甘い生活2018/1/17

私は、”間取り”を見るのが好きである。間取りオタクと言ってもいいほどに。唐突に聞こえるかもしれないけれど、賛同してくれる人はきっと少なくないと思う。

 

言うまでもなく物件情報に記載されているあの間取り図は、住み替えを考えている人にとっては重要な情報だけれど、その予定がない人、及び興味がない人にとっては、一体何が楽しいのか、全く以って意味不明なのだろう。

でもそれって言うならば「時刻表をくまなく見るのが好き」というのと同じ。旅行の予定がない人、及び興味のない人にとっては、同じように全く意味不明。自分にとっても時刻表は、見る気もしない一冊だけれど、ただ、間取り図も、時刻表も、さまざまに想像をめぐらせてくれると言う意味では、見事に共通している。それだけは確かなのだ。

 

以前、実家を出て、生まれて初めて家を借りるとき、不動産業者からもらった間取り図は、たとえ真四角のワンルームの、つるんと何もない四角い図形であったとしても、そこに何とも言えないときめきを覚えたもの。

だからめぼしい間取りを見つけると、それをわざわざ何枚もコピーした。暇さえあれば、そこにあーでもないこーでもないと、考えうる家具の配置を片っ端から書き込んでいた。
それは、パズルのようでもあるし、テトリス的なゲームのようでもあるし、また新しい生活のレシピ作りのようでもあった。どちらにしても、生活空間を自らデザインするという意味では単なる暇つぶしとは違う、重みのあるパズルだ。

 

それにしたって、なぜそんなことが楽しいの?と言うのだろう。そこで展開されるかもしれない新しい生活を単純な2次元に置き換えることで、アッという間にシュミレーションできると言う、めくるめく快感があるからなのだ。まるで人生の着せ替え人形のような、濃密な遊びだからなのである。

 

やがて気がつけば、新聞のチラシに入ってくる物件情報の間取りを見つけては、「自分ならこう使う」という家具の配置をイメージするのが、1つの趣味になっていた。それは、自分が家を建ててしまってからもずっと続いた。つまり当面は家を買う必要などないのに、他人の家の間取りをいちいちシュミレーションし続けたということ。

 

でもそうこうするうちに、家というものに潜む一つの法則が見えた気がした。いや既に住宅メーカーが途方もない時間をかけて見出してきた、住みやすさ、使いやすさ、のような完全無欠の法則とは違う。もっとずっと、瑣末なこと。でもそこには、住まうことの喜びの謎を一つ解いたような快感があったのだ。

 

家具の配置にいろんなパターンが考えられ、間取りを見ていて飽きない部屋はやっぱりいい部屋。選択肢が少ない、だから配置を考えていてもなんだかつまらない部屋は、良い部屋とは言えない、よって選んじゃいけない……そういうルール。
良い部屋に住んでいる時は、そこに住み始めてからも、いつも間取り図を持ち歩いて、何やら良い家具を見つけると、たちまち模様替えを考えたりするもの。気がつくとまたあーでもないこーでもないと配置換えを考えて。
そういう風にパズルができる部屋って、やはり優れた部屋なのではないかと思うのだ。もっと言うなら、間取りで遊べる部屋は正しい。

 

例えば旅においても、”旅の計画を立てること”はそれ自体が喜びで、実際に旅に出てからとは全く違う醍醐味がある。それは、未知なる素敵な旅に果てしなく思いを馳せる、旅ドリーミングとも言うべきもの。

同じように間取りを使って、新しい生活をあれこれと想像し、未来をさまざまにイメージしてみるのも、まさに”間取りドリーミング”と言えるものなのではないか。実際にそこに住まうこととは、全く別の喜びが宿るのだから。

 

旅の計画をはじめて、未来の人生に起こりうる幸せを具体的にイメージする時、そこには希望や期待しかないから、その分だけ寿命が延びるとはよく言われること。
つまりそれ自体がアンチエイジング。”間取りドリーミング”にも、そんなエイジングケア効果があると考えてみてはどうだろう。

 

間取りに書きこんでいるのは、やっぱり幸せな未来。だから究極のアンチエイジングとなるのだ。未知なる人生を無限に想像するパズルに、せいぜいときめいてみてほしい。

 

齋藤薫 美容ジャーナリスト/エッセイスト

女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーと幅広く活躍。『されど“男”は愛おしい』(講談社)など著書多数。

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