甘い生活2018/10/26

玄関だけが立派な家に住む女……それはあくまで、見栄っぱりな人を揶揄するための比喩。以前、意地悪にもこの表現を使って、”ブランド好きな女性たち”を話題にしたことがあったのだ。

 

かつて日本の女が一流ブランド信仰にどっぷりつかっていた頃、「豪華一点主義」なるブランドものの持ち方が一つのスタイルともなっていたこと、知っていただろうか? まだブランド物など買えないような若い女性は、たった一点だけ、煌めくようなブランドものを持って、ゴージャスな自分をアピールして悦に入っていた時代があったのだ。

 

そういう表層的な贅沢と、玄関だけが素晴らしい家は、事実メンタリティーがよく似ている。でも今やブランドの豪華一点主義は完全に過去のものになったのに、反対に近頃にわかに増えているのが”玄関だけが息を飲むほど立派なマンション”。実際に中に入ると普通の広さの普通のマンションなのに、玄関までは一世帯が数億円するマンションのような佇まいを見せるのだ。

 

だから久しぶりに、その豪華一点主義と言う概念を思い出してしまったわけだが、実際にそういうマンションを買った友人の家を訪ねた時、これは単なる見栄の構造ではないのかもしれないと気づいたのだ。

 

住む家は、ただただ住むための空間だけに留まらない。住む者に力を与える、エネルギーの源泉でもある。住む者に、自分は誰であるかということを日々自覚させる、ある種、学生にとっての学校のようなものでもある。だから、出かけて行く時、帰宅する時、まるで学校の校門を通るたびに、背筋がすーっと伸びるように、マンションの玄関は住人に、あなたはこんな人間だということを繰り返し自覚させているように思えてならないのだ。

 

だからこそ玄関は、私たちが想像している以上に大切な場所。豪華なら豪華で良いのである。たとえ玄関だけが目立って立派で、非常にアンバランスだったとしても、それはそれ。玄関は外向けの顔である前に、出かけていく自分に力を与え、帰ってきた自分に改めて自信を与える、特別なゾーン。そういう意味では、豪華な玄関はアリなのだ。それこそ自信を失って帰ってきた日、自信を取り戻し、プライドを取り戻させてくれるような玄関はやっぱりありがたい。

 

最近は、そうした”豪奢な玄関トレンド”が中古マンションにまで波及していて、築50年以上のマンションですら、玄関を見事に新築の豪華マンションのように作り直すケースも増えている。それはそれでアリだと思う。

昔は億ションと呼ばれたような高級マンションほど、築年数とともにちゃんと劣化して生気を失ってくるところ、玄関を変えるだけで確かに息を吹き返す。これは単なる表層的なごまかしではなくて、住む人に再び力を与えるとても重要な再生なのだと思うから。

 

玄関の豪華一点主義、それは、すべてがチマチマまとまった家よりも、ずっとずっと正しい。少なくとも家に関してだけは、そういう方程式が成り立つのである。

 

 

 

齋藤薫 美容ジャーナリスト/エッセイスト

女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーと幅広く活躍。新刊『大人の女よ!もっと攻めなさい』(集英社インターナショナル)、『されど“男”は愛おしい』(講談社)など著書多数。

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