バビロン再訪~バブル時代のマンション物語~2019/4/22

書店に平積みされていた「ぼくのまち、東京」と題された雑誌『ポパイ』 POPEYE (2019年5月号#865 マガジンハウス)を思わず手に取った。『ポパイ』を買ったのはかれこれ30年ぶりだ。

 

『ポパイ』は ”Magazine for City Boys” をテーマに1976年に創刊された。

 

時は、浅間山荘事件(1972年)で60年代の政治の季節に決定的な終止符が打たれ、さらに50年代以降続いていた経済成長も、オイルショック(1973年)をきっかけに、減速傾向が明らかになった時代だ。

 

高度経済成長のピークを象徴する、同年内閣総理大臣となった田中角栄の『日本列島改造論』が出版されたのが1972年。田中角栄は奇しくも、『ポパイ』創刊号が発売された1976年6月25日の1か月後の7月27日にロッキード事件で逮捕される。

 

『ポパイ』は、「シラケ」ていると言われた、70年代後半~80年代前半の価値真空の時代の日本の若者に、すっかり小奇麗になったアメリカ - 反体制、ヒッピー、マリファナ、ロックなどのカウンター・カルチャーの呪縛が解かれたベトナム撤退後のアメリカ - のライフスタイルを紹介して絶大な影響力を誇った。最盛期だった80年代前半(#100号ぐらいまで)の発行部数は数十万部(公称)を記録した。

 

イデオロギーの代わりに「気分」を。『ポパイ』によって、素朴なズックはスニーカーに、汚れたジーパンは洗いざらしのジーンズに、「ダサい」ゴルフシャツはポロシャツに、外での運動はアウトドアスポーツになった、そういうことだ。

 

なかでも『ポパイ』を象徴するのが、「ポップ・アイ」 POP・EYE と題された巻頭に置かれた短いコラムを集めたページ。トリビアルなアメリカ情報からマニアックな雑学まで、マイナーなサブカル動向からこだわりのファッション情報まで、価値ニュートラルで面白ネタを集めたページは、その後ブームとなった「カタログ雑誌」の元祖にふさわしいページだった。

 

バブル崩壊後、出版・雑誌市場は低迷の一途だが、その中にあって『ポパイ』は、2012年のリニューアルを機に十万部の発行部数に回復し、男性ファッション誌のトップクラスの地位に返り咲いている。

 

かつてのパートタイムの「ポパイ少年」の手元には、「1986 YEAR BOOK 東京・京阪神SHOP ・GUIDE」と題された、今から33年前の東京特集の『ポパイ』(1986年3月25日号#219)があった。

 

 

1986年は絶妙な年だ。バブルの遠因ともなったプラザ合意(1985年)の翌年にあたり、バブル勃興の寸前である。バブル前の東京は、70年代は革新都政が続いていたこともあり、今のような大掛かりな都市開発がそこここで横行するような時代ではなかった。

 

バブルの前の主要な都市開発を挙げてみると、1971年開業の京王プラザホテルを皮切りにした新宿西口の一連の超高層ビル建設や池袋のサンシャイン60(1978年)など副都心でのオフィスビル開発、渋谷パルコ(1973年)、ラフォーレ原宿(1978年)、東急ハンズ(1979年)、渋谷109(1979年)などの西武(セゾン)や東急による渋谷圏での商業ビル開発など、70年代の東京都心はいたって静かなものだった。1980年代に入ると、有楽町マリオン(1984年)、アークヒルズ(1986年)、SHIBUYA Bunkamura(1989年)、新都庁舎(1990年)庁など、都心部での建て替えや再開発などが始まりつつあった。

 

優れた雑誌はひとびとに潜在する志向や願望を発見し、時代の新たな価値観として定着させる。

編集者自らが証言しているように、当時の日本には「ポパイ少年」や「シティボーイ」など実際には存在しなかった。それらは『ポパイ』が創り出し、その後に日本に根を下ろしたライフスタイルであり感性だった。

 

雑誌のなかの「東京」はひとびとのなかに潜在している東京への眼差しが表出したものだ。

 

2019年と1986年、30年を隔てた2冊の『ポパイ』の東京特集に登場する「東京」を比較し、今と昔の東京への眼差しの違いをみてみる。

 

1986年版東京特集でMAPつきで詳しく取り上げられるのは、麻布、青山、麻布、六本木、渋谷、原宿、代官山などのエリアである。当時の「シィボーイ」にとっては、ここが「東京」の本丸だった。

 

一方、2019年版東京特集の「東京いろんな顔」と題された冒頭を飾るコーナーに登場する街はというと、北千住、中野、高円寺、北参道、武蔵小山、学芸大学、神保町、金町であり、他のコーナーで紹介されているのも、代々木公園、亀有、豪徳寺、歌舞伎町、八広、西原、森下、下北沢と、港区、渋谷区の高感度エリアがメインだった1986年版の「東京」とは、様変わりしている。

 

バブル崩壊から約30年、バブルの後に生まれた今どきの「シティボーイ」の「東京」とは、気の利いたスモールビジネスや街に根づいたお店があり、地に足の着いた日常が営まれ、ちょっと周縁に位置する、適度なスケール感の、そんな地元感のある東京だ。

 

 

2019版の「僕の好きな東京100」と題されたコーナーでは、カルチャーシーンのキーマン、注目のクリエイターやデザイナー、有名ショップオーナーや著名人など100人が選んだ、お気に入りの、とっておきの”この店、あの場所”が紹介されている。

 

驚いたのが、推薦されている100の店や場所のなかに、バブル以降に開発された街や建物がほとんど見当たらないことだ。名の知れた開発やビルで挙げられているのは、「星のや東京」、「東京国際フォーラム」、「三菱一号館美術館」、「インターメディアテク」(KITTE)のたった4か所しかない。うち後者2か所は既存建物のリノベーションであり、バブル以降の新規開発は実質は2か所ということになる。

 

100分の2。

 

新規開発のシティホテルで紹介されているのも先の「星のや東京」の1件だけ。アマン、コンラッド、ペニンシュラ、リッツ・カールトン、シャングリ・ラ、グランドハイアット、マンダリンなどは一切登場しない。老舗の帝国ホテルを2人が紹介しているのとは誠に対照的だ。

 

90年代以降の約30年間で開発された街や建物を、煩瑣になるのを承知の上で具体的に書き出してみよう。その数がいかに多いかは、先に挙げた70年代~80年代の開発と比べると一目瞭然だ。

新宿パークタワー(1994年)、天王洲開発(1994年)、恵比寿ガーデンプレイス(1994年)、竹芝開発(1995年)、東京国際フォーラム(1996年)、パレットタウン(1999年)、代官山アドレス(2000年)、東京汐留ビルディング(2000年)を皮切りにした一連の汐留開発、泉ガーデンタワー(2002年)、六本木ヒルズ(2003年)、丸ビル(2002年)や新丸ビル(2007年)などの一連の丸の内・大手町開発、コレド日本橋(2004年)や日本橋三井タワー(2005年)などの一連の日本橋開発、新国立美術館(2007年)、表参道ヒルズ(2006年)、東京ミッドタウン(2007年)、2000年代を通じた表参道および銀座の一連のブランドビル、原宿東急プラザ(2012年)、虎ノ門ヒルズ(2014年)、京橋スクエアガーデン(2013)や京橋エドグラン(2016)などの一連の八重洲・京橋開発、銀座東急プラザ(2016年)や銀座SIX(2017)などの一連の銀座開発、東京ミッドタウン日比谷(2018年)、渋谷ヒカリエ(2012年)や渋谷キャスト(2017年)や渋谷ストリーム(2018年)などの一連の渋谷開発etc.

 

こうして書き出すのもおっくうになるほどの数の、バブル後の90年代以降に実現した数々の、しかしながら、時代の「シティボーイ」からは見事にスルーされている都市開発や街づくりとは一体なんだったのだろうか。

 

少なくとも1986年版東京特集では、渋谷パルコや渋谷109やラフォーレ原宿やAXISやベルコモンズやVIVRE21などはきちんと紹介されている。

 

念のため、同じく最近の『ポパイ』で、新入生、新社会人、外国人向けを意識した、より入門編的趣の東京特集号である「はじめまして、東京」と題された2018年4月号#852も入手して確認してみた。

 

 

「東京いい店、好きな店100」と題したコーナーで、バブル後に開発された建物(に入っている店)で挙げられているのは、銀座メゾンエルメス、京橋エドグラン、代官山蔦屋、六本木ヒルズ、GYRE(神宮前)の5件だ。

 

100分の5。

 

また、原宿、渋谷、表参道など『ポパイ』定番のファッションエリアとあわせて紹介されるのが、「今日はオノボリさん」と題して推薦される東京タワーと国会議事堂であり、「今、一番住みたい街」は幡ヶ谷、田原町という調子だ。

 

入門編でも状況は変わらない。巨大開発や再開発を好きになる「シティボーイ」はいないのだ。

 

『ポパイ』に取り上げられるため開発してるわけじゃねえ、はなからマイナーな穴場的スポットに限って紹介しているからでしょ、しょせん『ポパイ』は若者向けで、今どきの若者は立派なビルの高級ショップに行けるほどお金がないのが現実だ、などなど、ご意見はしごくごもっとも。

 

でもね、「シティボーイ」とは年齢や経済ではなく感性の問題だ。若かろうが年を取ろうが、金があろうがなかろうが、高級であろうが大衆向けであろうが、老舗であろうが新店であろうが、山の手であろうが下町であろうが、「シティボーイ」は、面白い街、気になる場所、わくわくするお店には、必ず足を運ぶものなのだ。

 

「シティボーイ」が行かなくなった、ビッグビジネスによる巨大開発と超高層タワーとチェーンオペレーションの街。想像するだに背筋が寒くなる。

 

2019版東京特集には、全盛期『ポパイ』の主要な書き手のひとりだった都築響一が語る立石の駅前再開発の話が載っている。

 

「すでに用地買収が済んだ駅前の一画は駐輪場になったり、工事用のフェンスで囲い込まれて、気がつけば呑んべ横丁も半分以上が削られ、なんとも情けない横っ腹を晒している。すぐわきの道端には「計画案のイメージ・パース」が貼り出されていて、なんの個性も特徴もない、ただの郊外ターミナルと化した惨めな姿が、誇らしげに掲げられていた」、「僕らの東京は、こうやって死んでいく」

 

急速に消滅しつつある「僕らの東京」への憤りと愛惜のレクイエムだ。

 

 

(★)トップ画像は2019年3月に撮影した京成立石駅北側と「呑んべ横丁」。

 

 

大村哲弥 一級建築士/ブロガー

有限会社プロジェ代表:1984年、セゾングループのディベロッパー株式会社西洋環境開発に入社。住宅・マンション事業のマーケティング・商品企画・事業企画に従事する。バブル前夜からバブル崩壊とその後のカルチャーシーンのなかで20歳代、30歳代を過ごし、不動産ビジネスに携わる。1996年、有限会社プロジェ設立。建築・住宅分野のコンサルティング・商品企画・デザイン・執筆などを手がける。東京工業大学大学院修了。一級建築士。

ブロガー:本・映画・音楽・アート・デザイン・ファッション・都市・建築・食・料理・旅・暮らし・まち歩きなどのカルチャーフィールドを横断的に渉猟・論考するブログを主宰。

 

 

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