甘い生活2019/4/3

あなたの家の壁には、何の絵画が飾られているだろうか? 何枚飾ってあるのだろうか?

いや、そもそも絵画は飾られているのか? 家に”絵を飾る”って、 ある意味当たり前のようでいて、実はひどく難しく、改めて考えてみるべき案件だと思うから。

 

まず、モデルルームなどでは、もう100%絵画が飾られている。しかし、住宅展示場の絵画は大変申し訳ないけれど、そのほとんどが白々しい。

ただ確かに壁はひたすら広々開いているから、何か飾りたくなるのは当然のこと。でも、ある意味がらんとして他に目につくものがないからこそ、モデルルームは皮肉なことに、絵画の違和感が1番目立つ場所なのだ。

 

いや最近は、モデルルームと言うものに行っていないから、そこは改善されたのかもしれない。でも、間違いなくプロのインテリアデザイナーの仕事であるはずなのに、それでも何か違和感を感じてしまう、そのくらい難しいのが、家の中の絵画なのである。

 

もっと言うならば、人はなぜ壁に絵を語りたがるのか? インテリアとしてなのか?それともいつも目にしていたいからなのか?大好きな絵を飾りたいと思うのはとても自然なことだけれど、でも好きな絵を家に飾ること自体、ひょっとしたら違うのかもしれない。

 

例えば私は、ラファエロやルーベンスのような壮麗な宗教画が好きだけど、あんなものが部屋にあったら、日常生活をまともに送れない。いや現代ものであっても、基本的におどろおどろしたものが好きな私は、どっちにしろ部屋に好きな絵は飾れないのだ。

 

ちなみに、肖像画は目が合うと怖いから、やっぱり飾れない。美しいものほど取り憑かれるから飾れない。風景画も、よほど洗練されたものでないと、まさにとってつけたよう。

 

となれば抽象画しかないけれど、だから部屋の中に飾られていて最もセンスが良いのは、まるで壁のような絵だったりする。だったら壁でいいじゃん、とも思うし、ゴシックなインテリアにありがちな、デコラティブな額だけを絵なしで飾ると言うのもあり。

 

そこで私は、家を建てたときある決意をした。部屋に合った絵を探すのは本当に大変。
それならば、いっそ家が完成してから、そこに合う絵を自分で描いてしまおうと。

 

もちろん私は、絵がうまいわけでは全くない。油絵セットだって持っていないくらい。でも、それこそ壁みたいな絵だったら、自分でも描けるのではないか? そう考えたのだ。
たとえばベタな色をツートンで描く。あるいは白いままのキャンバスに、ちょっとした和風を気取って黒い墨で、意味不明の線を描く。下手なほどいいんじゃないのか?と。

 

いろいろ悩んだ挙句、模様のある古い城の壁の写真を、アップにしてざらざらに荒らして現像したものを、額に入れることにした。クリーム色の漆喰風の壁にかけるために。また一方、意味不明の抽象画を見つけてはそれを額装した。

 

でもいつかは、自分で描いたツートンの壁の絵を描いて飾ろうと思っている。なぜならそうでないといつまでたっても必然性が生まれないから。

 

自分の好きな絵は飾れない。部屋に合わない絵を飾るのもイヤだが、飾って白々しいのはもっとイヤ。部屋に合うだけの絵なら、壁でいい。何かの必然性がそこに欲しいのだ。となれば、自分の描いた絵だからそこに飾っていると言う必然性ぐらいしか、もう残っていないのである。

 

人間にとって絵画とはなんだろう。最近は、美術館も海外から有名な絵画が来ると、とんでもなく人が集まるそうである。みんなそんなに絵を観るのが好きなのか? 行列に並んででも観に来る人の何割が、その絵画に感動するのだろう?
いや別に感動しなくたっていいのだ。それを見て何かを感じれば。でも、本当ならば立ち尽くすくらい感動してほしい。絵画って本来そういうものなのだろうから。

 

家に飾る絵画も同じ。その絵と一緒に生きていきたいくらい好きな絵にであったら、100万円だろうが1000万円だろうが、買って一緒に暮らす、それが正しい絵の持ち方なのではないか。

 

本当にいつの日かは、そういう飾り方をしたい。でも叶わぬなら自分の描いた絵。

そういう考え方、おかしいだろうか?

 

 

 

齋藤薫 美容ジャーナリスト/エッセイスト

女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーと幅広く活躍。新刊『大人の女よ!もっと攻めなさい』(集英社インターナショナル)、『されど“男”は愛おしい』(講談社)など著書多数。

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