バビロン再訪~バブル時代のマンション物語~2019/5/12

先月で終わった平成(1989年1月8日~2019年4月30日)の30年の間には計3回ものバブルが起こった。1980年代の日本のバブル、1990年代のITバブル、2000年代のリーマンショック(アメリカ住宅バブル)である。

 

1980年代の日本のバブルは、経済や社会への影響の大きさとその影響の長期化から、その後の日本社会は失われた20年とも30年ともいわれ、一方、世界はその過程と政策をつぶさに研究し他山の石とした、ハズだった。

 

ところがこの先行事例研究は思ったほどには役に立たなかったようで、ふり返ってみると、この30年の間に10年に一度の割合でバブルが起こったことになる。

 

市場のグローバル化、金融緩和、金融技術の高度化、金融商品の複雑化などを背景にバブルは日常化した。平成の御代、それは世界でバブルがすっかり日常となった時代でもあった。

 

シリーズ「映画が描くバブルの実相とメンタリティ」では、映画に描かれてきたバブルの悲喜劇に、そのからくり、顛末、能天気さ、強欲、右往左往、言い訳、悲哀、そしてその罪をみてみよう。

 

なん人も抗しえないカネの論理。バブル崩壊前夜の人間模様を描いた『マージン・コール』

 

 

日本映画でバブルを描いた作品がほとんどないのとは対照的に、自国のバブルの顛末を真正面から描いてきたのがハリウッドだ。『マージン・コール』(J・C・チャンダー監督 2011年)はそんな骨太の一本。地味なテーマゆえ、案の定、日本では未公開だったが必見の作品だ。

 

リストラの嵐が吹き荒れる投資銀行。解雇されたアナリストが置き土産のように若手アナリストに託した分析資料は、保有する不動産担保債権(MBS)の大幅下落と会社自体が揺らぎかねない危機の可能性を示唆していた。それは明日起きるかもしれない、それほど状況はひっ迫していた。

 

タイトルのマージン・コールとは、信用取引などで相場が下がった際に追加の保証金を要求されるいわゆる追証(おいしょう)のこと。投資銀行のモデルは、サブプライムローンの焦げ付きなどが原因で2008年に破綻したリーマン・ブラザースだ。

 

本作は100年に一度の金融危機といわれた2008年のリーマンショックの始まりを、投資銀行内部の24時間の人間模様を通じて描く。

 

深夜の経営会議は、市場が気づく前に問題債券をすべて売り抜けることを決定する。それは売り買いが基本である取引の慣行を無視した行為であり、無価値なものを顧客に売るというモラルに反することを意味した。

 

改めて驚かされるのが、アメリカの投資銀行の想像を絶するような巨額な報酬だ。23歳の若手の年収が25万ドル(約2,900万円。1ドル=115円換算。以下同様)。その若手が羨む上司の年収は250万ドル(約2億9000万円)。酒、売春、ドラッグなどの費用は別に会社経費で落とせるそうだ。そしてCEOの年収はなんと8,600万ドル(約100億円!)というのだ。イヤハヤ。突然の肩たたきや有無を言わせぬ即日解雇の過酷さはその代償ということか。

 

「あの時、私は危ないと言ったはずだ」とさっそく逃げを打ち始める取締役、「一連托生だ」と脅しをかけるその上司、状況への恐怖から不安に駆られる中堅を「高級車に乗って豪邸に住めるんだ。自分を信じろ。この仕事には価値があるんだ」と一喝する管理職。工学の才能を活かし、深刻さを見抜き、正直に報告した若手アナリストも自らの行為に端を発したインパクトの大きさに戸惑いを隠せない。崩壊の予感を前にした投資銀行マンたちの姿が淡々とした筆致で描かれる。

 

マンハッタンを見下ろす快適なオフィスは、一転して負け戦が濃厚なガラスの戦場となる。

 

信念に反し、モラルにもとる売り抜けを部下に命じた自責の念から、会社を辞めると啖呵を切るたたき上げの管理職(ケヴィン・スペイシー)に、CEO(ジェレミー・アイアンズ)は淡々と言う。

 

「他人のことまで気にすることはない。カネのおかげで世界は回っている。おかげで食糧を奪い合うこともない。われわれが影響を与えることができることはなにもない。大暴落は繰り返されている。歴史はただ繰り返されるのだ。勝者と敗者はつねに同じ数だけいる。幸福と不幸は隣り合わせの世界だ。たまたま今日は敗者が多いだけだ」

 

啖呵を切った管理職も、抵抗を試みたアナリストも、才能ある若手も、最後は全員がこのCEOの冷徹なカネの論理の前になすすべもなくひれ伏してしまう。豪邸のローン、健康保険の負担、高級車の維持費、高額な離婚の慰謝料、先の長いこれからのサラリーマン生活など、それぞれが抱えるそれぞれの事情を言い訳に。

 

ひとはカネの論理から逃れられて無邪気には生きられない。

 

割り切れない自己嫌悪と忸怩たる思い。カネの論理に屈した代償とはいえ、ケヴィン・スペイシーのラストは哀れさを禁じ得ない。

 

(★)トップ画像 : photo by Petra Wessman – Stock_market_crises Adapted / CC BY – SA 2.0

 

 

 

大村哲弥 一級建築士/ブロガー

有限会社プロジェ代表:1984年、セゾングループのディベロッパー株式会社西洋環境開発に入社。住宅・マンション事業のマーケティング・商品企画・事業企画に従事する。バブル前夜からバブル崩壊とその後のカルチャーシーンのなかで20歳代、30歳代を過ごし、不動産ビジネスに携わる。1996年、有限会社プロジェ設立。建築・住宅分野のコンサルティング・商品企画・デザイン・執筆などを手がける。東京工業大学大学院修了。一級建築士。

ブロガー:本・映画・音楽・アート・デザイン・ファッション・都市・建築・食・料理・旅・暮らし・まち歩きなどのカルチャーフィールドを横断的に渉猟・論考するブログを主宰。

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