暮らしのヒント2021/7/7

前回に引続きわが国の祓えについて。今年もまたコロナ禍で各地夏祭りの開催は危ういが、広い意味で祭りも厄除退散を起源とするものが多い。中でも京都八坂神社の祇園祭は、京都のいや日本を代表する祭りとして世界的にも知られているが、国家的規模の厄除を起源としている。

 

祇園祭(過去) 写真:編集部

 

 

少し前のニュースで、一部町内の山鉾建てが2年ぶりに行なわれるというが、その鉾の数66は当時の国数にちなんだものだ。本年、祇園祭山鉾連合会は、「どうか見に来ないでほしい」と異例な要望を行なったというが、釘を使わず木部を縄で組んでいく山鉾は、重要無形文化財に指定されている。奇抜な山鉾は、異国情緒に溢れ神輿というより大きな玉手箱で、観音、八幡信仰に、カミの注連縄を稚児が切り、鳳凰が稲を咥え、枇杷の他、柘榴までみえる。異邦人が描かれた絵画に彫刻、ペルシャ絨毯などと国際色豊かである。

 

 

日本は単一民族、国家などと言はれるが、民族の吹き溜まりとも言える様相を呈した時期も長かった。京都は和様の代表と言えるが、おしとやかにかしこまった文化ばかりが「雅」ではない。本来はもっとダイナミックな一面があるように思う。一言では説明不足な多様なる集団が、雅楽とお囃子に調子にあわせ、ありし日の「雅」な世界を垣間見せている。

 

 

 

はじまりは古く869年、京都で疫病が大流行し、牛頭天王の祟りであるとした人々が、神輿をかつぎ、鉾を立て祈祷したのが、祇園御霊会の始まりとされる。応仁の乱など一時途絶えたときもあったが、「洛中洛外屏風」に描かれたような絢爛豪華な祭りは、7月1日から一ヶ月にわたり行われる。ハイライトは言うまでもなく、16日の宵宮と、17日の山鉾巡行だが、コロナ禍であるからこそ、その由緒に焦点を当てて欲しいと僕は思う。

 

牛頭天王坐像  写真提供:中仙寺

 

牛頭天王、もはや死語に近いとも思うが、明治元年の神仏判然令まで大変ポピュラーなカミサマであった。インドにおいて釈迦の修行場である祇園精舎の守護神とされた牛頭天皇は中国、朝鮮を経て日本に渡ると、陰陽道や暦を司る神となり、さらに疫神として疫病を退ける神として信仰された。

ちなみに、祇園祭でくばられる粽は、厄除として玄関先に飾ったりするが、牛頭天王が旅先で世話になったお礼に「茅の輪」を渡したのが始まりで、粽はすなわち茅巻きであり、どちらも厄除のお護りなのである。だが、明治維新政府の国家政策には誠に不都合な存在であった。一般に「てんのう」とは「天皇」ではなく牛頭天王を指し、非常に親しまれてきたが、日本は神の国、その元首と同じ(オト)である異国の神は、国家により葬られる。それまでは感神院とか祇園社と呼ばれて比叡山の管轄下にあったが、八坂神社と改称され、牛頭天王は削除され、同体とされるスサノオが祭神へ昇格する。これは京都に限らず、各地祇園社がたどった道で、全国的に行なわれた神仏分離政策であった。

六月晦日大祓の茅の輪(前回写真)に続き、除疫・防疫の行事は毎月のようにあるが、来年こそ穏やかな心持ちでくぐり、祭りに参加したいと思う。

 

 

 

 

*トップ画像は牛頭天王坐像の頭部(写真提供:中仙寺)

 

白洲信哉(しらすしんや) 文筆家/アートプロデューサー

1965年東京都生まれ。細川護煕元首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方、広く日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザイン、展覧会などの文化イベントの制作に携わる。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な編著書に『骨董あそび』(文藝春秋)、『白洲次郎の青春』(幻冬社)『天才青山二郎の眼』『小林秀雄 美と出会う旅』(新潮社)『白洲家としきたり』(小学館)『かたじけなさに涙こぼるる』(世界文化社)『旅する舌ごころ』(誠文堂新光社)他多数。最新刊に『美を見極める力』(光文社新書)。

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