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更新日:2023.02.10
登録日:2023.02.10
辰巳駅・東雲駅――地下鉄と共に歩んだ湾岸の新開地…“豊住線”が変える“豊洲のまわり”(東京都江東区/東京メトロ有楽町線・東京臨海高速鉄道りんかい線)
タワマンの街として名を馳せる豊洲。その豊洲へ3本目となる新しい鉄道、有楽町線支線・通称「豊住線」、「豊洲」―「東陽町」―「住吉」間が2030年代半ばに開通することが決まった(以下『豊住線』)。1988年の有楽町線開通当時、「豊洲」は有楽町線単独駅であったが、2006年のゆりかもめ「有明」―「豊洲」延伸開通を機に、豊洲はタワマンの街へと変貌を遂げた。今回は、豊洲の発展に強い影響を受ける隣町、辰巳・東雲と、新駅が設置され“豊洲から1駅”となる枝川にスポットを当て、豊住線がどのように街を変えるかを考えてみよう。
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1.辰巳、東雲、枝川の歩み・マンション紹介
(1)辰巳の歩み・辰巳マンション紹介
豊洲から有楽町線「新木場」行きでひとつ隣が「辰巳」だ。辰巳は概ね北半分が住宅地および緑地、国道357号(東京湾岸道路)が通過する南半分が工業地であり、工業地側に住宅は無い。
▲辰巳駅1番出口。住宅地へはこちらが最寄り。
辰巳は“東京湾埋立7号地”として生まれた。同じく“6号地”の東雲、“5号地”の豊洲、“4号地”の枝川・晴海(中央区)と、都心側から順番に埋め立てが進められてきた場所だ。1936年には東雲との間に“辰巳橋”が架けられたものの、帰属未定地であったため、約30年にわたり特段の開発はされなかった。1968年に江東区への帰属が決まり、辰巳一丁目・二丁目の住居表示が実施。併せて、都営住宅の中で最大の87棟3,326戸を誇る“都営辰巳一丁目アパート”(通称:辰巳団地)が建築され、辰巳は一気に“団地の街”となった。
▲都営辰巳一丁目アパート、通称“辰巳団地”。バス停名も「辰巳団地」。
1976年には南側へ首都高速湾岸線、1980年には首都高速9号深川線が開通し、両者の交点に辰巳ジャンクションが設置。一般道においても、1978年に“七枝橋”が架けられて三ツ目通りが延伸し(9号深川線の側道にあたる)、国道357号線(東京湾岸道路)と木場方面へ向かう三ツ目通りの交点になり、辰巳は道路交通の要衝となった。また、都営バスに頼っていたアクセスについても、辰巳団地の完成から20年を経た1988年に地下鉄有楽町線「辰巳」、1990年に北に隣接する潮見へJR京葉線「潮見」が開業し、ようやく陸の孤島状態を解消している。
▲潮見と辰巳を結ぶ“七枝橋”。首都高と三ツ目通りの二重構造になっている
辰巳の名を世に広めたのは、1964年東京五輪で建設された代々木オリンピックプールに代わり、1993年にオープンした“東京辰巳国際水泳場”であろう。2020年東京五輪では至近に水泳会場として“東京アクアティクスセンター”が新設、既存の辰巳国際水泳場は水球会場として大いに利用され、“水泳のまち・辰巳”を世界に印象付けた。なお、東京アクアティクスセンターが開設されたことに伴い、至近の辰巳国際水泳場はアイスアリーナへ転換されることとなり、2023年~2025年にかけて工事が行われる予定だ。
▲辰巳国際水泳場。その特徴的なフォルムは、水泳部の“青春の象徴”でもあった。
もともと“辰巳”とは“江戸城から見て”巽(=タツミ、辰巳)の方角(南東)”のことを言い、深川(現在の門前仲町周辺)で活躍した芸者を指す“辰巳芸者”という言葉もある。現在でこそ江戸情緒薫る街として名を馳せる深川だが、江戸時代までは隅田川を境に江戸市中が武蔵国、深川が下総国と分かれていた(その名残が“両国”。武蔵と下総を結ぶ橋に“両国橋”の名が付き、橋が接する街に橋の名が付いた)。江戸市中から見た深川は、現在でいう川崎のような“川を渡った先の盛り場”という認識だったのではないかと思う。辰巳芸者が活躍した盛り場は江戸時代末期に台東区柳橋(両国の対岸、浅草橋駅近く)に移転し、以後辰巳の名は忘れられていたが、およそ100年の時を経て、埋立地の名として復活を遂げたのは感慨深い。
▲辰巳駅の駅名標。十二支に由来する地名は東京の中でもユニークだ
辰巳駅周辺(辰巳)マンション紹介
(2)東雲の歩み・マンション紹介
「豊洲」から晴海通りを南東へ進んだ“東雲橋”、および「辰巳」から人道橋“辰巳桜橋”で結ばれるのが東雲だ。もともと“東雲”とは“明け方に東の空にたなびく雲”のことを指す。古来の住居では、篠竹(しのだけ)の筍皮を編んだものが明り取り窓として用いられており、その明りが入る編み目のことを“篠の目”と呼んだ。雲間からちらちらと朝陽が射すさまに“篠の目”から光が射すさまをなぞらえ、“東雲”の字を充てたと言われている。知らなければ読めない地名だが、まさに東京の東側に相応しいやまとことば(※)由来の地名であるように思う。
(※)漢字伝来以前から存在する日本語に後から漢字を充てたため、漢字の区切りがなく、固有の読み方を持つ熟語のこと。「大和」・「飛鳥」などが該当する。
▲人道橋“辰巳桜橋”。奥が辰巳駅側となる。東雲と辰巳を結ぶ貴重な交通手段。
1960年代から住宅地であった辰巳と異なり、東雲は豊洲とひとつながりの利用がなされ、石川島播磨重工業(現・IHI)などが豊洲で操業していた1990年代ごろまでは、大部分が工業地であった。その後、90年代後半にかけて豊洲と歩調を合わせるように商業・住宅地への転換が進み、1996年には東京湾岸道路沿いの南部にりんかい線「東雲」が開業。当初、りんかい線は都心直通ではなかったものの、2002年には「大崎」へ延伸しJR埼京線との直通運転を開始。「辰巳」・「豊洲」からの有楽町線に加え、「東雲」からりんかい線が「東京テレポート」・「渋谷」・「新宿」方面へ乗り換えなしで結ぶこととなり、東雲の交通利便性が大きく改善した。
▲「東雲」を発車する、りんかい線「新木場」行き。「渋谷」「新宿」方面へのアクセスが格段に向上した
りんかい線の「渋谷」・「新宿」直通を機に東雲は開発が一気に進み、2001年に再開発地区へ“東雲キャナルコート”の名が付けられ、2003年には東雲の中心的商業施設である“イオン東雲ショッピングセンター”が開業した。2000年代には東雲運河沿いに7棟ものタワマンがL字状にずらりと建ち並び、水辺にタワマンが林立する光景は、東京湾岸を代表する景観の一つとなっている。東雲運河に接しない中央部は“東雲キャナルコートCODAN”としてUR(都市再生機構)が開発を進め、従来の“公団住宅”の在り方とは一線を画したデザイナーズ賃貸となった(2019年以降はURの手を離れている)。2021年には豊洲に最も近い北端部に“プラウドシティ東雲キャナルマークス”が竣工、現在の東雲で最も新しいマンションとなっている。
▲林立する東雲のタワマン群。今や東京を代表する景観の一つとなった
豊洲駅・辰巳駅周辺(東雲)のマンション紹介
豊洲駅・辰巳駅周辺(東雲)のマンション紹介
(3)枝川の歩み・マンション紹介
そして、豊洲から北西の“朝凪橋”で結ばれるのが枝川だ。現状は「豊洲」・東京メトロ東西線「木場」・JR京葉線「潮見」からどこも徒歩10~15分程度とやや離れているが、2030年代半ばに豊住線「枝川」(仮称)が設けられることが決まり、俄然注目を集めることとなった。“枝川”とは、川や運河によって枝葉のごとく水路が延びるさまから名付けられたと言われる。
▲辰巳から枝川1丁目を眺める(木場南スカイハイツ)。枝川も周囲をぐるりと水路に囲まれた街だ
枝川は中央区晴海と同じ“東京湾埋立4号地”として1914年に埋め立てが始まり、1928年に完成した。折しも1910年の朝鮮併合、1920年の関東大震災を経て多くの朝鮮半島出身者が日本へ渡ってきたころで、土地の造成から間もなく、永代通りの都電のりばまで徒歩15~20分と交通も長いこと不便だった枝川は、コリアンタウンとしての歴史を長く歩むこととなった。戦後の1946年には“東京朝鮮第二初級学校”が開校し、現在も存続している。1949年には“枝川事件”が発生し、当時日本に駐屯していたアメリカ軍憲兵隊をも巻き込む騒乱が起きるなど、この地が辿った歴史は決して平坦なものではなかった。その後は落ち着きを取り戻し、中小の町工場や倉庫が集積する工業地区として歩んでいく。
▲枝川は今でも中小の町工場が多い。工場と住宅が混在する街並み
しかしながら、西隣の豊洲へ1988年に有楽町線「豊洲」、東隣の潮見へ1990年にJR京葉線「潮見」が開業し、枝川の殆どが「豊洲」・「潮見」のどちらかへ徒歩15分以内となったことで、この頃を境にマンションをはじめとする住宅地への転換が進んでいった。今もなお焼肉店や韓国・朝鮮食材店が密集する大久保(新宿区)や三河島(荒川区)に対し、枝川の焼肉店は3件ほどとかなり少なく、名残を留める一角もあれど、コリアンタウンとしての賑わいは朝鮮学園の存在を除いてほぼ失われている。その代わり、主に「豊洲」や「潮見」に近いエリアではマンション開発が進み、待望の駅が設けられるまでになったのだ。
▲「豊洲」に近い場所を中心に新しいマンションも増えつつある(プレミストベイフォートスクエア豊洲)。
豊洲駅周辺(枝川)のマンション紹介
2.地下鉄豊住線(仮)の概要
ここでは、現時点の報道や公式発表をもとに、地下鉄豊住線が枝川などへどのような変化をもたらすかを見てみよう。
豊住線は「豊洲」-「住吉」間4.9kmを結び、「豊洲」-「枝川」(仮称)-「東陽町」-「千石」(仮称)-「住吉」の各駅が設けられる。「豊洲」では有楽町線・ゆりかもめ、「東陽町」では東西線、「住吉」では半蔵門線・都営新宿線と乗り換えられ、東西方向の路線が多い江東区内にあって、区西部の大江戸線に加え、中央部を豊住線が貫くことで区の南北移動が大きく便利になるばかりでなく、「東陽町」で交差する東西線の混雑緩和(東西線↔「銀座」方面の流れが豊住線・有楽町線経由にシフトすることが見込める)、東京23区東部~千葉県↔「豊洲」乗り換えゆりかもめ経由での臨海副都心アクセス向上など、沿線のみならず様々な効果がネットワークとして広がっていくのが大きな特徴となる。
設置される5駅のうち「枝川」(仮称)および「千石」(仮称)の2駅が新設駅となり、いずれも既存駅から徒歩15分程度離れているため、新駅周辺の交通は都営バスか自転車が主体となっているところ、利便性が大きく向上することになる。なお「枝川」は関東近郊に同名駅がないので仮称がそのまま採用されると思うが、「千石」については都営三田線に同名駅が存在する(文京区)ため、「江東千石」か「深川千石」あたりに変更されるのではないだろうか。
▲現在、「枝川」や「千石」の周辺では都営バスが主な交通手段となっている(「枝川」バス停)。
肝心の運行本数については、平日朝夕ラッシュ時に1時間12本(5分間隔)、平日日中および土休日に1時間8本(7~8分間隔)が想定されている。接続する有楽町線・東西線・半蔵門線および都営新宿線がいずれも日中1時間12本運行に対し、豊住線は1時間8本と、3分の2の控え目な本数となる。豊住線は環状方向の路線であり都心へまっすぐ向かう放射線ではないこと、区東部の東西線「南砂町」は快速が通過するため日中1時間8本の停車で十分対応できていることから、豊住線も「南砂町」と同等の日中1時間8本の利便性を確保するということになったのだろう。
▲夕刻、退勤客で込み合う「豊洲」の「有楽町」「池袋」方面ホーム。ホーム幅は広いとはいえない
豊住線は有楽町線「有楽町」・「池袋」方面への直通運転が予定されている半面、有楽町線「新木場」方面は減便となる予定だという。もっとも、豊住線の日中1時間8本の全てが「有楽町」・「池袋」方面へ直通するわけではなく、おそらく半数の日中1時間4本が「有楽町」・「池袋」方面直通、もう半数の4本が「豊洲」-「住吉」間折り返しとなると思われる。このため、有楽町線本線は日中1時間12本のうち8本が「新木場」発着、4本が豊住線直通「住吉」発着と考えられる。
▲「豊洲」ホームから「月島」方を望む。既に豊住線用の折り返し線が設置されている(中央)。
既存駅のうち、大きく変わるのが起点となる「豊洲」だ。現状は1・2番線(「新木場」方面)/3・4番線(「有楽町」・「池袋」方面)とホームが分かれ、有楽町線は外側の1・4番線のみを用い、豊住線は内側の2・3番線に乗り入れることになるが、現状はホームの混雑緩和のため2・3番線の線路が仮設床で埋められている。これが、豊住線が乗り入れると仮設床を撤去しなければならないため、1番線のさらに外側に「新木場」方面ホームを増設するという。現状のままであれば、1番線「新木場」行きと2番線の「豊洲」始発「住吉」行きが対面で乗り換えられるのだが、「新木場」行きが別ホームになってしまうと、対面乗り換えが不可能になってしまう。ただ、「豊洲」の「新木場」方面は朝ラッシュ時の降車が最も混雑するため、新設ホームはラッシュ時のみの降車専用ホームとし、豊住線は対面乗り換え可能となる可能性もある。
▲現在は2・3番線が仮設床で埋められている「豊洲」のホーム。左手外側にホームが増設される
「豊洲」を南東に出発した豊住線はほぼ直角に向きを変え、北東に進んでいく。都道319号(朝凪橋)の一本南側を並行する道路の下を進んでいき、枝川橋を過ぎたところ、「枝川」(仮称)は枝川橋東交差点と、三ツ目通り(首都高速9号深川線)の間に設けられる。現状、枝川橋の通りより北側はマンション・住宅、南側は工場が多く、駅はその境目あたりになる。「豊洲」最寄りとなる西側の一部、JR京葉線潮見駅最寄りとなる東側の一部を除き、ほぼ全域「枝川」(仮称)が最寄りとなるポジションだ。
▲「枝川」駅設置が予定されている三ツ目通りの交差点。現状、歩行者はあまり多くない。
マンション・住宅と工場が混在する光景としては墨田区の「押上」や「本所吾妻橋」あたりと似通ったものがあるが、「押上」周辺は地下鉄半蔵門線の延伸開通(2003年)、東京スカイツリータウンの開業(2012年)を機に、それまでの町工場が徐々にマンションへと建て替わってきている。今は工業地がまだ多い枝川だが、駅開業を機に、徐々に住宅地へと転換が進んでいくことになるだろうか。
▲工場と住宅が混然とした枝川の街並み。やがて変貌が予想される。
3.辰巳を歩く
それでは、実際にこれら地域を歩いてみよう。まずは、有楽町線「辰巳」に降りてみる。
▲「辰巳」を出発する有楽町線「新木場」行き。次が終点「新木場」となる。
「辰巳」の改札口は1カ所だが、出入口は西側(1番出口)と東側(2番出口)に分かれている。このうち、東側(2番)は“辰巳の森緑道公園”に所在し、辰巳国際水泳場や東京アクアティクスセンター、あるいは東京湾岸道路以南の工業地域へはこちらが最寄りとなる。しかし住宅は無いので、辰巳・東雲住民の利用は住宅地側となる西側(1番)に偏っている。
▲新たな辰巳のシンボル、“東京アクアティクスセンター”。ここでTOKYO2020の熱戦が繰り広げられた
1番出口を出ると、小さなロータリーに出る。時計を兼ねたモニュメントが印象的だが、タクシー乗り場もないほど小さく、バスもここまではやってこない。江東区の駅でバス乗り場もタクシー乗り場もない駅はある意味珍しいが、両隣の「豊洲」・「新木場」駅前には広いバスターミナル・タクシー乗り場があるため、バス・タクシーに乗るならば「豊洲」・「新木場」からの方がよほど便利で、「辰巳」の利用者が多くないことの証左だろう。
▲小ぢんまりとした「辰巳」のロータリー。
ロータリーのすぐ左手から、東雲への人道橋“辰巳桜橋”になる。ここからは辰巳運河沿いに並び立つ7棟のタワーマンションを綺麗に眺められ、ドラマ等の撮影でも多用されるほど。渡り切ると正面に“Wコンフォートタワーズ”、その並びに“アップルタワー東京キャナルコート” “キャナルファーストタワー” “ビーコンタワーレジデンス”“プラウドタワー東雲キャナルコート”、奥に“パークタワー東雲”がずらりと建ち並ぶ光景が広がり、壮観の一言。
▲東雲運河を見渡すようにタワマンが建ち並ぶ。デザインも一様ではなく、見た目の変化も興味深い。
そのタワマンに囲まれるように“東雲キャナルコートCODAN”が密集しているほか、北側には“イオン東雲ショッピングセンター”、その北側に“プラウド東雲キャナルコート”が建っている。ここまで来ると「辰巳」よりも「豊洲」の方が近く、イオンの北側にある“東雲橋”を渡ると、ほどなく「豊洲」に至る。タワマンや大型商業施設を眺めているうちに1駅間を歩けてしまい、まるでタワマン見本市のようだ。
▲“東雲キャナルコートCODAN”。デザイナーズ賃貸住宅として有名な存在。
りんかい線「東雲」は、東雲のタワマン群と500~800mほど離れた、国道357号(東京湾岸道路)沿いに位置する。「東雲」・国道357号より南側は完全な工業地区であり、マンションは1件もなく、「東雲」・国道357号~“辰巳桜橋”まではマンションと店舗(カー用品店“Super AUTOBACS TOKYO BAY東雲”など)・工場(都営バス深川営業所など)が混在し、それより北がタワマン群となる。東雲の住所内にある唯一の駅ではあるが、実際には「辰巳」・「豊洲」を利用する住民の方が多いだろう。
▲りんかい線「東雲」。タワマン群とはやや離れる。かえつ有明中学・高校の生徒が多い。
タワマン群への玄関口となる「辰巳」であるが、同じ「辰巳」1番出口を出て“辰巳桜橋”を渡らずにまっすぐ進むと、右手にはまるで昭和40年代にタイムスリップしたかのような光景が広がる。ずらりと並んだ5階建ての住宅、“都営辰巳1丁目アパート”である。2本の給水塔が屹立し、中央部にはいわゆる“団地センター”、商店街も健在である。郵便局や飲食店、喫茶店が顕在で、地域の交流場となっているようだ。
▲辰巳団地中央の商店街。お年寄りが多いものの、生活に必要な施設は概ね揃っている。
しかしながら、築50年以上を経て建物は老朽化が進んでいるばかりでなく、エレベーターが無いためバリアフリー化も困難といった問題を抱えていることから、東京都により建替えが進められている。計画では、2032年までに11~13階建の高層棟へすべて建替えて北側半分に集約、駅に近い南側半分を“複合市街地ゾーン”・“公共公益ゾーン”とし“創出用地の活用”を図る、としている。
▲建て替えが完了した街区(左)と、未実施の街区(右)。新旧並び立つ姿が見られる。
現状は概ね南西側5分の1の建て替えが完了したところで、北西側はバリケードで囲われて立入ができず、解体を待つばかりとなっていた。既存の住民の引越しを要することから、時計回りに建て替えを進め、最後に駅側を更地にして事業完了となるのだろう。現状、創出用地の利活用については何も発表が無いが、「豊洲」から1駅2分という好立地ゆえ、ここもいずれはタワマンが建つのではないだろうか。
▲バリケードで覆われた北西側の街区。じきに解体工事が始まるだろう。
南北550mにおよぶ都営辰巳一丁目アパートを過ぎると、一般のマンションが並ぶ地区になる。北側に運河を望むロケーションのマンションも多く、ここだけを見れば一般のマンション街であり、とても都営辰巳一丁目アパートが南に林立しているような空気は感じられない。なお、南北に縦貫する三ツ目通り・首都高速9号深川線を渡ると住宅はなくなり、“東京アクアティクスセンター”などが立地する“辰巳の森海浜公園”が広がるほか、物流企業や倉庫会社などが集積する一角となり、住宅地とは明確に区分されている。
▲砂町運河沿いに建ち並ぶ辰巳のマンション。辰巳団地の先なので、駅からは10分程度離れる。
辰巳から三ツ目通りを北へ進み、“七枝橋”を渡り潮見を経て“八枝橋”を渡ると、枝川2丁目に入る。三ツ目通りに加えて首都高速9号深川線が域内を縦貫するため、三ツ目通り沿いはヤマト運輸をはじめ物流関連の企業が多いほか、新聞社や建設会社、自動車修理工場など「働く車」関連の産業が集積している。ただその中でも、北側の東西線「木場」、東側の京葉線「潮見」に近いエリアを中心に、木場や潮見を冠した大型マンションが建ち並んでいる。現状、これらマンションへは「木場」や「潮見」から徒歩10~15分程度を要するが、豊住線「枝川」(仮称)ができれば遠くても徒歩5分程度となり、ゆくゆくは工場跡がマンションへと変わっていきそうな雰囲気が漂う。
▲ヤマト運輸・枝川キャナルサイド営業所。高速道路が便利なため、物流関連企業の立地も多い。
枝川2丁目はごく普通の住宅・工業混在地といった感じだが、“枝川橋”を渡って豊洲側の枝川1丁目に入ると、中央に“東京朝鮮第二初級学校”が位置する、オールドな枝川になる。ただ、ここも最早コリアンタウンの雰囲気を残すのは“東京朝鮮第二初級学校”とその周辺くらいなもので、「豊洲」に近い側を中心にここでもマンションが建ちつつある。枝川1丁目から「枝川」(仮称)へは枝川橋を渡る必要があるが、それでも一番遠いあたりでも450mほどで駅出入口となるため、ここも利便性が大きく向上する。
▲古くからの商店とマンションが混然とする枝川1丁目(イニシア豊洲コンフォートプレイス)。
ただ、枝川もマンションが増えてきたとはいえ、“朝凪橋”を隔てた豊洲のタワマン街とは、だいぶ空気が異なる。枝川にはまだタワマンはなく、工業地としての歴史が長かった故に緑地も少ないため、緑地に囲まれたタワマンがずらりと並ぶ豊洲と比べると、まだまだ雑多な印象が拭えない。現状は、豊洲が東方に拡大するようなかたちで、豊洲を冠したマンションが朝凪橋の周辺に広がっているが、駅ができて知名度やイメージが変われば、そのうち“枝川”を堂々と名乗るマンションが増えていくのかもしれない。
▲マンションが増えてきてはいるものの、まだ雑然とした印象は拭えない。
4.辰巳・東雲・枝川のこれから
現状、辰巳・東雲・枝川のうち、もっとも発展が進んでいるのは東雲で、辰巳・枝川は第一世代の土地利用から再開発へと力点が移っているところといえる。しかし、いずれの3地域とも執筆時点(2023年2月現在)で発表されている新築マンション計画はなく、むしろ豊住線では東陽町や住吉などで複数のプロジェクトが発表されている。特に「千石」(仮称)が至近となる「MJR深川住吉」は、2022年3月の発売以来、九州旅客鉄道(JR九州)が首都圏で手掛ける初の新築分譲マンションという点で話題になったが、早々に完売となっている。「千石」(仮称)ができるのは10年以上後になるが、まさに新駅への期待感の表れと言ってよいだろう。
▲“MJR深川住吉”の建設現場。新駅を当て込んだ新築マンションとしては、一番乗りとなった。
枝川にしても、現状は駅予定地の目の前に“デニーズ江東枝川2丁目店”が2階建で構えていたり、平面駐車場が広がっていたりと、高度利用がなされているとはいえない面がある。だからこそ、駅設置を機に再開発の機運が盛り上がるのではないかと思う。“豊洲へ1駅”“東陽町へ1駅”の地の利を生かし、豊洲や東陽町の拡大地区として認識される日は遠くないのかもしれない。
▲やがて“枝川駅前”になる場所だが、平面駐車場が広がっている区画もある。
辰巳にしても、駅前が“複合市街地ゾーン”となり、“創出用地の活用”を図るというからには、タワマンの登場が期待されよう。有楽町線沿線では「月島」・「豊洲」とタワマン開発に沸く街が連続しており、「辰巳」へも波及してくるであろうことは想像に難くない。現状は昭和40年頃にタイムスリップしたかのような古い団地が駅周辺を埋め尽くしているが、都営辰巳一丁目アパートが建て替えを完了する2032年頃には、見違えた都市景観が広がっているかもしれない。
▲建て替え後の辰巳一丁目アパート。高層化して戸数を維持しつつ、敷地は3分の2ほどに縮小する
そうした意味で、湾岸のウォーターフロントに寄せられる期待感は、まだまだ高いものが感じられる。新しい地下鉄の開通を機に、地域のイメージは一新され、街の新陳代謝がどんどん進んでゆくことだろう。かつて東京の発展を主に工業地として支えたこれら地域は、今後は新たな住宅地として、再び東京の発展を牽引する存在として生まれ変わる日を、今は静かに待っている。この街の10年後、いや20年後が、今からとても楽しみだ。
▲枝川1丁目の工場。やがて、この街も“第2第3の豊洲”へと発展してゆくのだろうか。
※特記以外の画像は筆者撮影。マンション図書館内の画像は当社データベース登録のものを使用しています。無断転載を禁じます。
また、以下の記事を参考にしました。
2022/9/1 日本経済新聞 有楽町線延伸、東京都の負担は1043億円 総事業費の4割
2022/8/2 日本経済新聞 有楽町線延伸、ルート案を公表 千石駅と枝川駅を新設
2021/2/17 日本経済新聞 昭和の面影残る湾岸・辰巳、装い新たな「水の聖地」へ
賃貸不動産経営管理士
佐伯 知彦
大学在学中より郊外を中心とする各地を訪ね歩き、地域研究に取り組む。2015年大手賃貸住宅管理会社に入社。以来、住宅業界の調査・分析に従事し、2020年東京カンテイ入社。
趣味は旅行、ご当地百貨店・スーパー・B級グルメ巡り。
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