暮らしのヒント2021/9/21

「山川草木悉皆成仏」。原始よりわが国では、自然を崇拝するアニミズム的世界観が育み、精神性は仏教にも受け継がれていった。正月の門松や七夕の竹は、天上から迎えるカミの依り代であり、魂が宿る草木は神仏への捧げものだった。これから本番を迎える秋祭りなど、神仏にお供えした草花を、我々が暮らしの中に取り入れ、花を生けはじめたのは室町時代。はじめは「いけばな」ではなく立華、「花をたてる」と言い、徐々に形式が整い花道の流派が出来ていった。

 

「花を生ける」。何て聞くと大仰に思われるかもしれないが、フラワーアレンジメントに代表される西洋の手法とは根本的に違い、わが国では「生ける」のである。欧米では園芸や鉢植えが盛んで、切花が贈り物になり豪華な花瓶に飾られる。つまりいかに外見をアレンジし、まとめるかを重要視する。対し我々は草木に魂があり、その内面に「花」をみてきたのである。

 

千利休は「花は野にあるように」と生け方を説いているが、秀吉が朝顔を所望したときに、利休は庭の朝顔を全部切って、最後に残った一輪だけ床の間に生けたという有名な逸話がある。余計なものを削いで削いで、切り落とした最後の一輪の花に個性が現われる、「生け花」の真髄はこの捨てることにある。我々の文化を「引き算の文化」とも言われる所以である。これでもかこれでもかと華美に着飾るのが生け花ではないのだ。以前池坊専永氏が「西洋では満開の花を美しく見せることに重きをおくが、和の生け花は蕾や半開の花を生けて、これから咲くであろう未来を、見るものに想像させるのです」と話されていたことを思い出す。

 

さて、こうなってくるとますます「花を生ける」なんて縁の遠いもののように思われるかもしれない。理想的には食べ物と同じく、先のように旬の野の花を摘んできて、ではあるが都会で気の利いた花屋は少なく、野花など仕入れも難しい。だが、今月9日は菊の節供だったし、これを書いている今晩は、昨年本稿でも少し触れた中秋の名月で、ススキなど季節の草花を生けたりして場を盛り上げる。我々の心の奥底に潜んでいるものを引き出し、まずは生けてみることこそ肝要だ。

 

弥生小壺 白洲正子旧蔵

 

僕が特に大事にしているのは花器である。良い器があれば花を生けてみたくなると思うし、古器に生ければ特段の技術や可憐な草花が少なくてもなんとなくまとまるように思う。花は総合芸術だと言うではないか。

 

祖母の白洲正子は「器が先生だった」と述べていたが、手法や草花の吟味より器選びにこだわり、生ける過程をまずは楽しんだらどうだろうか。「好きこそものの上手なれ」で、楽しんでいるうちに、花の留め方や水揚げの必要性も悟得するのである。書家の字よりも詩人や画家の書、と言うように型にはまらない花は、自己表現の一つの方法でもある。花に新たな生を与えるべく神聖な心積もりで挑戦すれば。いつもの部屋なのに、ほのぼのときっと温かな空気に包まれるだろう。なぜならそこには貴方の心と草木の魂がこもっているからである。

 

*トップ画像: 紅志野黄瀬戸化け花入

 

 

 

白洲信哉(しらすしんや) 文筆家/アートプロデューサー

1965年東京都生まれ。細川護煕元首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方、広く日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザイン、展覧会などの文化イベントの制作に携わる。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な編著書に『骨董あそび』(文藝春秋)、『白洲次郎の青春』(幻冬社)『天才青山二郎の眼』『小林秀雄 美と出会う旅』(新潮社)『白洲家としきたり』(小学館)『かたじけなさに涙こぼるる』(世界文化社)『旅する舌ごころ』(誠文堂新光社)他多数。最新刊に『美を見極める力』(光文社新書)。

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