LIFE IS BEAUTIFUL!!! 山田英幸のもの・ものがたり2021/2/27

好きなものだけに囲まれて暮らしたい。

毎日の暮らしを、わがままに、自分好みに美しく整えたい。

そのために必要なのはたっぷりのお金!!

ではありません。

ちょっとしたアイディアや工夫、少しの手間、そして何より一番大切なのはどれだけそのものを愛せるか、ということ。

 

身のまわりのものを愛する、ということは、暮らしを愛する、ということ。

それはつまり、人生を、自分を愛する、ということだと思います。

ちょっとしたことで、暮らしはもっと美しくなる。

人生も、もっと美しくなるのではないでしょうか。

 

かつて人形つくりにはまっていたころに作った、「ティファニーで朝食を」の人形。 夜会巻はうまくできてますが、首が太すぎますね。

 

中学生になり物心がつくと、僕は映画に夢中になりました。

そのころは生徒同士で映画を見に行ってもよかったのか、今となってはどんな校則だったのかも記憶にありませんが、よく休みの日に友達と連れ立って映画を観に行ったものです。

そんな時に見たのがオードリー・ヘプバーンの「おしゃれ泥棒」でした。

仲良しのたかぼんとよっさの三人で。場所は「ミリオン座」という今はなくなってしまった名古屋の映画館でした。

男子中学生三人ですので、映画の受けどころは他愛ないものでしたが、たちまち僕は彼女のとりこになってしまったのです。

 

高校時代に描いたオードリーのイラスト。父が勝手に額装してリビングに飾られていました。 当時日本でオンエアされていたウィッグの広告の時のオードリーです。

 

そんなわけでオードリーのことをもっと知りたい!!となるわけですが、ネットはおろかビデオもないその時代(1971~2年)、映画館やテレビの洋画劇場以外で映画の情報を知るには映画雑誌しかありません。

ポピュラーなところでは「スクリーン」と「ロードショー」、ちょっと専門的なところでは「キネマ旬報」。淀川長治氏で有名な「映画の友」はそのころすでにありませんでした。

「ロードショー」はそのころまだ創刊されたばかりで、僕は毎月「スクリーン」か「ロードショー」のどちらかを買い、食い入るように隅から隅まで読んだものです。

 

映画雑誌には東京の映画館の上映スケジュールも載っていて、東急名画座は特にあこがれの映画館でした。なぜなら、オードリー・ヘプバーンの映画がよくかかっていたからです。

 

オードリー・ヘプバーンはその頃はもう半ば引退していて、たまのリバイバル上映以外新しい映画は上映されません。映画雑誌にも新作映画の情報はなく(それでも人気はすごかったので、毎号何らかの写真は出ていました)、次第に物足りなくなった僕は、古書店で古い映画雑誌を漁るようになります。

 

近所には何軒かの古書店があり、学校の帰りや休日にはそこで何時間も古い映画雑誌を読み漁るのです。

当時古書店にはまだ、1950年代の映画雑誌がありました。

 

実家に保管されていたあられの缶。 母の字で「H.オードリー・ヘップバーン」とある。Hは僕のイニシャル。

 

 

中には数冊のスクラップブック。中高時代に僕が集めたオードリーの雑誌の切り抜きが。 (版権の都合で、写真にモザイクをかけました。)

 

そうして買い集めた古い雑誌から、僕はオードリーの映画公開当時の記事や写真を切り取ってはスクラップしていきました。

 

今思うと、オードリーの何が自分をそんなに夢中にさせたのかよくわかりません。物心ついて初めて見聞する「外界」からの「刷り込み」みたいなものだったのかもしれません。

それから何十年もたった今わかるのは、その後の人生のいろいろなことがこの頃の知識・経験からはじまっているんだな、ということ。

そんな影響を最も僕に与えた映画が、同じくオードリー・ヘプバーンの「パリの恋人」です。

 

1957年の映画「パリの恋人」(原題:Funny Face)はファッション業界が舞台になっていて、映画の中の「Quality」というファッション誌は「Harper‘s Bazaar」を、ケイ・トンプソン演じる編集長はダイアナ・ブリーランドを、そして、フレッド・アステアが演じるファッションカメラマン、ディック・エイブリーはリチャード・アヴェドンをモデルにしているというのです。

音楽はガーシュイン。衣装はジヴァンシー。

特にアヴェドンは映画のカラーコンサルタントも担当しており、劇中に出てくるかずかずの素敵なファッション写真や撮影シークエンスもすべて彼の手によるものでした。

 

そんなことから、僕はアヴェドンのことや「Harper’s Bazaar」のこと、ジヴァンシーやガーシュインのことが知りたくなったのです。

そもそもの始まりは、オードリーのことをもっと知りたい・・・・・オードリーの映画の周辺情報でもいいから、ということだったのですが。

 

 

今から思えば、僕がグラフィックデザイン・広告の世界に進んだのも、この「パリの恋人」とそこから紐づいてきたファッションや出版やデザインの世界のこと、それらがあったからだと、あらためて思います。

 

会社に入り、そんなわけでデザインの仕事をするようになり、たびたび海外出張に行くようになりました。

特にニューヨークをはじめとしたアメリカ出張のたびに、僕は現地で「Harper’s Bazaar」などの古雑誌を買い集めるようになりました。

仕事の資料としてももちろん使えたし、もちろんアヴェドンの素晴らしい写真や、オードリーの表紙のものなどは資料以上の自分の楽しみともなりました。

 

ニューヨークに「Gallagher’s paper collectibles」という店がありました。

ニューヨークでイラストレーターをしていた友人が教えてくれたその店のオーナー、ギャラガーさんというのは自身も写真家で、倉庫のようなその店には入り口を入るとそれこそアヴェドンやセシルビートンなどのオリジナルプリントが壁一面に飾られ、それらすべてに「to Mr.Gallagher」とカメラマンのサインが入っているのです。その筋ではかなりの著名人であることがわかりました。

店はダウンタウンの教会の地下にあり、かなり大きな部屋いっぱいに古雑誌の山、山、山。

雑誌別に分かれていて、僕はほとんどファッション雑誌の山にしか近づきませんでしたが、ほとんどすべてのバックナンバーがあったのではないでしょうか?1年分の「Bazaar」が合本されて女子大の名前が入った表紙がついている、っといったものもありました。

 

行くたびにそんな中から1冊、2冊と買い集めてきたのが下の写真の「Harper’s Bazaar」です。

今ではとても貴重な、そして今でも大好きなこれらの雑誌。

時々眺めながら、豊かだった50年代のアメリカに思いを馳せ、そして忙しく仕事をしていた頃の自分を思い出しています。

 

我が家の本棚に並んだ海外のヴィンテージファッション雑誌。 ほとんどは、出張時にアメリカで買ってきたものです。

 

貴重なものだという認識から、トレーシングペーパーのカバーを掛けて保管していました。 それでもだいぶボロボロに。

 

中学・高校時代に名古屋の古書店で買い集めた古雑誌。その頃のスクラップブックがまだ実家に残っていました。

保管された大きな空き缶には、母の字の札が貼り付けてあります。

これをこうして残しておいてくれたこと、そのことよりも当時、趣味に没頭していた僕に呆れもせず、許し、理解してくれたことにあらためて感謝するのです。

 

(追記)

上に上げた、僕が高校時代に描いたオードリーのイラスト。

モトにしたのは、そのころ日本でオンエアされていたウィッグの広告のときのオードリーなのですが、その後その広告は自分が入社した広告会社の制作だったことを知ります。

そして、その広告のコーディネートをされていた加藤タキさん(オードリーの親友としても有名)とは、最近フェイスブックを通じて知り合いに。

「好き」がいろんなことをつないでくれます。

 

次回は、後編「ネットと古本・古雑誌」(仮題)。お楽しみに。

 

 

 

山田英幸

幼い時から美しいものが好きで、長年にわたり骨董・アンティーク・古裂・ヴィンテージテキスタイルなどを収集。

また手仕事も得意で、洋服、帽子、人形、テディベアなどを制作するが、1990年頃「究極の手仕事・仕覆」に出会い、現在も制作を続けている。

西麻布「ルベイン」「銀座松屋」などで仕覆展示会開催。

自称「手芸の国の王子様」。

 

とにかく、「もの」が好き。それにちょっとした工夫や手仕事をプラスすることで、身の回りを美しく、毎日を楽しくしたいと思っている。

愛知県名古屋市生まれ。現広告代理店クリエイティブディレクター。

 

 

LIFE IS BEAUTIFUL!!! 山田英幸のもの・ものがたり についての記事

もっと見る