住めば都も、遷都する2018/4/11

確かに小学校のそばは、騒がしかったりもする。でも、ひっそりとして、物音ひとつしない街角も寂しいものだ。登下校の子供たち。男の子が誰かを追いかけて、それを叱る上級生の声がして。1日のリズムがあるのもいい。ああ、運動会のシーズンだなといった季節感も、にぎやかな音と一緒に伝わってくる。

 

小学校の「学区」というのは、何となく懐かしさのある言葉。歩いて回れる生活圏という感じがする。で、いま、お住まいのところの「学区」を知っていますか。

 

地域で、子供たちを見守る。それは、コミュニティにとって大切な基本なのかも知れない。自分たちの次の世代が、街を闊歩していると思えば、少々のことはガマンできる。もちろん、度が外れていると思ったら、地域の先輩として注意することがあってもいい。そうやって、私たちは、街を引き継いできたのだから…。

 

 

徒歩圏に大学のキャンパスがあるのも、気分を活気づけてくれる。受験生ではないのだから、偏差値などには興味がない。そんなことよりも、イキイキとした男女が行きかっているのがそれだけで楽しい。

 

最近の大学は、地域に図書館を開放している。住民は、天井の高い閲覧室に落ち着いて、地元の図書館にはない専門書、大判の美術全集、洋書などを手にすることもできる。

 

図書館にでかける機会は少なくても、住んでいる近くに文化の拠点があるというのは、気分がいい。大学のホールでは、コンサートや演劇も行われる。プロではないけれど、舞台上の学生たちの一生懸命さは力を与えてくれる。

 

春の入学式の頃。ひとけのない夏休み。木々が紅葉していく秋。広葉樹が葉を落とした静かな冬。キャンパスというのは公園のようでもある。公園との違いは、歩いている学生や先生たちが、季節の移り変わりを感じるだけではなく、もっと別な何かを抱え込んでいる表情をしていることだ。いや、暗いというのではない。やるべき勉強、書きかけの論文、結果の出ていない実験といった「テーマ」を思案中といった顔つきをしているのである。

 

すれ違う学生が、あまり勉強しそうにないタイプだなと思うときでも、就職のこと、サークルの問題、つきあっている相手などについて、「悩んでいます」と顔に書いてあったりする。若いということは、未来に向かってあちこちにぶつかりながら歩いているという雰囲気が漂っていることかも知れない。

 

ある年齢を過ぎると、そうした不器用さは消えていく。現状に満足してしまうからだろう。もちろん、それはいけないことではない。良く言えば成熟なのだから。でも、時には、暗中模索だけれどエネルギーは有り余っている若者の姿が恋しくなる。

 

住めば都も、遷都する。孟母三遷の教えは、孟子のお母さんが、墓地のとなり、市場の近くと転居をして、最後に学校のそばに落ち着くという話だった。2400年近く前の「元祖教育ママ」とも言えるが、子供のためばかりでなく、自分のために学校のそばに引っ越すというのも面白いのではないか。あちこちに次世代の熱気が感じられる街は、住むのにも魅力的である。

 

 

関沢英彦

発想コンサルタント。東京経済大学名誉教授。コピーライターをへて、生活系シンクタンクの立ち上げから所長へ。著書多数。現在、ヤフーニュースなどの個人ブログも執筆中。https://news.yahoo.co.jp/byline/sekizawahidehiko/

http://ameblo.jp/ideationconsultant/entry-12291077468.html

 

 

 

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