バビロン再訪~バブル時代のマンション物語~2018/10/1

バブルはマンションの間取りに関してはなにも生み出さなかった。

 

分譲マンションの間取りがエキサイティングだったのは、バブルの前の1980年代前半の時代だ。

 

第4次マンションブームの後、大量の在庫を抱え、販売不振にあえぐ市況を打開するために、さまざまな商品企画の工夫と新機軸の間取り開発が競い合われたのがバブル前の80年代前半だった。

 

ライトコート(ライトウェルとも呼ばれていた)、ダブルライトコート、スキップフロア、空中廊下、2戸1EVや3戸1EV、玄関ポーチ、勝手口、PP分離プランなど、フロンテージと専有面積とレンタブル比(★1)の縛りが厳しいファミリーマンションを舞台に、脱片廊下、脱「羊羹切り」(★2)、脱「田の字」(★3)の間取り開発の涙ぐましい努力が重ねられた。

 

パークハイツ鶴見やパークハイツ越谷というマンションで提案された、ライトコートや勝手口を組み込んでリビング、ダイニング、キッチンをクランク状に配した間取りは<Zプラン>と命名され大いに注目を集めた。その後、誰も追従者がいないほどの新奇さは、当時の間取り開発競争の頂点をなすといってよいプランだ。限られたフロンテージと専有面積のなかで、いささかアクロバティックながら3LDKがきちんと納まっているのは、今見てもなかなか見事である。

 

パークハイツ鶴見の間取り 出典:『都市住宅の証言』(長谷工コーポレーションCRI制作1988年)

 

ちなみに、この<Zプラン>を開発した、今はなき長銀系のディベロッパーの日本ランディックと東急設計コンサルタントのタッグは、当時、さまざまな新機軸プランを提案する旗手だった。

 

売れ行き不振により価格が安定し、競い合うように提案されるこうした商品企画の工夫も奏功したのか、80年代半ばに市況は上向き始める。

 

その後のバブルは、こうした商品企画の工夫を一切不要にした。土地が仕込めれば儲かる、作れば売れる、黙っていても利益は膨らみ、むしろ時間と手間をかけない方が「正解」とされた時代だ。不況こそ創意を生む母であるとの箴言どおりの出来事だ。

 

バブル崩壊後の首都圏8万戸の大量供給時代に求められたのは、商品の標準化・規格化であり、斬新で個性的なプランは見事に姿を消して今日に至っている。大建設時代はとっくに終焉し、人口減少社会の今の日本においては、高止まりする建築コストを考えれば、施工面積が増え、施工手間のかかる、かつてのような空中廊下やライトコートのあるマンションは、二度とお目にかかれないと言っても過言ではない。

 

とはいえ、こうした80年代前半に提案された新機軸プランもベースは、nLDKプランの変形だった。

 

nLDKという概念と表記は、1951年に建設省が主導して開発された公営住宅のための51C型と呼ばれる2DKプランにルーツを持ちその後、日本の住宅間取りの概念と表記の事実上の標準となったものだ。

 

バブル崩壊後の工夫のない間取りに見飽きて、大量供給のための標準化・規格化の作業にすっかり倦んでいたなかで惹かれていったのが、nLDKプランの核となっている<リビングルーム>の起源についてだった。

 

人類の住居は、1室住居か2室住居が基本だった。2室住居の場合は、それぞれ家族全員で使われるデイルームとナイトルームから構成される。デイルームは西ヨーロッパではホール(hall)と呼ばれることが多く、同じくナイトルームは、パーラー(parlor)やチャンバー(chamber)などを称されていた。

 

2室住居のそれぞれの部屋が、その後、デイルームは、接客、社交、食事、キッチン、玄関、物置などに機能分化し、ナイトルームは寝室、居間、収納などに機能分化していった。

 

こうしたさまざまに分化した機能(部屋)が再統合されて、居間+寝室という基本構成、つまり接客と団欒を兼ねた<リビングルーム>と家族それぞれのベッドルームという構成の近代住居が19世紀のイギリスなどの西ヨーロッパにおいて成立する。

 

貴族などの上流階級の住居では、デイルームの機能分化のプロセスにおいて、サロン、書斎、カードルーム、ビリヤードルーム、スモーキングルーム、ギャラリー、サーバントルームなど、社交空間としての機能(部屋)が多種多様なバリエーションを見せたが、最終的には階級によらず近代住居は<リビングルーム+ベッドルーム>という基本構成に落ち着く。

 

こうした近代住居の特質は、<社会の基本単位としての単婚家族(核家族)>と<職住分離による私生活の場としての住居>の2点だと黒沢隆は指摘する。

 

それを成立させたのが、農業革命、産業革命を経て定着した単婚家族(核家族)という家族形態と賃金労働という労働形態、そして宗教改革に端を発し、貴族社会で萌芽し、社会に浸透した個人や自我やプライバシーという概念であった。

 

<リビングルーム+ベッドルーム>は、賃金労働が主な収入源である運命共同体としての夫婦が中心となった核家族(賃金労働の夫と家事労働の妻がペアとなって社会に立ち向かう家族。アメリカなど欧米におけるカップルベースの文化を思い出そう)のための形式として成立したのだった。

 

その後の家族と住居の関係はどうなったのか。

 

映画『家族ゲーム』(監督森田芳光、1983年)が図らずも(図りながら?)描いたのが、その後の家族の象徴的な姿だった。伊丹十三一家が家庭教師の松田優作を迎えるのは、一直線に伸びる奇妙なダイニングテーブルであり、夫婦が重要な話し合いをするのは車の中であり、ストーリーの主な舞台は子供部屋で展開する。

 

<リビングルーム>は見事に登場しない。

 

そういえば、この映画に限らずTVドラマやほかの映画においても、<リビングルーム>で家族が団欒をしたり、接客や社交する場面をあまり見たことがない。夫婦がベッドルームで優雅にくつろぐシーンなども見た記憶がない。そしてそれは、映像の世界だけの話ではなく、リアルな世界でもそうなのだった。

 

日本では<リビングルーム>は実際にはあまり使われてはいないという事態に対して、さまざまな理由づけがなされてきた。曰く、本来の機能を果たせない程度の広さしかない日本の<リビングルーム>(★4)のせいだ。いやいや、そもそも<リビングルーム>自体が欧米からの借り物でしかなくて日本の暮らしには本来馴染まないなど。日本後進論と日本特殊論の住宅版といえるが、いずれもそれなりに正しいとはいえる。

 

しかしながら、その原因を本質的な意味で言い当てているのが黒沢隆の次の言葉だ(★5)。

 

「共働き世帯の一般化によって「夫婦の一体的性格」はまず失われ、つづいて産業構造の変化は「私生活の場」としての性格を近代住居からうばった」

 

日本では1970年前後から<近代>の前提に変化が起こりはじめた。企業戦士と性と家事労働を提供する専業主婦がペアとなり、高度経済成長を支えるという構図が崩れ初め、女性の就労が進行し、核家族や専業主婦が主流ではなくなった。産業の高度化とIT技術の浸透は、職住分離や専用住宅という概念を昔のものとした。

 

Windows95の発売をきっかに1996年以降、インターネットが個人にも普及し始め、PCが家庭に入り込み始める。その時は良くわからなかったが、その後、携帯電話、スマートフォンへと端末が進化するなかで、起こりつつある事態は明確になる。個人が直接にあらゆる外部と自由につながることができる世界が到来したのだった。

 

社会的な基本単位はもはや夫婦や家族ではなく個人であり、オンタイムとオフタイムの境目がなくなった。

 

<リビングルーム>、つまり近代住居という発想を支える前提がもはや崩れ始めていたのだ。

 

*写真はザ・ユージーン・スタジオ(THE EUGENE Studio)による”Beyond good and evil, make way toward the waste land”と題されたインスタレーション(2017)。居住スペースが廃墟化されたイメージが提示されている

 

しかしながら、分譲マンションの間取りは相変わらずnLDKがほとんどだ。そのパターンはいわゆる「田の字」プランであり、かれこれ半世紀近く、変わっていないことになる。

 

家族や生活が大きくが変わってもなぜ住宅は変わらないのか。その理由を建築家山本理顕はこう喝破した。

 

それは住宅というものが、もともと家族や生活の実態や現実を反映したものではなく、人々の抱いている家族像や生活像といった期待や願望や理想、いってみれば現実ではないヴァーチャルなものを反映してできあがっているものだからであると。

 

それでは、我々が期待し願望し理想とする家族像とはいかなるものか。分譲マンションは、企業戦士と専業主婦による核家族を今だに夢見ているというのか。

 

あるいはこういうことかもしれない。

 

ひとりひとりがスマホでどこでも常にインターネットにつながっている世界においては、間取り、さら言えば住宅の設えすら、もはやどうでもよいのだと。

 

80年代前半のエキサイティングだった間取りの開発競争は、家族が社会の基本単位として、まだ存在していた最後の輝きの証だったのかもしれない。

 

 

(★1)レンタブル比とは、専有面積の延床面積に対する割合。つまり、コストがかかる面積に対する収益が上がる面積の割合のこと。

(★2)「羊羹切り」とは羊羹型の配棟で開放片廊下のマンションにおいて、住戸が羊羹一切れ分を並べたように画一的に配置されているのを自嘲する表現。

(★3)「田の字」プランとは、住戸内の廊下を挟んで、開放廊下側に2室、バルコニー側にLDと1室を配したプランが漢字の「田」のように見えることに由来する表現。「羊羹切り」の場合のユニットプランは大抵「田の字」だ。

(★4)<リビングルーム>として本来的な機能を満足させるには、4~6人掛けのダイニングテーブと対座して会話ができるソファーが置ける広さと、家族だけの場合にも全員がリビングに居ながらそれぞれに別のことをしていても気にならない程度の空間が求められる。これを具体的にプランに落とし込んでいくと最低限18~20畳程度の広さが必要となる。ここ半世紀の間、分譲マンションの基本フォーマットとなっている70㎡・「田の字」プランにおける<リビングルーム>(LD)の広さは実質10畳台である。

(★5)こうした現実に対応したポスト近代住居として黒沢隆は、「個室群住居」という概念とプロトタイプを提唱した。

 

(参考文献)

江上徹「イギリスに於けるリビングルームの成立・変化に関する研究」(住宅総合研究財団研究年報No.21、1994年)

黒沢隆『個室群住居』(住まいの図書館出版社、1997年)

山本理顕『住居論』(住まいの図書館出版社、1993年)

 

 

大村哲弥 一級建築士/ブロガー

有限会社プロジェ代表:1984年、セゾングループのディベロッパー株式会社西洋環境開発に入社。住宅・マンション事業のマーケティング・商品企画・事業企画に従事する。バブル前夜からバブル崩壊とその後のカルチャーシーンのなかで20歳代、30歳代を過ごし、不動産ビジネスに携わる。1996年、有限会社プロジェ設立。建築・住宅分野のコンサルティング・商品企画・デザイン・執筆などを手がける。東京工業大学大学院修了。一級建築士。

ブロガー:本・映画・音楽・アート・デザイン・ファッション・都市・建築・食・料理・旅・暮らし・まち歩きなどのカルチャーフィールドを横断的に渉猟・論考するブログを主宰。

 

 

 

 

 

 

 

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