暮らしのヒント2022/3/13

 今週金曜(18日)彼岸入り。ちらほら桜前線のニュースも流れ始めた。東京では今年梅が遅く桜は例年より早いようだが、南北に長い日本列島沖縄を含めれば半年近く花見が楽しめ、桜の種類によっては盛りを過ぎたところもある。僕が住む東京の桜の殆どは染井吉野、山里に咲く実生の桜だけでは飽き足らなくなり庭などに植えて身近に楽しみたいとの願望から江戸時代数多く生まれた新品種の一つである。

 

 江戸に対抗して京の都でも、園芸種が盛んにつくられた。中には普賢象という室町時代にまで遡る種がある。八重のように花弁が多く、山桜のように葉と同時に花をつける。桜狂として有名だった小林の祖父、鎌倉自宅の庭に普賢象があった。大粒で盛りには多くの花を咲かせたが、この桜は実が出来ず接木や挿し木でないと子孫を残せない今風に言えばクローンだが、五百年もの間人々に大切にされ繋いできたのである。

 

 染井吉野も同じクローンで、僕の知る限り染井吉野では弘前城の桜が一番だ。お濠沿い桜のトンネルは恰好の散歩道で、水面に映る桜や散った花びらが浮かんで圧巻である。遠く岩木山を遠望し、本州最後の桜吹雪となる。染井吉野の寿命は、普通60年と言われている。だが弘前のそれは樹齢百年を越す長寿ばかりで、花に勢いがある。それは弘前ならではの風土による影響が大きい。

 

 「桜切る馬鹿 梅切らぬ馬鹿」という諺があるが、桜も梅もバラ科に属し、この地特産の林檎も同じバラ科である。秋深まると岩木山の麓一体は、林檎の花が咲き乱れる。林檎も育てるのが難しい品種だが、その剪定技術が弘前の桜に生かされているという。人々は林檎を名産にしたように、桜にも愛情を注ぎ、日本一の染井吉野となったのである。

 

 

 祖父の小林は梅が散ると原稿も手につかず、60を過ぎた頃から毎年桜見物に出掛けていった。昨今のように居ながらにして開花状況が把握出来ないので、同じ場所に何度も足を運ぶこともあった。この石割桜もその一つで、僕が中学の頃だったか、「今年は2分咲きで駄目だったから、来年こそは」と言って翌年再訪し、日に七度見て満喫したという。僕は情報を仕入れ、雨模様ではあったが、ピタリ老木の散り際に間に合った。が、便利と言うのは不幸なことなのかもしれないとちょっぴり思う。

 

 昨今は階下のライブ情報も充実している。花見と称した「宴会」や、インスタのような、一方的な花との交わりだけではなく、土地土地に咲く桜の物語を知り、多様な桜の声をかんだらどうだろうか。江戸時代まで花見は豊作を祈る儀式であり、苗代に種まく目安でもあった。畑にそびえる一木の下で、村人団欒の休息日になったのである。

 

 「久方の光のどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ」。平安貴族は「花見」を創出し、「朝桜、夕桜、夜桜、月夜桜、花曇り…」、艶っぽい言葉を生み、屏風に漆芸等の題材となり、「花見」が習慣までに昇華する。桜がなかったら日本文化はどうなっていただろうか。こちらが眺めるとき、桜も我々を見ているのだ。

 

 

 

白洲信哉(しらすしんや) 文筆家/アートプロデューサー

1965年東京都生まれ。細川護煕元首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方、広く日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザイン、展覧会などの文化イベントの制作に携わる。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な編著書に『骨董あそび』(文藝春秋)、『白洲次郎の青春』(幻冬社)『天才青山二郎の眼』『小林秀雄 美と出会う旅』(新潮社)『白洲家としきたり』(小学館)『かたじけなさに涙こぼるる』(世界文化社)『旅する舌ごころ』(誠文堂新光社)他多数。最新刊に『美を見極める力』(光文社新書)。

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