バビロン再訪~バブル時代のマンション物語~2020/5/18

無聊を託つ(ぶりょうをかこつ)という言い方がある。

 

広辞苑(第五版)には、無聊とは「心配事があって楽しくないこと」「たいくつ」とあり、託つとは「他のせいにする」「恨んで言う。ぐちをこぼす」とある。

 

ステイホームを強いられている現在のわたしたちのこころもちそのものだ。

 

「不要不急」という言葉がことあるごとに使われ、すっかり定着した。一体、なにが「不要不急」で、なにがそうではないのか。新型コロナウイルス(COVID-19)は、そうした不断の疑心暗鬼と自己規制を人のこころに植えつけた。

 

「不要不急」の反対語はなんだろう。「有要有急」とは言わないので、たぶん「必要至急」「必要火急」とかだろうか。

 

散歩やウォーキングは、これまではどちらかというと「不要不急」とされてきた。新型コロナウイルスの感染拡大とそれに伴う外出自粛や自宅待機は、状況を一変させ、散歩やウォーキングは、わたしたちの無聊を慰める「必要」な行為として突如として「格上げ」された。

 

事実、散歩やウォーキングやランニングは、家のなかでの退屈と鬱屈をまぎらわすのに最適だ。

 

暇つぶしとは言いながら、こうした行為には大いなる効能もある。文芸評論家の加藤典洋はこう記している。

 

「たとえば、僕はいまだいたい、ものを書いて時間を過ごしています。でも、できるだけ、一日に一度、午後二時か三時くらいに、住宅の下に降りて、建物に沿った散歩道を三〇分ほどウォーキングというか、散歩することにしています。すると、書きながら考えていることに、あの「ああ、そうか」という「ひらめき」が訪れることが多々、あります。(中略)書くことは集中ですが、散歩することは、拡散、なのですね。考えることだけでなく、生きることにも、お互いに対極的なふたつのものを持つことが、とても大切です」(『もうすぐやってくる尊王攘夷思想のために』 幻戯書房 2017)

 

加藤の言う「拡散」は、目の前のことから離れること、日常からの離脱によってもたらされる。

 

目の前の仕事や作業はもちろんのこと、しなければならない雑事、あるいはSNSなどのつい手を伸ばしてしまう手軽な気晴らしや情報などから離れること。

 

大切なことは自分の身体以外はなにもない、歩くこと以外はなにもできないという状況に身を置くことだ。なにもすることがないことが、逆に、「集中」においては生じなかった「ひらめき」を生む。歩くことはクリエイティブなマインドを刺激する。

 

なにもしない、暇つぶしとは言え、そこに多少なりの興趣を求めようとするとき、その道すがらに坂や崖や水や樹などがあることは大変重要だ。

 

運動不足解消という確固たる目的がある場合も、その行程になにがしかの風情があれば、ランニングマシーンの上でモルモットになるよりは、よっぽど気分は上だ。

 

1時間程度の散歩やウォーキングで行ける範囲は限られる。片道2~3Km程度か。電車の駅でいうと一駅か二駅先。その範囲はおのずと家のまわりに限られる。

 

「コロナ下駄」などと嘯きながら散人きどりで家のまわりをぶらぶら歩いてみた。

 

「坂は即ち平地に生じた波瀾である」

 

永井荷風は『日和下駄』(1914年・大正3年)にそう記した。

 

小説でも映画でも音楽でも「波瀾」が物語を展開させる。散歩も同じだ。坂は散歩に「波瀾」を生み、歩くことに倦んだ肉体と精神に活を入れる。

 

だから散歩のときは、わざわざ坂のあるところを歩くのがいい。歩き疲れた時はしんどいが。

 

そして住むなら坂のある街だ。

 

23区でいうと、淀橋台(渋谷区、新宿区、千代田、港区、品川区の一部)とその南に広がる荏原台(目黒区、世田谷区、品川区、大田区の一部)あたりは深い谷と急な坂が多く、坂道散歩の醍醐味が味わえる。

 

いずれも多数の舌状台地が武蔵野台地から削りだされた場所であり、谷と丘が鹿の角のように深く奥まで入り組んだ、高低差が激しいところだ。

 

坂に同じ坂は二つとない。坂はそれぞれにその個性と特徴と風情を有している。泰斗横関英一による『江戸の坂  東京の坂』(ちくま文芸文庫 2010)がくまなく記すところである。

 

「東京の坂の中(うち)にはまた坂と坂とが谷をなす窪地を間にして向合(むかいあわせ)に突立っている処がある。(中略)。こういう処は地勢が切迫して坂と坂との差向いが急激に接近していれば、景色はいよいよ面白く、市中に偶然温泉場の街が出来たのかと思わせるような処さえある」

(荷風前掲書)

 

こうした2つの坂が対面している様子は行合(ゆきあい)などと呼ばれており(麻布台一丁目にこの名前の坂がある)、事実、谷と丘が交互に現れる舌状台地の場所では、そうした谷越えの対面坂も少なくない。

 

これは大岡山1丁目にある無名の坂。左右の風景にもさしたる見どころはないが、手前からほとんど直角にカーブしながら急激に落ち込む様子、呑川緑道を谷底に、緑ヶ丘の六差路に向かって長い長い緩やかな登り坂が続く様子など、行合う坂のダイナミックなパースペクティブが妙味の坂である。夕暮れには視線の先に燃える太陽で照らされる坂を見ることもできる。

 

■目黒区大岡山1丁目

 

坂は地形だけではなく街のかつての姿や歴史を伝えるところでもある。したがって坂を壊すことは街の歴史を壊すことと同じだ。

 

「鶯坂」と呼ばれるこの坂は、かつてここが緑深き切通しで鶯が盛んに来訪する場所だったことを物語っている。

 

 

■鶯坂(目黒区大岡山2丁目)

 

 

「この崖と坂との佶倔(きっくつ)なる風景を以て大いに山の手の誇とするのである」

 

崖は使いづらいがゆえに価値が低いとみなされ、往々にして進歩や発展や開発から取り残されてきた。それゆえに崖は、古の地形や自然が守られ、ひっそりと息づいている場所でもある。

 

■石川神社(大田区石川町1丁目)

 

 

呑川によって浸食された急傾斜の崖の中腹に張りつくようにある社。通りからも相当奥まっており、普通の人は気がつかないところに鎮座している。

 

正保年間(1644年~1648年)の石川村開村以来の鎮守であり、古くは遠く品川界隅に至るまで崇敬者が多かったと伝えられる古社だ。

 

縄文人は岬のような崖の突端の地形に強い霊性を感じ、聖地を設け、時代が下った後にそこには神社や寺が作られた。中沢新一『アースダイバー』(講談社 2005)が説くところである。

 

まわりが変わっても、ここだけは200年、300年来のトポスを感じる場所として秘匿されている。

 

先の「鶯坂」の近くに残された急な崖状の雑木林。周辺にあった竹林などが宅地化され消えるなかで、住宅地のなかにぽつんと孤島にように取り残されている。

 

 

■目黒区大岡山1丁目

 

実際、この雑木林には春先から初夏にかけて、今でも鶯が訪れ、盛んにその個性的な鳴き声を聞かせてくれる。足を止めて、その鳴き声の主を探す散歩者も少なくない。ここではふきのとうやふきなども採れるのだ。

 

坂と崖はまさに東京の山の手の誇りだ。

 

散人きどりの「コロナ下駄」は、未曽有の大禍と閉塞を貴貨として、地域の誇りを再認識する機会でもある。

 

<続く>

 

(★)トップ画像は大田区北千束3丁目の坂。右から左へと呑川支流に向かって下る坂と手前から下り、奥へと上る坂が直行している。荏原台の複雑に入り組んだ地形が体感できる。

 

 

 

大村哲弥 一級建築士/ブロガー

有限会社プロジェ代表:1984年、セゾングループのディベロッパー株式会社西洋環境開発に入社。住宅・マンション事業のマーケティング・商品企画・事業企画に従事する。バブル前夜からバブル崩壊とその後のカルチャーシーンのなかで20歳代、30歳代を過ごし、不動産ビジネスに携わる。1996年、有限会社プロジェ設立。建築・住宅分野のコンサルティング・商品企画・デザイン・執筆などを手がける。東京工業大学大学院修了。一級建築士。

ブロガー:本・映画・音楽・アート・デザイン・ファッション・都市・建築・食・料理・旅・暮らし・まち歩きなどのカルチャーフィールドを横断的に渉猟・論考するブログを主宰。

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