の良い裏通り。このブロックは全て再開発エリアに含まれ、姿を消すことになる。
再開発後、こうした裏通りの大人な店は自由が丘に残ってくれるだろうか。再開発を主導するデベロッパーには、自由が丘が持つ唯一無二の個性として、こうした店たちも大切にしてもらいたい。低層階のチェーン店とごく普通の中高層マンションでは、自由が丘の人々は絶対に満足しないし、自由が丘を訪れる人々もそれを期待してはいないだろう。
▲大井町線の踏切周辺の賑わい。お洒落かつ賑やかな雰囲気が再開発後も残ることを期待したい。
今回のブログ記事執筆にあたり、10月10日の「自由が丘女神まつり」に出向いてみた。九品仏川緑道では「おもちゃ博」が催され数々の露店が並んでいたが、冒頭の「マリ・クレール通り」で記述した「自由が丘日仏協会」による「ペタンク」(フランス発祥のボール投げ遊び)や、人気の玩具メーカーによるブースが中心で、たこ焼きや金魚すくいといった”秋祭りの定番”の姿はどこにも無かった。トランペット奏者が何でもリクエストに応える大道芸も催されており、やはりここでも”自由が丘”らしく、和太鼓に篠笛の出番はない。それでも訪れた子どもたちは思い思いに自由が丘の秋を楽しんでおり、穏やかな時間が流れていた。
▲日仏協会による「ペタンク」の隣で、大道芸人による「人間ジュークボックス」が子どもの注目を集めていた
特別に歩行者天国となっていた駅前のステージでは、市民団体によるブラスバンドに始まり、自由が丘出身の元宝塚歌劇団男役スター「初風緑」さんによるショーに加え、日も暮れた19時からはなんと横須賀からやって来た「U.S.7TH FLEET BAND」(アメリカ海軍第7艦隊音楽隊)によるビッグバンドの生演奏が始まり、20時まで1時間に亘るステージを繰り広げた。
▲「自由が丘女神まつり」の由来である自由が丘の女神像が見守る中、ブラスバンドが秋空に響いていた。
▲宝塚OG「初風緑」さんを一目見ようと集まった大勢の観衆。3年ぶりの開催だけに、熱気は相当なもの
それにしても、「元宝塚」と「米海軍音楽隊」というキラーコンテンツを2つも取り揃える(それも無料)だけの体力、そして地元の期待に応える商店街の心意気には恐れ入った。全身で音楽を楽しむ観客も多く、住民が自発的に音楽を楽しみ、こうして街づくりに還元してゆく文化資本の高さこそが、「お洒落の街」だけでない「自由の街」自由が丘を支えているのだろう…と、深く感じ入った。
▲米海軍第7艦隊音楽隊のビッグバンドで大団円を迎えた。彼らの出演は「お馴染み」というから驚く。
自由が丘駅は1927年の開業からじきに100年を迎える。かつて自由が丘に集まった人々が自らの手で「自由の丘」たる個性的な街を守り育てていったように、これから自由が丘駅前に建つマンションには、次代の100年をつくる気概で、新たな「自由の丘」を創造してほしい。そうした期待をいやがうえにも寄せてしまうのは、この街が持つ唯一無二の、上品な魅力ゆえだろうか。
▲自由が丘駅正面口。いつ訪れても、その上品な賑わいは変わらない。
※自由が丘女神まつりの写真は2022/10/10筆者撮影、その他特記以外すべて筆者撮影。マンション図書館内の画像は当社データベース登録のものを使用しています。無断転載を禁じます。
再開発関連の情報は日本経済新聞の発表を参考にしました。 2022/9/15 日本経済新聞 自由が丘で初の駅前大型再開発 二子玉川・中目黒人気に焦り
賃貸不動産経営管理士
佐伯 知彦
大学在学中より郊外を中心とする各地を訪ね歩き、地域研究に取り組む。2015年大手賃貸住宅管理会社に入社。以来、住宅業界の調査・分析に従事し、2020年東京カンテイ入社。
趣味は旅行、ご当地百貨店・スーパー・B級グルメ巡り。
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