住めば都も、遷都する2018/6/8

長い休み、リゾートに滞在する。ホテル、旅館、別荘と、行き先は違っても、心はずむ体験である。不思議なことには、時間の歩み方が変わる。いつもより、ゆっくりと時が流れていく。

 

朝のコーヒーから、夜のワインまで、あるいは食事の味わいまでもが違う。家族や友人たちとも、とくに変わった話をするわけではない。しかし、後になっても、会話の内容を覚えていたりする。非日常とは、こうした時間の流れを呼ぶのだろう。

 

ところが、である。何日かたつと、非日常だった時間が日常の空気になってきて。いや、つまらなくなるとか、退屈するというのでもない。慣れとでも言おうか。

 

毎年訪れるリゾートでも到着後、数日間は、部屋のインテリアも、外の景色も、久しぶりのご対面で新鮮だ。それが、やがて薄れていく。海辺や山のリゾートでのんびりするというのは、そうしたものなのかも。感覚への刺激がずっと続けば、あまり、くつろいでもいられない。

 

そのあたりの事情は、海外旅行で感じる方も多いだろう。2週間程度なら、毎日、ワクワクドキドキしていられる。だが、それ以上だとクタクタになってしまう。こうした場合、旅先であっても、非日常ではなく日常の穏やかさを求めるようになる。

 

 

さて、リゾートの話に戻って。帰宅の日になる。海や山のリゾート生活も楽しかったが、本宅にご帰館ともなれば、ドアを開けた途端に「フー、わが家に帰ってきた」とため息が出てしまう(思い当たるでしょ?)。

 

家の良さとは、こんなところにあるのだろう。わが家では、こちらの生活リズムにまわりのすべての波長があう。疲れることもない。まるで、からだになじんだ服のように。

 

住まいとは、そうしたくつろぎを与えてくれる場といえる。そして、もし、自分の家にいるのに、日常というよりマンネリを感じるようになったら、そろそろ引っ越しの好機なのかも知れない。

 

住めば都も、遷都する。例えば、新しいわが家に移ったとしよう。その選択が正しかったがどうかは、旅行やリゾートの滞在から帰宅したときに、はっきりと分かるのである。「フー、帰ってきた」と、あのため息が出れば、それは、住まいが心身になじんで、わが家と呼べる存在になったのである。

 

関沢英彦(文・イラスト)

発想コンサルタント。東京経済大学名誉教授。コピーライターをへて、生活系シンクタンクの立ち上げから所長へ。著書多数。現在、ヤフーニュースなどの個人ブログも執筆中。https://news.yahoo.co.jp/byline/sekizawahidehiko/

http://ameblo.jp/ideationconsultant/entry-12291077468.html

 

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