暮らしのヒント2022/2/20

 

 「魂合へば 相寝るものを小山田の 鹿猪田守るごと 母し守らすも」万葉集に詠われ「ししだ」と読む「鹿猪田」は、鹿や猪に荒らされた田んぼで、それを母が守っているという意味だ。現在でも郊外や山間部に行くとそれらの避ける柵が、農村風景の一部となっているし、古典にある「猪垣」や「鹿火屋」など獣を追い払うための設備があったことがうかがえる。

 

 だが、一万年続いた縄文時代、現在は西暦だと2022年だからいかに長期間だったことがわかると思うが、縄文人にとってイノシシはなくてはならない獣だった。一つは貝塚からおびただしい数の骨が出土、大切な食料となっていたことがうかがえるが、どうやらそれ以上の存在として昇華していったようである。6,000年ほど前の縄文前期終盤になると、縄文人は土器にイノシシの顔を飾り付けるようになる。かわいいもの、怖げなもの、愛嬌のあるものなど表現は多様で、イノシシの生命力の強さや多産の豊かさにすがって豊穣を、つまりは祈りの対象となっていった。山梨県北杜市の金生遺跡では焼かれた猪下顎の骨がまとまって出土、他でも様々な形で猪は埋葬され、所謂「もの送り」のような扱いだったことも分かっている。考古に不案内な読者は、だから?という疑問もわくかもしれないが、人とイノシシがある意味共存していた証拠で、次の縄文時代中期も後半になると、土器に飾ることは少なくはなるが、後期になると主に東北地方では、イノシシをかたどった土偶が作られ、やがて関東から中国地方に広がり、どうやら縄文時代を通じての濃厚な付き合いだったようだ。

 

猪のロース

 

 こうした親しい関係は弥生時代、稲作の伝播とともに大転換、銅鐸絵画や古墳を取り巻く埴輪などに表現されたように、「縄文の神」は害獣として排除され、弥生以降も仏教による殺生禁断の思想から肉食を忌み嫌う流れは進んでいった。が、税金として猪の干し肉(ほじし)や塩漬け(ししびしお)を収めたり、「山くじら」と表現するなど一部食用は継続、またその肝は薬用として珍重されていた。つらつらと述べてきたように、僕らとイノシシの付き合いは長くまた深い。だが、現代ほど山野の自然破壊が進んだ時代もないと思う。耕作放棄地は増加し、高齢化も伴って益々環境は悪化している。その一方家畜化された牛や豚などがブランド化され輸入も増えている。なぜ我々の傍にいる「害獣」に目を向けないか不思議でならない。

 

猪のすき焼き

 

 イノシシは、ぼたん鍋が一般的だと思うが、しっかりと処理されたそれは臭みなど全くなく、また肉らしいパンチの効いた美味だ。僕は塩だけでさっと炭焼きで食した後、すき焼き風に牛蒡やセリにネギなどとともに食す。昨今は大分のさる前市長が送ってくれるそれを楽しみに、急な来客へのもてなしに活躍している。持続可能な開発目標SDGsが大流行りであるが、人と動物の棲み分けを可能とするために、林業や農業を根本から見直し、生態系の王と君臨している我々が、山林の動物として永らく王でありカミであったイノシシと共存することは、生物多様性の模索にも繋がる。山から授かった命、豊穣を感謝の気持ちを込めて食し、骨を埋め山に帰す。すでに我々が縄文時代経験済みの生き方なのである。

 

*トップ画像は猪花山椒

 

 

 

白洲信哉(しらすしんや) 文筆家/アートプロデューサー

1965年東京都生まれ。細川護煕元首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方、広く日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザイン、展覧会などの文化イベントの制作に携わる。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な編著書に『骨董あそび』(文藝春秋)、『白洲次郎の青春』(幻冬社)『天才青山二郎の眼』『小林秀雄 美と出会う旅』(新潮社)『白洲家としきたり』(小学館)『かたじけなさに涙こぼるる』(世界文化社)『旅する舌ごころ』(誠文堂新光社)他多数。最新刊に『美を見極める力』(光文社新書)。

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