暮らしのヒント2021/12/21

 本連載一回目に「金継ぎ」、わが国特有の繕う「美」について述べた。今回はちょっと高度な?耳慣れない「よびつぎ」を紹介したいと思う。もともとは植物の接ぎ木の一方法「寄せ接ぎ」から出た焼きもの修復技法で、バラバラな破片から接ぐ「復元」とは違い、一つの窯跡(もしくは周辺同時代同手のもの)から出土したであろう陶磁器の破片を、答えのないジグソーバズルを解くように、周辺との調和を加味し欠落した部分を形に合わせ継いでいくのである。

 

 ここにあげたのは、桃山時代織部沢瀉文の徳利である。沢瀉は水田や沼地などに自生する多年生水草で、葉脈が高くなっているので、「面高」と書くこともある。耳慣れない文様名ではあるが、平安時代の頃より独特の葉形と可憐な花が図案化されてきた。細い首、小さい肩、控えめに膨らんだ円筒形の胴を持つ、比較的背の高いこの手の織部は、焼きもの好きの間はただ「沢瀉」として通っているが、ほとんど口や頸部を継いだ発掘伝世(古窯址の発掘品が出回ったもの)である。これもよくみると、頸だけでなく、底部までも「よびつぎ」している。つまり、一つの徳利が壊れてただ継いだのではなく、文様がうまくあうように元は三つの徳利の破片ブロックを継いで、一つの徳利に仕上がったわけだ。酒をいれても漏れる事なく、誠に都合良く仕上がっている。

 

絵粉引盃(左)と織部沢瀉文徳利(右 魯山人旧蔵)。絵粉引も同じくよびつぎ技法を施して一個の盃が完成した。

 

 本作は、かの北大路魯山人の箱書きから旧蔵品であることがわかっている。魯山人は自ら主催した料理屋の器を焼くため人間国宝の陶芸家である荒川豊蔵氏らを招き、また焼きもの研究にも精を出し古窯の発掘資金をも出したという。その後、荒川は元屋敷の近く大萱に移り住み作陶に励んだが、かの地もまた国宝の茶碗銘「卯花墻」の故郷志野の古窯に隣接した場所だった。このあたりの事情は拙著「美を見極める力」にも書いたので興味あればお読み頂きたいが、魯山人の薦めで古美術商となった瀬津伊之助氏作のよびつぎ「五十三次」と比べれば、このよびつぎ織部なんて子どもの仕事である。

 

 よびつぎの創作に共通しているのは、たとえ破片であっても見所をつかみ、世界でただ一つのモノを成す「熱量」だと僕は思う。平らな皿みたいなものならいざ知らず、立体的な茶碗に仕立てるには、素地の厚さやカーブの具合など、器形により違った破片を、高台部分から丹念に積み上げていくだけでなく、表面の発色具合の調和が取れないとダメなのだ。つまり、何百何千とある破片の中から、見所ある破片を組み合わせ、一幅の絵画に仕立てるが如き作業なのである。それだけの長い時間をかけて新しい器が仕上がった喜びたるや !

 

 僕は今、同じ時代の志野の修復に挑戦中だ。もはや破片を見付けることは不可能に近いことだと承知しているが、馴染みの大店など巡ったり修復家に相談したりしている。桃山のそれがないと現代の陶芸家に焼いてもらうことも考慮にいれつつ、でもそんな道楽に付き合ってくださるもの好きの名工が果たしているものだろうか?きっとよびつぎの作業は、破片と同じく人と人とが呼び合い集まって、足らない技術を補いながら作り上げていくものだと思いつつある。

 

 

 

白洲信哉(しらすしんや) 文筆家/アートプロデューサー

1965年東京都生まれ。細川護煕元首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方、広く日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザイン、展覧会などの文化イベントの制作に携わる。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な編著書に『骨董あそび』(文藝春秋)、『白洲次郎の青春』(幻冬社)『天才青山二郎の眼』『小林秀雄 美と出会う旅』(新潮社)『白洲家としきたり』(小学館)『かたじけなさに涙こぼるる』(世界文化社)『旅する舌ごころ』(誠文堂新光社)他多数。最新刊に『美を見極める力』(光文社新書)。

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