暮らしのヒント2021/4/10

梅の開花に春の気配を感じ、桜が咲く頃別れと出会いがあり、清明や穀雨の節気の響きに、はや夏のはじまりを感じる。ゴールデンウィークとはよく言ったもので、陽気に誘われ喜んでいるのは人だけにあらず、コロナとは厄介な見えない敵だ。

 

さて、5月5日は端午の節供。一年を通して重要な節目を五節供(人日、上巳、端午、七夕、重陽)といい、中国では奇数が重なった日に、悪いことが起こると考え、人々は穢れを祓うために野山に出かけ、旬の例えば春の七草や菱餅に柏餅などを食し、大地の力をもらい健康で長寿したいと願ったのである。今も昔も人はあまり変わっていない証拠だが、節供も時世により変化してきた。

 

「白洲家としきたり」(小学館)

 

5月5日、いまは「こどもの日」という名の祝日が定着したが、1948年に制定される前までは、「端午の節供」と言った。もはや「端午」の意味すら怪しくなってきたが、月の初めの午の日を「端午」といい、5月に限ったことでもなかった。しかも旧暦、午の月は5月に当たり、「午」と「五」のオトが同じであることや、月と日が重なることから「重五」「重午」などと呼び、厄よけの日として、中国漢代以降!5月5日に定着していったという。

 

だが。本来は女性の節供だった。5月は早苗月、早乙月とも呼ばれ、わが国では田植えの時期である。冬、山にお戻りになっていたカミサマを、その年の豊穣祈願に田のカミサマとしてお迎えする際、田植えをする少女(早乙女)が巫女となり、香菖蒲や蓬で屋根を葺いた小屋に籠もり身を清めた。それを「女の家」とか「女の夜」などと言い、かつては女性の節供として祝われていた。平安の頃より宮中では、この日に菖蒲の髪飾りをして、病気や災いを祓う厄除けの日になり、一般には菖蒲の根を干し煎じて呑んだりしたのである。

 

鎌倉時代に入り武士の世になると、菖蒲のオトが武を尊ぶ「尚武」に通じることや、「勝負」の願掛けとして、兜に菖蒲の葉をさし戦地に赴くなど、武家社会の習慣として尊ばれ、江戸期に入り家の存続をも願い、男の子がたくましく成長する祈願に、兜や鎧を飾るようになったのである。

 

 

鯉のぼりも、その原型は戦場に掲げる「旗指物」だとされ、江戸時代に中国黄河に龍門という急な瀧があり、そこを一匹の鯉が登りきって龍になったとの「登龍門」の故事により、男子の立身出世を願って鯉のぼりが立てられるようになる。菖蒲湯につかり、男子がいる家では鯉のぼりをあげるのが一般的だが、こうした植物や道具は、自然信仰や農耕儀礼、中国の思想など長い歴史の中で大事にされ、時代にあわせて解釈されていったのである。「菖蒲」が邪気を祓う魔除けだし、柏餅の柏の葉は、親葉が枯れても新芽を守るようにして落ちないことから、「子孫繁栄」の縁起担ぎの意がある。

 

コロナ禍であるからこそ、邪気を祓い無病息災を願った先人の知恵を見直したいと思う。同じく連休中にある雑節「八十八夜」の新茶、茶葉も、もとは殺菌、抗菌作用のある薬草として今に発展したのである。

 

 

 

白洲信哉(しらすしんや) 文筆家/アートプロデューサー

1965年東京都生まれ。細川護煕元首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方、広く日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザイン、展覧会などの文化イベントの制作に携わる。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な編著書に『骨董あそび』(文藝春秋)、『白洲次郎の青春』(幻冬社)『天才青山二郎の眼』『小林秀雄 美と出会う旅』(新潮社)『白洲家としきたり』(小学館)『かたじけなさに涙こぼるる』(世界文化社)『旅する舌ごころ』(誠文堂新光社)他多数。最新刊に『美を見極める力』(光文社新書)。

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