バビロン再訪~バブル時代のマンション物語~2021/1/30

アンチ密のマイナー神社めぐり。題して七疎神めぐり

 

2020年を象徴する言葉「密」の反対語は「疎」だろう。

 

禍中のなかでの年明けとなった2021年は、七福神めぐりならぬ七疎神めぐりでスタートする。

マイナーな、人出の少ない、閑寂さが漂う、そんな神社を訪ね歩く。アンチ密の神社めぐりというわけだ。

そんな、いささかマニアックで、天邪鬼ぎみな、孤独な愉しみも、今年ならではの正月風景といえるのではないか。

 

七疎神めぐりは、外出自粛下の運動不足解消、ストレス発散という効能ばかりではない。七疎神めぐりは、忙中に見過ごしてきた、まちの魅力に気がつくよい機会だ。

 

ただでさえ静まり返る三が日のまちに進める、静かで孤独な歩みは、今まで気づかないでいた意外な趣(おもむき)、古(いにしえ)からの連続、自然の存在、いち早い季節の胎動などを教えてくれる。

 

散歩日和が続いた2021年正月に、かつて衾村(ふすまむら)と呼ばれていた、現在の目黒区の、環状七号線以南にあたる場所、駅エリアでいうと大岡山、緑ヶ丘、都立大学、自由が丘あたりに七疎神めぐりを試みた。

 

湧き水は今も。水の女神が祀られた《清水窪弁財天》

 

まずは、旧衾村に隣接した旧池上村にある清水窪弁財天(北千束一丁目)へ。

 

 

湧き水池には橋が架けられ、その先にこじんまりした社が祀られている。大樹が囲む池の周りにも、さまざまな小さな社が祀られており、それぞれに正月の供物がそなえられている。

 

今に至るまで枯れることがない自然の湧き水の存在や巨木に囲まれた薄暗い窪地状の土地が、どことなく霊験あらたかな感じを抱かせるのだろう、このたびの七疎神めぐりでも、ちらほらと参拝者の姿が見受けられた場所だった。

 

ここは東京名湧き水57選にも選ばれており、洗足池の源流のひとつでもある。縄文海進期には、この辺まで海だったと言われている。

 

今も昔も、水は生きるために必須の存在であり、こんこんと湧き出る清水は、特別な場所に感じられたに違いない。私たちの祖先は、そんな特別な場所に社を建て神を祀った。

 

 

海や川や湖など、水に関係する場所に祀られる弁財天(弁才天)は、もともとは、ヒンズー教におけるサラスヴァティーという川の名前の神に由来する神様だ。

 

サラスヴァティーは女神だったそうだ。

 

崖のあるところに霊性スポットあり。《石川神社》

 

こちらも旧池上村に存する石川神社(石川町二丁目)。

 

 

大きな木と切り立った崖に囲まれ、斜面の中腹に貼りつくように建てられた社は、通りからはまったく様子がわからない。

 

さらには、木と崖に挟まれた細く長い参道、かろうじて人が通れる幅しかない獣道のような裏参道(?)が、日常とは切り離された別世界、異空間を感じさせてくれる。

 

まさに日本的「奥」(槇文彦)の典型のような空間構造だ。

 

かろうじてある平地も巨木に囲まれ薄暗く、崖と巨木に囲まれたスリバチ的地形は、そこに佇むと包み込まれるような不思議な安堵感のようなものが感じられ、たいそう落ち着く。

 

 

縄文人は海に突き出た岬のように場所に強い霊性を感じていた。そういうところには、古墳や聖地が設けられ、後には神社や寺が作られた(中沢新一 『アースダイバー』)。

 

この場所も、荏原台の台地を呑川が削った西側斜面に位置し、おそらくは眼下に呑川の流れを望む、切り立った岬の突端のような場所だったと想像される。

 

巨木の隙間からは運がよければ富士山が見える。そんな人知れない、意外な魅力の場所を発見できるのも、疎神めぐりの秘かな愉しみだ。

 

末枯れた味わいがひとしお。廃社が迫る《弁天神社》

 

弁天神社(緑ヶ丘三丁目)は、自由が丘方面から流れる九品仏川が呑川に合流する袂にある神社だ。その名も水の女神の弁天と称されている。

 

 

境内には小さな水神塚も祀られている。この神社の元は、たぶん九品仏川と呑川が合流する場所に祀られたこの小さな塚だったと想像される。

 

柳橋がかかる神田川と隅田川が合流する場所、萬年橋がかかる小名木川と隅田川が合流する場所、豊海橋がかかる日本橋川と隅田川が合流する場所、南高橋がかかる亀島川と隅田川が合流する場所など、2つの川が合流する場所は、いっそう川や水の存在を感じさせてくれる。今でも、これらの場所とこれらの橋は、東京の水の名所、見るべき名橋として知られている。

 

ここも隅田川に注ぐ川の合流地点ほどではないだろうが、水の恵みや人知を超えた自然の不思議などを感じさせる場所だったのだろう。

 

 

九品仏川はすべてが暗渠になり、呑川はこの合流地点から先はかろうじて開渠になっているとはいえ、深いコンクリート護岸に固められてしまった現在、そんな古(いにしえ)の風景はまったく失われてしまっているが、この素朴な水神塚は、そうしたことを想像させてやまない。

 

よく見ると2021年1月15日の松の内明けで廃社となる旨の通知が貼られている。落日が早い冷えた空気のなか、小さく寂しげな神社の末枯れた味わいが、より一層、強く迫ってくる。

 

 

(★)top画像は、七疎神めぐりの途中で撮った、呑川崖線の地形を利用して設けられた石川町上の台公園(大田区石川台一丁目)の紅梅。水戸の偕楽園の梅の苗を譲り受けたものだそうだ。寒中のなかで春が胎動しているが如く、禍中にあっても希望を忘れてはいけない、ということか。

 

 

 

『アンチ密の秘かな愉しみ~七疎神めぐり2021<後編>』に続く

 

 

 

大村哲弥 一級建築士/ブロガー

有限会社プロジェ代表:1984年、セゾングループのディベロッパー株式会社西洋環境開発に入社。住宅・マンション事業のマーケティング・商品企画・事業企画に従事する。バブル前夜からバブル崩壊とその後のカルチャーシーンのなかで20歳代、30歳代を過ごし、不動産ビジネスに携わる。1996年、有限会社プロジェ設立。建築・住宅分野のコンサルティング・商品企画・デザイン・執筆などを手がける。東京工業大学大学院修了。一級建築士。

ブロガー:本・映画・音楽・アート・デザイン・ファッション・都市・建築・食・料理・旅・暮らし・まち歩きなどのカルチャーフィールドを横断的に渉猟・論考するブログを主宰。

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