バビロン再訪~バブル時代のマンション物語~2020/9/24

シリーズ「映画のなかのマンション」では、世界の映画でさまざまに描かれてきたマンションを追ってみる。

 

第二回目は、『吠える犬は噛まない』(ポン・ジュノ監督 2003年)を取り上げる。

 

改めて説明するまでもないが、ポン・ジュノ監督は、映画『パラサイト 半地下の家族』で、本年(2020年)の第92回アカデミー作品賞・監督賞・脚本賞・国際長編映画賞の4冠を獲得し、非英語作品の作品賞受賞は史上初という快挙を成し遂げた。

 

舞台となるのは板状の高層マンションが立ち並ぶ団地。管理事務所で経理の仕事をしている商業高校卒のヒョンナム(ペ・ドゥナ)は、どこか夢見がちな女の子。マンションの一画にあるしょぼい雑貨屋の店番の女友達とつるんで詰まらそうな日々を送っている。マンションの居住者で、大学教授のポストを目指している冴えない青年ユンジュ(イ・ソンジェ)は、妻の収入で暮らし、絶えず妻から虐げられならが主夫をしている鬱屈した毎日。そんななか、居住者の飼い犬が次々と失踪する事件が起こる。ひょんなことから犯人を目撃し、犯人捜しという非日常の到来に張り切るヒョンナム。いつも犬の泣き声にイラついている自らがペットを飼う羽目になるユンジュ。事件の陰にあるマンションの日常に潜む驚きの事実が明らかになってゆく。

 

笑いとシリアスと残酷さが共存し、コメディとサスペンスとホラーが一緒くたになった予想がつかない展開という、ジャンルの枠に収まらないポン・ジュノの個性は、長編映画デビュー作である本作品において、既に開花している。

 

 

明るい平穏の陰には暗い闇が潜んでおり、日常と非日常は隣りあわせだ。そんな社会の縮図としてマンションが描かれる。この映画の本当の主役は、マンションであるといっても過言ではない。

 

隠された闇の世界を象徴するのが、住民が入れないマンションの地下空間だ。そこでは、人が良さそうな警備員のおっさんが失踪した飼い犬を鍋料理にして孤独な宴を開く場であり、マンションの手抜き工事とそれをめぐる伝説のボイラー職人ボイラー・キムさんの悲劇の舞台であり、地上のマンションとは別の世界の住人を象徴するホームレスの人物が幽霊のように暮らす場所である。

 

地下空間とあわせて、日常の中の非日常の場所として描かれるのがマンションの屋上だ。

 

屋上は、飼い犬を盗まれた孤独な老女が切干大根を干す場所であり、ヒョンナムと女友達が仕事をサボってたばこを吸うためにたむろする場所であり、犯人が飼い犬を地上に向けて投げ落とすところである。あやうくユンジュの犬がバーベキューにされそうになったりするのも、この屋上である。

 

登場する板状の開放片廊下型の高層マンションは、韓国でも、日本でも、どこにでもある、ありふれた形式のマンションだ。

 

この見慣れたマンションが、非日常の風景となって、目の前に現れるという、映画ならではの必見のシーンがある。飼い犬を屋上から投げ落とした犯人をヒョンナムが追いかけるマンション内でのチェイスシーンだ。

 

開放片廊下を疾走する犯人とヒョンナム。階段でほかの階に移動し、追っ手を巻こうとする犯人。必死で食らいつくヒョンナム。追いつかんばかりに、犯人の背中にカメラが迫る。

 

マンションの開放廊下側のファサードを捉えたロングショットが、引きながら距離を変えたカットに分割され、畳みかけるように連続し、必死の追跡劇という非日常が、紛れもなくマンションの廊下で起こっているのだということを観ている者に印象づける。

 

長い長い開放片廊下が積み重なった見慣れた風景は、いつの間にか犯人が追っ手をすり抜けながら身を隠すに適した、水平・垂直に伸びた迷宮空間に見えてくる。どこにでもあるマンションが、コンクリートの縦の迷宮という摩訶不思議な存在に見えてくる。

 

日常のなかに非日常を感得するのが、芸術のひとつの意味だとすると、まさに本作品は芸術作品だ。

 

犯人に追いつきそうになったその瞬間、ヒョンナムは、偶然開けられた鉄扉に激突、転倒。間一髪で犯人を取り逃がす。犯人はコンクリートの迷宮に消えた。

 

地下の闇、屋上や廊下の非日常性を描くことに加え、この映画はマンションの中で営まれる暮らし自体が、一皮むけば黒く濁ったどろどろしたものを抱えているという、今の社会の現実を描き出す。

 

なにごともなさそうに見えるマンションライフの蓋を開けてみると、そこに詰まっているのは、学歴社会、競争社会、格差社会の果てのリアルである。

 

不正、わいろの横行、理不尽なリストラ、不機嫌、イライラ、倦怠に苛まれる日々、はけ口としての虐待、身寄りのない独居老人やホームレスという終着駅etc.。ポン・ジュノは、それらに抗するように輝く、小さな正義や思いやりを、そこに加えることを忘れない。

 

マンションというコンクリートの箱は、こうしたものが絡まり合って渦巻いている一筋縄でいかない世界を、その内部に抱えながら、微動だにせず建ち続ける。

 

映画は、ユンジュが緑の山を眺めているシーンから始まる。画面の中央が曇る。それはユンジュの息で窓のガラスが曇ったもので、ユンジュはマンションの室内におり、目の前の緑の山は、ガラス越しに見ているものであることがわかる。ユンジュは窓を開ける。犬の鳴き声が聞こえてきて、ユンジュは神経を尖らせ、鳴き声の主を探すようにバルコニーへと身を乗り出す。

 

映画のラストは逆だ。ユンジュが教鞭を取る階段教室で、窓の暗幕が引かれ、今まで見えていた外の緑が視界から消える。

 

ユンジュのいる場所は、窓の内側、外の自然の生態系から隔絶された場所だ。

 

人間の社会は「第二の自然」と比喩されるが、本作品で描かれるマンションは、独特の生態系で営まれる「第二の自然」そのものである。

 

 

 

大村哲弥 一級建築士/ブロガー

有限会社プロジェ代表:1984年、セゾングループのディベロッパー株式会社西洋環境開発に入社。住宅・マンション事業のマーケティング・商品企画・事業企画に従事する。バブル前夜からバブル崩壊とその後のカルチャーシーンのなかで20歳代、30歳代を過ごし、不動産ビジネスに携わる。1996年、有限会社プロジェ設立。建築・住宅分野のコンサルティング・商品企画・デザイン・執筆などを手がける。東京工業大学大学院修了。一級建築士。

ブロガー:本・映画・音楽・アート・デザイン・ファッション・都市・建築・食・料理・旅・暮らし・まち歩きなどのカルチャーフィールドを横断的に渉猟・論考するブログを主宰。

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