バビロン再訪~バブル時代のマンション物語~2019/2/26

「月曜日から札幌に行って欲しい」。上司のT課長はたいそう簡単にそう告げた。1986年の6月最後の金曜日のことだ。

 

札幌での役目は、西洋環境開発が札幌で初めて取り組むマンションの商品づくりの助っ人だった。入社2年足らずの現場も知らない若造でも猫の手ぐらいにはなるだろうという訳だ。

 

札幌の分譲マンションの第一号は1964年に分譲された藻岩マンション(南20西12)だといわれている。札幌でマンション分譲が本格化したのは1974年頃だ。札幌オリンピックの開催(1972年)にあわせて前年に開通した地下鉄南北線(北24条~真駒内)がその契機になった。

 

マンション分譲が本格化して10年余りの当時の札幌は、首都圏などに比べてまだ若く、未成熟ではあるものの、逆に新しい可能性を感じさせるマーケットだった。

 

札幌は年間平均気温8.9度(同東京16.3度)、真冬日45日(同東京0日)、雪日数125.9日(同東京9.7日)と、札幌と東京(首都圏)は、気候条件が大きく異なる。

 

札幌のマンションにはどんな商品がふさわしいのか?それは首都圏とは必然的に異なるはずだった。

 

セゾングループは、旭川西武(1974年)、札幌パルコ(1975年)、函館西武(1981年)などに続いて、1982年に西武百貨店が札幌の老舗百貨店五番館を傘下に収めるなど、すでに幅広く展開していた。先行して地域に根を下ろしていたグループ企業を手始めに、そこから芋ずる式に情報源をたどり、札幌での生活実態などを聞きまわることにした。

 

こうして、開発担当として駐在していたM先輩との二人三脚での、徒手空拳の、手探りの、休日返上のマーケティングがスタートした。

 

西武百貨店商品部、五番館、札幌パルコ、(財)北方圏センター、札幌消費者協会、北国の消費生活研究会、(社)北海道開発問題研究調査会、設計事務所、北海道工業大学、結露対策技術に詳しいアサヒ住宅 などに日参し、消費者へのグループインタビューを2回行った。

 

そこから以下のような、北海道特有のさまざまな暮らしの実態や商品の生産や流通の現実、なかでも手つかずで残されている住宅に関する課題が浮かび上がってきた(★1)。

 

 

曰く、冬は室内温度をガンガン上げて半袖でビールというのが北海道人のスタイル。その結果、気密性の高いマンションでは外気に近いところで必然的に結露が発生する。特に熱伝導率が高いアルミサッシュ周りや相対的に室温が低い北側居室では結露が著しい。

 

冬場は洗濯物を外に干すと凍ってしまうので、部屋の中に干す。室温が高く、すぐに乾くリビングに干すことが多いが、うっとおしい、来客の際に見苦しいなど、なんとかしたい。室内に放出された湿気が結露の遠因にもなっている。

 

冬用の靴や冬用のタイヤなど、本州に比べて必要なモノの数が多く、収納場所が悩みの種。スキーは必ず学校でやらされるので一家で4~5本は当たり前、ゴルフも必ずやるなど、恵まれたレジャー環境がさらにモノの多さに拍車をかけている。止む無く、押し入れに靴を仕舞っている家庭も少なくない。

 

マンションの下駄箱はブーツや長靴が入らず不便だ。また、濡れた靴やコートや帽子などはすぐには仕舞えないので置き場に困っている。

 

一方で、冬の厳しさに対して防衛的になるあまり、暮らしの楽しみの可能性がシュリンクさせられているという課題も見受けられた。

 

曰く、戸外が雪に閉ざされるため、冬場はみんなで集まってなにかすることなどを諦めてしまうことが多い。冬の間は事実上使えなくなることから、札幌のマンションはバルコニーが狭く、使い勝手も良くない。冬場は雪に埋もれてしまうこともあり、札幌のマンションは概して植栽などの緑が少なく、オープンスペースも貧弱だ。

 

札幌では家庭でも外でも頻繁にジンギスカンをやる。花見でジンギスカン、円山球場の外野席でもジンギスカンなど、およそ本州では想像できない習慣が新鮮だった。実際、五番館でも鍋全般がよく売れているとのことだった。

 

こうしたなかで商品づくりのヒントになったのが、西武百貨店と五番館が北方圏センターや札幌消費者協会の協力のもとに開発を行ったオリジナル商品ブランド<ノーステック>の話だった。

 

北海道で売られている手袋のほとんどは、大手メーカーが四国の工場で作ったものをそのまま店頭に並べているだけで、北海道の冬を前提とした機能性がまったく考えられていない。逆に、子供服や靴に関しては、雪や寒さ対策一辺倒の商品しかなく、冬の装いを楽しむような発想の商品がない。

 

こうした事実が発端となり、バイヤーを全道に派遣しての実態把握、消費者への調査、北欧など北方圏への視察団の派遣などを通じて、機能性はもちろん、飽きのこないデザイン、日常品としてのこなれた価格などを実現したオリジナル商品として1984年の子供服を皮切りに<ノーステック>商品が開発された。

 

札幌における生活実態を探る調査とあわせて、実際のマンションを見て回り、販売中物件のモデルルームに足を運んだ。どの物件、どのモデルルームを見ても、首都圏の横並びか、あるいは札幌の市場価格に合わせて東京の商品をグレードダウンしたようなものしかなかった。<ノーステック>の手袋のエピソードと同様に、マンションにおいても「内地の押しつけ」(当時の札幌消費者協会M副会長の言葉)の商品しか見当たらないというのが実態だった。

 

一連のマーケティングの過程で、ごく自然に生まれてきたのが<札幌発・札幌向>いうコンセプトだった。

 

こうして札幌での第一号の分譲マンション《ヴィルヌーブ旭ヶ丘》の商品づくりが始まった。

 

基本設計には地元出身で北方圏の住宅事情にも明るい建築家・下村健一を起用した。当時40歳の下村はマンション設計の実績はなかったものの、<札幌発・札幌向>の商品づくりチームの一員には最適任に思えた。

 

 

具体的な商品としては以下のような企画を創案した。

 

結露防止のためのホットエアサイクルシステム(熱交換換気扇連動の結露センサーつき天井内暖気還流配管)、2重サッシュ(内側プラスチック)、厚さ30~35mmのウレタン断熱材(600mm巻き込み)、冬靴などの冬用品やレジャー用の長物などが入る全戸分の室内トランクルーム、共用部に設けられた冬タイヤラック、濡れた靴を置いておいても邪魔にならず、厚手のコートの脱ぎ着も楽な広めに作られた玄関スペース、外気温が表示される室内セキュリティ盤、冬場には洗濯物干し場として利用できるLD脇の和室に設けられた広縁状のサンルーム(LDの暖気を活用でき、かつ来客時は障子を締めれば洗濯物は見えない)、平日12時間のライフサービス、日常動線の中心に位置するシンボルツリーのある大きなパティオ、そして冬場の交流の場となるパティオに面したコミュニティルーム(集会室)など。

 

ジンギスカンが日常生活に定着しているライフスタイルに応えるために、ジンギスカン鍋専用オリジナル収納ラックのあるキッチンや専用レンジフードつきジンギスカン愛好家向住戸などのアイディアもあったが、奇策すぎるとして却下された(当たり前か)。

 

日中はヒアリングやグループインタビューや設計の打ち合わせに奔走し、夜は本社からくる課長や役員への報告会議と称してすすきのを徘徊し、土日は朝から気になる物件やモデルルームを見て回った。

 

6月30日に生まれて初めて札幌駅に降り立って以来、約半月間の札幌滞在と、その後の数回の断続的な出張を交え、かれこれ足掛け2か月に及んだ、M先輩とのバディームービーさながらの地域密着のマーケティングは、8月30日に《ヴィルヌーブ旭ヶ丘》の商品企画にGOサインが出て、ひとまず完了し、プロジェクトは実施のステップへと駒を進めた。

 

本社からの助っ人はお役御免となり、東京での日常に戻り、正式な推進体制が組まれ《ヴィルヌーブ旭ヶ丘》は、販売立ち上がり時のドタバタを経ながら、翌年1987年10月に無事竣工した。

 

 

機能、合理を重視し普遍を希求するモダニズム。インターナショナリズムとして世界中に広まったモダニズムの行き着いた先は、標準化された建物、画一化された風景だった。

 

マンションとはモダニズム(インターナショナリズム)を象徴する商品だ。日本中(あるいは世界中)どこでも、一定の性能が担保された均質商品として普及してきた。

 

一方でひとの生活や暮らしは本来、それぞれの場所の気候、習慣、歴史などによってその様相が大きく異なるリージョナルなものだ。

 

大げさな言い方が許されるならば、<札幌発・札幌向>というコンセプトが目指したものは、モダニズムとリージョナリズムの対立的共存の試みだった、といえまいか。

 

北方圏には、シンプルな機能性とヒューマン、自然との親和性などを共存させた<北欧モダン>という魅力的な解答がある。厳しい気候、遅れた近代化、中心から外れた辺境性などの<周縁性>が創造した、モダニズムとリージョナルな個性を止揚したデザインだ。

 

その後のバブルとバブルの崩壊の過程で西洋環境開発は消滅し、そしてセゾングループも解体された今、こう夢想することをやめられない。<札幌発・札幌向>の試みが、例えば<札幌モダン>と呼ばれるようなデザインやブランドへと昇華し、日本の画一的なマンション商品に一石を投じた可能性を。

 

30年を経た今も会うたびに聞かされるM先輩十八番の自慢話がある。曰く、「俺はお前が札幌にいる間、一銭も使わせなかった」と。

 

それはあながち誇張ではなかった。M先輩はほぼまる抱えで若造の面倒をみた。もっとも連れて行ってもらった記憶にある場所といえば、北海道道庁の職員食堂や札幌市役所の食堂や、あるいは街道筋に取り残されたように建っている崩れかけたバラックのようなラーメン屋なのだが。

 

そこで食べたカレーや日替わり定食や味噌ラーメンの味はいっこうに思い出せない。なぜなら、その当時のこのコンビの頭の中にあったのは、札幌の暮らしとそれに寄り添った商品企画の実現のことだけであり、席に座るや否や、あれはこうだ、これはどうだと、今聞いてきた話や、今見てきた物件の話題に夢中になり、目の前の食べ物のことなどまったく眼中にはなかったのだから。

 

 

 

(★1)掲げたさまざまな課題は当時のヒアリングに基づくもので、現在の札幌での暮らしやマンションではどうなのかは不明。あるものは解決され、あるものは手つかずのままなのではないか。

 

★ヴィルヌーブ旭が丘

住所 : 札幌市中央区南9条西23丁目3-2

総戸数 : 58戸

構造・規模 : RC造・地上4階・8階建

基本設計 : (株)環境計画 下村・矢尾板都市建築研究所

事業主 : 西洋環境開発

竣工 : 1987年

 

★トップ画像 : photo by yoppy-サッポロビール園 adapted/CC BY 2.0

 

 

 

大村哲弥 一級建築士/ブロガー

有限会社プロジェ代表:1984年、セゾングループのディベロッパー株式会社西洋環境開発に入社。住宅・マンション事業のマーケティング・商品企画・事業企画に従事する。バブル前夜からバブル崩壊とその後のカルチャーシーンのなかで20歳代、30歳代を過ごし、不動産ビジネスに携わる。1996年、有限会社プロジェ設立。建築・住宅分野のコンサルティング・商品企画・デザイン・執筆などを手がける。東京工業大学大学院修了。一級建築士。

ブロガー:本・映画・音楽・アート・デザイン・ファッション・都市・建築・食・料理・旅・暮らし・まち歩きなどのカルチャーフィールドを横断的に渉猟・論考するブログを主宰。

バビロン再訪~バブル時代のマンション物語~ についての記事

もっと見る