住めば都も、遷都する2019/6/11

庭にやってきた鳥が、小さな鉢から水を飲んでいる。少しばかりの水があるだけで、生きものはよみがえる。人も同じこと。

 

京都の龍安寺は、石庭で有名だが、大きな池もある。寺には茶室(通常非公開)もあって、手を洗うつくばいも知られている。

 

銭形の中心は、口の形に彫られていて、まわりの文字と共に「吾唯足知」と読める。「あるだけのもので満足する」といった意味だろう。

 

少しかがんで、水をすくう。濡れた手で、まわりの緑に目をやる。見上げると、よく晴れた空がある。ただ、満たされて、そこに立っている。

 

外出から帰って、わが家で手を洗い、顔を洗ったときにも、同じように外に広がる空を見る。それだけで安らぐのはなぜか。「吾唯足知」は、どこにいても可能である。

 

 

ヨーロッパでは、水が流れ落ちるところにライオンの顔があったりする。水の守護神なのだろう。元々、エジプト文明において、星座の獅子座の動きがナイル川の氾濫予測に使われたとも言われる。水とライオンは昔から因縁があるらしい。

 

ヨーロッパの噴水は楽しい。水面に水が落ちる音がとくに快い。公園の中を少し歩くと、その水音は聞こえなくなる。かわりに鳥の声が聞こえてくる。

 

現代の住まいには水道がある。水の道が、わが家までやってくると考えてみよう。あたり前のように思っているが、ありがたいこと。

 

水の道が洗面所に、台所に、風呂に、小さな泉のように水を流す。私たちの住まいは、泉という自然を取り込んでいる。

 

住めば都も遷都する。家を見に行くときは、水回りをしっかりと確かめよう。山からやってきた水が泉のようにわき出て、川のように去っていく。その流れは、私たちの生活の質を支えている大切な要素である。

 

 

 

 

 

関沢英彦(文・イラスト)

発想コンサルタント。東京経済大学名誉教授。コピーライターをへて、生活系シンクタンクの立ち上げから所長へ。著書多数。現在、ヤフーニュースなどの個人ブログも執筆中。

https://news.yahoo.co.jp/byline/sekizawahidehiko/

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