暮らしのヒント2020/7/31

コロナ禍のSTAY HOME で断捨離した人が多いという。東京の自宅マンションでも、一時期ゴミ置き場が溢れたのも、巣籠もりで時間に余裕が出来た結果だと思う。言うまでもないが、現代は消費経済でまわっている。新しいモノを開発し広告等時流をつくり、大量に生産し売ることで成り立っている。GO TOキャンペーンの理屈も同じで、団体で旅することで、お金は循環様々に行き渡る。この大量生産大量消費こそが日本の高度経済成長を支え、いまもこの文脈で経済の立て直しを計っているのである。

 

 

さて、僕が日常愛用している骨董・古美術と言われるものはその対極にある。モノは消費されることなく、人の手から手へ世界でたった一つしかないオンリーワンのモノが時代を経て循環する。古美術の世界では、「一時預かり人」という意識がある。モノにいくばくかの対価を払い手に入れる。つまり所有するのであるが、あくまでも一時預かっているだけで、次世代に引き継がれることを前提にしている。昨今、お隣中国の好景気により、多くの主に中国美術が日本から買われているが、逸品が流れることは稀である。なぜなら先に記したように、モノの循環を前提としているので、かの国に渡ってしまえば終いだからからである。店側も他に代用の効かない古いモノは、当たり前だが新たに生産されることは不可能で、つまり時間とともに少なくなっていくので、世代を超えて循環していかないと、商売自体が成り立たなくなってしまうのである。

 

 

僕は古いものを日常のスパイスに使っているが、「え、これ使うのですか?」と言われることが多々ある。例えば写真の初期伊万里など、四百年、五百年前の戦国大名の使った器などと講釈すると、「割ったらこわい」と辞退するかたもいる。だが、僕らのアートの中で、鑑賞するだけで伝わってきたモノはない。正倉院御物だって聖武天皇の愛用品、つまり日常のモノたちが伝わってきたのである。これを書いているそのときに高松塚古墳壁画の修復ニュースが耳にはいったが、修復なくしてわが国の美術は存在しない。東大寺大仏殿ですらたびたびの焼失を乗り越え、いまは江戸期修復のものだ。

 

 

先の焼きものの中には、金継ぎという繕いをして伝わってきたものも多々ある。例えば世に知られた高麗茶碗のほとんどは、金継ぎを施したものばかりである。壊れた部分を漆で接合し、金や(ときには銀で)蒔絵を施したり、壊れたことを逆手に、新たな生命を吹き込むが如く工夫するのである。壊れても、修復すればいい。至らない部分は受け入れて、不完全さの中に「美」を見出してきた。さきの中国美術は、焼きものに少しでもニュウ(傷)がはいると、価値が半減してしまう。僕らの繕う文化は、モノには魂があり、愛着あるもの大切に、更に愛情を注ぐべく再スタートするのだ。断捨離も、同じ再スタートの意味合いもあるであろうが、自分の周りに捨てられないモノ、僕らより長く生きるはずの一時預かりのモノを、日々のアイテムに加えたら如何であろうか。

 

 

 

 

白洲信哉(しらすしんや) 文筆家/アートプロデューサー

1965年東京都生まれ。細川護煕元首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方、広く日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザイン、展覧会などの文化イベントの制作に携わる。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な編著書に『骨董あそび』(文藝春秋)、『白洲次郎の青春』(幻冬社)『天才青山二郎の眼』『小林秀雄 美と出会う旅』(新潮社)『白洲家としきたり』(小学館)『かたじけなさに涙こぼるる』(世界文化社)『旅する舌ごころ』(誠文堂新光社)他多数。最新刊に『美を見極める力』(光文社新書)。

 

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