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甘い生活2017/8/29

別荘をお持ち……そこには、裕福であることの強調のような響きがある。でもそれ、違うと思う。むしろ大人は、もっと当たり前に2つの家を持つべきで、だから別荘は「お別荘」ではなく、あくまでも自分の家の半分、そう位置づけるべきなのだ。
従って、狭くてもいい。自然とか、空気のおいしさとか、特殊な佇まいとか、ハッとする眺めとか、何らか非日常を感じられる家であれば、狭くたっていいし、古くたっていいから、ともかく家はもう一つ持ちたい。
もちろん、日頃の疲れを癒すくつろぎの家があった方が良いことは、みんな百も承知だろう。でもそれだけじゃない、2つの家を持つ事はもう少し重い意味を持つのだ。

 

日常は、非日常がきちんとあればこそ、大切に思えるようになる。非日常も日常があればこそ、輝かしいものになる。それを当たり前のように繰り返していくことが、人生を濃密なものにするという話をしたいのだ。人間休みばかりだったら働きたくなるし、働けば働くほど休息を無駄にしなくなる。それと同じように、日常と非日常を結構激しく行き来してこそ、どちらも大切にできる豊かな心が育まれるということを。

ところが日本人は元来、非日常の作り方が下手である。放っておくと、週末も休暇も、ずっと日常の延長になりがち。旅行はもちろん、非日常の最たるものだが、非日常は本来もっともっと日常の中に自然な形で組み込まれるべきなのだ。

 

大切なのは、いつでもどこからでも簡単に非日常に体ごと移動できること、いつでも逃げて行けること。非日常とは言え、それが特別なものであってはいけない。だから、非日常はできるならば2時間以内で行けるような、近郊が良い。

でも逆に言えば、ほどほどの距離がある方が望ましくもある。その距離が自分の人生の幅になるから……。家が1つだと、それは点でしかないけれど、家が2つあると点と点で突然、線ができる。いや、何度も何度も繰り返し行き来するうちに、それは面になるといってもいい。点のままの人生を生きるか、どんどんどんどん面を広げていく人生を生きるか、その違いはあまりに大きいのだ。

 

ちなみに私自身、人生において初めて買った家は、海に面した小さなマンションの1室。30代の初めに、ほとんどローンで手に入れた。都心の家はまだ賃貸なのに。それは世間の常識からすれば、無謀なことなのだろうが、当時忙しすぎる日常から逃れるにはそれしかなかった。自分の日常を嫌いにならないためには、必要な決断だったのだ。

 

でも結果として、もう一つの家を持つ事は人生を2倍どころか、3倍、4倍、いやそれ以上に広げてくれた。まさしく、点がいきなり面になる、そこまでの幅の違いがあったのだ。
趣味が増え、友達が増え、喜びが増えていた。こんな人生があったのかと、可笑しいくらい、いきなり生き方が変わる。価値観そのものが変わったと言っても良い。

 

金曜日の、まだ少し明るいうちに家を出るのがテーマ。車の中では思い切り海っぽい音楽をかけるともう嬉しくて嬉しくて、ときめきどころじゃない、どうしようもないほどに、わくわくが止まらない。まるで恋人にでも会いに行くような。そんなことは生まれて初めてで、ひょっとしたらもう1人の自分に会いに行くようなロマンがそこに生まれていたのかもしれない。かくして、もう一つ小さな家をもつ意味の重さを毎週噛み締めたもの。それ以降の人生が大きく変わったのは言うまでもない。

だからなるべく早いほうがいい、いつかではなく、今。何を置いても……。

 

斎藤薫 美容ジャーナリスト/エッセイスト

女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーと幅広く活躍。『されど“男”は愛おしい』(講談社)など著書多数。

絵:樫村鋭一 (Facebook 樫村鋭一作品集より)

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