甘い生活2018/9/23

家を建ててから、5年間ほどは、定期的にホームパーティーっぽいことをやっていた。もちろんパーティーと呼べるものなのかどうか、小規模のものだけれど、友人たちを呼んで、食事を振る舞うのだ。
最初の頃はそれこそ季節ごと、年末にはクリスマスパーティー。一時期は20人以上も招いたことがあったっけ。もちろんそれは、結構な手間だった。その日が終わるとぐったり、翌朝ベッドから起き上がれないほど疲れていた。それでも、満足感と達成感は相当なもので、自分たちが病みつきになったっていたことは確か。

 

でもやっぱり年齢とともに体力が追いつかなくなって、次第に縮小していって、今は自宅に人を招くことが本当に少なくなった。友人をご飯に誘うときは、もっぱら外のレストラン……。
ただそうなって、1番残念に思っているのが、じつは家が荒れてしまったこと。ホームパーティーをやるきっかけとなったのは、言うまでもなく新築の家とインテリアを友人たちに見せたかったこと。だから隅々まで家をよく磨き混んでいたし、インテリアも、パーティーのたびに何か少しずつ工夫を凝らして、印象を変えたりしていた。だから人を招けば招くほど、家は新陳代謝していくのだ。

 

ところが、人をあまり招かなくなってからは、情けなくも、インテリアを新しくすると言うエネルギーも減退していった。いや、どちらが先かわからない。エネルギーが低下していたから、人を呼べなくなったのかもしれない。

 

どちらにせよ、家はどこか見えっ張り。人に見せたい気持ちが、自ずと家を美しく磨きあげる。家は住んでいないと、それだけで傷んでしまうと言われるけれど、ある意味同じように、家は人を招いていないと、それだけで傷んでくる、どうもそういうものらしい。

 

そうならないために人を招き続けるなんて、動機が不純だけれども、でも本来、家は、ただ住人が住まうだけだと、どことなくくすんでいく。 毎日掃除はきちんとしていたとしても。言ってみれば、女性が毎日外出もせず、いつもすっぴん、いつも普段着ばかり着ていると、なんだかそれだけで印象荒んできて、肌までもがくすんでくるのと、よく似てる。

 

家もある意味、生き物なのかもしれない。やはり来客があれば、家なりにきちんとを居住まいを正して、迎え入れようという、見えない力が働いてるような気がしてならない。
いやそのぐらい、人を招くのは家にとって大切であるということ。家に命を吹き込むのは、人間。時には、よそ行き顔の命を吹き込んでみて欲しい。

 

 

齋藤薫 美容ジャーナリスト/エッセイスト

女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーと幅広く活躍。『されど“男”は愛おしい』(講談社)など著書多数。

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