バビロン再訪~バブル時代のマンション物語~2018/10/26

ライブラリー、フィットネススタジオ、パーティルーム、スタディルーム、ミュージックスタジオ、ゴルフスタジオ、キッズルーム、ゲストルーム、スカイラウンジetc.

 

先日、訪れた勝どきのタワーマンションの共用施設である。

 

階数は40階を超え、総戸数は1400戸超、おそらく3000人を超す人々が住むタワーマンションのエントランスは人の出入りも頻繁だ。

 

こうした入居者専用の共用施設のほかに、低層階にはクリニックやコンビニやドラッグトスアなどの店舗が入っており、「生活利便施設が徒歩1分に集約されております」という謳い文句もあながち誇張とは言えない。

 

小さな集落などの規模をはるかに凌駕した文字通りのひとつの都市である。今の日本のタワーマンションは、集合住宅のあり方のひとつの究極だと言えるだろう。

 

集合住宅(いわゆるマンションも含めて)の特徴は、突き詰めれば、<量産>されるべく垂直に積み重ねられた住戸、空間や機能の<共有>、<自治>による維持・管理の3点だろう。

 

ル・コルビュジエは、建物を高層化し、人々が太陽、緑、空間を享受できる<鉛直のシテ・ジャルダン>を提唱した。この縦の田園都市における住宅のあり方を具現化したのが<ユニテ・ダビタシオン>である。マルセイユの<ユニテ・ダビタシオン>(1952年)が有名だ。

 

■マルセイユのユニテ・ダビタシオン、Photo by Crookesmoor- Unite d’Habitation east elevation from ground level/CC BY-SA3.0

 

<ユニテ・ダビタシオン>でコルビュジエが力説したのが、集合して住むことによる<共有>のメリットだった。

 

「二千、あるいは五千、一万の個人が、集合し共有地を用意して、賢明に開発するならば、予想していた以上に多くの恩恵を実現することができる。つまり、ひとりひとりのために一本の木があるだけではなく、広大な空地、つまり散歩し、ジョギングし、体操をするための広大な芝生の公園すべてを手にすることができるのだ。孤立した人間には、適正な価格で湯を供給できないので、浴室などもつこともできないだろう。しかし三百の家庭が集まれば、プールをひとつ備えることができる」

 

また、コルビュジエは人には「人生に応じた場所と地域」が必要だと述べ、それを<社会性>という言葉で説明している。

 

「人生の各段階に応じた場所と地域とを整備しなければならない」、「われわれは、この場所と地域をクラブと呼ぶことにしよう」、「そこは屋外だったり隠れ家だったりする。時にはスポーツ・クラブであったり、勉強部屋であったり、あるいは単なる遊び場だったりする」

 

コルビュジエが「クラブ」と呼ぶものは、今の言葉では共用施設のことだ。

 

不況が訪れるたびに景気浮揚策の4番バッターとして期待され、結果的にブームと販売不振を繰り返してきたマンション市場において、立地と価格と間取りというハード要件以外の価値を創造できないか。バブル直前の1980年代前半、商品企画が競われていたころだ。

 

「成熟社会」、「ライフスタイルの多様化」、「高度情報化社会の到来」が言われ、世はモノの価値から、情報やイメージやブランドや記号、あるいはコト的価値へのシフトが盛んに言われていた。本格的な消費社会の到来である。

 

1984年に販売した「ヴィルセゾン小手指(★1)」という294戸のマンションにおいて、さまざまな共用施設と生活ソフトサービスを24時間提供する拠点となる「コミュニティ・フォーラム」という機能を併設したマンションを開発した。

 

 

 

メッセージの預かり、タクシーの手配、宅急便やクリーニングの取次、レンタル商品取次など、今のマンション業界でいうコンシェルジュサービスの数々とロビーラウンジ、スタディルーム、音響ルーム、レンタルルーム、ゲストルーム、OAルーム、コインランドリー、レンタルサイクル、トランクルームなどの共用施設を備え、24時間オープンでマンション外からの利用も可能だった。

 

パソコン、ファックス、テレックス、キャプテン端末(★2)などを完備したOAルームというのが時代を感じさせるが、「在宅勤務などが一般化するであろう21世紀の生活に備える」という宣伝文句は時代の方向を読み間違ってはいなかったことの証だ。ちなみに当時はパソコンやファックスは個人所有ではなく、ましてやインターネットなど影も形もなかった時代だった。

 

音響ルームは今はなき「六本木WAVE」のスタジオ設計を手掛けたトム・ヒドレーが監修したもので、グランドピアノが置かれ完全防音の本格的なものだった。ライフサービスでは、ゴミは各階のEVホールに出してもらえればスタッフが回収するという今でもあったら便利であろうサービスやセゾングループのネットワークによるショッピング情報や旅行やチケットの手配、隣接の西友からの食配サービス、マルシェなどの各種コミュニティイベントのサポートなどもメニューに加えられていた(施設やサービスの内容は当時のもの)。

 

 

 

こうしたアイディアのヒントになったのが、当時、各種取次サービスの提供やプールなどの施設付きマンションを開発していたタケツーや日本ランディックなどの事例だった。

 

もっとも日本においても、コープオリンピア(1965年)のように、まさにマルセイユの<ユニテ・ダビタシオン>ばりに屋上プールを備え24時間のフロントサービスを提供するマンションや接客ロビーや広大な日本庭園を備えた三田綱町パークマンション(1971年)のようなマンションは以前から作られていたが、それらはすべてマンション黎明期の都心立地の高級マンションの話であった。

 

「ヴィルセゾン小手指」は、一般マンションにおいて、さまざまな共用施設や24時間のコンシェルジュサービスの提供によって、多様化したライフスタイルに応えるソフトな付加価値を提案したマンションの嚆矢となった。

 

集合住宅のルーツは、19世紀から20世紀初頭のヨーロッパにおいて社会主義思想に基づいて作られた労働者救済のための住宅にある。その背景にあったのが、フランスのサン=シモンやシャルル・フーリエ、イギリスのロバート・オーエンらの、いわゆるユートピア思想である。当時は産業革命後の工業化、都市化によって都市の衛生や住環境が悪化し、多くの労働者が住宅に困窮していた。

 

こうした労働者住宅は、共同の浴場、洗濯場、保育所、幼稚園、プール、中庭、ガラス屋根の光庭など、さまざまな共用の施設が設けられていた。鋳鉄製のストーブGODINで成功したフランスの企業家ジャン=バチスト・アンドレ・ゴダンが、フーリエが唱えた理想コミューン「ファランステール」の実現を目指して作った「シテ・ファミリステール」では、同じ敷地に公園、劇場、小学校、病院、商店、娯楽室などが設けられ、共同組合を結成して運営が行われていた。

 

■Idée d’un phalanstère by Victor Considerant [Public domain], via Wikimedia Commons

 

貧困者や労働者に清潔で快適な暮らしを提供する住宅の実現は、ユートピアを語る社会主義者だけではなく、政治家や資本家などにも広く共有されていた問題意識だった。パリの労働者住宅のはじまりとなったのは、強権で知られたナポレオン3世が作った「シテ・ナポレオン」(1853年)と呼ばれる集合住宅だった。日本における関東大震災をきっかけに発足した同潤会も同様の問題意識を共有している。

 

モダニズム建築もまた、その原点にあるのは建築による社会改革であり、その際、建築とはなによりも住宅のことを意味していた。<ユニテ・ダビタシオン>をはじめル・コルビュジエの一連の集合住宅計画には、フーリエの「ファランステール」のイメージが重なっているといわれているし、モダニズム建築運動の中心となったCIAM(近代建築国際会議)において、いの一番に議論されたのは「生活最小限の住宅」と呼ばれる労働者向け住宅だった。

 

集合住宅は困窮する労働者のための住宅として誕生した。そこでは空間、施設、機能、サービスが居住者によって共有され、共同体の一員として住まう住宅だった。そしてそれらを実現する原動力となったのが社会で広く共有されていた社会主義的な<ユートピアの夢>だった。

 

コルビュジエの<ユニテ・ダビタシオン>やそれをお手本として今日、世界中で作られているあらゆる集合住宅の原点にはこの<ユートピアの夢>があるといえる。日本のマンションもその末裔に連なる存在である。

 

 

「ヴィルセゾン小手指」の商品企画において、それが売らんがためのマーケティングから生まれたものだったとはいえ、居住者全員で施設やサービスを共用することで、今までの郊外生活ではともすれば叶えられなかった暮らし(利便や趣味や文化や学びや交流や仕事etc.)の実現を支援するというアイディアを創案したことは、その内容やオペレーションが十分であったかどうかは別にして、共に住む共同体という集合住宅の本質を見据えた試みであった、と断言するのは我田引水に過ぎるだろうか。

 

大塚英志は、70年代・80年代のセゾングループという企業集団の本質を、消費を通じた「階級」の解体、つまり、資本市場を通じた社会主義の実現であったと喝破した。

 

今にして思えば、「ヴィルセゾン小手指」の試みに図らずも内在していたものも、19世紀の労働者住宅にルーツを持つ集合住宅の末裔としてのマンションという商品において、かつての<ユートピアの夢>の片鱗を消費市場において再興しようとする企てだったのではなかったか。

 

その後、日本のマンションにおいて、共用施設やサービスは当たり前になり、その充実ぶりは冒頭に見た通りである。共用施設とサービスとセキュリティが充実した今の日本のタワーマンションは、集合住宅のあり方のひとつの究極だと言えるだろう。

 

しかしながら、それが、かつての<ユートピアの夢>の究極なのかどうかはわからない。

 

 

(★1)「ヴィルセゾン小手指」は西武池袋線小手指駅徒歩5分・約42,000㎡の敷地に西友小手指店などと複合的に開発されたマンション。総戸数294戸、販売坪価格@135万円、売主・総合企画/西武都市開発(株)、設計監理/圓堂建築設計事務所、施工/戸田建設、1984年竣工

 

(★2)キャプテンとはNTTの前身の電電公社が1984年に大都市圏でサービス開始した電話回線とテレビ受像機を通じた文字・画像の送受信システム。当時はニューメディアと呼ばれて期待されていたが、インターネットの普及で2002年にサービス終了。専用の端末が必要とされた。

 

(★)トップ画像はル・コルビュジエによる<ユニテ・ダビタシオン>のスケッチ。出典:MED ECO-QUARTIERS

 

 

 

(参考文献)

ル・コルビュジエ『マルセイユのユニテ・ダビタシオン』(山名善之・戸田穣訳、ちくま学芸文庫、2010年)

大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』(講談社現代新書、2004年)

 

 

大村哲弥 一級建築士/ブロガー

有限会社プロジェ代表:1984年、セゾングループのディベロッパー株式会社西洋環境開発に入社。住宅・マンション事業のマーケティング・商品企画・事業企画に従事する。バブル前夜からバブル崩壊とその後のカルチャーシーンのなかで20歳代、30歳代を過ごし、不動産ビジネスに携わる。1996年、有限会社プロジェ設立。建築・住宅分野のコンサルティング・商品企画・デザイン・執筆などを手がける。東京工業大学大学院修了。一級建築士。

ブロガー:本・映画・音楽・アート・デザイン・ファッション・都市・建築・食・料理・旅・暮らし・まち歩きなどのカルチャーフィールドを横断的に渉猟・論考するブログを主宰。

 

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