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更新日:2022.12.12
登録日:2022.12.12
都立大学駅――名は体を表さない?"都立大学がない都立大学駅"という寛容 (東京都目黒区/東急東横線)
冬の受験期になると、「東京都立大学の受験生が誤って都立大学駅で下車してしまいました」というニュースを耳にする。これからが懸かった時に試験場を間違えてしまった受験生には何とも気の毒だが、もはや冬の風物詩のような出来事になっているのもまた然りである。東京都立大学が都立大学から去ったのはもう20年以上前だが、なぜ「都立大学がない都立大学駅」が存在し続けているのだろうか。その理由はもう語り尽くされているが、この駅名はあながち「名は体を表さない」とも言い切れないのではないか、とも思う。
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1.都立大学の歩み
1927年の東横線開通当初、この駅は「柿ノ木坂」駅といった。第1回「01.自由が丘駅」編でも述べたが、東横線開通までこの辺りは農村であり、江戸時代は幕府のお鷹場であった(今も隣の学芸大学駅近くに「鷹番」の地名が残っている)。目黒区もまだなく、荏原郡碑衾町(ひぶすままち)といった。概ね目黒区の西半分(碑文谷村・衾村)を占めており、柿の木坂周辺は衾の中心地であった。役場にも近かった(現在の碑文谷保健センター)ので「碑衾町駅」となっても不思議ではなかったが「衾」が難読であるために、近隣で知名度のあった「柿の木坂」を駅名に採用したものと考えられる(柿の木坂の由来は次節に記述)。
▲柿の木坂通り商店街。都立大学駅とめぐろ区民キャンパス(旧・東京都立大学)を結ぶ。
都立大学駅は何度も駅名が変わったことで有名である。当初はシンプルな「柿ノ木坂」を名乗ったが、この当時の東横線沿線はまだ開発が進んでおらず、乗客が少なかった。このため、五島慶太氏率いる東京横浜電鉄(現:東急電鉄)の乗客誘致策(学生の通学客の獲得)により駅北側の敷地を買収し、旧制府立高等学校(7年制)を永田町から誘致することとなり、1930年に移転が実現。これに合わせ、移転翌年の1931年に「府立高等前」に改称、さらに翌1932年に「府立高等」へ改称している。たった1年で「前」が取られたが、駅から校地まで徒歩5分、校門までは10分ほど離れていたので、「前」と付けるのが憚られたのだろうか。
▲都立大学駅の駅名標。都立大学は現存しないが、近隣の「トキワ松学園」の副名称が付く。
ちなみに、同じ1932年に荏原郡碑衾町は東隣の目黒町と合併して「目黒区」となり、旧東京市の20区へと組入れられている。東横線の開通によって交通利便性が飛躍的に高まり、急速な市街化が進んだことを受けてのものだ。
▲都立大学駅改札口。2022年11月現在リニューアル工事中。
その後、東京府が戦時体制によって「東京都」へ改組されたことを受け、11年後の1943年に「都立高校」へ改称。そして、戦後の学制改革によって旧制高校が新制大学へ改組された(1949年)ことを受け、1952年に現在と同じ「都立大学」に改称している。①柿ノ木坂→②府立高等前→③府立高等→④都立高校→⑤都立大学と4回の改称を経たことになるが、これほど改称が多い駅は全国でも珍しい。
▲都立大学駅改札口を出たところ。左(北口)側に「めぐろパーシモンホール」の案内がある。
その後は東京都立大学八雲キャンパスの最寄駅として、また目黒通りを走る東急バスとの乗換駅として、かつ近隣の住宅地の駅として歩んできたが、1991年に東京都立大学は校地が手狭であったことを理由に八王子市南大沢へ移転。八雲の跡地は1,200席の大ホールを有する「めぐろパーシモンホール」や、目黒区立八雲中央図書館などを備える「めぐろ区民キャンパス」として生まれ変わった。ただ、附属高校については通学の便などを考慮し、現在に至るまで八雲の地に残っている(2006年、首都大学東京附属高校は都立の中高一貫校である『都立桜修館中等教育学校』へ再編。移転はしていないが”都立大学”を名乗る学校ではなくなっている)。
▲都立大学駅改札口。この駅名になってから約70年、駅名は変わっていない。
2005年、石原慎太郎東京都知事(当時)の改革により、東京都立大学は他の都立大学(都立科学技術大、都立保健科学大、都立短大)と合併・学部再編が行われ、「首都大学東京」となった。名称の由来である大学名が無くなったものの「都立大学」の駅名が変わることはなく、むしろ首都大学東京が「旧都立大」と扱われるなど認知度の低い状況が続いたため、逆に2020年に「東京都立大学」に再改称している。ただ、新・東京都立大学と旧・東京都立大学とは他の3都立大学統合を経た後であるため連続性は無く、手続き上は「2005年新設の首都大学東京の校名改称」として扱われた。
▲「めぐろ区民キャンパス」への案内。「キャンパス」という名に、旧・東京都立大学への思いが感じられる。
施設名に駅名を合わせてしまうと、その施設の推移に駅名が振り回されてしまう典型と言える都立大学駅であったが、1999年に東急電鉄は地元に対し、開通当初の「柿の木坂駅」へ戻すかどうかを問うアンケートを実施した。しかしながら、約1,000票のうち改称賛成は半数を僅かに上回った程度だったそうで、東急電鉄は「地元の総意が得られたとは言えない」と判断し、改称を見送っている。なお、隣の学芸大学駅も「学芸大学が無い学芸大学駅」という状況になっているが、こちらもやはり同様の理由で改称には至っていない。
▲めぐろ区民キャンパスの中心施設「めぐろパーシモンホール」パーシモン(Persinmmon)とは「柿の木」のこと
2.都立大学を歩く/都立大学マンション事情
都立大学駅を中心に見ると、駅の北に「柿の木坂」、西に「八雲」、南に「中根」、東に「平町(たいらまち)」の4町丁が割り振られている。西(八雲)から流れてきた呑川本流と、北(柿の木坂)からの「柿の木坂支流」が駅付近で合流し、南の大岡山方面へと流れていく(ただし都立大学周辺は殆ど暗渠・緑道化されている)。このため、街をYの字に呑川が貫くような形となっており、呑川に向かって緩い斜面が広がる地形になっている。特に、南傾斜の緩い斜面が続く高台となる柿の木坂や八雲は目黒区内でも有数の高級住宅地となっており、エジプトやスーダンなどアフリカ諸国の大使館も立地する。
▲都立大学から大岡山に向かって伸びる呑川緑道。住民の憩いの場だ
「柿の木坂」の由来となった坂は、柿の木坂町内を南北に貫く「柿の木坂通り」かと思いきや、目黒通りと環七通りが交差する「柿の木坂陸橋」近く、柿の木坂陸橋と東横線の線路に挟まれた目黒通りの坂を言う。目黒通り沿いに銘板がひっそりと建っており、ここが元祖「柿の木坂」であることを静かに伝えている。
▲目黒通り・柿の木坂陸橋付近。環七通りとの交差点だが、ここが「柿の木坂」であることは知られていない。
いまや目黒通りへすっかり飲み込まれており、自動車ならばたいしたことのない勾配でしかないが、かつて大八車を引いて江戸市中へ農作物を運んだ時代には、目黒駅付近の権之助坂(開削前は行人坂)と並ぶ大変な難所であり、その急勾配から「駆け抜け坂」が名の由来であるとも言われる。ちなみに、目黒の権之助坂にも勾配緩和に纏わる悲しいエピソードがあるが、都立大学の本筋からはだいぶ外れるので、ここでは割愛する。「柿の木坂」の住所は目黒通り以北・環七通り以西であり、本来の「柿の木坂」は町の南端を掠めるだけになっている。
▲「柿の木坂」と記された銘板。特に由来の説明は無く、緑に埋もれかけている。
さて、往年の東京都立大学を偲び、都立大学駅から「めぐろ区民キャンパス」へと歩いてみよう。都立大学駅の改札を出ると、片側1車線の「中根小通り」に出る。向い側は高架下を使った東急ストアで、買物客が終日絶えない。ただ、駅前広場と呼べるスペースは駅の利用者数(1日約55,000人)の割に狭く、タクシー乗り場も無い。
▲都立大学駅改札口が面する中根小通り。車の待機場所は無く、タクシー乗り場も無い街中の駅。
バス乗り場も、目の前のバス停はごく狭く待機場所もないため、北側150mほどの目黒通り沿いにある「都立大学駅北口」が中心であり、こちらは[黒02]目黒駅―二子玉川駅など、目黒通りを走る幹線系統が複数集まることから利用者・本数とも多い。
▲目黒通り「都立大駅前」交差点。目黒通りはこの地域随一の幹線道路だ
目黒通りの「都立大駅前」交差点を渡ると、そこから柿の木坂町内を貫く「柿の木坂通り」になる。やや坂を上ったところが「めぐろ区民キャンパス」で、ここまで徒歩5分(約400m)ほど。いかにも大学を思わせる立派な木立が続いており、これらが伐採されずに活用されたことは喜ばしい。
▲いかにも大学を感じさせる木立。
ただ、当時の建造物は再開発によって失われており、敷地北側に片方だけ残された東京都立大学正門の門柱が唯一の名残だ。ちなみに、先述した都立大学附属高の流れを汲む都立桜修館中等教育学校は、区民キャンパスの西隣に現存している。
▲旧・東京都立大学正門跡に残された片側のみの門柱。建物等が現存しない中、ほぼ唯一の痕跡である。
めぐろ区民キャンパスの西辺りが「八雲」。出雲国(島根県)を表す「八雲立つ―」の枕詞が浮かんでくるが、これは昭和39年(1964年)に住居表示を実施する際、それまでの「衾町」が難読であったため、氏神であった氷川神社の御祭神である素戔嗚尊(スサノオノミコト)の古事(※)に因み、「八雲立つ」の枕詞を援用したものといい、まさに枕詞が地名の由来になっているから驚く。八雲の北端、駒沢公園近くに「衾町公園」が残っているが、これがほぼ唯一の「衾町」の名残だ。
※創世神話における八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治の際に、防衛のための垣を幾重にも巡らせた(=八重垣)素戔嗚尊が詠んだとされる和歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」から、「八雲立つ」が出雲を指す枕詞となった。日本最古の和歌といわれる。
▲めぐろ区民キャンパス北側。花屋、紅茶屋など、上品な店が軒を連ねる。
八雲から暗渠化された呑川緑道を下っていくと、駅から南側の「中根」となる。周囲の台地が呑川沿いの低地に接する「根」の部分で、江戸時代の「衾村」の「中央部」にあたることからこの名がついたと言われる。駅から中根小通りを南に進むと「中根公園」にあたるが、傾斜地を活かした長い滑り台で知られており、やはり園内は起伏が多い。呑川緑道は南の緑が丘駅近くまでずっと桜並木が続き、春には東京工業大学(大岡山)と一体となったお花見スポットだ。
▲中根公園。起伏を活かした長い滑り台が近所の子どもに親しまれている。
駅が含まれる「中根」の東側、環七通りの内側が「平町」。平町という割に、やはり呑川に向かって下る傾斜地で、平らではない。ここからは私の推測だが、東日本の古語では「平」を「ダイ」と読ませる例があり、「丘の上から低地を見渡す”ダイ”」の意味で「平町」を充てたのではないかと思う。平町の南東端に「大岡山小学校」があり、目黒駅からの路線バスの終点(東急バス[黒01]目黒駅―大岡山小学校)として目黒駅近辺では知られた存在だが、実は大岡山駅よりも都立大学駅の方が近い。
▲都立大学駅から東側へ続く平町商店街。さほど長くなく、程なく住宅地となる。
4町丁とも通り沿いや駅周辺を除いて低層住宅で占められるため、マンションも自ずと低層マンションが中心になる。目黒区の高級住宅地に誕生するマンションとあっては、エントランスに石張りを多用するなど、どれもデザイン面に力の入った物件が多い。
近年の供給は駅1分の「ドレッセ都立大学」(2020年竣工、東急、76戸)が静かな環境が好まれやすいこの街にあっては出色だが、「プレシス都立大学」(2018年竣工、一建設、29戸)や「オープンレジデンシア目黒柿の木坂」(2018年竣工、オープンハウス・ディベロップメント、26戸)など、駅周辺の供給も見られないではない。
呑川緑道で都立大学駅とまっすぐ結ばれるからか、エリア最新の「ピアース都立大学」(2022年竣工、モリモト、66戸)は大井町線緑が丘駅最寄り(徒歩8分)ながら“都立大学”(徒歩10分)を冠している。また、2024年1月竣工予定の「プラウド都立大学」(野村不動産、135戸)は住所こそ大岡山だが“都立大学”となった。周囲は「自由が丘」や「大岡山」を冠するマンションが多いが、このエリアへ立て続けに「都立大学」を冠するマンションが2つも建ったことで、「都立大学」圏の広がりが見られ、徐々にブランド化してきているように感じられる。
▲現在最新の「ピアース都立大学」から緑道を挟んで向かいに「プラウド都立大学」が誕生する。
▲呑川緑道に面するので標高自体は高くない。背後の丘を登ると「大岡山」となる。
3.都立大学のこれから
都立大学から都立大学が無くなって約30年が経つが、交差点名は「都立大駅前」だし、店舗名は「都立大学店」「都立大店」「都立大駅前店」果ては「都立大前店」など何でもござれ状態で、完全に地名と化しているのがわかる。
▲各停停車駅ながら、人通りが途切れない都立大学駅前。
また、周囲の4町丁がいずれもやや狭い町名で、「柿の木坂駅」に戻そうものなら「柿の木坂にない柿の木坂駅」になってしまうし(駅の住所は中根)、「中根駅」では狭すぎて場所のイメージが掴みづらい。結局、東京都立大学が無くなって30年以上経つとはいえ、70年以上駅名として親しまれている「都立大学」の名を改称するまでもない、ということに落ち着く。Suica・PASMOなどのICカードの発展や、相互直通運転の深化によって駅名改称にかかるコストは増大していると言われ、地元から改称の要望があるわけでもなく、東急の事業戦略が絡むわけでもないので、今後も「都立大学が無い都立大学駅」はそのままだろう。
▲「都立大駅前」交差点。「都立大学駅前」ではないのがポイント。
都立大学の魅力として、目黒通り沿いおよび呑川沿いの低地が商業地、それを取り囲む緩やかな傾斜地が低層住宅地と、明確なゾーニングが織りなすメリハリの効いた街並みがある。商業地が無秩序に拡大することがないので商店街が凝縮されており、また隣に自由が丘、少し離れて中目黒・渋谷に挟まれていながら、徒歩や自転車でやってくる近隣住民を満足させるユニークな嗜好品を扱う個性的な店舗が多い。
▲駅周辺には洒落た飲食店が集積し、近隣住民の舌を愉しませている。
特に珈琲豆を扱う店に至っては駅周辺にいくつもあり、商店街を歩いているだけでもロースターからいい香りが漂ってくるほど。こだわりの豆を挽き、香りを楽しむ“ゆとり”の文化が、この街にはしっかり根付いている。だからこそ自由が丘や中目黒に埋没せず、「都立大学」という街がしっかり際立っているように思う。
▲学生相手の店が多かったからこそ、今なお自由が丘や中目黒に負けない個性豊かな飲食店が多いのだろう。
その陰には、知的な交流を通して文化を育んできた旧・東京都立大学の貢献があったことは言うまでもない。かつて大学がここにあったことは、街の誇りなのだろう。
▲めぐろ区民キャンパス付近の丘から駅付近を眺める。少し駅や通りから外れると、落ち着いた住宅地。
一見「名は体を表していない」ように思えるが、旧・東京都立大学はこの街の血となり肉となっているのであり、そういう意味では「名は体を表す」駅名なのかもしれない。
▲都立大学駅ホーム。かつて学生が多数降り立ったこの街には、学生の街だった記憶が残っていた。
※特記以外の画像は2022年11月筆者撮影。マンション図書館内の画像は当社データベース登録のものを使用しています。無断転載を禁じます。
参考:2022/5/1 日本経済新聞 職の履歴書 ピーター・バラカンさん カツカレーさえあればいい
賃貸不動産経営管理士
佐伯 知彦
大学在学中より郊外を中心とする各地を訪ね歩き、地域研究に取り組む。2015年大手賃貸住宅管理会社に入社。以来、住宅業界の調査・分析に従事し、2020年東京カンテイ入社。
趣味は旅行、ご当地百貨店・スーパー・B級グルメ巡り。
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