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更新日:2022.11.24
登録日:2022.11.11
三軒茶屋駅――若者の街”サンチャ”の成熟 (東京都世田谷区/東急田園都市線・世田谷線)
中目黒、三軒茶屋、下北沢。“渋谷から急行で1駅”の街は、渋谷につられて若者の街になるようだ。”ナカメ”は恵比寿や六本木とひとつながりの芸能の街、”シモキタ”は戦後すぐから連綿と続く演劇の街として、東京を目指す若者が”最初に住みたくなる街”として今なお高い人気を誇る。では"サンチャ"はいったい何の街か、これが意外とよくわからない。江戸時代の街道筋さながらの牧歌的な地名が今に残る"三茶"の何が若者を惹きつけるのか。今回は"三茶"を歩きつつ、その背景を考えてみよう。
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▲東急田園都市線・三軒茶屋駅。「昭和女子大学最寄駅」とある通り、大学が点在する若者の街。
1.三軒茶屋の歩み
葛飾区に「お花茶屋」があるように、「茶屋」がつく地名は全国に点在している。街道筋で旅人にお茶や団子を振る舞う時代劇さながらのお茶屋があったところもあれば、農村部で地域の顔役だった屋敷が殿様の外出時にお茶屋代わりに使われたことによる"茶屋"もある。当時の感覚でいえば、道中の茶屋は遠出の最中に立ち寄る、サービスエリアか道の駅、或いはビジネスホテルのようなものだっただろう。
▲駅の方が後から出来たので、交差点名は「三軒茶屋」。駅利用者に加え、買物客の往来が絶えない。
三軒茶屋交差点で渋谷方面からやってきた国道246号玉川通りから都道3号世田谷通りが分岐してゆくが、江戸時代からその構造は大きく変わっていない。現在の国道246号玉川通りに相当するルートは「矢倉沢往還」(箱根付近の関所に由来)や、大山阿夫利神社(伊勢原市)参詣の「大山街道」、また木材の集散地として栄えた厚木を結ぶ「厚木街道」と呼ばれ、古くより東海道を補完するサブルートとして機能していた(以下『大山街道』)。
▲三軒茶屋で分岐した世田谷通り。三軒茶屋以降は概ね北側の小田急線に並行し、登戸方面へ向かう。
江戸時代までは現在の世田谷通り方向にしか道が無かったものの、南(玉川通り方向)へ分岐する新道ができ、大山街道本道は新道経由となった。2駅先の「桜新町」駅周辺に「新町」の地名があるが、この新道が拓かれたことをきっかけに成立した名残と考えられる。旧道は2kmほど先(現・世田谷線上町駅付近)で「登戸道」「津久井道」と呼ばれる別の道が接続していて、津久井道は現在の国道413号(道志みち)にあたり、甲州街道の脇街道として引き続き有効に利用された。このため、三軒茶屋は大山街道から津久井道が分岐する要衝となり、「信楽(しがらき)」「角屋」「田中屋」の三軒の茶屋が集まったというわけだ。
▲三軒茶屋駅前で展示されている「大山道」の道標。江戸時代から三軒茶屋は交通の要衝であった。
この三軒の茶屋のうち、「角屋」は明治期に廃業、「信楽」は旅館「石橋楼」のち「茶寮イシバシ」と名を変え、1階洋食喫茶・2階洋食宴会場として繁盛したようだが、戦中の建物疎開(建物を壊して防火帯を造った措置)によって廃業している。戦前に洋食屋が流行るあたり、高給取りの軍人も多かったのだろう。残り一軒「田中屋」は業態を変え、現在も茶沢通り沿いに陶器店「田中屋陶苑」として続いており、三軒茶屋の生き字引となっている。
▲茶沢通り「しゃれなあど三茶」を望む。老舗が多く軒を連ねるが、今風の飲食店やブティックも数多い。
明治末期、1907年に玉川電気軌道(玉電)渋谷―玉川(現・二子玉川)が開通し、三軒茶屋停留所が設けられたことで、三軒茶屋は東京郊外としての発展が始まってゆく。追って1925年に三軒茶屋―下高井戸の支線が開通し、渋谷―三軒茶屋―下高井戸の直通運転が始まるが、これが現在の世田谷線である。江戸時代と同じく、三軒茶屋が再び分岐点として機能するようになったのは面白い。都心へのアクセスが向上したのを背景に、1923年には東京獣医学校(後の東京獣医畜産大学→日本大学生物資源科学部)、1930年には明治薬科大学が三軒茶屋へ移転、近隣の目黒区駒場にも陸軍輜重兵(しちょうへい)学校が設置された。”若者の街・三茶”の起源はこのあたりに求めることができるだろう。
▲世田谷の街中を塗って走る世田谷線。「セタ線」の名で親しまれ、地平の駅からすぐ乗れる気軽さが便利。(2022年3月、上町駅)
世田谷は東京都心から近い割に広大な平坦地が広がっていたため、軍用地としても発展した。三軒茶屋も南側に駒沢練兵場が広がり、駅周辺は兵営(兵士の住宅)が多数設けられた。兵士の入営の折には別れを惜しむ家族が入営前夜を練兵場近くの旅館で過ごしたというから、前述した旅館「石橋楼」をはじめ、三軒茶屋は軍関係者で大変に賑わったことだろう。
▲三軒茶屋駅から東へ徒歩5分ほどの昭和女子大学。かつてここは広大な陸軍駒沢練兵場の敷地だった。
戦後は軍関係施設が平和利用へと転換し、駒沢練兵場跡地は文京区の校舎を戦災で失った昭和女子大学が移転してきたほか、一部が世田谷公園、および陸上自衛隊三宿(みしゅく)駐屯地として残り「自衛隊中央病院」となった。その後、明治薬科大学はキャンパスが手狭となったことで清瀬市へ移転するが、昭和女子大学および日本大学(敷地を縮小し使用学部を変更)は現在まで存続し、”若者の街・三茶”の中心となっている。駒沢大学からも電車1駅なので、駒大生と思しき学生の姿もよく見かける。
▲狭い飲食店が密集する一角。世田谷には珍しい「せんべろ」の地でもあり、若者グループの姿も多かった。
なお、三軒茶屋の都市化を促した玉電であったが、道路交通の増大によって路上の軌道が邪魔になり、これを撤去し上空に高速道路、地下に玉電の代替となる鉄道を通すこととなって1969年に廃止。1971年に首都高3号渋谷線、1977年に東急新玉川線(2000年に田園都市線へ改称)が開通。玉電時代よりも駅は減り、「三宿」や「中里」はバス停に名を留めるのみになったが、三軒茶屋は世田谷線との接続を担うこともあり、玉電時代と変わらず三軒茶屋を名乗っている(他に駅名が変わらなかったのは用賀しかない)。世田谷線三軒茶屋駅は再開発によって少々後退、跡地は1996年に27階建高層ビル「キャロットタワー」に生まれ変わり、展望台も備えた三軒茶屋のランドマークになっている。
▲三軒茶屋のシンボル、キャロットタワー。商業施設やオフィス、ミニシアター「シアタートラム」など多くの機能を持つ。
2.三軒茶屋を歩く/三軒茶屋マンション事情
三軒茶屋は、基礎が大山街道と津久井道の分岐点という交通の要衝となったところ、戦前戦後にかけて多数の学校・大学が立地したことで学生の流入が多くなり、”若者の街”としての発展を遂げたと言えるだろう。"ナカメ"や"シモキタ"と異なり、"サンチャ"の発展は「学生」と「軍人」によって牽引されたのがポイントである。特に戦前の学生は現代よりも絶対数が少なくエリート的な存在であったし、富国強兵の世の中にあって軍人は社会の柱であった。いわば、江戸時代から続く庶民的な茶屋町が「エリートの集まる街」の性格を帯びたことで、三軒茶屋は大衆的な店から上流を相手にする店まで、多様な店が集積することになったというわけだ。歴史に裏打ちされた「界隈の多様性」は、中目黒や下北沢と異なる三軒茶屋の大きな特徴と言えるだろう。
▲人通りは多いが、駅前であっても猥雑感はないあたり、さすがは世田谷という感じもする。
さて、その三軒茶屋でもっとも規模が大きいマンションが「グランドヒルズ三軒茶屋ヒルトップガーデン」(住友不動産・2008年竣工・311戸)である。三軒茶屋駅から北へ徒歩10分と駅至近ではないものの、その名の通り小高い丘の上に建ち(駅からは最後階段を上がる)、特に中高層階は眺望がすこぶる良い。メインエントランス側は淡島通りに面しており、目の前に東急バス[渋51]渋谷駅―若林折返所の「太子堂中学校」停留所があるため、渋谷駅へはバス利用も便利。住環境と交通利便性を両立した立地だけあって、竣工から約15年を経てなお価値を維持し続けているマンションだ。
▲威風堂々とした「グランドヒルズ三軒茶屋ヒルトップガーデン」。南・南東向きは高台を見下ろす景色となる。(2021年3月)
▲メインエントランス側は淡島通りに面する。三軒茶屋駅までやや離れるので、バス利用も旺盛なエリアだ(2021年3月)
三軒茶屋は駅周辺を中心に商業地域が広がっているため厳しい建築の制限がかかっているわけではないが、20階建以上のタワーマンションは「ザ・パークハウス三軒茶屋タワー」(2012年竣工・三菱地所レジデンス・158戸)・「グランドメゾン三軒茶屋の杜」(2004年竣工・積水ハウス/伊藤忠都市開発・256戸)の2棟しかない。どちらも駅へは10分程度離れており、駅近くは商業地、離れたところが住宅地と明確に区分されている。
駅から「ザ・パークハウス三軒茶屋タワー」に向かって歩くと、途中から「中里通り商店街」という古い商店街が分岐するが、これがかつての大山街道だ。マンションに着くと、1階部分が「中里」バス停として一般に開放されているが、ここがかつての玉電中里電停。江戸期以来の旧大山街道、昭和の玉電中里電停、そして現代のタワーマンションが連綿と繋がり、ひとつの景色を創り上げているあたり、歴史の厚みと面白みを感じずにはいられない。
▲大山街道旧道に面した「ザ・パークハウス三軒茶屋タワー」。緑地は一般にも開放され、緑が心地よい。(2021年2月)
▲田園調布駅行きが到着した、国道246号沿いの中里バス停。マンション側にも待合室が設けられている。(2021年2月)
ただ、三軒茶屋でも「駅近マンション」のムーブメントは起こりつつある。現時点で最も新しい「ディアナコート三軒茶屋」(モリモト・2021年竣工・40戸)は平均専有面積56.85㎡とコンパクト主体ながら三軒茶屋駅徒歩6分と近いながら、蛇崩川(じゃくずれがわ)緑道に面した閑静な住環境も魅力だ。
▲蛇崩川緑道に抱かれた「ディアナコート三軒茶屋」。世田谷区はこうした緑道が多く、住環境向上に資している。(2021年5月)
次いで、2023年11月には「パークホームズ三軒茶屋一丁目」(三井不動産レジデンシャル・2023年11月竣工予定・64戸)が建つ。駅徒歩4分と三軒茶屋の築浅マンションの中では相当駅に近い部類ながら、玉川通りから少し奥に入った閑静な住宅地であり、利便性と環境を両立した立地だ。
ただ、完全に駅近に偏っているわけではなく、「ピアース若林レジデンス」(モリモト・2021年竣工・44戸・駅徒歩16分/世田谷線若林駅徒歩4分)・「クレヴィア三軒茶屋」(伊藤忠都市開発・2023年9月竣工予定・52戸・駅徒歩11分)など、住宅地の色が濃くなる若林アドレスでの供給も相次いでいる。若林であれば繁華街の喧騒と離れ、環七通り沿い以外は静かな住宅地が広がるが、三軒茶屋へは世田谷線で3分、自転車でもすぐ近くという距離感でもある。駅近シフトというよりは、従来は無かった「駅近」という選択肢が生まれ、選択の幅が広くなっていると言うべきだろう。
▲世田谷線若林駅前の商店街。三軒茶屋よりも規模は小さいが、生活に密着した店が建ち並ぶ。(2022年3月)
▲ピアース若林レジデンス。世田谷線若林駅4分ながら、喧騒とは無縁の落ち着いた住宅地に建つ。(2022年3月)
3.三軒茶屋の成熟とこれから
三軒茶屋の魅力はその幅の広さと懐の深さだ。飲食店ひとつ取ってみても、腹を空かせた学生相手の店から、近隣のマダムが集まる上品な店まで、なんと幅が広いことか。特に「三軒茶屋」の起源に近い、玉川通りと世田谷通りに挟まれた三角地帯には横丁の雰囲気をそのまま残す、小料理屋や居酒屋が密集する一角まである。スーパーマーケットも数多いが、山形県河北町のアンテナショップ「かほくらし」で名産のイタリア野菜が販売されるなど、感性の高い住民を満足させてくれる個性的な店まであり、渋谷まで急行1駅の近さゆえデパ地下の利用も容易い。ブティックが並んでいるかと思えば、これまた世田谷には珍しい「ファッションセンターしまむら」まである。何でも混ぜ合わせたかの如くハイブリッドなのがこの街であり、まさに成熟した街と呼ぶに相応しいように感じられる。
▲商店街も一本道ではなく駅を中心に縦横に連なっている。それだけ商業の集積が厚いことになる。
冒頭で「"サンチャ"はいったい何の街か、これが意外とよくわからない」と述べたが、何でもあるからこそよくわからない、というのが正解ではないだろうか。高層ビル、商店街、繁華街、住宅街、地下鉄、路面電車、高速道路、バス通り、大学、高校、大きな病院、みな三軒茶屋を構成する要素だが、これだけ取り揃えた街はそうそうないだろう。世田谷で一番「ごった煮」感がある街と言えるかもしれない。ただ「なんでもある」にはあるのだが、例えばライブハウスの集積度は下北沢に軍配が上がるし、「三軒茶屋にしかないもの」というと答えに窮することになる。この点が、街の印象をぼやけさせている面は否めない。
▲茶沢通りに設けられた全天候型のイベント広場。隣には区役所出張所もあり、世田谷の核の一つ。
とはいえ、庶民的な面がたくさんある一方で、都内でも有名な将棋教室「三軒茶屋将棋倶楽部」が立地する世田谷らしさというか、素性の良さを感じさせる一面もある。田園都市線⇔世田谷線を結ぶ連絡通路には広場「三茶パティオ」が設けられ、茶沢通りのイベント広場と合わせて各種催しも数多い。多様さが混じり合い、ひとつの街を構成しているというのは、街の成熟にほかならない。新陳代謝を進めつつ、多様性を確保してゆくことこそ、街が発展を続ける第一義のように思う。
▲三軒茶屋の核店舗のひとつ、西友三軒茶屋店。高級一辺倒ではないのも、三軒茶屋の魅力であろう。
帰りがけに、三軒茶屋駅と昭和女子大学の間にある老舗洋食店に入ってみた。古き良き「洋食屋」の文化を今に伝え、ハンバーグやビーフシチューといった洋食を箸で食べ、みそ汁もついてくる。客層は男女を問わず大学生風からサラリーマンまで幅広く、この時代に1,000円前後で食べられるのは実にありがたい。激安、激辛、デカ盛りなどの変化球に頼ることなく、直球の「洋食」を出し続けている点が、この街で支持されているのだろう。三角地帯や茶沢通りには酒場だけでなく、深夜営業のカフェも数多く立地しており、話足りない人々や、夜に落ち着いて本を読みたい人まで、思い思いの時間を過ごしている姿が印象的だ。こうした「お客を選ばない店」が長続きする街こそ、住む人を選ばない街、ひいては多様性のある街と言えるのではないだろうか。
▲歩行者天国をそぞろ歩く人々が多い、日曜日の三軒茶屋。目的もなくやって来ても、自然と楽しめる街だ
かつて「渋谷に住むよりは安いから」という理由で三軒茶屋に集まった若者は多いだろうが、今度は「かつての若者」が多様な街を創り上げていった街にマンションが建ち、また新たな人々が集まってくる。そうして、街の活発な新陳代謝は続いていく。やっぱり、街は生き物なのだ。
▲横丁に赤提灯が灯る景色は、高級住宅地が集まる世田谷には珍しい。途中下車して立ち寄る人も多かろう。
※特記以外の画像は2022年10月筆者撮影。マンション図書館内の画像は当社データベース登録のものを使用しています。無断転載を禁じます。
※以下「日本経済新聞」の記事を参考にしました。
2022/10/4 日本経済新聞 学生名人の川島さん「将棋には正解はない、それが魅力」
2021/6/10 日本経済新聞 イタリア野菜を追求、加工品にも挑戦 山形・河北町
東北6県 気になる現場
賃貸不動産経営管理士
佐伯 知彦
大学在学中より郊外を中心とする各地を訪ね歩き、地域研究に取り組む。2015年大手賃貸住宅管理会社に入社。以来、住宅業界の調査・分析に従事し、2020年東京カンテイ入社。
趣味は旅行、ご当地百貨店・スーパー・B級グルメ巡り。
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