住めば都も、遷都する2019/5/17

「住」という字は、人と主から成り立つ。「主」は燭台のかたち。そう、明かりがあって、そのかたわらに人がいて。それが住まいの原点だ。

 

800年前、鴨長明は、「一間の庵、みづからこれを愛す」(『方丈記』)と書いた。方丈の庵であっても、心落ち着けば、そこが住まいと言うことか。

 

猫や犬を見ていても、自分の収まるべき場所にいると、リラックスしているのが分かる。鴨長明は、狭い部屋に阿弥陀仏や普賢菩薩の絵を飾り、棚には本を置いて、壁には琴と琵琶を立てかけていた。静かな夜は、月を見上げる。

 

なかなか、良いではないか。まあ、寂しい感じはあるけれども。

 

学校で習う『方丈記』は、「ゆく川の流れは絶えずして…」という文頭だ。読み直すと、最後の部分もいい。「執着の心はいけないとの教えからすると、こんな小さい庵にこだわるのも、執着になってしまうのかな?だめだな、私は…」といったことが書いてある。

 

そして、「まあ、答えも出ないかと、気が入らないまま、南無阿弥陀仏と数回言って終わりにした」と筆をおく。これが文末である。

 

 

一方、ヘンリー・デイヴィッド・ソローは、ウォールデン池のそばに小屋を建てて、2年2月を過ごし、『森の生活』という本を書いた。各社の文庫に入っているので、好みの翻訳で読める。

 

ソローの小屋は、ドアのある部分が橫3メートル、窓のある方が4.6メートルあるので、鴨長明の四畳半よりは大きい。寒い季節に備えて、暖炉もある。

 

平成の初めは、両親と子どもという標準世帯、言ってみれば「のび太の家」が世帯の3割強を占めていた。だが、いまや単身世帯が4割近くになった。

 

住むという原点は、「ひとり分のシェルター」なのかも知れない。幸いにして、共に暮らす人がいるならば、それはもっとステキだ。でも、時には、鴨さんやソローさんの暮らしぶりを振り返って見るのも悪くないだろう。

 

明かりがあって、そばに人がいて。住まいも、生きることも、大切なことはシンプルである。住めば都も遷都する。人生のフットワークを軽くすると、日々はもっと充実するのだろう。

 

 

 

関沢英彦(文・イラスト)

発想コンサルタント。東京経済大学名誉教授。コピーライターをへて、生活系シンクタンクの立ち上げから所長へ。著書多数。現在、ヤフーニュースなどの個人ブログも執筆中。

https://news.yahoo.co.jp/byline/sekizawahidehiko/

http://ameblo.jp/ideationconsultant/entry-12291077468.html

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